驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで 作:八幡悠
京都レース場、出走ウマ娘用宿舎。
時刻は昼。
トレセン学園から前日入りしたレース場併設の宿舎では、出走前のウマ娘たちが思い思いに過ごしている。
ゲーム機を持ち込んでいる者、談話室で騒いでいる者、卓を囲んでしかめっ面をしている者──横に積み上がっているにんじんは一体何なのか──。大浴場にはサウナも設置されており、朝から“整う”などと言っているウマ娘もいる。
一方で私はといえば、レース前は一人室内で過ごすのが常だ。
目の前には空になったおじやのタッパーとバナナの皮。これもトレセン学園に入る前からのレース前の習慣、一種のルーティンと言えた。
きっかけは何だったか。
とあるウマ娘のインタビュー記事で見たのだったと思う。
最初に母親に作ってもらえるようせがんだときは、胃に優しく素早くエネルギーと塩分を補給できる、などともっともらしい受け売りの理由を並べたが実際は異なる。
──私の“勝利の方程式”はサクラバクシンオーの走りを中長距離用に落とし込んだもの──その一文に、幼心に感銘を受けて倣うことにしたのだ。
トレーナーさんも理に適っているとおっしゃったのでこのルーティンは今でも崩していない。
バナナの食べ過ぎはいけませんよ、バランス良く食べなさい、と笑っておられたのが少々気になるところだが。
時計を見上げた。まだ時間はある。
私の第11レースにではない。第6レース、ジュニア級メイクデビュー。レヨネットのデビュー戦だ。
顔を出して、声を掛けて、それで十分だ。私は姉なのだから。
……一言挨拶もしておくべきだろうか。奈瀬菊代トレーナーとは知らない間ではない。
昨年のデビュー前にスカウトしてくれたトレーナーさんの1人、なんとなく妹と合いそうと思っていたが本当に契約するとは思わなかった。私には合わなかったが、多分いい人だと思う。
そんなとりとめもない思考ををいくつも重ねながら、宿舎から出られずにいた。
タッパーがカピカピになる前に片付けて、生ごみの分別は必要だったっけ。
そんな細々とした事に時間を取られ──いや、かけてしまった。
行こうと思えば今すぐ行けるはずだった。
だが控室へ入っていける時間は静かに過ぎていく。
話せるうちに行くべきだと、わかっているのに。
そうこうしているうちにパドックアピールが始まる時間が迫っていた。
いい加減にしなければ。
重い腰を上げて、宿舎を出る。
パドックは控室エリアを抜ければすぐそこなのだ。
京都レース場、パドック。
既にパドックへの集合がかかっており、メイクデビュー出走者は思い思いのアピールを行っている。
私が地下バ道へ繋がる通路から顔を出したとき、ちょうどレヨの前のウマ娘が舞台から降りたところだった。
良かった、間に合った。
そう思ってレヨを探す。
彼女はちょうど私に背を向けて舞台に登るところだ。
……それにしても人が多い。
とてもメイクデビューとは思えない人だかりだ。G1デーだということを考慮しても、私のときよりもはるかに人の密度が高い。
こんなに人が集まるなんて、どうして……。
レヨはプレッシャーに感じてはいないだろうか、そう心配になる。
その時、舞台の上で観客席に手を振るレヨがこちらに気づいてにぱっとした笑顔をこちらに向ける。
全くあの子ったら。そう苦笑して手を振り返した刹那、空気が変わったのを肌で感じた。
え、あれ誰? あの制服の娘、もしかして──。観客の囁き声が耳に刺さる。
「見て! 入口のとこ、セミラミスよ!」
「え、本当だ……妹のレース、見に来てるんだ」
「仲いいなあ」
「一番人気だし、これはノルデンレヨネットも負けられないね!」
──そうか、私のせいか。
こんなに人が多いのも、妹のプレッシャーになってしまっているのも、今こうして主役を奪ってしまっているのも。
私の、せいだ。
息を止める。
胸の奥から湧きかけたものをまとめて押し込め、一旦視線を切った。
これ以上長居してはいけない。
いつも通りに。
柔らかな笑顔を作り、観客に手を振ってから一礼。
観客席から歓声が上がる。一度姿を表してしまった以上はやむを得ない。
だから最低限。これでいい。
妹の方は見ず、サッと踵を返す。
入口近くにいた奈瀬菊代トレーナーと目線があったので、よろしくお願いします、と右手を胸に当てて一礼しそのまま地下バ道へ戻った。
京都レース場、5階関係者席。
事実上の貴賓席であるここは、昼のこの時間帯はまだ閑散としている。
トレセン学園の制服と、なにより今まで得てきた栄光によって受付を素通りして来れたことは幸いだった。
テラスへと出る。淀川から吹く涼やかな風が冬の到来を予感させた。
眼下では地下バ道から飛び出してきた体操服姿のウマ娘たちが、2人の誘導ウマ娘に従ってぞろぞろと行進しているのが見える。本バ場入場だ。
京都2000mはスタンド右手から発走し、コースを一周と少ししてゴールとなる。
……長い。私にとってはあまりにも。
それでも基本知識として各レース場の特徴は頭に入っている。
直線は短めだがバ群がゴチャつきやすく、レヨの差し脚は決して不利にはならない。
ゲートが開く。
メイクデビューらしいバラバラのスタートで11人が飛び出した。
ハナを切った1番の逃げに誘われてバ群が長く伸びる。走りは若いがノルデンレヨネットは中段待機ができている。悪くない展開だ。
そのまま向正面を早めのペースで通過、レヨネットは脚を使わされた先行に比べ十分脚を溜められている。
最終コーナー、バ群がバラけたのを外に持ち出してスパート。
差し脚鋭く直線半ばで後続を振り切り先頭に立つ。
──けれど、最後の100m。
目に見えて脚が鈍った。
思わず手すりを握りしめる。眼下のスタンドからは声が上がっている。
だけど、私の喉からは声が出ることはない。そもそも、私にそんな資格は、ありはしない。
再び食いつかれるか、息をするのも忘れて見守ったがレヨネットはわずかに残した。
差し脚はもう残ってはいなかっただろうに、それでも前に出たのだ。
勝った。
……良かった。
それっきり、言葉は続かなかった。
色々と思うことがないではない。ないではないが、それを言う必要はない。
とにかく勝ち上がった。それで十分だった。
──顔だけでも。
そう思ってエレベーターの下りボタンを押した、その時だった。
『やはり血は争えません! G1 4連勝中ノルデンセミラミスの妹、ノルデンレヨネットがここで初勝利!』
喉が締め付けられた。
……どうして、私の名前を──。
開いたエレベーターの扉の前で立ち尽くす。
ドアが閉まりそうになったので慌てて乗り込みながら、唇を噛み締めた。
違う。
それはあの娘の勝利だ。
私ではなく。
──だというのに。
このままでは勝利の栄光すらあの娘から奪ってしまう。
私は、控室の最寄りとなる地階のボタンを押した。
ウィナーズサークルへ続く1階ではなく。
もう私は見届けたのだから。
次は、私が走る番だ。
京都レース場、重賞用控室、更衣スペース。
最後に、白襷を手に取る。
必ず勝つという、あの日の自分との約束。
肩に掛け、背中へと回す。
指先は、もう震えない。
ふと視界の端に、鏡が映る。
だが、視線を向けることはなかった。
確かめなくても分かっている。
私はもう、この赤に着られてなんかいない。
この服を選んだのは、私自身だ。
小さく息を吸い、吐く。
「……行こう」
カーテンを開けてトレーナーさんのもとに戻る。
トレーナーさんは控室に入った私に何も言わなかった。きっと何があったか察していただろうに。
その心遣いが、何よりありがたかった。もう大丈夫、次は私が走る番だ。
静かにこちらを観察するトレーナーさんに、あえて妹の走りを話題に出す。
「レヨネット、最後の100mが甘くなりましたね」
思ったより声は普段通りだった。よかった。
トレーナーさんはそのすべてを見通すような老獪な目で私を覗き込み、小さく頷いた。
「ええ、多少無理をしたようですね」
「それでも、勝ってくれました」
「大事なことです」
そう、勝った。それこそがもっとも重要なのだ。
それで終わりだった。
そのまま私はトレーナーさんの隣に腰掛ける。
トレーナーさんの手元のタブレットには京都1600m、何度見たかわからないマイルCSのコースが表示されている。
もう何も検討することはなかった。
「練習通りに」
「はい」
私たちの間には、それだけで良かった。
スピーカーがノイズを撒き散らすのを合図に席を立つ。
「行ってきます」
私は私のレースをするだけだ。
【フレーバー】レヨネット(主人公妹)の戦績【興味本位】ストーリーには影響しない&現時点でプレイアブルのネームドキャラの勝ち鞍には影響しないんで雰囲気で選んで大丈夫です。後選ばれたら絶対こうみたいな話でもないです。
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ヤバい