「ハァ、ハァ、ぐ、イデェ……クソ……」
振り返る余裕もなく、後方で争うレルガノスとアルドメナスの軍が追ってこないことを祈りながら、ひたすら前に走る。
左足の出血がひどいし、わき腹も痛い。
さっき剣で吹っ飛ばされた時、肋骨でも折られたかもしれない。
(どこかで、止血しないと)
出血で体力が減り続ける中、ある程度距離を稼いだと判断してしゃがみ込み、木に背中を預けて意識を集中させる。
次第に、魔法を扱うための力の源、俺が魔力と呼んでいるものが掌に集まってくる。
次第に手のひらから白い光があふれ出した。
「……【ヘモスタシス】」
手から白い光があふれ、傷口にしみ汲むように魔力が流れていく。
しばらくすると、左足の出血が止まった。
俺の使える2つの奇跡のうちの1つ、【ヘモスタシス】。
効果は出血を止めることで、傷が治るわけではない。
逃げる途中で使えなかったのは、俺が奇跡を発動するまで、1分間集中する必要があり、その間激しい運動をすると集中が乱れるため使えないからだ。
普通なら、もっとすぐに発動できるはずなのだが、なぜだか俺が発動しようとすると時間がかかってしまう。
さっきの聖騎士も瞬時に奇跡を発動していたし、これも才能なのだろうか。
ままならないものだ。
「……どうせなら、傷を治療できる【ライトヒール】とかがよかったな」
泣き言をつぶやく。
【ライトヒール】は傷を癒すことのできる奇跡だ。
どのような奇跡が覚えられるかは運によるため、狙った奇跡を習得することは難しい。
「使えるだけ、マシか」
レルガノスでも奇跡を使えるのは10人に一人くらいの割合だった気がする。
いや、でも教会関係者は大体使えた気がするし、もう少しいるのかな……。
まあ、使えるだけ恵まれていると思うべきだろう。
「……もう少し離れよう」
ここはまだ戦場に近い。
山辺を巡回する兵たちに見つかる可能性がある。
完全に戦域から離脱するため、痛みをこらえながら、山の奥に向かって歩き始めた。
■
「生き残った……」
逃走から一日たった。
戦場から離れるため、一日走りどおしで疲れたが、ある程度距離を置いてようやく一息つけた。
「生きた心地がしなかったな」
本当に、運がよかったというべきだろう。
生き残った今でも信じられない。
だが、本当に大変なのはここからだ。
「これで俺は脱走兵か……もう街には戻れないな」
戦場から逃亡した兵は脱走兵と呼ばれ、見つかれば処罰の対象となる。
このままのこのこエルヴァまで出戻りでもしたら、普通につかまって殺されるだろう。
こっそり戻ればばなれない……なんてことはない。
当たり前の話だが、戦争中、兵士は勝手に逃亡してはいけない。
もし逃げるものが相次げば、まともに戦争などできないからだ。
そのため、逃亡者がすぐわかるように、俺を含め兵士となったものは名簿を作成され、各地で共有されている。
もし、俺がエルヴァに戻った場合、まず街のへの人の出入りを監視する衛兵に見つかり、そこで俺が戦場から勝手に帰ってきたことが発覚、その後速やかに、見せしめとして残虐な方法で処刑されるだろう。
実際、そういう感じで殺された人を、街で何人か見たことがある。
もうエルヴァに戻ることはできない。
「……どうするかな」
つい衝動的に逃げてきてしまったが、先のことなど全く考えていなかった。
とにかく、あの時は逃げることで頭がいっぱいだった。
……これから、どこに行こうか。
「……とりあえず、レルガノスから出るか」
また戦争に巻き込まれるのはごめんだし、そもそも一度脱走兵になってしまった以上、この国では生きづらい。
国を出るとなると、ここから一番近い国は……。
「アルドメナス……いや、無理だろ」
敵国の人間がのこのこ出向いて行っても、殺される気しかしない。
「東に行くのも……無理だな」
東にはいくつかの公国が存在するが、ほとんどがアルドメナスの属国なので、実質アルドメナスの領土みたいなものだ。
そもそも、背の高い山脈によって隔たれているので、身一つで向かうのは現実的じゃない。
「南のイズル国は……難しいだろうな」
南に行けばアゾル湖という巨大湖を挟んでイズル共和国という国もあるが、そこは船に乗らないといけない。
乗船には金がかかるし、俺には金がないので、やっぱり向かうのは難しいだろう。
「となると、西にあるロズカルあたりか」
レルガノス王国の西に位置する国、ロズカル王国。
この国もアルドメナスと戦争中だと聞いたことがあるが、レルガノスほど追い込まれているという話は聞いていない。
よし、とりあえずロズカルを目指そう。
それから仕事でも探して、また働けばいい。
……これまでと同じように?
「……そういえば、こうやってこれからどうするかを自分で考えるの、初めてだな」
思えば、これまで自分の生き方を、自分で決めたことなんてなかった。
親父に言われるがまま仕事して、戦争のために徴兵されて……そこに俺の意思は介在していない。
だから、これが初めてのことだ。
自分の意思で、自由に、生き方を決めるというのは。
「……いや、初めては戦場から逃げ出す選択をしたときか?……まぁ、どっちでもいいか」
初めての自由。
だが、俺はその自由を手にした今、戸惑っていた。
どうしたらいいかわからない。
夢や目標、人生の指針、そういったものは持っていなかったから。
なので、改めて少し考えようとして……。
「……そういや、今はそれどころじゃなかったな」
そもそも、ロズカルに行くとしても、1,2日で行ける距離ではない。
街にも入れない以上、食料の確保も、現地調達で自給自足するしかない。
だが、俺にこんな山の中で生活した経験などない。
そもそも、エルヴァから遠く離れたことも、今回の徴兵でオルドール城塞まで来たのが初めてだ。
もちろん、こうして山の中に入ったのも初めてである。
当然、自給自足などの経験もないし、できる自信も全くない。全然このまま飢え死にする可能性がある。
というか、すでに空腹感がすごい。
昨日は、戦場に出てからそのまま逃げて走りどおしで、何も食べていないのだ。
これからのことを考える前に、今日生きることを考えないといけない。
「一応乾パンは持ってきてるけど。他の食料も確保しないとな」
ズボンのポケットに入った乾パンは大した量はなく、腹を満たすほどではない。
こんなもの、すぐに尽きてしまうだろう。
俺は食料を探して山の中を歩いた。
■
山の中を西に向かってひたすら歩く。
道中も気は抜けない。
食えそうな植物や果物はないか探しながら、危険な野生動物、盗賊などがいないかを常に警戒しながら歩く。
(さすがにこんな人気のない山奥に盗賊はいないか……いや、山にいるなら山賊か?)
大体は人通りのある街道とか、辺鄙な村の近くにいそうだが、それでも警戒するに越したことはないだろう。
もしかしたら俺のように戦場から逃れたやつらもいるかもしれない。
今の俺は一人だ。
集団に襲われたら死ぬ。
集団でなくても、俺なんて大した力を持っていないし、怪我しても治療は難しい。
会敵することは、死に直結すると思っていいだろう。
注意しながら歩いていると、何者かの足跡を見つけた。
少しぬかるんだ地面に、くっきり残っている。
多分、最近ついた足跡……のような気がする。
数は一人分だけだ。
(俺と同じで逃げてきた逃亡兵か?)
さて、どうするか。
接触を避けてこの場を離れるか、それともこの足跡の主を確認するため追跡するか。
(安全を考えるなら離れるべきか?でも、同じ逃亡兵なら運がよければ協力できるかもしれない。向こうはこちらに気づいていないはずだし、行ってみるか)
行動を共にする人間が欲しいのは事実だ。
特に寝ている間は無防備になるため、見張りとして仲間が一人ほしい。
警戒しながら足跡を辿る。
しばらく進むと、何者かが木に寄りかかって座り込んでいた。
周囲にほかの人影もない。
どうやら一人のようだ。
(……死んではいないな。意識はあるのか?)
灰色と黒の混じった髪をした若い青年だ。
俺と同じくらいの年に見える。
腰に帯剣しており、ぼろぼろの革鎧を着ていた。
レルガノスの兵の装備ではなさそうだ……てことは、アルドメナスの兵か。
敵対国の兵だし、相手の反応によってはすぐ逃げる必要があるかもしれない。
(あの髪、ファマル人のハーフか?)
多分、ファマル人と別の人種のハーフだろう。
ファマル人はアルドメナス帝国に多い人種で、髪が白っぽく、魔術が得意という特徴がある。
灰色と黒の髪が混じっているは、おそらくハーフだからだろう。
相手は座り込んでおり、時節、苦し気な声を出している。
呼吸も荒く、正常な状態ではないようだ。
(負傷しているのか?)
俺は回復の奇跡が使えないし、重症なら助けることはできない。
「おい、起きてるか?」
姿を隠しながら声をかける。
「………だれ、ですか」
間を開けて、かすれた声が聞こえた。
まだ返事ができるくらいの体力はあるようだな。
だが、だいぶ衰弱していそうだ。
「お前、アルドメナスの兵か。こんなところで何をしている」
「……あなたこそ、こんな山奥に何しに来たんですか」
「逃げてきた、戦争から」
「……僕もですよ。お互い、逃亡兵ですか」
なんと、お互い逃亡兵だったらしい。
「そうか、お前もか。でも、そっちはずいぶんてこずったようだな」
わき腹から出血した後が見える。
顔色も青白い。
見るからに瀕死だ。
(こんな場所で、この傷で一人か。仲間もいなさそうだし、危険はないか?)
俺は少し警戒を解いて、青年に姿を現した。
姿を現した俺と青年の視線が合う。
こいつ、よく見たら割と容姿も整ってるし、結構イケメンだな。
「あなた、レクト人ですよね」
レクト人はレルガノスに多い人種で、奇跡を扱うのが上手く、強力な奇跡を扱えるものは瞳が緑に近い色になるという特徴がある。
そしてレルガノスに生まれた俺もレクト人だ。
「よく気が付いたな」
「瞳が緑ですから」
「そうか? 黄色っぽいって言われたことはあるけどな」
「僕からすれば十分緑っぽいですよ。……回復の奇跡とかで、助けてくれないですか?」
どうやら奇跡での治療を期待しているようだが、残念ながら使えない。。
俺は内心を隠しながら話を続ける。
「お前を助けて俺になんの得がある」
「僕は、魔術が使えます。少しはお役に……」
「え、お前、魔術が使えるのか?」
俺はすぐに食いついた。
俺はこれまで、独学で魔術を学んできたが、アルドメナスの魔術知識があれば、もっといろいろ便利に使えるようになるかもしれない。
逃す手はない。
「え、は、はい。一応使えますが」
「よし、助けてやろう。その代わり、俺に魔術を教えてくれ」
「え、え? そ、それは構いませんが……」
「ちょっと待ってろ、止血する」
奇跡を行使するため集中する。
そして一分経過し、奇跡が発動した。
「……【ヘモスタシス】」
「……【ライトヒール】とかじゃ、ないんですね」
「悪いな、覚えてないんだ。でもこれで死ぬことは無いだろ。ほら、水と食料だ」
「あ、ありがとうございます」
俺は押し付けるように水と乾パンを渡した。
回復の奇跡が使えない以上、傷の治りはこいつ自身の体力と再生力だよりになる。
しばらくは負傷で動けなさそうだし、その間は俺が食料調達とかしてこいつを生かす必要があるだろう。
頼むから死んでくれるなよ。
「自己紹介がまだだったな。俺はヴェロだ」
「……僕はエドです。助けていただきありがとうございます」
「いいさ。俺も仲間が欲しかったところだ。協力してくれるんだろ?」
「ええ。……きっとお役に立ちますよ」
こうしてエドが仲間になった。
ファマル人
毛の色素が薄くアルビノの者も多い。
美形が多い。
魔術が得意。