ニーナの敗北から1年が経過した。
危惧していた帝国による報復は散発的で、王国騎士団にあっさりと撃退された。
最高戦力を破壊されたことによる、帝国側の混乱が大きかったせいだろう。
彼女が命を落としかけたあの日を境に、学院は静寂へと傾いた。
それまで“暴れまわっていた”少女の姿も見ることがなくなった。
学院の実戦科教師であるゼム・カイロスは、今でも時折あの日を思い出す。
帝国の監視網を掻い潜り、懸命な捜査の末にようやく辿り着いた崩壊寸前の戦場。
気絶したニーナを抱えて攻撃を間一髪避け、オメガが動かなくなったのを尻目に退避。
外で念の為に待機していた、医療部隊の迅速な処置により一命は取り留めた。
しかし数ヶ月に及ぶ治療が完了した後も、かつて“最強”と呼ばれた頃の力は戻らなかった。
学院の一角、陽の光が優しく差し込む図書室に、静かに本を読む少女の姿があった。
木製の机に分厚い魔導理論の書物を置き、少女──ニーナは涼やかな顔でページをめくる。
まるで深窓の令嬢のような佇まいだった。
この姿だけ見て“あの”ニーナとは到底思えない。
「なんだか、最近のニーナは大人しい」
ニーナの学友の一人が、ぽつりとつぶやく。
「いやー、大人しいとかのレベルじゃなくて、あれはもう殆ど別人じゃない?」
もう一人が肩をすくめる。
「ん、さっきなんて中庭で編み物してた。しかも猫に膝枕までしてた」
「···それは少し見たかった」
「ん、真面目に授業受けて、先生とも普通に会話してる。誰も煽らない。魔物にも最近ちょっかい出してない」
彼女たちは違和感を感じていたが、そう悪い変化では無いから大丈夫だろう···と判断した。
穏やかな陽気のある日。
ニーナ専属メイドのエルナ・リリエが、部屋を掃除する時に一冊の厚手の日記帳を見つけた。
普段なら私物には手を出さないのだが···この時だけは何故か魔が差してしまった。
──○月△日
最近は学院と寮を往復するだけで1日が終わる。
休みの日はエルナとお茶を飲んで、本を読んだり···ずっと望んでいた平穏だけど、少し退屈。
──○月□日
あの日の夢を見た。村が燃えていた。
二度と思い出したくない。
──△月◇日
ゼム先生の端末からデータベースにアクセスして、あの日の事を調べてみた。
村を襲ったのは帝国だった。
人工スタンピードの実験として、近隣の村を対象にしていたらしい。
──△月◎日
なんで、あたしだけ生き残ったの?
誰も助けられなかったくせに
──△月··日
喋り方を変えた。
でもダメだった。
最後のページ。
──□月●日
勝手に学院を出て迷惑をかけたのに、先生もクラスのみんなも、誰もあたしを責めない。
どうでもいいのかな
──□月※日
オメガともう一度戦いたい
──□月#日
誰かあたしを否定して欲しい
私がいつも皆に言っていたみたいに
最初は意味がわからなかった。けれど読み進めるにつれ、エルナは理解してしまった。今までの行動にはニーナなりの意味があったのだと。
エルナは迷った末、その日記をニーナの親友──クレア・アステリオに見せることにした。
「これ、ニーナの?······なにこれ、どういう意味······」
クレアは愕然とし、すぐにニーナを問い詰めた。
しかし当の本人は、日記を見られたことを怒るでもなく、困惑しているような反応を見せた。
「見ちゃったんだ。恥ずかしいなあ···」
「恥ずかしいって、あなた···」
「え、何か変なこと書いてた?」
「·········」
思わず絶句した。
ニーナはこの記述の意味を自分でも理解していない。もしくは本音を吐き出せるほど、クレアを信頼していないのか。
いずれにせよ、対話を積み重ねないことには始まらないだろう。
それからもクレアは何度も、ニーナの寮部屋に通って対話を重ねた。彼女が自分を否定せずに、幸せになる道を探ろうと···。
しかし、何ヶ月も掛けて引き出した彼女の本音は···ある意味では“救いようの無い”ものだった。
「私のことなんて、どうでもいいんでしょ」
彼女が善意を拒絶していると悟った瞬間、クレアの心の中で何かが弾けた。
「ふざけないで!!」
彼女は叫んだ。
怒り、悲しみ、諦め···あらゆる感情が入り混じり、涙が溢れて止まらなかった。
そしてそれを見るニーナの瞳からは···光が消え失せていた。
やがて、クレアは決意する。
「ニーナ···私と“決闘”しなさい」
かつて最強の魔導師だった少女。
衰えた今でさえ、学院内では無敗を誇る彼女に、クレアは本気の戦闘訓練を挑んだ。
ニーナはクレアのただならぬ気迫を受け、困惑しながらも承諾した。
···運命の時が訪れる。
かつてのニーナなら空間そのものを操り、クレアの結界を瞬時に突破し、戦場を独占していた。
だが今のニーナは──
「ふっ、は···っ···やる、じゃん···」
必死に身体を動かしてクレアを迎撃する。
それでも魔力は以前よりもずっと“穏やか”で、クレアの猛攻に追い詰められていく。
フィールドの反射を使い、視界を撹乱。
重力場の逆転を利用し、魔力の鏡像を囮に突撃──オメガとの戦いを再現する動きだ。
しかしクレアの方が一枚上手だった。
(読める···全部···!)
カウンターで重力を打ち消し、魔力の流れを反転。魔術障壁を叩き割り、足元を凍結。
──ほんの僅か、隙が生まれた。
「今──!」
クレアの拳が腹部に突き刺さり、ニーナが鈍痛に呻いて整った顔を歪める。かつての“ザコ”を相手に、彼女が敗北した瞬間だった。
「う、ぅ···ッ!」
──そして。
ニーナの耳へ、クレアがそっと唇を寄せる。
「ざ〜こ♡」
にやり、と口の端を吊り上げ、嘲るように囁いた···その瞬間。
ニーナの口元も···ゆっくりと笑みに染まる。
「···っ♡ あはっ···あははっ♡」
心から嬉しそうに。
満面の、悪戯っぽい笑顔。
──かつての“メスガキ”が、そこにいた。
◆◆
その日から、ニーナとクレアの関係は逆転した。
戦闘訓練でクレアがニーナを容赦なく打ち負かし、魔法演習でも強力な術式で圧倒する。
「あれ、また負けちゃったの? ニーナ、もしかして本気出してなかったのかな?」
「うっさいっ♡ 次は絶対勝つし♡」
笑い声が弾ける。
今までよりも、少しだけ幸せそうな···
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完璧なハッピーエンド