驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで   作:八幡悠

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062 酷なる道も気にせずに

 中山レース場、重賞用控室。

 

 集合がかかるまであと1時間余り。

 室内には頭を剃り上げた老年のトレーナーが1人腕を組んで座っていた。

 彼の背後の更衣スペースには2人分のウマ娘の気配がしている。

 

「よし、終わったよトレ公!」

 

 更衣スペースのカーテンを勢いよく開けて出てきたのは褐色の肌に青鹿毛のウマ娘。

 美浦寮の寮長を務めるヒシアマゾンだった。

 そしてその背後から現れたのは、鹿毛のエアリーボブのウマ娘。

 

 アストンマーチャンだ。

 

「どうですか、ウルトラスーパーマスコットのマーちゃんは」

「ああ、可愛らしい勝負服(おべべ)だ」

「そうでしょうそうでしょう」

 

 そう言ってマーチャンはくるりと一周回って見せる。

 ふわりと舞うスカートは自身の愛らしさが最も引き立つ長さ。

 胴とスカートのアイボリーと袖と襷の海老色がアストンマーチャンのラブリーさを彩る。

 

「マーちゃんはたぶん偉くなるので、王冠も被るのです。偉くなるので」

 

 そう言って彼女は右耳側に被った小さな王冠の位置をちょっと直した。

 これもウルトラスーパーマスコットに相応しい威厳を示す彼女のこだわりの一品だ。

 

 

 ハゲのトレーナー、もとい内宿トレーナーが彼女を眺めてふと呟く。

 

「それにしても……もったいねぇな。これから雨と泥に塗れちまうなんて」

「勝負服ってのはそういうもんだよトレ公」

「だからこそ、なのです。誰よりも速くなれば勝てるはずです。誰よりも速く全部全部、速くなれば」

 

 相変わらず雨はやまず。バ場の発表は不良。

 こんな状況で走れば内宿トレーナーの言う通り雨と泥に塗れることになるだろう。

 だがこの天候は彼女にとっては僥倖としか言いようがない。

 

「……そうだ。バ場は完全に不良だ。だが、ウチには向いてる。滑るターフを踏んでもピッチを崩さず、リズムで押し切る。それがアストンマーチャンの逃げだ」

「はい、どんなバ場でも前を行くのがマーちゃんのお仕事なのです」

 

 そう言ってマーチャンは胸を張る。

 彼女たちの言う通り、マーチャンのピッチ走法は重バ場に適している。

 そしてマーチャンの得意とする逃げ戦法はバ場が渋ればそれだけ有利となりやすい。

 さらに、この内宿トレーナーは“逃げの内宿”と呼ばれる程に逃げウマの指導を得意としている。

 

「天の時、地の利、人の和ってやつだね」

「お、学のあることを言うじゃないか。嬉しいねぇ」

「まあフジの受け売りだけどね」

 

 ドヤ顔で賢そうな事を言うヒシアマゾンだが、あっさりと受け売りであることをバラした。

 

 今日この日雨が降るという天の時。

 それによってバ場が渋るという地の利。

 逃げウマの指導を得意とするトレーナーという人の和。

 

 これだけの好条件が揃うことはめったにない。

 

 今日この日、スプリンターズステークスの日にまとまった雨が降るという幸運。

 彼女らは知る由もないが、最大の脅威であるノルデンセミラミスの精神が不安定であるという幸運。

 

 雨によってバ場が渋るというのも好条件だ。

 アストンマーチャンの走法は同じ距離を進む間の接地時間が長く、地面を掴んで走ることから重バ場に強い。

 しかも重バ場では前寄りの脚質のほうが有利だ。

 彼女はクラシック級であり斤量負担が小さく、軽いということはそれだけ脚を取られずに済む。

 これらすべてが彼女に利している。

 

 担当トレーナーの交代も僥倖といえた。

 本来奈瀬文乃トレーナーのチームへと所属していたアストンマーチャンだったが、桜花賞でマイルが長いと判断して短距離へと転向していた。

 だが奈瀬文乃トレーナーにはシニア級のスプリンターとしてスズカフェニックスが既にいた。

 そういうわけで、ツインターボを筆頭に逃げウマに定評のあった内宿トレーナーのもとに移籍することとなったのだ。

 

「フライトさんにも激励されちゃったのです」

「ああ、マーチャンはノースフライトと同室だったっけか。そういえばあいつも文乃トレーナーに浮気されたクチだったね」

「文乃は公私共に女にだらしないからな。せめてどっちかにしとかないとそのうち蹴られるか刺されるかだぞ」

 

 実際、蹴られはしなかったが浮気されたノースフライトによってきっちり春秋マイル制覇という形で理解(わか)らせられたのでそういうことはするものではない。

 今回のレースでも元同チームであるスズカフェニックスが出てくるので、本来は目標の一つであった。

 本来なら。

 

「フェニックスさんは今回はそこまでの脅威にはならないのです」

「夏にウマインフルエンザにかかって調整がうまくいかなかったんだったね。ここらへんの情報が抜かれやすいのは名門チームのつらいところだ」

 

 誠に運の悪いことに、この夏合宿所を中心にウマインフルエンザが流行してしまっていた。

 症状としては命に関わるような重篤なものではないものの、れっきとした感染症法上の5類に分類される感染症である。そのため感染者は一定期間出席並びにレース出走が不可能となる。

 寮生活という都合上、毎年ワクチン接種が義務付けられていたトレセン学園でここまで大流行してしまった理由は不明だが、その影響は甚大だった。

 運の悪いことに合宿や交流レースのシーズンと重なり、中央のみならず地方にまで感染は拡大。

 全国の地方レースで開催中止が相次いだほか、凱旋門賞やメルボルンカップへ出走予定だったメイショウサムソンやデルタブルース、ポップロックらが遠征を断念せざるを得なかった。

 

 そして、ヒシアマゾンが言ったように彼女は元同チームであることから、スズカフェニックスが調整の遅れでスプリンターズステークスへの直行を選ばざるを得なかったことを早いうちから掴んでいた。

 そのため人気はしているものの、陣営にとっては脅威にはなり得ない。

 

「じゃあちょうどいいから作戦の最終確認といこう」

 

 トレーナーの言葉に頷いて2人が椅子に腰掛ける。

 机の上には中山レース場のコースを印刷した紙が広げられていた。

 

「サンアディユがまず確実に飛ばしてくる。こっちは出脚で競ってもいいが、無理はするな。無理に競ってくるようなら番手で抑え、3コーナーで仕掛け直せばいい」

 

 マーチャン自身は今回7番、サンアディユは6番とゲートが隣同士だ。先頭争いが苛烈になる可能性があった。

 ヒシアマゾンが口を挟む。

 

「5番のノルデンセミラミスは? あの子、重バ場が苦手って聞いてたけど」

「……それは希望的観測ってやつだな」

 

 腕を組むトレーナー。

 彼は、トレーナーとしては一期下である吉富の怖さをよく知っていた。

 確かに昼行灯だの公務員指導だの趣味でトレーナーやってるだの口さがないものには散々言われている。なんなら最後は自分で言っている。

 だが、彼女はベテランらしく指導経験豊富である。

 外見からは想像しづらいが先代の気性難ウマ娘請負人といえば彼女のことだったし、重バ場でも普段通りに走らせる術を心得ていた。

 油断していい相手ではない。

 

「“雨女”の吉富のことだ、確実になにか仕込んでる。あいつが教え子を無策で不良バ場に送り出すわけがない」

「だとしても、やることは変わらないのです」

 

 そう警戒するトレーナー。

 だがマーチャンは立ち上がり、胸に拳を当ててそう宣言する。

 

「世界にマーちゃんを刻み込むために、こんなところで止まってはいられないのです」

「その意気だよ!」

 

 翌年夏には彼女の夢でもある英国ロイヤルアスコットデーへの遠征も予定されている。

 グローバルスプリントチャレンジ英国ラウンド、歴史あるアスコットレース場の深い洋芝でおこなわれる短距離戦は彼女にもぴったりだろう。

 彼女の言うとおり、その為には国内で苦戦しているわけにはいかなかった。

 

「じゃあ次だが、午前のレースが終わった時点で内ラチ沿いはもう田んぼだ。最も内は避けて外五分を──」

 

 

 そうやって、彼は着替える前にも行っていた想定作戦を繰り返す。

 逃げウマ娘にとって最も重要な、スタート直後の判断を一瞬で下すための反応の再構築のため。

 トレーナーとの意志の再共有による心理的安定を図るため。

 

 そうこうしているうちに、ちょうど良い時間となってきた。

 内宿トレーナーは、少しでもテレビ中継に映るために逃げを打つウマ娘を揶揄する言葉を念頭に最後の激を飛ばす。

 

「テレビウマだなんて言わせたいやつには言わせておけ。これがお前の走りなんだからな」

「マイルの妖后サマに一発カマして、名を挙げてやりな!」

 

 ヒシアマゾンも彼女の背を叩き気合を入れる。

 その強い力に少々よろめきながらも、彼女は微笑んで返事をした。

 

「行ってくるのです」

 

 

 集合時間には少し早いが、彼女はドアを開けてパドックへと向かう。

 

 時間が早いためか、パドックへの通路にはまだ誰もいない。

 広い通路を一人で歩き、彼女は壁にかけられた鏡の前で立ち止まる。

 服装をわずかに整えた後、鏡の向こう側へ向けて両頬に人差し指を当てて笑顔を作った。

 

 

「……だから、覚えていてくださいね。マーちゃんのことを」




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まさかのマーチャンメイン回。

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