驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで 作:八幡悠
中山レース場、ウィナーズサークル。
雨に代わって降り注ぐ歓声。
どこか現実感がないままターフを出て歩みを止めた。
無意識に目線が走り、ただ一人だけが視界に飛び込んでくる。
トレーナーさんだ。
彼女は静かに待っていてくれた。
言葉が出ない。
なんと言おう。やりました? 勝ちました? それとも見つけました?
どれもしっくりこない。
悩んでいるうちに、私の足はトレーナーさんの目の前まで来てしまっていた。
「おかえりなさい」
静かに、トレーナーさんは一言。
ああ、そうだ。この人はそういう人だ。
何よりも、勝利よりも、ただ無事に帰ったことを。
「……ただいま、戻りました」
その一言だけを、どうにか喉から絞り出す。
トレーナーさんは、すべてわかっていますよ、とでも言うように柔らかく微笑んで頷いた。
ああ、この人と走っていて、本当に良かった。
トレーナーさんが私に歩み寄り、レース前と同じように肩に手を置く。
「一皮むけましたね。その様子ですと、もう縛られてはいないのでしょう」
そのまま肩口から腕までを撫で下ろす。
なにか言おうと口を開くが、言葉にならない。本当に、なんと言ったら。
そう口を開けたり閉じたりしていると、トレーナーさんは私の左肩に手を当てて半身をずらした。
「あまり私だけが貴女を独占するわけにはいきませんから」
彼女は、ふふ、と微笑んで手を口元によせて笑い、身を引いた。
その視線の先をたどると、サークルの内柵をくぐってやってくる人影。
サクラバクシンオーさんだ。
「おめでとうございますッ! 本当に、本当によくやりました! ……ッ、はなまるですッ!」
そう言いながら彼女は満面の笑顔で歩み寄って来る。
そして手を私の腰に回して、制服が泥まみれになるのも構わず私を抱き寄せた。
上背は私のほうが数センチあるのに、なぜか落ち着くような、不思議な感覚が胸を満たす。
「……長かった。本当に、待っていました。ずっと。貴女なら、きっと……」
その私だけにかろうじて聞こえるような呟きの意味は判然としない。
それでも、バクシンオーさんが心から祝福してくれていることだけは理解できた。
私も手を背中に回す。
ああ、視界がにじんできた。
そのまま、抱擁を解いたバクシンオーさんが私の手を観客席に向けて掲げさせる。
涙でにじむ観客席は黒山の人だかり。歓声が私の名を呼ぶ。
内柵沿いには両親やフライトさんゼファーさんにレヨネットが、観客席の最前列にはスプマンテ、スカーレットやヴィクトリー倶楽部の皆さんといった顔ぶれが見える。
手を振り返そうとしたら、笑顔より先に視界の水の方が動いた。
……もうちょっとだけ、我慢。
それからもう何度目かになる写真撮影を済ませる。
重賞の優勝記念撮影はもう5回目だったが、係員さんの持ってきた真っ赤な優勝レイを見た瞬間、腰が砕けそうになる。
震える脚を叱咤して、崩れそうになる表情を叱咤して、頭を下げてそれを首にかけてもらう。
あの日、あの時、あの場所で。憧れたあの人と同じ真紅のレイが、今日この日この場所で私の肩にある。
もう抑えが効かない。
ああ、私はうまく笑えているだろうか。
後で撮ってもらった写真を見る限り、優勝カップを持って微笑む吉富トレーナーの横のウマ娘はまあまあ自然に笑えていた。
まだ、この時は。
その後は引き続きサークル内で報道陣が入っての囲み取材となる。
自慢ではないが囲み取材なんて慣れたもの。そのはずだった。
「スプリンターズステークス優勝、おめでとうございます! 今のお気持ちをお聞かせください!」
「ありがとうございます。そうですね、えっと、まずは……無事に走り終えられたことに、ほっとしています。……すみません、まだ実感がわかなくて」
思わず肩に下がるレイの端を掴む。
まだこれが私の手元にあることが信じられない。
「最後の直線、アストンマーチャンさんとの壮絶な叩き合いでした。どのあたりで“届く”と感じましたか?」
「届く、というか……ただ必死で。最後はもう何も。自分のリズムに乗れたというか……そこからは、もう……前だけを見ていました」
最終直線を思い返す。
……世界が急に軽くなって、重力から切り離されたみたいに脚が弾んで、胸の奥の鎧が剥がれ落ちていく感覚があった。
──そう、あの時の私は、鳥のように自由だった。
「バ場状態が不良でしたが、走りに手応えはありましたか?」
「はい、重バ場への適応はデビュー前からの課題でしたので……夏にもしっかり鍛えてもらいました。重いバ場でも、脚を止めずに進めるように準備してたので、今日の走りで、その積み重ねが……生きたんだと思います」
思えば、去年の選抜レースでトレーナーさんに指摘されて以来ずっと改善に努めてきたのだった。
本当に今日の勝利はトレーナーさんのおかげだった。
あの時声を掛けてくださって、その手を取って。本当に良かった。
「ゴール後、お2人でスタンド前に戻る姿が印象的でした。何か言葉を交わされましたか?」
「……走っている間に、胸に残ったものがあって。それをただ……伝えたくて。……はい、それだけです」
……あの会話は、あれは私たちだけのものだ。
言葉にしてしまったらいけないような気がして、口にはしなかった。
「ゴール後、とても感極まった様子でバクシンオーさんと抱き合っておられましたが……どんな思いが溢れていたのでしょう?」
「バクシンオー先輩にはずっとお世話になっていて……昔からずっと…………」
あ、ダメだ。
もう抑えきれない。
年末のあの日、ちょうど同じこの場所で。
前人未到のG1スプリンターズステークス連覇をなしとげたあの姿がフラッシュバックする。
ずっと、ずっと憧れていた。
今日、ようやくその背に手がかかったのだ。
「…………ずっと、勝ちたくて。…………ようやく、今日、1つ…………。……やっと、やっと勝てたんです」
視界が歪む。
もう何も制御できない。
あの日、バクシンオーさんを超えるのだと高らかに宣言してから今日まで、ずっと走ってきた。
いつしか超えることから目を逸らして、そう“なる”ために走ってもいたけど、それもさっきまでの話。
今の私は自由で、解き放たれていて、少し心細いけど、やっと一歩踏み出せたんだ。
「──素晴らしいですッ!!」
ビクッとして耳をそちらに向ける。
この声は間違いない、乙名史記者だ。
「あの、セミラミスさん……! ここまでのお話を伺っていて、どうしても、どうしてもお聞きしたいことがありまして!! 実は私、この夏ずっと取材を続けてきて……どうにも不可解な点がいくつもあったんです!」
霞む視界にいつもの白いジャケット姿がうつる。
「まず、あなたの走り方ですッ! 短距離では完全に“サクラバクシンオー”! これは選抜レースの頃からすでに完成されていた! なのに指導されてない時期から“同じ”って……そんな偶然、あるでしょうか!?」
それは偶然じゃない。
あの姿に憧れて、そうなるように望んだんだ。
「そして安田記念前から、急にバクシンオーさんが指導を始める! 両チームの協力体制と言われてますが、それにしても熱が入りすぎている! さらに不思議なのが──ノースフライトさんが“デビュー前から”あなたを気にかけていた証言です! 学園入りしてすぐに見出していた? そんな逸材なら当然ですけれど……。大昔から知っていたかのような可愛がり方なのは、どうしてでしょう?」
……そう言われてみれば、どうしてフライトさんはここまで良くしてくれたんだろう。
「そして! 桜花賞のあとオークスではなく迷わずNHKマイルに進んだ点! “本質的にはスプリンターで、マイルはチャレンジ”だった……そう考えるのが普通です。でも違う、最初から目標はスプリンターズステークスだった!」
そのとおりだ。
トレセン学園に入る前から、目標はこのレースだった。
「そして! 今日の抱擁です! あれは……普通じゃない!! 抱き合った時間の長さ、涙の深さ……
“ただの短距離の名先輩”というには、あまりにも感情がこもりすぎている!!」
それは……それは、どうしてだろう。
「で! そこで思い出したんです! バクシンオーさんの引退レースとなったスプリンターズステークス、『バクシンオーさんを超えるウマ娘に、絶対なります!』と誓っていたあの幼いウマ娘です! 当時の映像には不鮮明な後ろ姿しか残っていませんでしたが、今日確信しました!!」
心臓が大きな手でギュッと鷲掴みにされた。
──どうして、いや、当然か。あんな衆人環視であんなことを言えば……。
「──セミラミスさん。あなたとバクシンオーさんは……“ただの師弟”ではないのではありませんか!?」
息の仕方も忘れた私の肩にトレーナーさんの腕が回る。
その暖かさは、安心しなさい、とでも言うように頼もしくて。トレーナーさんのもう片腕がサッと挙げられるのも知覚する。
「ああ、あの日から約束していたなんてぇ……。バクシンオーさんとノースフライトさんが、“あなたがトレセンに来たら立派なG1ウマ娘に育てる”と……!! 今日の勝利は──その約束の“成就”だったなんて……」
……それは、ない。
あまりの衝撃に呆然としていると、緑の制服を着たURAの職員さんがどやどやと大勢でサークル内に入ってきた。
「大変申し訳ありませんが、第12レースの発走時間が迫っておりますのでここで会見を打ち切ります!」
「報道記者各位に置かれましては、スムーズなレース進行にご協力願います!」
そのまま職員さんの背中が私と記者の皆さんの間に緑の壁をつくる。
「会見についてはまた日時を改めて場を設けますので、あしからずお願いします!」
「すいません吉富トレーナー! 次走と目標だけお伺いしても!?」
「次走はマイルCS。来年も短距離マイルを中心に、海外遠征も視野にいれています!」
「ありがとうございます!」
壁越しの問答をトレーナーさんに任せて、そのまま私とトレーナーさんは足早にその場を後にした。
後日、美浦寮談話スペース。
──【速報】セミラミス、ついに“自分こそ勝者”宣言「やっと勝てた」
〈え、セミラミスの「やっと勝てた」ってさ、今までの勝利は勝利じゃないってこと? めっちゃ性格出てない??? 〉
〈泣いてたから許されるとかじゃなくて、普通に失言では??? G1勝者なのに自覚ないのキツい〉
SNSとかネットを見ていると、レース直後のインタビューの一部が切り抜かれて叩かれていた。
まあ、ちょっと、ゴール前もそうだけど、顔が…………愉悦とかそっち寄りの顔だったもんね。
「そんなつもりではなかったんですけどね……」
「俺様に勝っておいて、ようやく1つ、は無いだろ。肩でもお揉みしましょうかG1 4勝サマ?」
「……クラシック級で、こんな勝っておいて、やっと勝てた、はないでしょう……。コーヒーでも、お淹れしましょうかG1 4勝サマ」
一緒にいた美浦寮の先輩方が私をそう責める。
口調こそそうだが、琥珀色の目と満月のような黄色い瞳は笑っている。
「助けてスプマンテ、先輩方が虐めてくるの」
「あたし、まだG1いっこも勝ってないんだけど?」
そうだった。
そして彼女はティアラ最終戦、秋華賞に出走できることになっている。
「ゴメン。京都には応援に行くから許して」
「カフェさんもメジャーさんも、いじわるしちゃダメでがんすよ~」
秋のG1戦線はいよいよ佳境を迎えようとしていた。
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なんか第一部完、って言ったら評価がブワッと増えまして、皆様ありがとうございます。
ついでに感想もください。別に前の話に感想送っても全然いいですので。めんどかったらここすきでもいいです。あれはあれで嬉しい。
いつも誤字報告もありがとうございます。助かってます。
ちょっと書き溜めが尽ましたが、各日更新頑張っていきます。
*創作で実況の銀髪のエキセントリックな女出した次の週に、現実で金髪で女装したエキセントリックな奴が出てきてエリ女解説すんのマジでやめろ。
【フレーバー】レヨネット(主人公妹)の戦績【興味本位】ストーリーには影響しない&現時点でプレイアブルのネームドキャラの勝ち鞍には影響しないんで雰囲気で選んで大丈夫です。後選ばれたら絶対こうみたいな話でもないです。
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最低保証
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つよい
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すごい
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すごくすごい
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ヤバい