驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで 作:八幡悠
阪神レース場、パドック。
放送に従ってパドック前に集合し、楕円形に柵で囲まれた舞台へと順にあがる。
私の枠順は1枠。準備運動を終えるとすぐ係員に促され、お立ち台へと登った。
周囲の柵には色とりどりの横断幕。その中にはもちろん、赤地に白抜きの私に対するものもある。
『注目の1番人気、1枠2番ノルデンセミラミス』
『実力は完全に上位ですね。貫禄すら感じてしまいます。マイル路線からの転戦、6ハロンでそのスピードを見せられるか』
今日の私は圧倒的一番人気。つまり一番期待されているということ。
柔らかな笑顔を作り、こちらへと手を振る集団に小さく手を振りかえす。
ファンサービスも務めの一つというものだ。
『落ち着いていますね。とてもクラシック級とは思えない風格です』
場の空気は盛り上がっているのだろう。だが私の心は凪いでいた。
脳裏に浮かぶのはあのレース。
阪神1400mスワンステークス。1200mと1600mのちょうど間で、スプリント王者とマイル女王が雌雄を決した。
あの日以来、漠然と短距離と一括りにされていたスプリントとマイルは分かたれ、1400mはスプリントの領域に分類されている。
今日はこの
9月9日 阪神レース場 第11レース
セントウルステークス(G2) 芝 1200m 良
観客席の下をくぐる地下バ道を歩く。
上から響くざわめきは遠く、誰も言葉を発さない通路に蹄音だけが響いている。
仄暗い照明、前方に見える光。まるで異界へと繋がるかのような不思議な感覚を覚えながら過去へと意識を飛ばす。
現在と過去の輪郭が曖昧になり、かつて観客席から見た光景へと溶け込んでゆく。
(各ウマ娘ほぼ揃ったスタート。エイシンワシントン、マイスタージンガー並んで外からサクラバクシンオー)
まずはハナを取る。
これから走るのは電撃の短距離戦、出遅れなど万に一つも許されない。
大外7枠から鹿毛のテールヘアーが切り込んでゆく。
(600を通過、エイシンワシントンリードは半バ身。2番手はサクラバクシンオー)
そして逃げの後ろ、先行集団の先頭につける。
誰にも邪魔されない、しかして風をもろには喰らわない一番良い位置。
その位置をキープしたままコーナーを回る。
(先頭はサクラバクシンオー、サクラバクシンオーが先頭! 100を通過! ノースフライトが2番手に上がってくる!)
そして最終直線、外に持ち出して加速。
上がり最速クラスの脚を使ってゴールへ驀進する。
誰にも、追いつかせはしない。
……完璧だ。これこそが勝利の方程式。
思わず笑みがこぼれる。
『1枠2番、ノルデンセミラミス。圧倒的一番人気。クラシックマイル女王がシニア短距離でも通用するのか』
一歩光の中へと踏み出す。
さあ、“理想”を描きに行こう。
芝コースを半周、向正面のゲートへと向かう。
蹄下の芝はよく張っていて、心地よい反発を脚に伝えてくる。
観客席ははるか遠くなり、喧騒はほどんど届かない。
係員に促されるままゲートイン。
背後で後扉が閉まった。
目を閉じる。
耳を伏せる。
鋼鉄の檻の中で、私の身体に理想が染み渡るような感触を覚える。
もう何も考えなくていい。
どの位置で仕掛けるか、どの瞬間に伸びるか。そんなものは全部、あの人が教えてくれた。
私はただ、そのとおりに描けばいい。
最後のゲートの扉が閉まるのを知覚し、私はスッと左脚を引いた。
係員がバラバラとゲートから離れるのを感じながら、肩の力を抜いて上体をわずかに前傾させて沈み込ませる。
ゲートの前扉を押さえつけていた目に見えない磁力線が、フッと途切れたような気がした。
『さあ各ウマ娘一斉にスタート、2番ノルデンセミラミス絶好のスタートだ。先行争いは1番ゴールデンキャスト、2番ノルデンセミラミス、4番サンアディユ、6番アイルラヴァゲイン』
ゲートが開くと同時にウマ娘達が飛び出した。
前進気勢が強いのは私含めて数名。なかでも4番のウマ娘が競りかけてくる。
逃げたいなら行かせてやろう。
『先頭は内回りの3コーナーカーブへ、先頭はサンアディユ、半バ身離れてノルデンセミラミス、アイルラヴァゲイン。その後ろゴールデンキャスト──』
コーナーを曲がりながらも隊列は変わらない。
左前方を少し膨らみながら曲がる4番の背中を見ながら経済コースを進む。
コーナーの終わりの向こうにスタンドが見えてきた。
400の標識を通過。
さあ、始めよう。“理想”の再演を。
『4コーナーを抜けて最終直線、前の争いサンアディユが先頭か。外からキンシャサノキセキ、内からノルデンセミラミス──』
左脚に力を込め、一気にギアを上げる。
相変わらず左前半バ身に4番。
その時、4番の気が膨れ上がるのを感じる。
……これは“領域”だ。
だがこんなもの、あの時のタイキシャトルさんの“領域”に比べれば、情け容赦のない鉛玉の雨に比べれば──
──口ほどにもない。
阪神レース場を舞台の場面のような、おそらく彼女の心象風景が塗りつぶす。
目前に夜空に白い星を散りばめたような色合いのドレスを纏ったウマ娘が現れた。
……私の“理想”の邪魔をしないでもらおうか。
私は左腰に
「
再び阪神レース場の直線に戻ってきた。
残り200。
『ノルデンセミラミス、サンアディユ競り合っている! 後続は2バ身、3バ身、大きく差をつけてゆく!』
──捉えた。
『ノルデンセミラミス突き放す! サンアディユ苦しいか! 後方3着争いはキンシャサノキセキ、外からカノヤザクラ──』
直線の半ばでトップスピードへ。
半バ身だった前との差が1/4になり、0になり、今度は増加に転ずる。
その差が再び1/2、3/4と増えていき、1バ身差がつくのとゴール板を駆け抜けるのとがほぼ同時だった。
決勝線を踏み越えた瞬間、大きな歓声が耳を打つ。
後ろに注意を払いつつ減速し、電光掲示板を振り返った。
感覚的には1バ身ぐらいの差だったと思うんだけど……。
| 阪神 | X11R | 確定 | |||
| Ⅰ | 2X | ||||
| > | X 1 X | ||||
| Ⅱ | 4X | ||||
| > | X 6 X | ||||
| Ⅲ | 7X | ||||
| > | クビ | ||||
| Ⅳ | 11 | ||||
| > | クビ | ||||
| Ⅴ | 3X | ||||
| 芝 | |||||
| 良 | タイム | ||||
| ダート | 4F | ||||
| 良 | 3F | ||||
うん、やっぱりそんなもんだった。
前哨戦だし、トレーナーさんが言っていたようにあまり着差をつけても意味がない。
1コーナー半ばで後続に注意しつつ反転。
ようやく追いついてきた後続集団と反航してスタンド前へと向かう。
ウイニングランで息を整えながら、観客席へ向かって手を振る。
『勝ち時計はなんと1:06:8! ビリーヴのレコードを0.3秒縮めました! 2着サンアディユもレコードタイムでしたが一歩及ばず!』
| 阪神 | X11R | 確定 | |||
| Ⅰ | 2X | ||||
| > | X 1 X | ||||
| Ⅱ | 4X | ||||
| > | X 6 X | ||||
| Ⅲ | 7X | ||||
| > | クビ | ||||
| Ⅳ | 11 | ||||
| > | クビ | ||||
| Ⅴ | 3X | ||||
| 芝 | レコード | ||||
| 良 | タイム | 1.06.8 | |||
| ダート | 4F | 44.2 | |||
| 良 | 3F | 33.4 | |||
なぜか一際大きくなった歓声。
完璧なレースだった。それは間違いない。
やり遂げたという充足感はある。だというのに何だろう。この気持ちは。
機械的に手を振りながら、トレーナーさんのレース前の言葉が思い出される。
今日は答え合わせです。貴女の“理想”を、ターフの上に描き出しなさい。
私の描いた理想というのは、こんなものだったのだろうか。
そんな思いを抱えながら、ウィナーズサークルで待つトレーナーさんたちのもとへと歩んでいった。
バクシンオーさんは見ていてくれただろうか、私の“理想”の走りを。