驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで 作:八幡悠
夏合宿。
あしかけ2ヶ月、前後とお盆休みを勘定に入れても6週間に及んだ練習の日々もまもなく終わりを告げようとしていた。
夏の上がりウマという言葉があるように、特にクラシック期の夏合宿はウマ娘を大きく成長させる。
メジロマックイーン、マヤノトップガン、マチカネフクキタル、マンハッタンカフェ、ファインモーション、ヒシミラクル。
偉大な先輩方の名が示すように、夏前は条件戦で燻っていたウマ娘が秋のG1で頭角を現す例は枚挙に暇がない。
そして今や私は追われる側となった。
いまだあの日見たバクシンオーさんの背は遠いが、自分が“強者”の側であることは否定できない。
秋から始まるG1戦線に備えて、課題だった重バ場への適応、基礎スペックの上積みを中心としたトレーニングで鍛えてきた。
合宿最終盤のこの日、私は9月頭に迫ったセントウルステークスに備えてか軽いメニューのみを指示されていた練習を切り上げて練習場所近くのキャンプ場を訪れていた。
この日は合宿の終了を祝っての打ち上げがあると聞いて、準備は現役を退いた先輩方やトレーナーが行うとのことだったが何もしないのも何だということで早めに向かったのだった。暇だしね。
メジャーさん曰く、なぜか例年より打ち上げが1日早いとのことだ。
なんとなくそれに引っかかるものを覚えつつ、打ち上げ会場へ到着した私の眼の前にはとんでもない光景が広がっていた。
「えぇ……」
そこには東屋の下に備え付けられた石造りのかまどや炊事場と椅子や机、そして屋外に並べられたBBQコンロがあったのだが……。
「ビリーヴさん! これをお一人で!?」
「……僕の仕事ですから」
大量に並んだかまどやコンロの火の番をしていたのは、ボーイッシュな鹿毛のショートヘアのビリーヴ先輩。
これから私が走るスプリンターズSの優勝経験やセントウルSのレコードを持っているウマ娘。
この合宿では北浦トレーナーの元で指導担当を務めていたため宿泊所が同じだったため面識があった。
「ここは僕一人で大丈夫ですので、手伝いなら他へ」
「あっはい。わかりました」
ちょっとぶっきらぼうな人だが、考え方や境遇に近しいところがあるのもあって悪い人じゃないのは知っていた。
そして、手伝いますと言ったところで断られることも。なにより私自身が同じ状況ならそうするだろうから。
なので言われたとおりに他へと目を向ける。
まず目に飛びこんできたのはレンガ造りのかまど。その上には大きな金網がかけられ、下では炭ではなく太い薪が燃えている。
奥には鉄のフタ付きのグリルがいくつもあって、どれも煙をゆっくり吐き出していた。
横には小さな鍋が掛けられていて、タイキシャトルさんが何か茶色い液体を煮詰めているところだった。
焦げたソースの甘い匂いがそこら中に漂っている。
「ヘイセミラミス! 匂いに誘われマシタか? これはブラックBBQソース! ウスター、酢、ブラウンシュガー、ちょっとマスタード。隠し味にバーボン! 煮詰めてトロトロにするんデス!」
そう言って笑うタイキシャトルさん。
肉は薄く切らず大きな塊のままで焼かれ、甘い匂いのするソースが丹念に塗られて艶めいている。
なんだろう、あんまり見たことがない肉だけど……もしかしてラム肉?
「ザッツライ! テキサスは牛! ノースカロライナはブタ! ミシシッピは全部アリ! でもケンタッキーはマトンがトラディショナルなんデス!」
つまりタイキシャトルさんにとっての故郷の味だということだろう。
それぞれのお国柄というか、日本で言うところの芋煮とかそういうこだわりを感じる。
それにしても、これだけの設備や材料を用意するのは大変だったのではないだろうか。
「ピットはビリーヴが組んでくれマシタ! 材料は吉富トレーナーデス! それがセミラミスのコーチを引き受ける条件だったノデ!」
なるほど、確かに渡米してあちらのトレセンで勉強しているビリーヴさんなら本式のBBQも知っているだろうし、器用な人だからそれぐらいやってくれるだろう。
……それにしても、トレーナーさんは私のためにそこまで。
確かにタイキシャトルさんは現役時代に園部トレーナーと組んでいたのだからコネクション自体はあるだろうが、それでも、だ。
決して安くはなかっただろうに、関係各所との折衝も楽ではなかっただろうに。
トレーナーさんは私のためにそこまでしてくださったのだ。私も応えなくては。
「……ありがとうございます」
「ノープロブレム! ワタシもセミラミスにキョウミシンシンでシタカラ!」
そう言って、タイキシャトルさんは、ここはいいから、とやんわりと私を追い返した。
BBQのピットマスターというのはホストの仕事だと聞いたことがある。手伝いを申し出るのはかえって失礼に当たる場合もあるという。
ありがたくお言葉に甘えてその場を離れた。
その他といえば、スパイシーな匂いのする大きな寸胴鍋をかき回している竪川トレーナー。
「ん? これかい? 夏野菜たっぷりスープカレーだよ。ニンジンもいっぱい入ってるからな」
そしてこれまた鍋やコンロの番をしているヒシアケボノさん。
「吉富トレーナーさんたちが釣ってきてくれたお魚、いっぱいあるからね~。塩釜焼きにアクアパッツァ、カルパッチョにお刺身も!」
さらにとんでもない量のドーナツの箱を机に並べているセイウンスカイさんとニシノフラワーさん。
「ふあぁ~。おはようセミラミス。ずいぶん早いね~。……これ? お店の全部くださいって買い占めてきたんだ~」
「もうスカイさんったらねぼすけさんなんですから! 今年も吉富トレーナーさんに船釣りに連れて行ってもらって、旬のイサキが大漁だったんですよ」
……なんか疲れてきたので、もうそういうもんだと思うことにした。
というか昨日の晩からトレーナーさんがいないと思ってたら、また釣りに行っていたらしい。
それも自ら釣り船を操って。本当に多趣味な人だ。
たまたま今回、大漁とそれを処理できるヒシアケボノさんが噛み合って本当に良かった。
そうこうしているうちに、食材の調達に出ていたバクシンオーさんやローレルさんがお肉や野菜を抱えてやってきたので慌てて手伝いに向かう。
練習を終えた他のウマ娘も三々五々合流し、なしくずしにバーベキュー大会が始まってしまった。
「セミちゃんちゃんと食べてる? はいお肉」
せめて焼き役を変わろうかと思ったが、ローレルさんが一向にトングを離そうとはしない。
「はっはっは! ローレルさんは焼肉奉行ですからねッ! 現役の皆さんはたくさん食べて秋のG1シーズンに備えてくださいッ!」
バクシンオーさん曰く、そういうことらしい。
とはいえスプリンターズSの前哨戦であるG2セントウルステークスは来々週に迫っている。
さすがに学園のロビーでたまに見るようなボテ腹晒して最終調整をするわけにはいかないので程々にセーブしておく。
「バクシンオーさんこそ、もうよろしいのですか?」
「いえいえッ! この後のことがありますからねッ! 私も程々にしておかねばッ!」
……この後?
はて、もう合宿のスケジュールは終了であとは休養日を挟んで帰るだけだと聞いていた気がするのだけど……。
そう首を傾げていると、後ろからフライトさんが会話に入ってきた。
「バクシンオーちゃん、セミラミスちゃん、チトセオーちゃんと漢方茶を入れてみたんだけどどう?」
「おお! ありがたく頂きましょうッ!」
バクシンオーさんがそういうと、フライトさんが手回しよく湯呑みを2杯手渡してくれた。
私の分を注いでくれたチトセオーさんが効能を説明してくれる。
「ほほほ、こちらは
口に含むと広がるのは柑橘系の爽やかな香り。
柔らかな甘味の中にさっぱりとした酸味と僅かな苦みが広がり、飲み込むとどこか麦茶のような香ばしい風味が鼻に抜ける。
「そなたは良き舌をしておりますね。
はえー、すっごい。
いつも思うけど、チトセオーさんって独特というか古風な喋り方をするよね。古典の授業聞いてるみたい。
ヴィクトリー倶楽部の皆さんは多かれ少なかれみんなユニークというか、そもそもG1を勝つようなウマ娘は独特というか。
4人でお茶をすすっていると、ひと仕事終えた様子のタイキシャトルさんがタオルで汗を拭きつつやってきた。
「ヘイセミラミス! 楽しんでマスか~!」
「はい、とっても。マトンのバーベキューは初めてでしたけど、あんなに美味しいとは知りませんでした。お肉もホロホロしてて!」
「マンゾクしてもらえたようでカタジケナイデース。故郷デハ日曜には教会に集まってよく楽しんだものデシタ。明日のレースも楽しみデスネ!」
BBQの感想と感謝を伝えると、そう言ってタイキシャトルさんは朗らかに笑った。
……ん? 明日?
「明日って何かありましたっけ?」
「アレ? トレーナーさんから聞いてまセンか? コーチを頼まれた時に、レースさせてくれるっテ」
ホントはマイルが良かったんデスが、スプリントで、って頼まれたのでダキョーしたんデス、とタイキシャトルさんは笑う。
いや、表情は笑っているが眼は違う。獲物を品定めする狩人の眼だ。
思わずそれから目を背けつつ、私の後ろの席でBBQのシメのハンバーガーにかぶりついていた吉富トレーナーを問いただす。
「ちょっと、トレーナーさん! 聞いてないんですけど!?」
「そりゃ言ってませんからねぇ」
口元についたソースを紙ナプキンで拭いながら答えるトレーナーさんに、思わず食って掛かる。
それに対して、理由は2つ、とトレーナーさんは指を立てた。
「1つは、平常心で練習に打ち込んで頂きたかったからです。最後にタイキシャトルさんとレースがあると聞いて、気持ちが乱れなかったといえますか?」
「……難しかったと思います」
あの“マイル最強”とレースがある、それもガチ寄りの、と聞いて練習に集中できたかといえば否だ。実際こうして今、冷静じゃないわけで。
トレーナーさんが直前まで言わないというのももっともだろう。
「もう1つですが、……“こう”なるからですね」
「こう?」
どういうことかと顔を正面に戻し……そのまま目を逸らそうとしてどこにも逃げ場がないことを悟った。
「ハッハッハ。いけませんね、そんな楽しそうなことをこの学級委員長抜きにしては。私も混ぜてもらいますよ」
サクラバクシンオー、参戦。
「なに、スプリントだと!? すぐやろう、いますぐやろう、さあ!」
「ちょっと! ──ビリーヴもなんとか言ってやりなさいよ!」
「……サクラバクシンオーとタイキシャトルがレースをする。これは僕にとって何より優先されます」
「もう! ……私も走るわよ!」
カルストンライトオ、ビリーヴ、デュランダル、参戦。
「あたしもちょっと味見してみたいなぁ。きっととってもボーノだよ!」
「もう、皆さんったら。……同じく桜花賞を制した実力、興味はあります」
「雄風吹き荒れるとあらば、私も乗らないわけには参りませんね」
「ふふ、じゃあ私も出ちゃおうかな」
ヒシアケボノ、ニシノフラワー、ヤマニンゼファー、ノースフライト、参戦。
「あ、これ私も出たほうがいい流れ?」
「そういやキングは出ないの? スプリントG1勝ってたよね? ……さすがにバクシンオー相手はきついか」
「そんな訳無いでしょう! もちろんキングも出るわよ!」
ブラックホーク、キングヘイロー、参戦。
そうだった、この場にはスプリンターズS優勝経験者がやたらといるんだった。
うっかりダンツィヒを要求したか、いやこれはオーストリア皇太子夫妻のほうか。
どちらにせよ、とんでもない大戦の引き金を引いてしまったのは確かなようだった。
あくまで座興、レクリエーションの一環だとでもいうように皆さん笑顔を崩さない。
だが、当事者になればわかる。
明確に、品定めされている。あれはそういう眼だった。