驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで 作:八幡悠
中山レース場、重賞用控室。
晩夏のスプリンターズステークス以来となる中山レース場。
勝負服に着替え姿見の前に座るメジャーさんと私は、鏡越しに向き合っていた。
外では今もレースが行われているだろうが、防音の施された控室にはその喧騒は届かない。
いつものユニフォーム風の勝負服を身につけたメジャーさん。この姿がトゥインクルシリーズで見られるのも今日が最後だ。
だというのに彼女はグローブを締め直しながらいつもの調子だ。
「ま、やるだけのことはやったしな」
そう言ってニヤリと笑みを作る。
「最後に花道、飾ってくるわ」
私は一瞬、言葉に詰まった。
喉がぐっと絞まるような、息の仕方がわからなくなったような心持ち。
思わず制服のスカートの布地を握りしめる。
花道。
最後に勝ってターフを去ることができるウマ娘がどんなに少ないか、今や私は知っている。
七冠の皇帝3度目の敗北は語られず、世紀末覇王は新世紀の幻影に飲まれた。
幼い頃にこの冬の中山で目に焼き付けた栄光は、誰の頭上にも輝くものではない。
「……ご健闘を、お祈りしています」
それだけを絞り出した私に、メジャーさんは苦笑して振り返る。
「堅いな、相変わらず」
椅子の背もたれに腕をもたれさせて片頬をあげたメジャーさんは、そういやさ、と続ける。
「──勝利の女神のキス、くれよ」
刹那、フラッシュバックしたのは昨年の記憶。
京都で行われるメイクデビューに出発する直前、私を抱き寄せて額同士を重ね合わせ、まっすぐに見据えた琥珀色の瞳。
私はあの激励のお陰で、万全に走れたと言っても過言ではないだろう。
……なるほど、あの時の返礼が欲しい、と。
私は一歩メジャーさんに歩み寄る。
その一歩がやけに長く感じられた。近づいてしまえば、もうごまかしが効かない。
彼女の頬に手を当てて大きな流星の入った前髪をかき上げる。
目を伏せて、そこに口付けを落とす。
すぐに手を離して、一歩下がった。
メジャーさんは虚を突かれたように一瞬目を泳がせていたが、すぐに挑戦的な笑みを取り戻した。
「随分な斤量だな、ハンデ戦かぁ?」
いつも通りの笑みだったが、1拍だけ間があった気がする。
重い女だ、とでも言いたいのだろうか。冗談めかしたいつもの声音だった。
もう十分だろう。
私は何も言わず、一礼して踵を返した。
背中越しにメジャーさんの声が飛ぶ。
「……ありがとよ」
先ほどとは打って変わってぽつりとこぼされたような声音に、一瞬足を止める。
が、私はそのまま振り返らず、頷きだけを返して控室を辞した。
「いやはや、青春ですね」
「黙ってるなら最後まで黙ってろよクソババア」
「はっはっは、ずいぶん手厳しい。……これは、負けられませんね」
「ぬかせ。それに──負けるつもりで走ったことなんて一度もねぇよ」
中山レース場、関係者通路。
出走ウマ娘とトレーナーぐらいしか行きかわないその廊下で、彼女は壁にもたれて足は地面を掻いていた。
目線はこちらを向いていないが、両耳はこちらの足音を捉えている。
鹿毛の後ろ髪を一つくくりにした制服姿。ウオッカだ。
「……随分、入れ込んでるみたいだな」
不意にそう言われて、少しだけ言葉に詰まる。
メジャーさんの練習に現役なのに付き合っていることだろう。否定するほどのことでもない。
「お世話になりましたから」
それだけ答えると、小さく息を吐く気配がした。
「ま、お前らしいな。……今日は相当仕上がってるぞ。スカーレットも」
「そうですか」
それ以上は会話が続かない。
ただ、このタイミングでお互い制服姿なのもわかる通り、彼女が有馬に出ないことだけが私の気に掛かっていた。
「……どうして、出ないんですか?」
ファン投票1位なのになぜ、と責めるつもりはなかった。私だってファン投票上は出走圏内なのに出ないのだ。
ただ聞くタイミングがなかったから、聞くなら今しかないと思ったのだ。
「凱旋門行ってさ。色々あって、考えた」
それ以上は語られない。でも、それで十分だった。
たぶん、彼女の美学ゆえだろう。
「来年は、ドバイDFからだ」
「……そうですか」
ドバイデューティーフュリー、UAEはナドアルシバ芝1800mでおこなわれる大レース。
ドバイワールドカップデーにて行われるG1レースの1つだ。
「スカーレットはドバイWCだって、アタシもドバイ行く、って息巻いてたな」
ドバイワールドカップ。同じく2000mでおこなわれるドバイワールドカップデーのメインレース。
……あれ、確かドバイWCはダートだった気がするが、彼女はダートを走れたんだったか。まあ芝もダートもそう変わらないし、どうとでもなるだろう。
それにしても彼女らしい言い草だ。思わず笑みが漏れる。
「私は高松宮記念が目標です」
高松宮記念とドバイワールドカップデーはほぼ同時期。
来年、シニア級の春前半はっきりと道を違えることとなる。
「へえ……」
口元は笑顔だったが目は笑っていない。
ウオッカの返答はそれだけだった。
今は別々の道を歩む。それでいい、という認識が私たちの間にはあった。
遠くから歓声が膨らんでくる。そろそろ本バ場入場が始まるのだろう。
「……行ってきます」
「おう」
彼女は手持ち無沙汰にヒトミミの位置に下げたアクセサリーに指をかける。
あくまで言葉は軽い調子だった。
私は彼女に一礼して私は歩き出す。それでいい。今は、まだ。
ウオッカもまた踵を返したのが感じられた。
「ヴィクトリアマイル、首を洗って待ってろよ」
背中越しにウオッカの宣言が追いかけてくる。
5ヶ月後、きっと私たちの道は再び交わるのだから。
レース描写の濃さの好みは? *例によって聞くだけ聞きます。気軽に答えてください
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別にダイジェストでもいい
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マイルCSぐらいあっさりでもいい
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今ぐらいがいい
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安田記念ぐらいねっとり描写してほしい
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レンゲが立つくらいこってり