感想について、今のところ返信するつもりはありませんが、ちゃんと拝見しております。
ありがとうございます。
今回の話を書くにあたり、卯酉東海道を読み直したところ、自動車に関して原作との差異が生まれていることに気が付きました。
しかし、書き直しが面倒くさいので目を瞑っていただけると幸いです。
おんぼろなガソリン車は、喧しいエンジン音を山中に響かせながら二人を揺らして山道を進んでいた。
蓮子自身気が付かなかったが、狐に化かされている間にどうやらかなり山奥まで進んでいたようで、麓まではそれなりの時間を要するみたいだ。
現代の電気自動車では体感することができない揺れとあまりに効きの悪い冷房に、蓮子は次第に居心地が悪くなっていた。
「ねぇ、なんでこんな古い車なんか使ってるの?こんな骨董品、私のお父さんだって見たことないって言うわよ」
骨董品という言葉を受けて、男は一瞬複雑そうな顔をする。
「そうだなぁ。まぁ簡単な話、俺が時代に取り残された人間だってだけさ。車にしろなんにしろ、最近の道具はどうも複雑すぎてなお前さんも年を重ねていけばいやでもわかるさ。時流に取り残されないようにするってのは、想像以上に難しいことだよ」
「どうだか。今はおばあちゃんだってAIを扱える時代よ?むしろ言い訳なんかせずに、もっと勉強しなさいって怒られるに違いないわ」
近年、世界中が目覚ましい発展を遂げている。それは、科学技術の分野に限った話ではなく、あらゆる面で人類は一段階上のステージへと昇ろうとしていた。しかし、なにもかもが上り調子とはならず、紀元前より増え続けていた世界人口は、ここ最近になって緩やかに減少の一途を辿っている。
この人口減少が資本主義による経済格差が産んだものであるということは、小学生の頃に教えられるため、蓮子たち学生にとってそれは当然の知識であるし、この問題に世の人々が悲観的になっているかと言われると、決してそんなことはなかった。今を生きる人たちからしてみれば、この人口減少は単なる人口調整の段階に過ぎないのだ。
この日本は世界中のどの国よりも少子化が早く人口減少が起こったため、デメリットをうまいこと回避することができた。それどころかむしろ、日本人の勤勉で精神的に豊かな国民性を取り戻すことにつながるなど、良い影響がもたらされる結果となった。
そのため、今を生きる人々からすれば、先ほどの男の発言は単なる怠慢にしか捉えられないのだ。
「それは…なんとも耳の痛い話だな」
男の横顔は言葉に反して涼しげなものであり、蓮子の言葉はさほど響いていないようだった。
出会った時からうすうす感じていたことだが、この男の感性は一般人のそれとはかけ離れているようだ。しかし、宇宙人のような感性の持ち主かと言われれば否だろう。彼の持つ感性は未知というより、単に前時代的なそれだと感じられた。もしも博物館に足を運んで、シーラカンスの模型の横にこの男が展示されていても、今の蓮子なら違和感なく受け入れることができるであろう程に。
そんな化石じみた男だが、揺れを軽減するためにスピードを抑えていたり、空調の強さや向きをたまに調整してくれたりと、蓮子のことを気遣っているのが行動のいたるところに垣間見えていた。彼女からすればありがたいことではあったが、そういった感性と人間性の細かなズレが、この男が抱える異様さの源泉なのだろう。
蓮子は、徐々にこの男について興味がわいてきていた。
「あなた、このあたりに住んでるの?」
男が頷く。
「ずっと?」
「いや、ずっとってわけじゃない。ここには最近越してきたんだ」
「ふぅん。じゃあ、ここに来る前はどこにいたの?」
先ほどまでとは打って変わって、男の身元を探るような質問が続いたことで違和感を覚えたのか、助手席に座る少女の様子をちらりと横目に見た。
蓮子は一瞬、踏み込み過ぎたかと思ったが、男の顔色がすぐに柔和なものに戻ったことで胸をなでおろした。
「そりゃまた難しい質問だな。」
男は左手で顎を撫でた。
「ここに来る前は…たしか、ずっと北の方だったかな。すまんな、あんまりよく覚えてないんだ」
「…?最近のことなのに?」
「ああ。…俺は元来、一か所に定住するような人間じゃなくてな。いろんなところを転々と移り住んでるんだ」
最近越してきたと言う割には男の返答はかなり曖昧なもので、かといって何かを隠しているというわけではなく本当に覚えていない様子だった。
蓮子は思わずジト目で男を見た。
「でも、流石にルーツぐらいは覚えてるでしょ?どこなの?」
「…京都さ」
まさかの出自に驚きを隠せない。
かつて古くからの景観を維持してきた京都は、現在はその姿をすっかり変えており、いまや最も技術的に発展した日本の首都となっている。
今を生きる人たちからすれば都会と言えば京都であり、蓮子の住む東京はどちらかと言えば田舎という認識であった。
神亀に遷都してからの東京は、発展を続けてきた京都とは反対に、かつての面影を未だ残している。アスファルトは舗装されずそこらじゅうヒビだらけで、環状線も一部が草原と化していた。
「意外ね。こんな古臭い自動車に乗ってるから田舎者だと思ってたけど、都会っ子なのね」
「…まぁな」
男はそれっきり口を閉ざした。
窓の外を見れば、太陽は先ほどよりも傾いていた。夏真っ盛りということもあり、日が暮れるにはまだまだ時間はかかりそうで、夕暮れまでには麓へとたどり着けそうだ。
車内には、空調の音とセミの鳴き声だけが反響していた。
「……私ね、たまに思うの」
「どうした、急に」
「今ってなんでもかんでも機械がやってくれるし、どんな現象も論理立てて説明できるでしょ。そのおかげで暮らしは便利になったけど…。なんていうか、ちょっと退屈だなって」
蓮子は腰を浮かすようにして姿勢を正した。
クッションが潰れているからか、シートが少しだけ固い。
「なるほど、それでさっきオカルトがどうとかって言ってたのか。それで?どうして俺に話すんだ?」
「だって、あなたそういうの詳しそうだから」
男の「なぜ?」と言いたげな顔を見て、蓮子はにやりと笑った。
「さっき、私が狐に化かされたってあなた言ったわよね。今どき、そんなメルヘンチックな考えの人なかなかいないわ。それに、私の勘が言ってるの、あなたは普通の人じゃないって」
この怪しい男について少しずつ探りを入れようと奮闘していたが、ほとんど何も聞きだすことができず、現状ますます違和感が強まっていくばかりだった。いてもたってもいられなくなった蓮子は、思い切って踏み込んでみることにした。
少しは男の動揺が見られるかと期待したが、相変わらずどこ吹く風といった様子だ。
「女の勘ってやつか?」
「ええ、そうよ。どう?当たってる?」
蓮子は顔をずいっと男に近づけた。
「信じてもらえるかわからんが、生憎俺は普通の人間さ。だがまぁ、そうだなぁ…、お前さんの気持ちはわからんでもないが、退屈に感じるのは仕方のないことなのかもしれないな」
覗き込んでくる蓮子の顔が鬱陶しかったのか、左手で押し返しながら言葉を続けた。
「これは俺の持論だが、この世で最も恐ろしいのは“未知”だ。これは人に限った話じゃなく、この辺に住まう獣だって一緒さ。彼らがどうして火を恐れるか分かるか?」
「それは…、危ないものだと認識してるからじゃないの?」
「それもあるだろう。だけど、その恐怖は本能からくるもので俺たちだって例外じゃない。お前さんも、もちろん俺も、火に対する恐怖心は持ち合わせているはずだ。だのに、人間が火を敬遠せずに生活の中に取り入れることができるのは、それに対する知識があるからに他ならない。火は確かに怖いものだが、消せるのだと知っていれば途端に有用的なものに変わる。しかし彼らはそれを知らない。だから恐れるんだよ。」
「違うか?」と男が訊ねる。
一息に喋ったことで喉が渇いたのか、後部座席に積まれたくたびれたリュックサックから水筒を取り出し、口元へと運んだ。その際、操縦が不安定になった自動車が大きく揺れたため、蓮子は一瞬肝を冷やした。
男の話は理解できるのだが、蓮子は今のところ話の全容がつかめないでいた。
男は、まだ中身が残っているであろう水筒をリュックサックに戻すのではなく、手近な足元の収納スペースへと収めた。
「未知は本当に恐ろしいものだ。しかしな、人間だけはそれに対して有効な武器を持ってるんだよ。何か分かるか?」
「うーん、……あっ!もしかしてだけど、考える力的なこと?」
「…驚いたな。なかなか鋭いやつだとは思っていたが、まさかここまでとはな…。今どきの奴は皆こうなのか、それともお前さんが特別なのか…」
先ほどまでの澄ました顔から一転して、男の表情は関心の色を見せていた。
「まぁいい。お前さんの想像通りだよ。人間にはほかの生き物とは違って想像力があり、それが未知に対する武器になっている。例えば、今となっては原理が解明されている地震や洪水といった天災は、かつては単なる自然災害ではなく神罰によるものだと考えられていた。これは、未知を未知として放置しないための一つの手法なんだ。考えてもみろ、誰一人その目で神様が天災を操ってるのを見たことがないのに、どうして信じられるってんだ。要するにだ、なんでもいいから理由付けが欲しかったのさ」
「なるほどね。なんとなく分かってきたわ。理解が及ばない現象でも、想像力があれば未知を疑似的な既知に置き換えられる。だから昔の人は天災を神の御業と見立てて、生贄や信仰を捧げることが鎮める方法だと考えたのね。解決策があれば安心できるから。…あってる?」
男が頷く。
「でも、その話でどうして私が退屈に感じるのが仕方ないってなるの?」
「簡単な話、お前さんは自分でも気が付かないうちに矛盾を抱えているのさ。さっき、お前さんは俺の狐に化かされたって発言に対してなんて言ったか覚えているか?」
その問いかけに対して、蓮子は数分前の自身の発言を思い返した。
意外にも、自身が発した台詞というのはなかなか覚えていないもので、思い出すのにほんの少し時間を要した。
「確か…メルヘンチックな考えって言ったかしら。……あっ!」
改めて自身の発言を思い返したことで、蓮子は男の言わんとすることが理解できた。そのことに男も気が付いたのか、声を上げた彼女を見て口元を釣り上げた。
「気付いたか。今の時代、狐に化かされただの神の御業がどうだのっていうのは、非現実的な理由付けなんだ。これもお前さんの言葉だが、現代はどんな現象も論理立てて説明できる。そしてその論理ってのは、科学的事実に基づいた現実的な理由付けだ。昔は後者ができなかった故に前者が認められていたが、今はそういうわけにもいかないだろ?」
「…ええ、そうね」
蓮子は肯定することしかできなかった。
彼女は確かにオカルトを求めていた。事実、今日この日だって、噂の怪奇現象に遭遇するためにこの××山へと足を運んだのだ。
しかし、男との会話の中で、ほかでもない自分自身が心の奥底ではオカルトに対して懐疑的な考えを持っていることに気が付いてしまった。
その事実は、蓮子に大きなショックを与えた。
そんな彼女の様子を知ってか知らずか、男は話を続ける。
「天災や怪奇現象について非現実的な想像をしたいのに、そのどれもが科学的に説明できるから現実的なものとして認識できてしまう。お前さんのような非現実を求める奴からしたら、退屈以外の何物でもないだろうな」
男の口調は淡々としたものではなく、どこか蓮子のことを憐れんでいるような優しげなものだった。