驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで   作:八幡悠

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097 秋春スプリント女王とヴィクトリアマイルへ

 トレセン学園、練習コース。

 

 風を切る音が耳を支配する。

 左側を流れるラチのカーブが終わりを告げ、直線へと入ろうとしていた。

 

 半バ身外、右側の視界ギリギリに着けた体操服姿が一気にギアを上げる。

 並びかけてきた豊かな二つ結びを横目に、一拍置いて私も巡航から最高速へと叩き込んだ。

 

 追い比べだ。肩が並ぶ。

 しかし抜けない。しかして抜かせもしない。

 

 そのまま最後のハロン棒からゴール板までを私たちは駆け抜けた。

 

 1コーナーまでの直線を流す。

 先程まで競っていたゼファーさんとどちらともなしに常歩でダウンに移った。

 今日は週末に迫ったヴィクトリアマイルへの最終追い切り。本番想定の左回りのコースでゼファーさんが外、私が内で一杯に行った。

 

 体感、概ね思ったとおりにできていたように思う。

 本番で取る予定の作戦もおそらく問題なく機能するだろう。

 そんな事を考えながらラチをくぐってトレーナーさんのもとに向かっていると、隣を歩く追い切り相手を務めてもらったゼファーさんがこちらを見ないまま呟いた。

 

「……空鳴りですね」

 

 ……嘘をついている? いや、誤魔化している、か? 

 誰が? まさか私がか? どういう意味だ? 

 思わず足を止めた私を尻目にゼファーさんはそのまま歩みを進める。

 

「2人ともご苦労さま! 戻って振り返りにしましょ」

 

 聞き返そうとしたが、走り寄ってきた椿トレーナーの勢いに流されてその場はそのまま聞かずじまいになってしまった。

 

 

 アダフェラ、チームルーム。

 

 

 室内据付のホワイトボードには追い切りのタイムがメモされている。

 数字は十分、特に問題ないね、と言い残して壁際に引っ込んだ椿トレーナーと入れ替わるように前に立つ。

 

 第2回東京8日目11R、ヴィクトリアマイル。芝左1600m……などというのは今更だろう。

 天候は晴れの良バ場想定。結構なことだった。

 

「ヴィクトリアマイルはスローになる可能性が高いと見ています。先行しても隊列は伸びませんし、早めに動けば目標になるだけです」

 

 東京レース場のコース図を前にそう前提を述べる。

 こういう言い方は好かないが、安田記念と違って所詮ティアラだ。全体のレベルは低い。

 そして、圧倒的一番人気と予想される私には当然マークが集中するだろう。それは面白くない。

 

「なので、スタート後は無理に位置を取りに行かず、中団でレースを進めます」

 

 中団で脚を溜めて、直線で一番距離をロスしない進路を選ぶかたたちだ。

 

「直線では外を回さざるを得ないウオッカの動きを見て、内が空けばそこからスパートを掛けます。内が空かなければ、無理はしません」

 

 そして私以外に唯一のG1ウマ娘、ウオッカ。

 もし私を止めうるウマ娘が居るとするのなら、それはライバルたる彼女をおいて他には居ない。

 

「切れ味勝負になる可能性は高いと思います。だからこそこちらから仕掛ける必要はありません。相手が動いたのを見てからでも、府中なら間に合います。一番リスクが少ないのはその位置です」

 

 以上です、と言葉を切る。

 様々なリスクを考え合わせたうえで、番手でのレースではなく中団待機が上策だろうと判断した。

 

 どうでしょうか、と視線で問いかけると、トレーナーさんはひとつ頷いてこう答えた。

 

「結構です。強いて付け加えるなら、インに固執しないことと、詰まったら迷わず外に出ることぐらいでしょうか」

 

 つまり、スローゆえに閉じ込められたり、早仕掛けをされた場合に備えておけということだろう。

 確かに私が中団待機を選んだ際の負け筋はそれだ。その備えは必要だろう。

 

「あとは……正攻法では勝てないとみて無茶苦茶してきたら、ぐらいかな。それこそ大逃げとか」

 

 無いと思うけどね、といった口調で椿トレーナーが言う。

 確かに彼女が留学していた欧州であれば、ラビット役のウマ娘が本命を援護するためにそういったことをするとは聞く。

 だがここは日本だ。そんなことを大っぴらにやれば処分は免れ得ない。

 

「今回は心配いらないでしょう。大逃げは基本的に、相手のミスに依存する、後ろが愚かでなければ成功は望めない戦法です」

「万が一出てきても、セミラミスなら自滅を待つなり早仕掛けで潰すなりできますもんね」

 

 ありていに言ってしまえば、大逃げというのは弱い戦法だ。

 速過ぎれば自滅、遅すぎれば捕まる。ずっと先頭で体力を消耗し、常に追われることとなる。

 下策も下策、外道といっても差し支えはあるまい。

 

「例外として、巡航速度が高く、一定のペースが刻め、コーナリングを得意とし、状況判断力が高い。そんなウマ娘が居れば話は別ですが……」

「そんなの、普通に走れば楽に勝てますよね?」

 

 それができるならわざわざ破れかぶれの特攻のような戦法に出る必要はない。

 

「そういうことです」

「むしろ、それに一番当てはまってるのセミラミスだよね」

 

 ご冗談を。

 なんでそんなしんどい事をわざわざしなけりゃならないのか。

 スプリントとマイルで走る限り、そのような自体に追い込まれるはずがないのだ。

 

 話が脱線したのでもとに戻す。

 

「まとめますと、内枠から中団待機。後は流れで」

「ええ、それで問題ないでしょう」

 

 一見すると曖昧だが、中団というのは実際には最も多くの選択肢を残す位置だった。

 勝ち筋を一つに絞らないことこそが作戦の根幹ともいえる。

 

 


 

 

 トレセン学園、記者会見会場。

 

 

 ヴィクトリアマイル直前、学園の一角にあるスペースには出走者18人と報道陣が集まっていた。

 G1レース前恒例の記者会見ももう7度目。流石にそろそろ慣れてきた。

 

 ひな壇に並ぶ私たちに浴びせかけられるフラッシュの音は、思ったよりも整然としている。

 視線が一斉に集中する。

 集中して指向されるは圧倒的一番人気、単勝オッズは1.4倍だったか?

 

 すなわち、私だった。

 

 まあ勝つだろう、そんな無言の了解が会場を覆っている気がする。

 

 勝つだろう、という空気は嫌いじゃない。

 ただ、それを理由に気を抜けるほどレースは単純じゃない。

 実際、ここまでの6度のG1も1つとして楽に勝てたものはなかった。

 

 そんな思いをよそに、出走ウマ娘の一言が順に回っていく。

 

「自分のレースができれば」

「展開次第だと思います」

「一つでも上の着順を」

 

 ……誰も、勝てると思っていない。それが伝わってきた。

 

 誰も私に勝つと言わない。

 私は今、競争相手ではなくなりつつある。

 その事実に、少しだけ物足りないという思いが無いと言えば嘘になる。

 

 そうして最後から2番目のウマ娘に手番が回る。

 すなわち、ウオッカだ。

 

「コーナーで上手い相手はいる。でも、府中の直線は長い。そこで譲る気はねぇ」

 

 誰とは直接言わなかったが、1人挟んで座っている彼女と視線が交錯する。

 

「全員まとめてぶっちぎる」

 

 彼女がそう言い切った瞬間、記者の何人かがようやく勝負の匂いを嗅ぎ取ったかのように顔を上げた。

 

 ああ、ウオッカはちゃんと見てくれている。それでこそ私のライバル。

 まだ私には競うべき相手がいる。

 

 ──悪くない。

 

 

 続いて私の名前を呼ばれた瞬間、会場の音量が一段落ちた。

 

「状態はいつも通りです」

 

 調子なんて長々ということではない。

 そして司会から、府中の直線は長いですがそのあたりはどうでしょう、と振られる。

 まあウオッカがトスしてくれたのだから、乗ってあげるのが人情というものだろう。

 

「直線が長いのはその通りですね。だから、その前をどう走るかが大事だと思っています」

 

 直線は使う。でも、並ばせるつもりは、ない。

 ……できれば、安田記念と同じ府中じゃなく中山でやってくれれば走りやすくて助かるんだけどな。それか直線の長さ半分にしてくんないかな。

 

 

 続いて個別の記者からの質問に移る。

 状態や枠順、バ場についての無難な質問がいくつか続き、会見は一度予定調和の空気に戻った。

 それが来たのは少し空気が緩んだ時だった。

 

「セミラミスさんは、これに勝てばG1を7勝目、国内シニア芝マイル以下のG1完全制覇という形になります。このレースは、ご自身にとってどういう位置づけでしょうか?」

 

 そうぶっこんできたのは乙名史記者。

 位置づけ、ときたか。

 

 ……本当のところを言えば、意味はある。

 いや、あった。

 

 ひな壇をぐるりと見渡す。前髪に隠れた彼女の横顔から表情は読み取れない。

 

 ──ここに、全員いるはずだった。

 

 だがそんなことを答えるわけにはいかないので、適当に回答する。

 

「一つ一つのレースに集中しているだけです。全て終わってから振り返ればいいと思っています」

 

 再び芝の上で相まみえることは、もう、ないのだ。

 感傷に浸るのは全て終わってからでいい。

 

「素晴らしいですっ! 7冠という数字ではなく、私はまだ走っている最中だ、ということですね!」

 

 いつものように勝手に感極まっている乙名史記者。

 ……まったく、どこまで掴んだ上での言葉なのか。

 それは私の誓いではない。けれど、仕事としての言葉だということは分かる。

 

 ほんの一瞬だけ言葉を選んだ。

 

「……そうですね」

 

 

 それ以上、会場に新しい言葉は落ちなかった。

 

 司会が次の質問者を指名し、フラッシュが再び散発的に焚かれる。

 私は視線を正面に戻す。

 

 語るべきことはもう十分だ。

 残りは、芝の上で。




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