驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで 作:八幡悠
雨上がりの練習コース。
目の前には16の鉄の檻。そのうち半数にはすでにウマ娘が囚われている。
バ場はやや渋っている。レースで走るのは初めてだが、いつもどおり走れば問題ないだろう。
緊張で何も入っていない胃がキリキリと痛む気がする。
平常心、とにかく平常心を心がけろノルデンセミラミス。
「8番ノルデンセミラミスさん、どうぞ」
係員を務める緑の制服の学園職員が私を促す。
私の番号は8番、奇しくもあのスプリンターズステークスのバクシンオーさんと同じ。
無様な走りを見せるわけにはいかない。
6番の尾花栗毛の娘がゲート入りを渋っていたが、係員3人がかりで宥めすかされてようやくゲートに収まった。いよいよ私の番だ。
一つ深呼吸をして、自分のゼッケンと同じ8番のゲートへ収まる。
両隣には青鹿毛の痩身なウマ娘と芦毛の大柄なウマ娘がすでに収まっている。あとは12番のゲート入りを待つだけだ。
「全員入りました!」
「ゲート閉鎖ヨシッ!」
「発走まもなく!」
スターターを務める教官がスターター台のはしごをよじ登る。
各ウマ娘がスタートの体勢をとる気配がした。もちろん私もそれに倣う。
平常心、平常心だぞノルデンセミラミス。
視界の端で赤い旗が翻る。刹那、私は左脚に力を込めた。
バカンとゲートが開き、それに合わせてターフへと飛び出す。
今日の私は外枠だから、斜行を取られないよう直線で十分加速してから内へと切り込んでいく。
幸い何事もなく先行集団の後ろにつくことができた。3、4、5番のウマ娘が激しく位置を争っているがそれには関わらない。
バックストレッチから3コーナーへ。
外側へ押し出されてきた3番のウマ娘の斜め後ろを占める。スリップストリームを使ってもいいが、芝の塊が飛んできたら嫌なので真後ろには行かない。
3コーナーを抜けて4コーナーへ。400mの標識が見えてきた。
ここまではイメージどおり。もうすぐ、もうすぐ……。
今だ!
スパートをかけるべく左脚を踏み込む。
ずりっ。
地面が傾く。蹄鉄が滑った感触。
まずい。外側に振られそうになる体勢をなんとか立て直す。
スパートをかけるも、私の脚は泥を跳ね上げるばかりでイメージより全然進まない。
それでもなんとか脚を回す。
カーブの出口で、最後方にいたはずの芦毛がエグい勢いで上がって来ているのが見えてしまった。追いつかれるわけにはいかない。
直線に入って先行集団を抜いた。先頭まであと少し。
先頭までもうすぐ、もうすぐ……並んだ。
ゴールまであと200m、後ろを振り向いている余裕はない。
息が上がってきた。早すぎる。1200mでここまで苦しいなんて。
上がりそうになる頭を下げて、ただひたすら前へ。
視界の端にゴール板が映った。
どうやら抜かれる前にゴールできたらしい。
震えそうになる脚を労りながら速度を緩める。
掲示板の板が裏返り、チョーク書きの着差が表示された。
1番上の数字は8、着差は2。すなわち私が2バ身差で1着だったということだ。
やった、私が勝ったんだ。
歓喜のままに振り向くと、思ったより後ろにいた彼女らと目があった。
膝に手をつきながらこちらを睨む者、乾いた虚ろな笑みを浮かべる者、そして化物を見るような視線を投げかける者たち。
思わず目を背ける。
喜びの気持ちはどこかへ霧散してしまった。
心臓を鷲掴みにされたような気分だ。
職員さんに促されたのを幸いと、外ラチをくぐってコースから出た。
そうか、私が勝ったから。私が勝ったために残りの10人は──
「すごい走りだった! ぜひウチのチームに来ないか!」
「君なら春秋スプリント制覇だって夢じゃない!」
「私のチームは短距離専門でね、貴女の強みも活かせるはずだよ」
コース外へ出た私は十数名のトレーナーに囲まれた。
彼ら彼女らは私を取り囲み、口々に私を褒め称える。
あたりを見渡しても、少し遠巻きに様子を伺う者こそあれ、私以外に声を掛けようというトレーナーはいない。
私なんかがどうしてこんなことに。たった2バ身しかつけていないのに。
さっぱりわからない。
わからない、が、背筋を伸ばし堂々としていよう。バクシンオーさんならそうするからだ。
「皆様ありがとうございます。とても光栄です。少し考える時間が欲しいので、連絡先を頂けますか?」
もう正直いっぱいいっぱいでなんと言われているのかよくわからない。
多分名乗ってくれたトレーナーさんもいるのだろうが、顔と名前なんて一致するわけがない。
でも私が厚かましくも連絡先をくれとねだると、トレーナーさんたちは一様に懐から名刺を取り出して渡してくれた。
なんなら最初は遠巻きにしていたトレーナーさんも近づいてきて名刺をくれた。
ちょっと顔の怖い男の人。たしか凱旋門挑戦も何度かしているベテランさん。
背のひょろっと高い女性トレーナー、奈瀬トレーナーの妹さん。
サクラバクシンオーさんも所属しているチームアルケスの明石椿トレーナー。
優しそうな御婦人といった容姿の女性トレーナー。どこかで名前を聞いたような……。
どのトレーナーさんも有名チーム所属やベテランの人ばかりだ。
やっぱりベテラントレーナーは余裕がある。
……なんかだんだんお腹痛くなってきた。
「それでは日を改めて連絡いたしますのでよろしくお願いします」
私はそう言ってそそくさと練習コースを後にした。
夕食後、美浦寮、自室。
「──っていうことがありまして」
「マジか。やるなぁノルセミ」
例によってベッドにあぐらをかくメジャーさんに今日の選抜レースについて報告する。
私の机の上には、購買で買ってきた名刺ファイル数ページにとじられたトレーナーの名刺。
今見てもこれだけのトレーナーからスカウトされたなんて信じられない。だが、この十数枚の名刺はどれもトレーナー章の入った本物だ。
「それで、トレーナーってどうやって選べばいいのかアドバイスが欲しくて……」
「ああ、それなんだがな」
私がそう切り出すとメジャーさんはあぐらを解いて、真剣な表情をしてベッドから脚を下ろす。
「それについてお前にアドバイスしてやるわけにはいかない」