思えば、俺の人生の大半は怒りと呪いと使命感に満ちていたと言ってもいい。那由他を超えた歳月は俺という存在を歪に押し固めた。
大切な人を救いたいという気持ちは本当で、大切な人を殺す世界や運命に抱く殺意も本物で、救われた人たちと共に未来を歩きたいという願いも本物で、来世でも救わなくちゃいけないという強迫観念も本物で。
どれもが本当の事で偽りなどある筈もない。だからこそ俺は選ばなくてはいけなかったんだ。全ての思いを満たすべく、隙間の無い人生を歩こうともがいたこの数ヶ月は、エリカから見ると自己犠牲でしかなかった。
「どうしたケント。箸が止まってるけど考え事か?」
「あ、あぁ……悪ぃ」
屋上での一件の後、もはや恒例となった明導家での食事会……という名目で晩メシをご馳走になりながら、俺はアキナへ曖昧に返事をする。
週三日くらいの頻度で俺が材料を買ってきてアキナへ渡し、俺の分もついでに作ってもらっているわけだ。材料費に関しては
最初はアキナも負担しようとしていたのだが、その分美味いメシを食わせてくれと言って金銭は特に受け取っていない。正直なところカップ麺や惣菜、外食に頼りきりなので手料理を振舞ってくれた方が嬉しい。いつもだと食後にアキナやヒカリちゃんと軽くヴァンガードをしてから帰宅するという流れになるわけなのだが。
「考え事、と言うよりも悩み、かな」
「ケントさんが悩み事って珍しいね。いつも悩む時間も惜しいって感じでどんどん別の事に取り組んでるのに」
ヒカリちゃんの言葉に俺は苦笑するしかなかった。それはつまり、誰の目から見ても俺はやるべきタスクを抱えながら進んでいるという事だ。自己犠牲とエリカが言った事にも頷けてしまう。
頭を冷やせとタイゾウさんに言われたものの、自分一人では答えを出せそうもない。ならばここは一つ、アキナに相談するのも手だろう。食べ終わった後に少し時間を作ってほしい事をアキナへ告げると、何も聞かずに分かったと了承してくれた。
「──それで、ケントは何を悩んでいるんだ?」
食事と後片付けが終わり、一息ついたところでアキナが口を開く。ヒカリちゃんも興味があるのか、立ち去ろうとするポーズはするものの俺の様子を窺っている。
ヒカリちゃんも聞いていい事を伝えるとアキナの隣に腰を下ろす。
「悩みを話す前に聞きたいんだが、俺は生き急いでいるように見えるか?」
俺の言葉に目の前の二人は悩む素振りも無く頷いた。
「高校生活にタイゾウさんからの依頼、休日は県外どころか国外の大会巡り。これでどうして生き急いでいないって思うんだ?」
「その上で今日みたいな私達と晩ご飯を食べる時間に、勉強の時間にデッキ調整の時間もあるでしょ? いつ寝てるの?」
「手隙の時に三時間きっちり寝てるから問題ないよ」
「「もっと寝ろ」」
俺の睡眠時間はアキナとヒカリちゃんに論外だと切り捨てられた。いや三時間って結構寝てると思うんだけどな。まだ肉体的に若いから無茶もきくし。もしかしてこの考え自体が問題なのか?
「あー、その、なんだ。……実は、ちょっとエリカと喧嘩してて……」
「人生全力疾走をやめろって言われた?」
聞くまでもないとヒカリちゃんはため息交じりに言う。俺が小さく頷くとヒカリちゃんの表情が変わる。呆れ顔からエリカと同じ怒りの色が宿る。
「ケントさんは何をしたいの? いったいどうなりたいの?」
「……その答えを今、探している」
ヒカリちゃんの言葉にエリカの叫びを思い出す。そのほぼ同じ問いに俺は答えを出す事が出来ない。項垂れながら返した俺の言葉を聞いてヒカリちゃんの怒りは激しく燃えた。
「──ふざけないでよ! そんな言葉で納得出来ない! 何も考えずに早死にするかも知れない生活を続けてるのッ!?」
「……俺の生きる目的は、確かにあったんだ。大切な人を救うという誓いがあった。だけど……今は分からない。だから、日常の中で答えを探して……」
「その日常が異常だって言ってるでしょッ!!!」
怒りを通り越して憎悪すら抱きかねない勢いで叫ぶヒカリちゃんの肩に、アキナが落ち着けと言わんばかりにそっと手を置いた。
「ヒカリ。悪いけど少し部屋に戻っててくれ」
「お兄ちゃん、私はまだ──ッ!!」
「大丈夫だ。俺に任せてくれ」
アキナの力強い断言に、ヒカリちゃんは渋々とリビングから出て行った。
「なぁケント。思い返したらさ、俺達って喧嘩した事が無かったよな?」
「……いきなり何を言っているんだ」
アキナのおそろしく静かな問いに俺は困惑する。確かにアキナと意見がぶつかるような事は無かった。
過去の輪廻でも一年ちょっとの付き合いだし、あったとしても、俺がアキナのお人好しな部分に少し苦言を言う程度だったと思う。困っている人間が居れば手を伸ばさずにはいられない。そんなアキナの生き方を見て、もう少し自、分の……事を、考え、て……。
「ケント」
今まで聞いた事が無い程の冷たい声に、俺はようやく顔を上げる。瞬間、アキナは俺の胸倉を掴みながら叫んだ。
「いい加減に──ッ、目を覚ませえええぇぇッ!!!」
「グゥ──ッ!!? アキ、ナ……何を……?」
同時に頬に感じる衝撃と口の中に広がる鉄の味。アキナの握られた拳を見て、ようやくそこで殴られたのだと気が付いた。兄妹揃って同じところを殴ってくるなよ。
「今のお前は見てられない。何をやってんだよケント!」
「アキナ……ッ」
「宿命決戦の時、記憶の追体験を通して気付いた事がある。色んな事を試していたお前の記憶に、運命大戦で対峙したヒカリと話し合った場面が無かった。どうして何も話さないんだ!?」
「話、だと──?」
「ヒカリに生きてほしいと、どうして伝えなかったんだ! 言わなくても伝わるとでも思ったのかッ!? 答えろケントォ!!!」
もう一発拳を叩き込んできたアキナに俺も我慢が出来ず、同様に胸倉を掴み上げて叫んだ。
「ふざけるなアキナッ!! 病を抱えて、アキナを助けるという願いを支えに運命大戦という戦場に立つヒカリちゃんと話し合えだと!? その願いを摘み取る元凶の俺と、まともに話し合いなど成立するものかよ!!」
「一度も試さないで諦めたのか!? 運命大戦で勝っても同じ結末になるからって自棄になっていなかったって言えるのかッ!?」
「俺じゃあヒカリちゃんの生きる理由になってやれねぇんだよ!!」
ここから先はもう殴り合いだ。お互いに血を流しながら、俺とアキナは言葉を吐き続ける。正真正銘、過去の輪廻で数えても初めての大喧嘩の始まりだった。
「だから俺がヒカリちゃんの敵に! 仇になる方が良いんだよ! 生きる動機が復讐でもッ!! 俺は彼女に生きていてほしかったから!! 俺にぶつけられたヒカリちゃんからの悪意が! 殺意が! 怒りが! いつか彼女の生きる糧になると信じていたんだ!!」
「仇になる方が良い? 生きてほしいとヒカリに伝えてないなら、それはお前の思い込みでしかないだろッ!!」
「愛する家族と、兄の友人を同列にしてんじゃねぇ!! 俺は──お、れはァ!! お前みたいになれねえんだよッ!!」
たった一年交流しただけの兄の友人と、最愛の家族を救える機会など天秤に乗せるまでもないだろう。だからこそ俺は──!
「ようやく吐き出したな! それがお前の本音かケントォ!!」
「それがどうした!? 分かった風な言葉をテキトーに並べてんじゃねぇ!!」
「そりゃあお前の事は何も分からない! だけどさっきの本音で分かった事もある!」
「ハッ! だったらそのご高説をほざいてみろよアキナァッ!!!」
血が上った俺の頭に、何も知らねえくせにという言葉が一瞬過ぎる。そうだ。明導アキナは何も知らない。宿命決戦の時に俺の過去を一部追体験したと言っていたが、それだけで俺を理解出来る筈も無いだろう。だが──。
「──お前、怖かったんだろ?」
アキナの言葉が拳と共に突き刺さる。
「耐えられなかったんだろ!? ヒカリに拒絶されて、お前の力じゃどうにもならないって突き付けられるのが! だからお前は俺の──明導アキナのようになれたら助けられたって、勝手に夢を見てたんだろ!! 敵とか仇とか、それは全部ヒカリの前から逃げてる事と変わらないッ!!」
「──ワケ分かんねえ事言ってんじゃねぇぞ!!」
「怖くて! 逃げて! やれる事をしないで! 挙句の果てに、勝手な思い込みで選択肢を減らしてただけじゃないか! 同じ事を、今生ではエリカにも繰り返すのかッ!?」
「違うッ!! 俺は……ッ!」
「だったら目を逸らすな! はぐらかすな! お前は結局、いつまでも
アキナの言葉は殴られた以上に俺の頭に響いた。
「エリカと一緒に生きたいなら! 過去にしがみついたまま立ち止まってる場合じゃないだろッ!! 未来へ歩いていけないなら、お前はいずれエリカに置いて行かれるんだぞ!!」
「俺は──俺、は……っ」
あぁ、そうか。そうだったのか。俺は明導アキナのような──太陽になりたかったのか。だから助けられなかったアキナを勝手に美化して、勝手に敗北感を背負って、ただ拒絶されるのが怖くて。だから不安感がいつまでも拭えなくて、走り続けるしかなくて……。
言葉にすれば、あぁ、確かに。俺はただ誓いと旅路に逃げていただけだったんだ。俺は本当の意味でヒカリちゃんに──エリカに、手を伸ばせていなかったんだ。
「……俺は、怖い。そうだ。怖かったんだ。だからアキナを勝手に自分の理想だと祀り上げて……は、はははは──ハハハハハハハハハッ!! 情けなくて笑えてくるぜ! 何が恐れを知らない獰猛な牙だ! 何が世界の栄光を全て貪る不滅の
本当に自分の不甲斐なさが嫌になる。家族でもない俺が、ヒカリちゃんの生きる理由になるには負の理由で。それこそ俺を殺したい程の憎悪を抱いてくれれば、自分の命よりも優先してくれるのではと勝手に期待していたんだ。
俺はアキナじゃない。アキナのようにはなれない。そんな理由で、俺はヒカリちゃんと正面から向き合う事をしなかった。
だから俺は過去の輪廻における自分の弱さを克服しなければならない。そうじゃなければエリカを失う事になる。それだけは……それだけは認められないッ!
「俺はエリカを失いたくない。離したくない。彼女と一緒に、俺は生きていきたい! ……なぁアキナ、俺はエリカに手を伸ばしていいのか? 俺の思いを、願いを伝えて、傷付ける事になるかも知れないのに」
「たとえ傷付けるとしても伝えるしかないんだ! そうじゃないと何も始まらないだろッ!」
その言葉に俺は腹を括る。認めよう。情けない今の俺を。そして伝えるんだ。エリカへの思いを。そして共に歩く為に出来る事を考えていく。
「行ってこいよケント。エリカを頼んだ」
「──あぁ、任せろ親友!!」
俺は急いでアキナ達の家を飛び出し、走りながらスマホを取り出して通話をかける。
「もしもし、タイゾウさん!」
◆
──<明星エリカSide>
会社を飛び出して、無我夢中に走り続けて、気が付くと私は社員寮の前まで戻ってきていた。
『俺の事よりエリカの方は──』
走って落ち着いたかと思ったけど、ケントさんの言葉を思い出すだけでまだ怒りが沸々とわいてくる。宿命決戦の時、あの人は自分の命すら捨てて私を助けようとした。あの言葉も相まって、自分を犠牲にしていないという彼の言い分を信じる事が出来ない。
そしてケントさんが無茶なスケジュールをこなしている事も知っていた。研究生の先輩が、彼の大会成績をまとめていたからだ。週末を利用して国外の大会に参加していると初めて知った時は、呆れよりも先に危機感が募った。
彼は自分の人生を何度も繰り返している。それはこの先も変わらないだろう。そしてその一部始終を私は宿命決戦の時に垣間見ている。だからこそ思うのだ。あの異常なまでに詰め込まれたスケジュールは、来世へ向かう為の準備なんじゃないかと。
そして──彼をそうさせてしまった元凶は私だ。自分の世界を捨てて、リィエルの力で過去への跳躍を果たした。その時に私が捨ててしまった世界の末路が、今のケントさんなんだ。
「私は……ッ」
もうこれ以上彼に傷付いてほしくない。無茶をしてほしくない。彼が何を考えているのか分からない。だから彼を問い質した。彼は本当にこれからケントさん自身の為に生きてくれるのかと。やる事が終わったから、残りの人生は来世の為に生きるのかと。
だけど無茶を強行するケントさんからは、納得できる答えは出てこなかった。
「どうして、こうなっちゃったんだろ……?」
頭が回らない。今日はもう休もう。タイゾウさんにも迷惑かけちゃったな。そう考えて寮の入り口に誰かが居る事に気が付いた。
「よう、奇遇だな。少し話さないか?」
「タイゾウさん……?」
どうしてここに、そう聞くとタイゾウさんは私を探していたと言う。今日の事を謝ると、タイゾウさんは問題無いよと私を安心させるように微笑んだ。
「ケント君の事を気にしていると思ってね」
「……そうですね。自分でも言い過ぎたと思います」
「いや、そうじゃない。正直な話、君には感謝しているんだよ」
タイゾウさんから出てきた言葉は、私が考えていたものではなかった。それに、感謝とはいったいどういう事だろう。
「
「それは、昔のケントさんの話ですか?」
「あぁ。そう言えば君は以前にアーカイブを見ただけで、詳しい事は知らないんだったな」
そして話された内容は、今のケントさんからは考えられないものばかりだった。
「俺と
「確かにアーカイブ映像で見た過去のケントさんは、その……」
「過去の行いについては彼も反省しているようだから俺は何も言わないさ。だけど、当時から現在に至るまで変わらないものもある。さっき言った根本の話だ」
「……それは?」
「あいつは常に誰かを助ける為に生きている。もっと言えば自分の事を勘定に入れていない節がある。君があいつに言っていた自己犠牲の事は昔から何も変わっていない。過去の経験から無意識の中に焼き付いてしまったものだろう」
誰かを助ける為の自己犠牲。彼の旅路は明導アキナと明導ヒカリを救う為にあった。その中でほとんど同じ人生を繰り返す内に、見えないところで歪んでいったのだろう。
私が知っているケントさんは、どこまでも普通の優しい人だった。ヴァンガードだって、昔少しだけやっていたと言ってただけ。それがこの世界では自壊しながら疾走する運命への復讐者と成り果てていた。
「一時期、
「そうなんですか? アーカイブ映像で見たケントさんは、正直なところ……調子に乗っていると思われそうな態度でしたけど」
「言動は褒められたものじゃないが、助けたい人が居るんだとファイト中によくこぼしていたからね。宿命決戦の様子を見るに、熱くなるとつい口に出てしまうんだろうな」
そういう経緯もあって、昔の彼は舐められないように必死に威嚇する子供として受け入れられていたと言う。おそらくこれは
「宿命決戦でケント君の人生に一度区切りがついた筈だった。だけど彼は止まれなかった。……止める誰かが必要だったんだ」
「それが私だった、と?」
「確かに君の言葉はケント君にとって衝撃的だっただろう。だけど止めるにはもう一押しいるんじゃないかと思ってる」
直後、スマホの着信音が鳴った。タイゾウさんが懐から取り出して画面を見るとその顔にふと笑みが浮かぶ。
「噂をすれば、というやつかな。ちょっとごめんよ」
少し離れたところで通話に出るタイゾウさん。数分話した後、スマホを懐へ仕舞いながら戻って来た。
「今からケント君がこっちに来るみたいだ。どうする? 会うかい?」
「ケントさんは、その」
「吹っ切れた声をしていた。よほど効いたんだろうね」
「……分かりました。会います」
ケントさんが覚悟を決めたと言うのなら、私も自分の思いをもう一度伝えよう。私の様子を見ていたタイゾウさんは静かに笑いながら青春だねぇと呟いていた。
「タイゾウさん。さっきの、ケントさんを止める誰かの話ですけど」
「ケント君は今日、アキナ君の家にお邪魔すると言っていたからね。親友に随分と喝を入れられたんじゃないかな」
「お兄ちゃんが……」
「エリカちゃん。君も色々抱えているだろうけど、もう一度ケント君と向き合ってみてくれ」
「──はいッ!」
そしてしばらくの間タイゾウさんと話していると、ケントさんがこっちへ走ってくる姿が見えた。顔が腫れ、所々血が付いて、明らかに誰かと殴り合っていたと言わんばかりの姿。
「エリカ! 俺は──ッ!」
「話の前に止血して!!」
少量とはいえ顔から血を流しながら話をしようとする彼を止めながら、私は心の中でため息を吐いた。本当に大丈夫かな?