驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで 作:八幡悠
9月30日 中山レース場 第11レース
スプリンターズステークス(G1) 芝 1200m 雨 不良
『秋雨に煙る中山レース場、昼ごろは本降りといった様子でしたが10レースが終わったころから小雨となっております』
放送席には壮年の男性アナウンサーと、ゲストと思しき長い白髪の女性と鹿毛のウマ娘がヘッドセットをつけて座っている。
『実況席にはマヤノトップガンらを担当された元トレセントレーナーにして、現在は作家、レース評論家として活躍しておられる
『どうもー! タコねえさまでーす! よろしくですわー! 今日もガンガン口寄せしていきますわよー!』
『イタコ芸とか、なんかハイになるお薬でもキメてらっしゃる?』
『シラフですわー!』
『はい、さらにゲストとして現役時代はマイルCS連覇並びに安田記念制覇、その活躍から“マイルの皇帝”と称されましたニホンピロウィナーさんをお呼びしております。よろしくお願いします』
『……はい、よろしくお願いします』
スタートのゲート前には勝負服姿のウマ娘たちが集合しつつあった。
まだポツポツと雨が降っているためか、普段よりゲート前への集合が幾分早い。
『やはり1強ムードの中でノルデンセミラミスに注目が集まりますが、いかがですかニホンピロウィナーさんは』
『クラシック級で安田記念に勝つのはすごいことですよ。前走はレコードと千二や千四でもやれるようですし、ぜひ一度お手合わせ願いたいですね』
『一方で重バ場では実力を発揮できるか、といった声もありますが、潮来さんはいかがですか』
『あれはバクシンオーの娘だからそこだけ見れば道悪はダメダメですわ。ただノースフライト経由でトニービンの血が入っていることと、あのバb……の腕も考えれば切るのは惜しいですわね』
『ウィナーさん解説お願いします』
『走法がバクシンオーの系譜なのが気になるところですが、デビュー前からトニービン門下だったノースフライトに可愛がられていたと聞きますので洋芝への適性も多少はあるでしょう。ベテランかつ重バ場に定評のある吉富トレーナーが指導していることも合わせると、そこまでのマイナスにはならないかと』
『ありがとうございます』
1番人気はノルデンセミラミスだが、重バ場というのがネックだというのは共通認識のようだった。
ただ解説の2人の視点からすれば、カバーできないほどの問題ではないとの見解のようだ。
2番人気には敗れたとはいえセントウルステークスをレコードペースで走ったサンアディユが、3番人気には高松宮記念覇者のスズカフェニックスがつけている。
『そのあたりはいかがですか潮来さん』
『サンアディユはちょっとイレ込んでるのが気になりますわね。でも調子は良さそうですし期待できますわよ。逆にスズカフェニックスは落ち着いているようですけど、調整不足と後方脚質がこの雨でどう響くかが心配ですわね』
『なるほど。ウィナーさん、他に気になっているウマ娘はいますか』
『4番人気のアストンマーチャンでしょうか。彼女は脚質も走法も重バ場に強そうですから、この不良バ場では期待がもてますよ』
そしてやはり注目されたのは4番人気アストンマーチャン。
直近の勝ちこそないがこの道悪でも実力をいかんなく発揮できるのではないかと目されている。
『やはりピッチ走法は重バ場に向いているわけですね』
『よくそう言われますけど厳密には違いますわ。重バ場が苦手なバクシンオーセミラミスの走りがこうで、マーチャンの走りはこうなんですわ』
マイクには潮来が机をリズム良く叩く音が入るだけで、残念ながらその姿は中継には映らない。
『解説お願いしても?』
『……はい。重バ場適性を決めるのは、接地時間より踏み込みの深さと抜けの良さです』
『ピッチ走法は同じ距離を進む間の接地時間が多い分安定するというのは確かです。が、芝の反発を使って弾くように駆けるセミラミスのような走りだと、ピッチ走法だとしても濡れた芝を掴めず滑りやすくなります』
『逆にマーチャンみたいに芝をしっかり捉えて蹴り出すタイプは、重バ場でも効率が落ちにくいので向いていることになりますね』
『なるほど、よくわかりました。ありがとうございます』
人間だと氷の上を歩くときの動きが近いだろうか。
歩幅を狭くして、足を垂直に下ろしたほうが滑らずに歩けるのと似ている。
『そういえば、エムオーウィナーのことはよろしいんですの?』
『……最後の方に担当した教え子ですし、あまり公私混同もどうかな、と』
『せっかくですし、構いませんよ。人気こそ低いですが春にシルクロードSを制しています』
『直前の坂路追い切りでは良い時計が出ていましたので、なんとか頑張ってほしいです』
最後に話題に登ったのはエムオーウィナー。
ニホンピロウィナーがトレセン学園で最後に指導したウマ娘の一人だった。
『では、スタート地点のほうを見ていきましょう。ゲート前のずん子さん、お願いします』
『はぁい。各ウマ娘集まりまして、定刻通りの発走となりそうです』
スタート地点付近に待機していた女性リポーターにマイクが移る。
『ちょうどカメラの前を通っているのはスズカフェニックスですか』
『黄土色のマントをはためかせて、落ち着いた歩様ですね』
緑色の旅装に白抜きに翼を広げた鳥の意匠が入った同色の胸当てをつけ、マントと同じ色のゴーグルを額に巻いたウマ娘がゲートへと歩みを進めている。
垂れ目の顔つきとのんびりとした表情も相まってどうにも締まりがない。
『体調が心配されていましたが、問題はなさそうです』
『文乃ちゃんがそんな初歩的なしくじりをするわけありませんわ! まあ、前哨戦が使えなかったのは痛かったでしょうけども』
と、画角の端に一人のウマ娘が見切れた。
カメラがわずかにパンしてアイボリー色と海老色の勝負服が現れる。アストンマーチャンだ。
彼女はカメラの存在に気づいていたのか、こちらにむかって小さく笑みを作って手を振る。
ターフビジョンに大写しになったその仕草に観客席からファンの歓声が上がった。
『アストンマーチャン、いつも通りの明るさです。カメラに気づいてちょっとしたファンサービス。緊張感のある場面ですが、彼女らしいリラックスぶりです』
『マーチャンらしい愛嬌ある動き。ファンも湧きます!』
さらにカメラがパンして、それを追うようにマーチャンが見切れていたがついに画角から外れた。
『今映りましたのは……赤い詰襟の上衣、白い襷。ノルデンセミラミスです。雨を受けた芝の上でも姿勢が一分の隙もありません』
カメラが真紅と純白のシルエットを追う。
水を含んだ芝が沈み、蹄鉄がかすかに音を立てる。
それでも歩幅は変わらず、視線は真っ直ぐゲートの方へ。
『ええ、全く動じていませんね。落ち着いているというより静まり返っている印象です。重いバ場を気にしている様子も見えません』
『整ってますわね……いや、整えにいってるのですわ。ああいう動きは理想を守ろうとする者の所作ですの。少し怖いほど静かですわね』
『相当に集中していますね。他のウマ娘は眼中にないでしょう』
さらに画角が切り替わり、紫の勝負服を揺らすサンアディユが映る。
目線は正面のノルデンセミラミス。
唇を固く結び、片足で芝を掻く。泥が跳ね、ドレスに散りばめられた白い星に黒い星が加わった。
『こちらはサンアディユ、かなり気合が入っていますね。闘志むき出し、前掻きが止まらない。落ち着きませんね』
『ええ、気合の塊ですわぁ。良い方向に出れば前が止まりませんけど、このバ場でテンションが高すぎると脚を取られることもありますわね』
『なるほど、重いバ場がどちらに転ぶか……注目です』
いよいよ発走の時間となり、音楽隊がファンファーレを演奏して観客が手拍子で応える。
万雷の拍手の下、URAの正装に身を包んだスターターが昇降台に乗って持ち上げられていく。
『秋雨煙る空にファンファーレが溶け込んでいきます。第41回スプリンターズステークスです』
スターターを映していたカメラが再び中央に寄り、3人のウマ娘がゲート前に並んでいるのが映る。
5番ノルデンセミラミス、6番サンアディユ、7番アストンマーチャン。
係員の誘導に従いノルデンセミラミスは一切振り向かずゲートに収まり、アストンマーチャンもその後に続く。
その白い襷がかかったレッドコートの背中にはサンアディユの視線が突き刺さっている。
『さあ奇数番のゲート入りは順調に進みまして15番スズカフェニックス収まりました。続いて偶数番、4番オレハマッテルゼがゲートイン』
『さて展開ですが、いかがでしょうか』
『まずアストンマーチャンは行きます。他ならともかく内宿はバカの一つ覚えみたいに逃がしますもの。あとはサンアディユ、アイルラヴァゲインも前、ノルデンセミラミスは逃げ差しもできるタイプの先行でしょうが、前目が好みでしょうから先行争いは苛烈ですわね』
『この道悪で前が分厚いと後ろは苦労するでしょうね。私も真ん中より前のほうが好きなので後ろの気持ちはよくわかりませんが』
『ウィナーは道悪ダメでしたものね。皐月賞はタコ負けでしたし』
実況席が盛り上がる中、ゲート入りは粛々と進んでいく。
『14番クーヴェルチュール少々渋っていましたが今入りました』
『各ウマ娘体勢整いまして、グローバルスプリントシリーズ第6戦スプリンターズステークス、いよいよ発走となります』
一瞬、空気が張り詰める。
『6ハロンの電撃戦、1分あまりの攻防を目に焼き付けろ。今、スタートが切られました!』
ゲートが開いた。