驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで   作:八幡悠

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066 変則マイル三冠とスプリンターズステークス

中山レース場、芝コース、バックストレッチ。

 

 

降り続く小雨が顔を打つ。

濡れた芝が足にまとわりつく。

スタートから続いた位置取り争いは結局誰も譲ることはなく、私達は短い中山の向正面を抜けようとしていた。

 

先頭を行くアストンマーチャンを追って、2番手集団は5人。

右側、オレハマッテルゼ。左側、サンアディユ。

 

走りながら、少し懐かしい気分になる。

トレーナーさんにスカウトされてすぐ、たまにこうして3人で並走したことがあった。

さらに内のアイルラヴァゲインさんも含めて、この4人は全員吉富トレーナーの指導を受けたことがある。

 

だからこそ私は知っている。

例え理想の走りができまいと、今の私が遅れをとることなど決してない。

 

理想。

 

理想、とは。

 

……いや、考えるな。足元に集中しろ。

 

──踏んでいいところと踏んではいけないところを見分けるのが大事だよ。

 

夏合宿でのローレルさんの言葉がリフレインする。

荒れてぐちゃぐちゃになった芝の少しでもマシなところを選んで駆ける。

弾まない地面を蹴り上げ、沈む蹄鉄を引き抜いて、少しでも前へ。

遠心力に耐えてコーナーでジリジリと前に出ながら、燻る苛立ちを胸に脚を回し続けた。

 

 

コーナーで内側2人を突き放し、行程の半ばを消化した。

内側が荒れているのは承知の上だが、最内以外はそう変わらないためラチから1レーン分外を回る。

 

私の外を回るサンアディユが先程からプレッシャーを掛けて来ている。

気にしないようにしていたが、パドックアピールの時から彼女の視線が突き刺さっているのを感じていた。

トレーナーさん曰く、彼女はダートスプリンターで芝の重バ場にも十分適応できるタイプだろうという。

それは芝初挑戦となった重バ場のアイビスサマーダッシュでいきなり優勝していることでもわかる。

つまり、今日この状況では手強い相手だということだ。

 

負けて、たまるか。

 

カーブを超えて遥か先にスタンドが霞んで見える。

残り400m余り。

さあ、行こう。

 

丸1年かけて組み上げ、この夏で一応モノになった重バ場用の走り。

見せる時だ。

 

左脚を芝に突き込み、蹴り出す。

右、左、右、左。

加速は理想には程遠い。胸が締め付けられる。

でも、それでも!

 

コーナー出口、後落してゆく外のサンアディユをちらりと確かめて直線へ。

直線でレーン1つ分外へ持ち出しながら目標を定める。

 

2バ身先。

 

アイボリーと海老色の勝負服。

 

アストンマーチャンだ。

 

その瞬間、雨に煙る中山レース場の風景が塗り替わるのを知覚した。

 

 

Aston Machan

決意

『Silent letter』

              Lv.2

あなた達を青ざめさせよう

それが私の決意です

 

Norden Semiramis

我こそは守護者なり!

『Jeg er Formynder!』

              Lv.5

Margrete I

Fuldmægtig Frue og Husbonde og ganske rigens af Danmark formynder

 

 

視界が開ける。

 

そこは、見慣れた中庭のはずだった。

トレセン学園の本校舎前。三女神像の噴水が中央にあり石畳とベンチ、アーチが連なる渡り廊下が周りを囲んでいる。

 

だがそこに人影はない。

普段であれば通学路として、憩いの場として賑わっているはずの明るさであるのに、そこには人っ子ひとりいない。

だが違和感はそれだけではない。

 

色彩だ。

全体的に彩度が低い。まるで古い映画のように。

 

その異様さに思わず腰に佩いた騎兵刀(サーベル)の柄に手を掛けた。

僅かに迷った末に抜き放ち、肩に棟を当てて顔の横に構える。

これ(サーベル)が手元にある時点でここは“領域”の中で間違いないのだ。

 

 

その時、背後でがさりと植え込みが動いた。

 

振り返ると、自身の人形を抱いたやわらかな笑顔のアストンマーチャンがひょこりと飛び出す。

 

「覚えていてね」

 

今度は前に気配。噴水の影から、柱の間から、ベンチに腰掛けて、花壇のむこうから。

 

「ずっと一緒です」

「思い出になれましたか」

「知ってください」

「見失わないで」

 

そこにいて、そこにはいない。

視界の端のいたるところから彼女らは語りかけてくる。

 

「ずーっと追いかけてね」

 

柄を握る手が震える。

ここが彼女の“領域”の中だからか、その感情が痛いほどに伝わってきた。

 

 

それは“死”への恐怖。

生物的な意味ではない。生き物はいつか必ず死ぬ。彼女はそれを悲しんでいる訳では無い。

ただその存在が忘れ去られることを悲しみ、そして恐れている。

 

 

だからか。彼女の行動全てに合点がいった。

カメラを見るや写りに行くのも。

マスコット化計画をぶち上げているのも。

こうしてレースを走っているのも。

世界に少しでも跡を残すために。

 

 

構えていた騎兵刀(サーベル)を正中に揃え、右斜め下へ振り下ろしてマーチャンを注視する。

恭しく礼を捧げよう。その覚悟に、心意気に。

 

その上で認めよう。私自身の弱さを。

 

私はかつて憧れた理想を越えようとして、いつしか理想になろうとばかりしていた。

理想という仮面を被って、理想という鎧を(まと)って。理想そのものに(すが)って。

理想を失っては何も残らないんじゃないかと恐怖して。

私じゃない誰かになって走り続けていた。

 

けれどもう恐れはしない。

理想に私自身を刻みつけて。

私は、憧れと理想を超えてみせる。

思いを受け継いで、理想を超えて、さらにその先へ。

 

そのまま私は騎兵刀(サーベル)の刃を上にして天に掲げる。

それに応じるように柔らかな風とともに赤・白・金の光が舞い上がり、世界を彩りで染め上げていく。

世界を覆っていた不透明の殻が音もなくひび割れていき、色が戻ってきた。

 

「ずっと? ……貴女が逃げられる限りは、ね」

 

その言葉に応じるように、マーチャンの微笑が風に乗った。

 

 

Norden Semiramis

3つの玉座の女主人

『Tre Troners Herskerinde』

              Lv.1

Jeg vil være under kontrol.

Tre distancer, tre lande og tre sejre i træk.

 

 

中山レース場、芝コース、最終直線。

 

 

雨に煙るターフが帰ってきた。

 

前方2バ身、アストンマーチャンが逃げている。

お望み通り、どこまでも追いかけてやる。貴女が逃げ切れる限り。

 

──何かが、ガコンと嵌ったような気がした。

 

その刹那、ターフを蹴る感触が変わる。

重くない。沈まない。

脚が芝を捉えている。一歩一歩が、滑らかに繋がる。

 

つんのめりそうになる上体をさらに倒して前の海老色の勝負服を追う。

喉の奥から笑いが漏れそうになる。

面白いように脚が進む。さっきまでどれほど足掻いても進まなかったのが嘘のようだ。

 

アイボリーの背中が、海老色の襷が迫る。

 

あと200m。

 

1バ身。

 

あと100m。

 

半バ身。

 

50m。

 

並びかける。

 

軽い……こんなにも、軽い……!

 

泥が跳ねても沈まない。

まるで自分だけが重力から切り離されたみたいに。

 

理想という鎧が、ひとつずつ剥がれ落ちていく。

開放感と、一抹の喪失感。長年私を護っていたペルソナはもうない。

でも風が肌を撫でていく感触が心地いい。

 

脚が弾む。心が震える。

一歩ごとに自分の走りが響いていく。

ああ、走るとは、こんなにも──自由だったのか。

 

 

──────

────

──

 

 

──大歓声が耳を打つ。

 

気がつくと、私達が横並びでゴール板を超えたところだった。

 

後方に注意を払いながら減速して振り返る。

同じく減速しつつあったマーチャンと目があった。

 

──どっちでしたか?

──わからないのです。

 

アイコンタクトで会話しつつ、後方からなだれ込んでくるウマ娘たちの邪魔にならないところで並んで転回してスタンド前へと引き返す。

勝った? 負けた? それより今だけは2人のこの距離が心地よかった。

お互いの全てを理解し合ったような、多分に勝手な幻想に浸っていられるこの瞬間が。

 

 

中山 11R    

 Ⅰ  XX 

    

 Ⅱ  XX 

X 1 X

 Ⅲ  1X 

 クビ 

 Ⅳ  6X 

 クビ 

 Ⅴ  16 

 

 

荒い息を鎮めて常歩で歩きながらふと思う。

こうして複数人で着順発表を待つのは何度目だろうか。

 

雨はいつしか殆ど止み、観客席は雨合羽姿とフードを脱いだ頭がおおよそ半々となっていた。

 

『どちらが勝っても、ニシノフラワー以来のクラシック級ティアラウマ娘によるスプリンターズステークス制覇となります!』

 

ざわめく場内に放送席からの実況の声が流れているのを捉える。

そうか、私もマーチャンもティアラ路線だからそうなるのか。あんまりそういうのには興味がなかったから気づかなかった。

 

そうして、どちらともなしに荒れたターフに並んで立つ。

ターフビジョンに映る私達の勝負服は泥化粧に彩られている。

誉と誓いの象徴も、愛らしさと記憶に残る装いも、等しく。

 

「……貴女の生き様、しかと刻みました」

 

言葉が自然と口をついた。

彼女のあの想いを、私は確かに識ったのだ。

 

「忘れないでくださいね」

 

観客席に愛想を振りまいていた彼女が、ほんの一瞬こちらを流し見て微笑んだ気がした。

 

 

その瞬間、どよめきがスタンドを揺らした。

何事かと電光掲示板を振り向くと、確定の赤ランプが点灯していた。

 

 

中山 11R 確定 

 Ⅰ  5X 

 ハナ 

 Ⅱ  7X 

X 1 X

 Ⅲ  6X 

 クビ 

 Ⅳ  1X 

 クビ 

 Ⅴ  16 

 

 

1着、5番ノルデンセミラミス。2着、7番アストンマーチャン。

 

『勝者、ノルデンセミラミス!! 春のマイル女王が秋のスプリント女王へ。2階級制覇達成ッ!』

 

実況の声が歓声にかき消されながら響く。

 

胸の奥で何かが膨らんでくるのを感じる。

勝った、のだろうか。

それを喜ぶよりも先に、自分への驚きが広がる。

 

私が……私の走りで……?

 

笑顔を作らなければ、と思う。いつも通り、観客に向けて、勝者の顔を。

――でも、頬が震えてうまく笑えない。

 

「おめでとう、なのです」

 

マーチャンが小さく拍手を送るのを耳が捉える。

視界が彼女を捉えて目線が下がり、口が動いて喉が音を出す。

表情はうまく作れているだろうか。現実感がない。

 

歓声が遠い。

心の奥で何かが脈打っている。

まるで煮えたぎる釜のように、噴火寸前の活火山のように。

 

そんな制御しきれない衝動を抱いたまま、私はウィナーズサークルへと歩みを進めた。

みんなが、待っている。




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第一部、完! (まだちょっとあるけど)
それにともない章立てが少し変更

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