驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで 作:八幡悠
練習が終わると、私たちはそれぞれのチームに割り当られた宿泊所へと引き揚げた。
このあたりにはURA管轄の合宿用練習施設がいくつかと、多くの宿泊所が点在している。
ここ新潟以外だと、北海道や福島、伊豆、滋賀、九州といった日本各地に同じような施設群が数か所ある。
今回私たちが宿泊する宿泊所は、私たち以外にもバクシンオーさんの所属するアルケスとダイワ姉妹の所属するボタインが合同で使用している。
食事を済ませた夜。
私は当番の仕事でトレーナーさんたちが使っている1階の教官室に点呼の名簿を届けていた。
「ボタインっちゅうのはな、おひつじ座δ星の名前でアラビア語で“小さなお腹”っちゅう意味や。……ここ、笑うとこやぞ」
そう笑いながら恰幅のいいお腹をバシンと叩く北浦トレーナー。
どう反応したものか戸惑っていると、同じく当番で教官室を訪れていたスカーレットが割り込んできた。
「行くわよセミラミス。こんなのに付き合ってたらお風呂抜かれちゃうわ」
「こんなのとはひどいな自分、人が体張ってんのに」
「ああ、もうこんな時間ですか。お2人とも、もう結構ですよ」
「あ、はい。それでは失礼します」
吉富トレーナーにも促され、私たちは部屋を辞した。
宿泊所の一般というのは知らないが、1階に食堂や炊事場、大浴場といった水回りとガレージや倉庫があり、居室はトレーナー達が使う教官室だけ。2階はウマ娘が泊まる大部屋で占められている。
1階、大浴場。
時間が遅かったため大浴場は私とスカーレットだけだった。
思えばスカーレットとは寮が違う上にウオッカといつも一緒にいるから、こうして2人きりでいる機会なんてめったになかった。
彼女と仲は良いと私は思っているが、どうにも友達の友達感があって話しかけるきっかけがつかめない。
そうしている間に体も髪も尻尾も洗い終わって、脱衣所まで来てしまった。
2人きりの脱衣所。
スカーレットはベンチの前に腰を下ろして髪をタオルで押さえている。
いつもは2つに結ばれた長い髪が濡れたまま背中に張り付いていて、少し落ち着かないように見えた。
白いルームウェアの上だけを羽織っていて、襟元から鎖骨のあたりまでが湯上がりの赤に染まっている。
髪の先から滴が落ちるたびに、肩口の布地がうっすら濡れていた。
「スカーレット、乾かしましょうか」
「え? いいわよ、自分で──」
彼女が言いかけた言葉を、私は軽く手を上げて止めた。
「放っておくと風邪ひきますよ。あんまり時間もありませんし」
「……それなら、お願いしようかしら」
ほんの少しだけ、スカーレットが視線を逸らした。
彼女が椅子に座り直して背を向けると、長い栗毛がふわりと揺れて湯気のなかでやわらかく光った。
ドライヤーのスイッチを入れ、髪の束に手ぐしを入れて少しずつほぐす。
指先に触れる髪は驚くほど細くて、寮でよく触るカフェさんの黒鹿毛と違いずっと軽い。
「こうして誰かに乾かしてもらうなんて、いつ以来かしら」
「意外ですね。お姉さんとかには──」
「家ではいつも1人でやってたの。両親も、バカ姉もなかなか家に居なかったから」
「……あ」
思わず息が詰まる。
そういえば、メジャーさんは小さい頃体が弱くてよく入院していたとか聞いた気がする。
スカーレットさんは気にした様子もなく、少し肩をすくめて笑った。
「まあ、今はもうそんなことないのよね。……でもたまには──」
その先の言葉は温風にかき消されて耳には届かなかった。
でも、なぜか胸の奥が少しだけ熱くなった気がした。
2階、大部屋。
宿泊所の2階は、いくつかの畳敷きの大部屋で占められている。
部屋割りはクラシック級、シニア級、指導ウマ娘の3グループで分けられており、私達クラシック級は一番大きな部屋を1つ割り当てられていた。
そんななか、私は入口に近い角っこというコンセントが近くて過ごしやすい良い位置を貰っていた。
別に偉ぶった訳では無いのだが、なんとなく部屋のリーダー格に押し上げられてしまったような気がしている。
……あんまり性に合わないので実際に仕切るのはスカーレットに任せているが。
そして消灯。
常夜灯以外に照らすものがない暗闇の中、電気を消しに行ったスカーレットが隣の布団に潜り込んだ気配を感じる。
明日も早いのだからすぐ寝なくては。
そうしてタオルケットをお腹にかけて目を閉じると、すぐさま意識が遠くなった。
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ふと、目が覚めた。
窓を覆うカーテンの向こうは真っ暗で、起床時間まではまだあることは明らかだ。
……寝直そうと目を閉じるも、一度冴えてしまった意識はなかなか夢の国へと戻らない。
むしろ蒸して寝苦しくすらなってきた気がして、反対側へと寝返りをうった。
……あれ。
隣で寝ているはずのスカーレットの呼吸が浅い。
もしかして。
「スカーレット、起きてる?」
「……あによ。アンタも眠れないの?」
帰ってきたのはほんのり眠そうな声。
普段の猫を被った優等生でも、勝気な性分の負けず嫌いでもない、そんな声音。
全然性格は違うのに、寂しがって添い寝をせがむ妹を思い出した。
ぼそりぼそりと地面を転がすような会話のキャッチボールを続けていてふと思いだす。
1年ほど前、スカーレットの勝ち気な性分をようやく知った頃。メジャーさんはなんと言っていただろうか。
彼女のことを完璧な優等生だとしか思っていなかった私に対して、まだ月へ向かうロケットに乗ったところだ、と評したのだったか。
そういう意味では、普段の猫を被った優等生という一面も、一番にこだわる勝気な負けず嫌いという一面も、もしかしたら彼女の本質とはいえないのかもしれない。
なにか根拠があってのことではないが、眠気が少しづつ満ちてくるなかなんとなくそう直観した。
「──アイツ、大丈夫なのかしらね。宝塚も勝ってないのに、フランスだなんて」
「……2400mは走れるんだし、斤量有利だし。大丈夫でしょ」
話題はアイツ、すなわち凱旋門へと挑むウオッカに移る。
ウオッカはダービー勝利のあと私に続いてクラシック級で宝塚記念に参戦し、8着と惨敗していた。
同じくダービー2着で突撃したアサクサキングスが15着であることを考えれば大健闘には違いないのだが、批判はされた。
それでも、ということで夏は札幌で調整し、合宿の終わる頃フランスへ向けて発つらしい。
「勝ち逃げだなんてあのバカ……秋華賞でも、オークスでも……アンタにもよ」
凱旋門賞とティアラ最終戦の秋華賞は日程が近く、両方に出ることは非現実的だ。ダービーとオークスもそうだ。
先着ならしたじゃないかという反駁を飲み込む。
きっとそれではダメなのだ。一番でなくては、ダメなのだ。
それは理屈じゃない。そうありたいと望んだから。
なんだ。
スカーレットにとっての一番は、私にとってのバクシンオーさんなんだ。
「秋華賞で決着をつけようと思ってたのに、またアイツは先に行っちゃった」
モヤがかかったような頭で思いを馳せる。
きっとウオッカには自分がある。
そして私には、私達にはまだそれがない。
だから私は並び立ちたいと願った。
だから彼女は突っかからずにはいられない。
私達にないものを持っているから。
なんだ、最初は正反対かと思っていたけど──
「……私たち、似てるのかもね」
「似てる? アンタと私が? …………そうかもね」
──最後の言葉は、どちらの耳にも残ることなく闇へと溶けた。