驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで 作:八幡悠
栗東寮、廊下。
普段は立ち入らない他人の生活スペースに踏み込むというのはどうしてこう緊張するのだろうか。
……いや、緊張の原因はそれだけではあるまい。
怖いのだ。”それ”をこの目で見てしまうことが。
そんな内心と関係なく足は目当ての部屋の前にたどり着く。
ノックをするとかえってきたのは聞きなれたフライトさんの声。
「失礼します」
意を決してドアを開ける。
そこにあったのは両寮共通の2人部屋仕様の間取り。
──良かった。
そう安堵したのもつかの間。
フライトさん側のファンシーでガーリーな内装に対して、あまりにも生活感が無い机とベッド。
前に来たときはこうではなかった。マーチャン手製のぱかぷちやグッズが所狭しとベッドや棚の上に並んだ、ある意味フライトさん側と均整の取れた部屋だったはずだ。
「……フライトさんって、ずっと一人部屋でしたっけ」
頼む、否定してくれ。
そんな思いも虚しくフライトさんはあっけらかんとして無慈悲に口を開いた。
「え、うん。そうだけど? ここ何年かはずっと一人部屋だよ」
足元が溶け落ちるような錯覚。
崩れ落ちそうになる体をなんとか支える。
「……どうしたの? まさか、この部屋にもう一人いたとか言わないよね?」
私の様子を見て何を思ったか、フライトさんは冗談めかしてそう言う。
気を紛らわせようとしてくれたのかもしれないが、冗談ではなかった。
……つまり、だ。
アストンマーチャンというウマ娘は、
たどり着いてしまった結論を受け入れられず、そのまま私はフライトさんの元を辞した。
私のただならない様子を見てか、美浦寮の自室へ帰るまでに様々な知り合いに声をかけられる。
たとえば談話室で声をかけてくれたビリーヴさんと芦毛のウマ娘さんの短距離コンビ。
「大丈夫ですか?」
「アストンマーチャンをご存知ですか」
「アストンマーチャン……? いえ、知りません。コジーンさんは?」
「む………………ん。いや、覚えがない、かな」
美浦寮でばったり会ったメジャーさんとサポート科のウマ娘さん。
「よう、どうしたセミラミス。この世の終わりみたいな顔して」
「マーチャンをご存知……ないですよね」
「マーチャン? どのマーチャンかしら?」
「ん? 知ってるのかラスリングカプ「アストンマーチャンをご存知なんですか!?」……おいおいどうしたんだ? らしくないぞ」
「あー、ごめんなさいねぇ。その娘は……んー、知らないわ」
「……そうですか。すみません」
最後などは柄にもなく取り乱してしまった。
誰もアストンマーチャンを覚えていないことなど明らかだというのに。
なんとなく妹の居る自室に戻る気にもなれず、当て所なく寮内をうろつく。
なにかが、なにかが引っかかる。
違和感が消えないなかの何度目かの徘徊の後、階段である人物とばったり出くわした。
フライトさんだ。
「あはは、そうだよ。ちょっと打ち合わせ」
打ち合わせならメッセージアプリでもいいだろうに。
人目をはばからず一緒に居たいのだということぐらいは、いくら疎い私でも察しはつく。
……おかしいじゃないか。
「……いっつも
「……あっ、そういえばそうだね。なんでだろ?」
渦巻いていた違和感が急速に形を持つ。
そうだ、なぜ気づかなかったんだ。
「あ、でも応接セットがあるのは
「……えっ、…………あ、そうそう、そうなの」
妙な間があってフライトさんの頬が赤いがそれはどうでもいい。
1人部屋と2人部屋の間取りの違いは、片方のベッドと学習机の代わりに簡易応接セットと本棚などの収納があること。
これは寮長や指導ウマ娘が人を呼んで面談したり資料を保管したりする必要があるためだ。
フライトさんは指導ウマ娘だが、1人部屋になったならすぐに1人部屋仕様に模様替えされて然るべきなのだ。
逆に2人部屋仕様のままなら、慢性的に部屋不足気味の栗東寮で数年も空き部屋なのがおかしい。
──だとしたら。
ウマホを取り出してnetraceのアプリを立ち上げる。
目当ては昨年のスプリンターズステークス。
| 着 順 | 枠 番 | 番 号 | 名前 | クラス | 斤量 | タイム | 着差 | 通過 | 上り | 人 気 | 担当 |
| 1 | X3X | 5 | ノルデンセミラミス | CT | 55 | 1:09․3 | 2-2 | 36․2 | 1 | 吉富まつり | |
| アストンマーチャンをよろしくお願いします | |||||||||||
| 2 | X3X | 6 | サンアディユ | S2T | 57 | 1:09․5 | 1 | 2-3 | 36․1 | 2 | 杉谷直陸 |
| 3 | X1X | 1 | アイルラヴァゲイン | S2C | 57 | 1:09.6 | クビ | 2-2 | 36.2 | 5 | 竹脇夢乃 |
| 4 | X8X | 16 | キングストレイル | S2C | 57 | 1:09․6 | クビ | 9-8 | 35․8 | 4 | 高尾勝晃 |
……やっぱりだ。
「フライトさん、これ。これ見てなにか変に思いませんか」
「え、ええ? ……セミラミスちゃんのスプリンターズステークスだよね。なにもおかしくないと思うけど」
間違いない。
マーチャンは
困惑するフライトさんに踵を返す。
こうしてはいられない、急がなくては。
──まだ間に合う?
廊下の真ん中で立ち止まる。
なぜ、なぜ私はそう思った?
一つ深呼吸して思い返す。
……確かに、これが何らかの意志によるものだとすれば、あまりに仕事が雑だ。もしビリーヴさんが見たら激怒するに違いない。
人の記憶にマーチャンが残っていないのは今見た通り。
直接関係ある物証も全滅。
だが、出走表も一緒に撮った写真もマーチャンの居たはずの場所は不自然に空いていて、他人はその違和感に気づけないだけ。
何なら私の記憶はほぼ完全に手つかずだ。
……つまり、まだ作業中なのではないだろうか。
考えをまとめるために歩きだす。
我ながら論理が飛躍している。
だが、そう考えれば希望が持てる。
マーチャンは
観測できなくなっているだけなのだ、と。
そこまで考えた末に、導き出されたのはあの時の光景。
──それは”死”への恐怖。
──生物的な意味ではない。生き物はいつか必ず死ぬ。彼女はそれを悲しんでいる訳では無い。
──ただその存在が忘れ去られることを悲しみ、そして恐れている。
──忘れないでくださいね。
……そうだ。
忘却こそが“死”であるというのなら、逆説的に私が覚えている限りはマーチャンは生きている。
彼女の生き様を刻みつけたが故に、彼女は
では、なぜ私だけがマーチャンのことを覚えているのか。
私にだけあって、他には持ち得ないないものは、なんだ?
……思い出されるのはやはりあの泥中のスプリンターズステークス。
最終直線でぶつけあった“領域”は互いの想いの結晶。
その思いの強さ、深さが故に、彼女の思いは私の魂にまで刻まれている。
──忘れないでくださいね。
忘れなど、するものか。
忘れさせなど、させてたまるか。
なにか、なにかないか。
神でも占いでもオカルトでも構わない。
彼女の存在を、彼女を消し去らんとするこの世界に繋ぎ止める方法は。
そうやって自室のヒヤリとしたドアノブに触れた瞬間、天啓のように思い出されたのは瞳。
下に隈の刻まれた、黄色い丸い狂った瞳。
──ああ、貴女は“外”にいる。だから
……いいじゃないか。乗ってやろう。
どうせおかしなことが起こっているのだ。
預言者気取りの狂信者の言うことを信じてやろう。
マーチャンのためであれば、試せることは何でもやってみるべきだ。
ドアを開け放ち、レヨの困惑する声をよそにクローゼットへ。
このふざけた世界に異を唱えるなら、それにふさわしい装いを私は持っている。
夜、トレセン学園中庭、三女神像前。
昼間は多くのウマ娘が行き交う中庭も、門限も近いこの時間帯には閑散としていた。
まばらに電灯の明かりが窓を彩る本校舎、石畳とベンチ、アーチが連なる渡り廊下が周りを囲んでいる。
三女神像。
古来よりウマ娘を見守り、時に導いてきたと言われる3柱の始祖神を象ったといわれる女神像。
トレセン各所の広場に置かれ、3人がそれぞれ掲げる壺からは水が流れ落ちている。その水の流れは連綿と受け継がれてきたウマ娘の系譜を象徴しているとかなんとか。あいにくそういった伝承には詳しくない。
……石でできているはずの3柱すべての女神像と、同時に目が合った気がした。
石像と目線が合うなど、あり得るはずがないというのに。
さて、時間帯こそ異なるが、スプリンターズステークスで入ったアストンマーチャンの”領域”はこの場所をモチーフとしていた。
あの時は噴水や茂みやアーチ柱の陰からひょこひょこと自身の人形を携えたマーチャンが表れていたが、今日はその気配は全く感じられない。
ザッ、と蹄鉄が石畳を鳴らす。
今の私の装いは譽高き赤い軍服、必勝を誓う白襷。理想としていた強さの象徴にして憧れを散りばめた勝負服。
それはあの時と同じ装いであるが異なる部分もある。
胸に輝く略綬には高松宮記念を経て新たなリボンが加わり、左腰に感じる重みはあの時の
さあ、始めよう。
腰の騎兵刀の鞘を払って正中に構え、右斜め下へ振り下ろして女神像を注視する。
三女神よ、この世界の
私は、彼女を覚えていると誓った。彼女の思いを魂に刻み込んだ。
思いを受け継いで、理想を超えて、さらにその先へ往くと誓ったのだ。
──私はアストンマーチャンを覚えているぞ!
そのまま私は
……当然、ここは現実。
”領域”のなかのように柔らかな風が吹くことも、三色の光が舞い上がることもなければ、世界を覆っていた不透明の殻が音もなくひび割れ色が戻ってくることもない。
ない、が……確かに何かが変わったという確信だけがあった。
何が変わったのかはわからない。
だが、変わってしまったという確信だけが、理屈抜きで胸に残っていた。
騎兵刀を鞘に納め、足早に寮へと急ぐ。
門限も迫っているし、冷静に考えたらこんなところを誰かに見られでもしたらことだ。
本当はよろしくないが、歩きながらnetraceのアプリを立ち上げてスプリンターズステークスを閲覧する。
| 着 順 | 枠 番 | 番 号 | 名前 | クラス | 斤量 | タイム | 着差 | 通過 | 上り | 人 気 | 担当 |
| 1 | X3X | 5 | ノルデンセミラミス | CT | 55 | 1:09․3 | 2-2 | 36․2 | 1 | 吉富まつり | |
| 2 | X4X | 7 | アストンマーチャン | CT | 55 | 1:09.3 | ハナ | 1-1 | 36.2 | 4 | 内宿時世 |
| 3 | X3X | 6 | サンアディユ | S2T | 57 | 1:09․5 | 1 | 2-3 | 36․1 | 2 | 杉谷直陸 |
| 4 | X1X | 1 | アイルラヴァゲイン | S2C | 57 | 1:09.6 | クビ | 2-2 | 36.2 | 6 | 竹脇夢乃 |
| 5 | X8X | 16 | キングストレイル | S2C | 57 | 1:09․6 | クビ | 9-8 | 35․8 | 5 | 高尾勝晃 |
……よかった。まず去来したのは安堵。
私は覚えていると誓った。その誓いは果たして
この表示された名前こそが証拠だ。
ひとつ肩の荷が下りたような心持で、小走りで寮の玄関へとたどり着く。
すると門限破りの生徒を待ち構えようとしていた寮長のヒシアマさんとばったり出会った。
目を丸くしている彼女にどう説明したものかと思っていたが、意外にも特に深く追求されることはなかった。
「……珍しいね、早いこと戻りな」
そんな彼女に私は問いかけた。念のためだ。
「アストンマーチャンをご存じですか?」
その名を聞いたヒシアマさんは元々丸っこい目を一瞬さらに見開く。
……それはどういう感情ですか?
そういぶかしむ私に、あくまで普段通りの様子に戻って彼女は続けた。
「……ああ、もちろんさ。どうかしたかい?」
その返答に息を吐く。
ああ、間違いない。アストンマーチャンは確かにこの世界にいる。
私はそのままヒシアマさんに別れを告げると部屋に戻った。
その日はそのまま何事もなく、充足感の元に枕を高くして眠ることができた。
私は確かに阻まれることはなかった。
だが、私は全てを覆すことができたわけでもなかったのだ。
私がそのことをはっきりと思い知らされたのは、それから数日経ったある日のことであった。
呼び出しのチャイムとともにスピーカーから流れてきたのはフジキセキさんの声。
『高等部1年美浦寮、ノルデンセミラミスさん。ノルデンセミラミスさん。至急、栗東寮管理棟応接室まで来てください。繰り返します──』