驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで 作:八幡悠
中山レース場、関係者用席。
その片隅に、見慣れた黒い影を見つけた。
漆黒の摩天楼、黒き幻影。長距離G1を総なめにした生粋のステイヤーにして、冬の中山にて世紀末覇王を葬り去ったウマ娘。マンハッタンカフェさんだ。
声をかけるより先に、その満月のようなまんまるの黄色い瞳と視線が合う。
「……お疲れさまです」
どうぞ、というようにベンチの隣を示されたので、お言葉に甘えて隣に腰掛ける。
「確かカフェさんのところは……」
少しだけ、言葉に迷う。カフェさんの所属する兄部トレーナーのチームからは……。
『2枠3番、マツリダゴッホ。9番人気──』
ちょうど入場してきたウマ娘から視線を外さず、カフェさんは静かに答える。
「……マツリダゴッホ。人気こそ、譲りますが……」
一呼吸置いて続ける。
「中山では、譲りません。……メジャーさんにも」
それだけ言って、何事もなかったようにターフに視線を下ろす。
距離が近い。触れてはいない。
けれど、間に人が入る余地もない。人懐こい黒猫のような、絶妙な距離感を感じる。
『2枠4番、ダイワメジャー。6番人気です、これが引退レースと──』
本馬場入場はよどみなく進んでいく。発走まで、あとわずか。
ブラスバンドの奏でるファンファーレが冬空に溶け込んでいく。
『10万人のファンが詰めかける中山レース場です』
実況と解説の声が場内のスピーカーから流れている。
『さて解説の園部さん、注目ウマ娘は』
『メイショウサムソンが1番枠なものですから、どのようなコース取りをするか見てみたいですね』
『ジャパンカップでは涙をのんだ二冠ウマ娘にして春秋天皇賞覇者が、その悔しい思いをどうぶつけてくるか。1番人気に押されています』
実況が淡々と戦績を並べていく。二冠、春秋天皇賞──どれも、揺るぎない実績だ。
それでも不思議と心は騒がない。もう言葉を足す段階ではないからだ。
あとは、走るだけ。それを見届けるだけ。
枠入りは順調に進み、各ウマ娘体勢整った。
メジャーさんと同じく引退レースのフサイチパンドラが出走を取り消し、向正面のゲートに収まるは14名。
『まさにこれがグランプリレース、百花繚乱14名で争われます。第52回有馬記念……ゲートが開いて揃ったスタート!』
スタンドから歓声が上がる。
ターフビジョンに映し出されるはポーンと飛び出した青と白の勝負服。
『さあ、行くのは……? ダイワスカーレットが押していくが……外からチョウサンが上がっていこうとしています』
相変わらずとんでもなくゲートの出が良いスカーレットに被せるように、臙脂色の市松模様の勝負服が外から競りかけていく。
これは……まずいか? せっかく刺激しない程度に後ろに控えているメジャーさんの努力が水の泡になってしまう。
ちらりと時計を見る。……いや、ペースは早くない。
姉妹揃って歯を食いしばっているあたり、スカーレットも相当我慢しているらしい。
『ん? ダイワスカーレット振り返った。すぐ後方ダイワメジャーを警戒したか。チョウサンが競りかけて先頭で第4コーナーをカーブしていきます』
『さあメイショウサムソンは中段より後ろからのレース。メイショウサムソンはここからどう仕掛けるのか』
1周目の4コーナーを過ぎて直線へと差し掛かる。
有馬記念はコースを1周半、すなわちゴール前の直線を2回通る。
『ご覧のように今、歓声渦巻くスタンド前、ゴール板前をバ群が通り過ぎていきます。メイショウサムソンは後方5番手という位置』
ここからあと1周、先頭のチョウサンが1コーナーに差し掛かる。
『さあ前半1000mを通過して1分ジャスト、1分0秒ジャストというタイムで通過しています』
実況が2コーナーに差し掛かるバ群の隊列を先頭から読み上げていく。
先頭は相変わらずチョウサン、その1バ身ほど後ろにダイワスカーレット、さらにその1バ身後ろにダイワメジャー。チョウサンがハナを獲っていること以外は戦前の想定通りにレースは進んでいる。
私は無意識に力が入っていた拳を解いて息を入れる。ふと隣のカフェさんを見ると、片眉を下げて渋い顔をしていた。
「……むぅ」
重なって画面上はわかりにくかったが、メジャーさんの後ろにつけているマツリダゴッホの外側にはサンツェッペリンがぴたりと張り付いており、ラチも含めて前左右を囲まれた形になっていた。
確かにマツリダゴッホ、ひいてはカフェさんとしては面白くない位置取りだ。
隊列が最後方ドリームパスポートまで読み上げられたところで先頭は向正面を過ぎて再び3コーナーへ差し掛かる。
『3コーナーのカーブに差し掛かって参りました。さあチョウサンに再びダイワスカーレットが競りかけていく』
3コーナーが終わって4コーナーに差し掛かるあたりでついに我慢が効かなくなったかダイワスカーレットが先頭を、一番を奪いにかかる。
スカーレットにしてはよく我慢したと思う。きっと北浦トレーナーは苦労したことだと思う。
『3、4コーナーの中間さあ勝負どころ。芝の良いところ経済コース、どこを通ってくるか』
だが最内を逃げるチョウサンと、強引に加速しハナを奪いに行ったダイワスカーレットの間には大きく間が空いた。あーあ、あんなに外に振っちゃって。
そして、この展開を待ち望んでいたウマ娘が勇躍加速を始める。残り400m。
『チョウサン、ダイワスカーレット、インコースからダイワメジャー! 後ろからマツリダゴッホ!』
「内が、内さえ開けば…………」
カフェさんが隣で祈るように呟く。
すいませんね。練習で甘いコーナリングをしたメジャーさんを4回ぐらいイン突きして差したウマ娘のせいで、メジャーさんが内側を開けることはないんですよ。
『メイショウサムソンまだ後ろ! メイショウサムソンは外に持ち出している!』
実況が後方集団に注目しているその間。スカーレットの内を突いて4コーナーの半ばから加速を始めたメジャーさんは、中山の短い直線を向いた時にはトップスピードに乗っていた。
理想的な展開だ。
『先頭はダイワスカーレット! インコースからダイワメジャー! ダイワメジャー先頭! これは姉妹対決か! マツリダゴッホも来た! ダイワメジャーが内から伸びている!』
スカーレットはまだ粘っている。確かに彼女の勝負根性は目を見張る物がある。
だが、番手で経済コースを取って体力を温存できていた、コーナー出口で十分に加速できていたメジャーさんには及ばない。
「……あぁ」
思わず漏れた、といった様子のカフェさんの低い声が耳に刺さる。
『ダイワメジャーだ! ダイワメジャーだ! ダイワスカーレット届かない! ダイワスカーレット届かない!』
かなりの間スカーレットは粘っていた。本当に見上げた根性だ。
だがその不沈戦艦の如き粘り強い抵抗も打ち破られるときが来た。姉妹相打つ激闘の勝者は──。
『ダイワメジャーだー! 年末のグランプリ、最初で最後の姉妹対決を制したのはダイワメジャー! グランプリ制覇で引退レースの花道を飾りました! 』
勝者、4番ダイワメジャー。2着ダイワスカーレットとの差は1バ身。
溜めていた息を吐く。無意識に強張っていた体の力を抜くために何度か呼吸を繰り返した。
スタンドは歓声に包まれ、実況がメジャーさんの名を称えている。そうか、メジャーさんが勝ったのか。
メジャーさんがこちらに向かって手を振っている。
それを見て、名前のわからない感情が胸の奥に落ちる。その理由は、まだ判然としない。
そうしてターフを見つめる私の肩に、そっと手が置かれた。
「……行って、あげてください」
落ち着いた低い声に背中を押され、立ち上がる。
理由は言葉にできない。でも、行かないという選択肢は、ない。
ウィナーズサークルには既に人だかりができていた。
カメラの放列が勝者を称えるようにシャッターを切る。
走った直後の湯気をもうもうと纏ったメジャーさんと一度だけ視線が交錯し、口角が僅かに上がった気がした。
ああ、この人は……。
優勝杯を持ったトレーナーさんと、紺の優勝レイを肩にかけたメジャーさんを中心にご両親や親族と思しき人達が笑顔で記念撮影をしている。
その中に、少なくとも1人縁者が欠けていることを皆が気づいていて、誰も口には出さない。
この場に立てるのは勝者だけであり、彼女は一番以外でこの場に立つことを望まないと誰もが理解しているからだ。
……この後のライブまでには目の腫れが引いていることを願おう。URAのメークアップアーティストがいくら優秀といえど限度はある。
そして囲み取材。
インタビュアーの質問に誇らしげに、だがどこか淡々と応えるメジャーさん。
有馬記念を振り返って、姉妹対決は、引退レースを勝った気分は、ファンへの一言。
……そうか、この場に無いのは、未来。
その後、最終レースを挟んでメジャーさんの引退式が挙行された。
URAがこのように引退式を開催してくれるウマ娘はほんの一握りだ。まして勝って迎えられるウマ娘をや。
最終レースが終わった後もスタンドを埋める観客の声に応えるように手を振りながらメジャーさんはターフを駆ける。
メジャーさん、URAの理事、何故かものすごくたくさん居る担当したことのあるトレーナーを代表して北浦・吉富トレーナーと皐月賞の時に担当したイタリア人トレーナーが挨拶をする。
ああ、この人はもう走らない。
だが私はまだ走る。メジャーさんの居ないターフを。
そして波乱に満ちたクラシック級が終わり、シニア級が幕を開ける。
レース描写の濃さの好みは? *例によって聞くだけ聞きます。気軽に答えてください
-
別にダイジェストでもいい
-
マイルCSぐらいあっさりでもいい
-
今ぐらいがいい
-
安田記念ぐらいねっとり描写してほしい
-
レンゲが立つくらいこってり