驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで 作:八幡悠
『こちらは高麗航空釜山行きKA2768便の最終搭乗案内でございます。Attention passengers, this is──』
8月末、成田国際空港。
出発ロビーには搭乗手続きを促すアナウンスが響いている。
私達は、凱旋門賞挑戦のためにフランスへ発つ友人の見送りのために空港を訪れていた。
凱旋門賞。
世界最高峰のレースの一つとして名高く、日本からは多くの優駿が挑戦してきた。
古くはスピードシンボリ、メジロムサシに始まり、シリウスシンボリ、エルコンドルパサー、マンハッタンカフェ、タップダンスシチーと幾多のウマ娘が挑み、そのことごとくを跳ね返してきた難攻不落の門。
昨年は無敗三冠ウマ娘が出走し、今年こそはと思われたがそれも届かなかった。ちょっとそれ以前の問題もあったがそれはそれとして。
日本所属のウマ娘の中で最高順位はエルコンドルパサーの2着。
1年を欧州での調整に費やしての2着という結果に、そもそも日本の野芝と欧州の洋芝では求められる適性が全く違うのではという意見もある。正直、私もその意見に賛成だ。
実際、ちょうどエルコンドルパサーの世代頃からジャパンカップで海外ウマ娘が勝つことが急速に減っている。
これは日本ウマ娘の実力向上という面もあるだろうが、日本と欧州のレース場そのものの環境が大きく乖離したといえるのではなかろうか。
だとすれば、凱旋門賞へと挑むべきは日本のダービーやジャパンカップを勝ったウマ娘ではなく、海外で好走した──。
そのとき、私の耳に出発ゲートの向こうからの喧騒が飛び込んできた。
どうやらチェックインカウンター付近で行われていた出国前の囲み取材が終わったようだ。
出国前のメディアによる取材はゲートの手前で行われており、私達学園関係者や親族の見送りには航空会社のはからいで団体客用の通路の一角を使わせてもらえていた。
この場にいる学園関係者は私とスカーレットの友人組に加えギムレットさん。理事長の名代のたづなさんとURAの偉い人は取材の方に同行している。
「いよいよ、ですね」
「……ああ」
どうにも会話が続かない。
元々私は多弁な方ではないし、スカーレットも猫かぶりモード。
となると頼みはギムレットさんだが、彼女も普段の厨二具合はどこへやら。どこか不安の色をにじませて大人しくしている。
「宝塚の舞台より
今回のウオッカのローテは彼女が言った通り宝塚記念からヴェルメイユ賞を経由する。
宝塚記念は知っての通り阪神2200mで行われるG1競争で、クラシック級での挑戦で耳目を集めたが8着に終わった。
それでもということで遠征計画は続行となり、陣営は前哨戦としてG1ヴェルメイユ賞をステップとして選んだ。
ヴェルメイユ賞は凱旋門賞と同じくロンシャン2400mで行われるティアラ路線のレースで、フォア賞やニエル賞とともに凱旋門賞へのステップレースとしてよく使われる。
「……大丈夫、よね」
凱旋門賞はクラシック級に与えられる斤量ハンデが3ポイントと大きく、そういう意味ではクラシック級での挑戦が有利だ。
だが、彼女が言いたいのはそういう意味ではないだろう。
これでも夏合宿の2ヶ月を通して彼女とは距離が縮まったと思っているが、どうにも心配の気配が強いように感じる。
あえて言葉にするなら、無事に帰ってくるのだろうか、といったような。
それは何ら根拠のないものであるが、一方で無理もないとも思う。
知り合いだけに絞っても、凱旋門賞挑戦時のケガが元で引退したウマ娘を2人は知っている。すなわち、サクラローレルさんとマンハッタンカフェさんだ。
最近はめったに聞かないが、無言の帰国となった例もゼロではない。そう考えれば気持ちもわからないではないが、それでも2人はナーバス過ぎやしないかと感じる。
「……来たか」
ギムレットさんの声に振り向くと、ウオッカたちがこちらに来るところだった。
空港の警備員が見送りの報道陣やファンを押し留めているのがちらりと見える。
ウオッカと、担当の八木トレーナーを含むスタッフ。そして理事長秘書のたづなさんと、URAの職員──いつぞや学園で見たことのある樫本某とかいう上級職員と、学園強化部のちっこい人──が通路へとやってきていた。
「それでは、我々はここで」
「さあ、夢を掴んでこい!」
「ウオッカさんのご活躍をお祈りいたします」
そうやって3人に見送られてウオッカがこちらへ歩み寄る。
「ギム先輩、来てくださったんすね! ありがとうございます!」
「ちょっと! アタシ達もいるわよ!」
「いよぉ、スカーレットにセミラミスも。ありがとな」
みたところ、彼女の調子は良さそうだ。
あるいは良すぎるほどに。
「アンタ、本当に大丈夫なんでしょうね? フランスで無様晒したら承知しないわよ!?」
「ったりめーだろ、見てろよ! 行くぜ!」
そう言ってジャンプしてみせようと踏み切った彼女の重心が僅かに狂ったような気がして、その刹那、私は踏み出していた。
後から思い返しても、なぜそうしようと思ったのかは判然としない。
気がついたときには、私の手は彼女の意外と華奢な手首を掴んで、印象より細い腰を抱き寄せていた。
そのまま、普段は前髪に隠れてなかなか見る機会のない右の鳶色の瞳に見惚れていると、みるみる頬に紅味が差していく。
「ア、アンタたち、いつまで見つめ合ってんのよ!」
「……すまねぇ、降ろしてもらっていいか?」
「あ、ごめん……」
今更ながら私も恥ずかしさで顔に血が上る。
どうしてあんなことをしてしまったのだろうか。ウオッカの運動神経ならあの程度なんということもなかっただろうに。
変な空気になってしまったのを仕切り直すように、ウオッカが一つ咳払いをして続ける。まだ顔は赤い。
「オホン、あー。……それじゃ、行ってくる」
それに対する対応は三者三様だった。
「まったく、気をつけなさいよね! 行くからには勝ってきなさい! そしてその凱旋門ウマ娘のアンタを倒すのはアタシよ! 」
「おう、そん時が来たら走ってやるよ」
いつものように素直じゃないスカーレット。
それが照れ隠しでしかないことはこの場の全員が知っている。
「
「…………ああ、ありがとな」
ちょっとフランス語でカッコつけたら通じなかった私。
……ウオッカ、言葉大丈夫なのかな?
「……とにかく、無事に帰ってこい」
「はい。ありがとうございます、ギム先輩」
いつもの難解な言い回しを封じて、ただ心配の言葉を送るギムレットさん。
その様子は娘の出立を見送る父親のような。いや、よく似ているだけで赤の他人なのだが。
その後、私達学園関係者の後ろにいたご家族とウオッカたちは最後の別れを交わして搭乗ゲートへと向かった。
彼女らの一行が見えなくなるまで私達は手を振って見送る。
「帰って、くるわよね……」
誰ともなしに言ったスカーレットの呟きは、おそらく私しか聞いていなかっただろう。
そのまま暫時目を伏せ、再び目線を上げたときにはいつものスカーレットの力強い眼差しに戻っていた。
「もう一度走る日まで、アタシ以外に負けるんじゃないわよ。ウオッカも、アンタもよ」
「……わかってるよ」
それは約束であり、誓いであり、宣戦だった。
スカーレットは秋華賞、私はスプリンターズステークス。次にスカーレットと走るのは最速でも来年のヴィクトリアマイルだろうか。
それでなくてもスプリンターズステークスはバクシンオーさんを象徴するタイトル、絶対に負けるわけにはいかないのだ。
秋のG1シーズンが始まる。
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ウオッカ育成イベント“晴れのちスリッピー”キャンセル。
ちなみに実馬ウオッカ号にも3歳凱旋門賞遠征計画はあったが、軽微なケガで断念している。
なお、冒頭の高麗航空釜山行きのヤバさに気づいてくれた読者諸兄もいるかも知れないが、原作ネタである。(アニメ1期13話)
どうヤバいかというと、アニメの空港シーン映った架空の航空会社の中に高麗航空が紛れていたのだが、高麗航空は実在する。
それも北朝鮮の主要航空会社なので、それが韓国南部の釜山に乗り入れてるということは、ウマ娘世界では北朝鮮主導で朝鮮半島が統一されてるということに……
さすがにミスだと思いたい。