昔々、海の向こうの遠い国に二人の立派な魔術師がいた。
一人は星を見て、人を愛で、世界を好いた。
一人は影を見て、人を疎み、世界を憎んだ。
やがて、魔術師の一人は門を開き世界の裏あるいは地下にあるという異界に居を構え世にも恐ろしい魔物を造り始めたという。
そして、魔術師と魔物は
故に、魔術師の一人は鎧を造り戦った。
白く、清らかな、天使のような鎧だったという。
魔術師と鎧は戦った。
守るために、救うために、止めるために。
百を超える朝と夜を経て、悪い魔術師は討たれたという。
善い魔術師は異界へと通じる門を閉じ、この世界のどこかに塔を建て何時までも何時までも再び魔物たちが目覚めることのないように門と世界を見守ることにしたのでした。
めでたし、めでたし。
※
四月。新たな始まりの季節。
来るもの、去るもの、進むものと人も事柄も慌ただしく移り変わる時季。
それはこの地方都市・千夜宮も例外ではない。
「フットサル部員募集中でーす!」
「動画編集サークル! 初心者大歓迎! 一緒にインフルエンサーになりませんかぁ!」
「押忍! 漫画格闘技研究会ッス! あの日憧れたあの技を現実に繰り出したくねえかあ!!」
ここ千夜宮学園大学のキャンパスでも本年度の新入生の通常講義が開始され始め、在籍する先輩学生たちによる勧誘などで朝早くから賑やかな声が飛び交っていた。
「ねえキミ、スタイル良いね。何かスポーツやってたでしょ?」
「俺らテニスサークルなんだけど、一緒にやろうよ」
「え、いえ……そんな特には……」
「ホントぉ? そんな良い身体していてもったいないよ! 道具も貸してあげるから、入ってよ。手取り足とり教えてあげるからさぁ」
複数棟ある校舎を繋ぐ渡り廊下の下。
人通りの少ない場所でも数名の男子学生によってやや強引な勧誘が行われていた。
「ごめんなさい。講義のあとにはバイトもしたいので部活やサークルに入ることは考えてなくて……」
「いやいや! バイトなんて大学出た後でもいくらでもできるじゃん!」
「もったいないよ! 女子大生ライフ楽しまないとさあ!」
「お気持ちは嬉しいですけど……いまはちょっと。あぁ、もうすぐ講義が……」
見ず知らずの男たちに囲まれて困惑しながらも、初々しい新入生の女学生は自分の意思を伝えた。しかし、嘆かわしいことだが当初より下心を抱く不真面目な男子学生たちは聴く耳を持たない。
「あの」
埒が明かない問答に女学生の顔が曇り出した時だった。
囲みの外から第三者の声が投げかけられた。
「なんだよ? いま大事な勧誘中なんだけ……ど!?」
「もうすぐ一時限目が始まる時間だ……行かせてあげたらどう?」
恫喝するような剣幕で髪を派手に染めた男子学生が振り返るが飛び込んできた光景に思わず言葉に詰まってしまう。
いつの間にか、音もなく背の高い学生がすぐ後ろに立って鋭い目つきでこちらを見ていたのだ。
長い黒髪を無造作にポニーテールで纏めた凛々しくまるで猟犬のような雰囲気の学生だ。
白いシャツに黒のベストとジーンズというラフな格好だが大きく突き出た胸の膨らみがその大学生が女性であることを示していた。
「お前には関係――」
「……それに無理強いはよくない」
「ねえだろ。…………ゥス」
急に現れた部外者を追い払おうと語気を強めた派手髪の男だったが静かに寸分違わずこちらを睨む紺碧の瞳に威圧されて押し黙ってしまう。
群がる男たちが腕ずくという手段を諦めざるを得ないぐらいにこの女学生の放つ圧には凄みがあったのだ。
やがて仲間の学生もこれ以上は分が悪いと観念したのかバツの悪そうな顔で立ち去って行った。
「えと……大丈夫?」
「は、はい! ありがとうございました」
「気にしなくて良い。恩返しをしただけだ」
自称テニスサークルの男たちの姿が見えなくなってから、背の高い女学生は新入生に戸惑いがちに声を掛けた。恐縮して頭を下げて礼を言う彼女だったが続けて言われた言葉に顔をきょとりとしてしまう。
「へ?」
「昨日、学生会館のコンビニで残り一つだったメモ帳を譲ってくれただろう。お陰であの後助かった」
「あ」
「……名前。
説明を受けて、ようやく身に覚えのある出来事と合点のいった新入生はもう一度ぎこちなくルキノに頭を下げた。
「そうだ。もし良かったら君の名前――」
「やば! 時間が! 詩暮先輩ホントにありがとうございました! それじゃあ!!」
ルキノの言葉を遮って、新入生は高校時代に陸上部で鍛えた健脚を活かして遅刻を回避すべく走りさって行ってしまった。
「ああ…………それじゃ」
あっという間に小さくなっていく背中を見送りながらルキノは力なく手を振り、そして哀愁深く背中を丸めて溜息をついた。
また新しい友人を作るのに失敗してしまったと。
「はぁ……またダメだった」
詩暮ルキノ。
大学二年生。
大柄で凛々しいルックスも相まって学内では同性の学生からの人気も密かに高くはあるがその実、本人は口下手かつ外見から来る勝手なイメージが独り歩きした結果親しい友人が無いに等しい寂しいキャンパスライフを強いられていた。
※
その後、黙々と一人で2コマの講義を受け終えたルキノは食堂にて昼食を摂っていた。一年間の間にすっかり定位置となったカウンターに近い隅っこの四人掛けテーブルに腰を下ろして、学食で一番安い330円のハヤシライス(カレーライスも選べる)をパクつく。
(一年、あっという間だったな……)
スプーンを止めて、ふと去年を思い返す。
思えば故郷の片田舎を飛び出して夢の一人暮らし、華の大学生活と期待に胸を膨らませていたのが嘘のような一年間だった。
慣れない環境と慌ただしく未知の学業にてんてこ舞い。おまけに右も左も分からない知らない街で生活費を稼ぐためのアルバイトと、人並みに生活するために必死になっていたら新天地での友達を作るのを忘れていたとなんともお粗末な現状がいまだ。
(去年の春に勇気を出して誰かに友達にならないかって言えていたら……違ったのかな)
新しい環境と言え最初の一週間ないし一カ月ほどで人間関係は自然と構築されていく。
気が付けばみんな同じスタートラインに立っていたはずなのにルキノが暮らしに余裕が持てた頃には周囲には既にそれぞれに交流グループが出来上がっていた。
生来口下手で不器用なルキノに単身で完成された集団の中に割り込み居場所を得るようなコミュニケーション能力はない。
加えてその見た目が妙な作用をもたらして、やれ武術の達人で地元で不良十人を病院送りにしただの、やれ富豪と交際しているだの、人には言えない裏の顔があるだの根の葉もない噂が飛び交ってますます詩暮ルキノという人間は近寄りがたい存在へと昇華していったのだ。
(まあ、嫌がらせを受けているわけとか困ってないしいいのか……それに)
「お疲れさん。ここ座るぞ」
諦観にも似た結論をつけて、食事を再開すると背後から聞き慣れた声がした。ほどなしくして日替わりランチのプレートを片手に自分の向かいの席に一人の男子学生が腰を下ろした。
「やあ。佐久間は昼から講義?」
「ああ。昨夜は新番組のチェックに動画の新作投稿も多くて寝るのが遅かったから助かった」
短い髪を茶髪に染めた垢抜けた男子学生。
佐久間健介。ルキノにとって唯一、この大学で友人と呼べる間柄の青年だ。
と言っても彼は同郷出身で小中学校の同級生だった頃の付き合いなので厳密に言えば大学で出来た友達ではない。けれど、彼女にとって健介の存在は貴重であるのは確かだった。
「面白そうなアニメはあったの?」
「まだ判断は出せないな。とりあえず三話までは見なくては……」
見た目は爽やか男子な健介であるが実態は二次元からオカルト、B級映画まで手広く愛好する生粋のオタクだ。しかし、社交性に富んいるので所謂陽キャと属される人間たちとも問題なく円滑に交遊関係を築くことが出来るタイプだ。
そんな彼は彼で自分の本性を隠す必要のないルキノは得難い友人として思っているのか常日頃一緒にいて行動を共にするわけではないがこうして時間があればよく顔を出して他愛のない会話をする間柄であるのだ。
「それよりも面白い噂を聞いてそっちに興味が向いているのが現状だ。詩暮は近頃夜に現れる騎士の噂を聞いたことがあるか?」
「なに、それ?」
「この千夜宮の真夜中に出るらしい。人間を襲う怪物とそれを追って退治する天使のような白い鎧騎士が……まさか自分の暮らす街でそんな怪事件が起きようとは僥倖だよまさに」
初めて遊園地に連れて行ってもらった幼子のように目を輝かせて熱く語る健介にルキノは苦笑しながら「危ないことはしちゃダメだよ」と注意を促した。
彼には悪いがそんな現実味のない怪談の類で大切な友人が怪我などするほうがルキノには怖かった。
「分かっている。無茶はしない……少し夜の散歩を増やすかもしれないが」
「不審者用の防犯ブザーを貸してあげようか?」
「よせ。大丈夫だ。詩暮が考えている様なバカなことはしない。しないから母親のような目で俺を見るな」
「なら、良い」
ルキノの目力は昔馴染みの健介にも有効のようだった。
たじたじになって忠告を受け取った様子の彼に満足して、ルキノは最後の数口を味わってハヤシライスを食べ終える。
「もしかしたら件の騎士は仮面ライダーの一種かもしれないな。考察スレに書き込んで議論してみるのも悪くない」
「む……また新しいのが出てきた。なにそれ」
「古い都市伝説さ。半世紀も前から全国あちこちで色んな噂や伝承がある」
前置きを入れて健介が教えてくれた都市伝説は幽霊とも怪物とも定かではないが仮面で素顔を隠したバイク乗りが超常的な力で巨悪を倒すという怪談とも少し趣が違う空想奇譚だった。年代や地方で話には差異があって、バイクの代わりに馬に乗っていたり、鏡の中で姿を見せたり、古代から蘇ったバージョンもあるらしい。
「俺の心配をしてくれるのはありがたいが詩暮も夜道は気を付けろよ。バイト、新しいところに変えたんだろう?」
「うん。まあね」
「大変か?」
「……まだミスが多くて叱られることばかりだけど、楽しいよ」
バイト先に迷惑をかけてしまっている罪悪感からから、素直にとはいかないがルキノは凛々しい顔を緩めてあどけない微笑みを浮かべて答えた。
それから楽しい雑談をぽつりぽつりと交わしながら食事を終えた二人は午後からの講義が違うこともありその場で解散して、そのまま本日のキャンパスライフをつつがなく終えた。
そして、ルキノはというと足早に敷地内の駐輪場へ向かうと愛用の自転車に跨り、一駅程離れた距離にあるお気に入りのアルバイト先へと向かっていった。
※
カフェ&パブ・アレグリア
中世ヨーロッパの酒場風の内装と気取らない家庭料理を中心としたメニューが揃っているこの店は今日もそれなりの客入りだ。
「ミートボールスパゲッティのお客様。お待たせ致しました」
「ルッキーちゃーん! こっちにピラフとフィッシュ&チップスお願いね! あとビールおかわり!」
「はい! ただいまー!」
旧い映画に出てくるような荒くれ者たちの代わりに店のテーブルを埋める仕事終わりのサラリーマンたちにせっせと応対しているのはスカートの丈こそ短いが正統派なメイド服調の紺色の制服を着たルキノだった。
胸元のネームプレートにはお客たちが先程から呼んでいる専用のあだ名が書かれている。
安酒と値段の割に量があり味もそこそこな料理と並んで男性客が目抜き通りからは外れた場所で営まれているこの店に流れてくる理由が
メイド喫茶という専門店へ行くのは気が引けるような者たちにとっては見目美しい女性がこれまた日常離れした華やかな衣装で接客してくれる状況に日々の過酷な労働や世知辛い社会に疲れた者たちは束の間の癒しを得ようと言う魂胆だ。
「ルッキー! 今日は俺ふざけた納期で注文してきたクソお得意様に負けずに製品作り切ってきたよー! 五日間の四時間残業乗り越えてきたよー! 褒めて!!」
「ぁ、うん……え、えらい。がんばった」
当然、酒を扱う飲食店である以上は酔客の相手も避けては通れない。
目に深い隈を作って半泣きですがる男に対してルキノはスカートを片手で抑えながらしゃがむと目線を合わせて労いの言葉を贈る。
「おーいルッキー! 3番テーブルの注文上がったから頼むよ!」
「は、はい! じゃ、じゃあ……ゆっくり食べて、元気つけていってください。ご主人さま」
「おおおおおん! ありがとおおおおおおおお!!」
狙い澄ましたように出された店長からの助け船に飛び乗って酔客の傍から離れて再び配膳と注文を懸命にこなしていくルキノ。
面倒な酔客たちの相手にうんざりしているかと思いきや額に汗を滲ませながらバイトに勤しむ彼女の顔は忙しくも満足そうだった。
(大変だけと、やっぱりこんな可愛い服を胸を張って着れるのは嬉しいな。見苦しいかもしれないけど、お仕事だから着なきゃだもんね)
夜闇に染まり鏡のように店内を映す窓ガラスに映り込む制服姿の自分を見てルキノは小さく、けれどとても満足そうに口元を緩めていた。
実はルキノは平時からマニッシュな衣服を愛用しているのとは裏腹に本心ではガーリーなファッションをしてみたいと密かな願望があったのだ。
(足元がスースーするこの感覚。まだ慣れないけど良いなぁ! 子供の頃に近所の川で水遊びした時よりずっと涼しくてなんだか嬉しくなるみたいだ)
けれど田舎で過ごした少女時代はとことん女の子らしい服とは縁がなかった。
中学まではジャージ登校でスカートはおろかセーラー服とも無縁の日々。高校に進学した際は何の因果か彼女たちの学期生から私服登校が認められたことで祖父母と兄との四人暮らしだったルキノは金銭的な事情もあり兄のお古の男物の服を着て過ごすことが定着してしまい現在に至ってしまっていた。
そのため、誰がけなしたわけでもないがルキノは自分に女性らしいファッションは似合わないというネガティブな先入観を抱いてしまっていたわけだ。
(よし……今日は注文ミスもしてないし、食器も割らずに順調だ。がんばれ私)
そういう事情があるので正当な理由の下で堂々とスカート込みで可憐な服を着て働くことが出来るいまのバイトにとても充実感を覚えていたというわけだ。
しかしながら、決して世渡り上手でも何でもそつなくこなせる器用な人間ではないので採用されて一ヶ月半になろうとするいまも大小のミスがまだ目立つのも事実だ。
「あ! おいルッキー! それ6番テーブルの料理だぞ!」
「え!? わっ! すみま……グエッ!」
料理の運び間違いを指摘されて動揺した彼女はカウンターテーブルの角に思い切り脇腹を強打して、カエルが潰れたような情けない悲鳴を上げて悶絶した。(辛うじて手に持った皿は落とさなかった)
※
時刻は20時を少し過ぎた頃。
珍しくラストオーダー前に店内から客が全員帰ってしまった頃合い。
「さっきのアレはなんですかルキノさぁん」
「ひゃい!?」
滑り込みの来店に備えてルキノがテーブルを拭き直しているといきなり誰かが後ろから左の尻たぶを鷲づかみにしながら声を掛けてきた。
「前にも言ったでしょう。慌てなくて良いからオーダーとテーブル番号をしっかり確認してから運びなさいと」
「ごめんなさい亜子さん!!」
ルキノを叱責したのはバイトの先輩でホールと厨房の両方を兼務する九条亜子だった。
灰髪のセミロングに切れ長の涼しげな目元の美人だが見るからに仕事にうるさそうな謹厳な雰囲気を帯びている。メイド歴15年を誇るベテラン店員だ。
「それに忙しくなるとまだ足音が騒がしくなっているわよ。お尻が大きくて重いのかしら?」
「ち、ちがいます」
「あと、今日は特にだけど振り向く時の動作が大きすぎるから気をつけなさい。胸でお客様を殴り飛ばさないかヒヤヒヤしたわ」
「すみません」
怒鳴られるわけではないが針でチクチクと刺されるような手厳しい先輩からのお叱りにルキノは縮こまって平謝りを繰り返す。セクハラめいた叱咤とも思えなくもないが全部ルキノ本人にも自覚があるので何一つ言い返すことが出来ない。
「まーまーそれぐらいにしてやんなよ亜子ちゃん! 君の指導の賜物でルキノちゃんも入ったばかりの時と比べたら十分戦力になってくれてんだからさあ! ねえ?」
亜子の注意は次第に熱が入り、身振り手振りなどが出始めて来客が無ければこのまま接客の特訓が始まりそうな空気になったところでこの店の主が止めに入ってきた。
坊主頭を赤く染めたファンキーでラテン系の風体の男。
白石万治郎がこのカフェ&パブ・アレグリアのオーナー兼料理長だ。
「失礼しました。ルキノさんもごめんなさいね。少し熱くなりすぎたわ」
「い、いえ……ご指導ありがとうございます」
結局その後、来客は誰も訪れずアレグリアは無事にこの日の営業を終えることが出来た。
「お先に失礼します。そうだルキノさん……」
「は、はいっ」
「まだまだ課題だらけだけど、今日は配膳下膳の時に食器落とさなかったし、酔ったお客様への対応も悪くなかったわ」
「っ……ありがとうございます!」
「励みなさい。それじゃあね」
「そいじゃルキノちゃん、いつもみたく使って良い食材は出しといたから後片付けと戸締りよろしくねーん!」
「はい。お疲れさまでした店長」
「亜子ちゃんに言われたことあんまり気にしちゃダメよん。アイツ、ルキノちゃんが根性見せて食いついてくるから無自覚に浮かれてんのよ。たぶん」
「……ありがとうございます。おやすみなさい」
店を後にする二人を見送るとルキノは静まり返った誰もいない店内にまるで労いと感謝をするように一礼をすると「よし」と小さく気合を入れて一人で清掃を始め出した。
※
「あれ……?」
チクタク、チクタクと壁掛け時計の音だけが単調に響く店内をあらかた掃除し終えたルキノがふと窓の外を見ると奇妙なものが見えた。黒くてとんがった角のような何かが窓の下から見切れるように映っている。
「なんだろう?」
しばらく眺めても動かないそれが気になったルキノは念のために掃除用のモップを持ったまま入口のドアを開けて外の様子を窺った。
「……女の子?」
「ん」
顔だけ出して黒い角のようなものが見えた方向を見ればそこには大きな三角帽子を被った中学生ほどの年頃に見える少女が座りこんで夜空を眺めていた。
無意識に言葉を漏らしてしまったことで少女の方もルキノに気付く。深い蒼紫色の美しい髪を長く伸ばした気品のある顔立ちの美少女はゆっくりとこちらに顔を向けて、澄ました笑みを見せた。
「こ、こんばんは……?」
「おや、まだ店の者がいたのか? 邪魔、だったか?」
「いや! そんなことはないよ……あの、どうしたの? お腹でも痛いの?」
少し選んだ言葉が幼い子供向け過ぎただろうかと内心で後悔するルキノを尻目に帽子の少女はしばし黙考して純白のシャツに包まれた自分の腹を擦るとにやりと笑う。
「そうさな。痛みはしないが空っぽでこのままでは行き倒れといったところかしら」
「お金……持ってる?」
「世知辛いものだな。住処にある指輪なり
つまりは持っていないというわけかとルキノは勝手に解釈すると改めて帽子の少女を一瞥した。美少女なのは既に承知だがその顔立ちは恐らくは西洋人のそれに近い。その割に達者で古めかしさを感じる日本語を使いこなす様子はなんとも不思議なものだった。
(コスプレなのかな? でも中学生ならもう補導されちゃう時間だよね? 迷子、家出? うーん……)
恰好も嫌でも目につくアンティークめいた大きな黒い三角帽子と対に作られたような、ゆったりとしたローブを羽織っている。そして、ローブの左胸に付けられた青薔薇のコサージュ。造花とは思えないほど精巧で少女の儚げな美しさを際立たせている。まるで絵本から飛び出してきた魔法使いのような身なりではないか。
「あの、さ……これから先のこと内緒にできるかな?」
「ふむ?」
「とりあえず、中においで」
どうしたものかとよく悩み、よく迷ったがそれでも話しかけた以上は放っておけないと感じたルキノは戸惑いがちに少女に右手を差し伸べた。
少女は最初きょとんとするがすぐにルキノの意図を察して迷うことなく彼女の手を握り立ち上がる。夜風に晒されたせいか少女の手は氷のように冷え切っていた。
※
「とりあえずカウンター席に座ってて」
「すまぬの」
「食べれないものってある? その、アレルギーとか?」
「特にない。シナモンが効いたアップルパイなどは作れるか」
「……その、材料もないし、時間も掛るからオムライスとかでも良い?」
「好いぞ。それにワタシも施されるものとして分を弁えよう」
「あ、ありがと」
どちらが年長者なのか分からなくなるやり取りを交えながらルキノは店のバックヤードにある厨房へと向かった。
アレグリアの厨房の調理台には卵や半端に残った野菜などの食材が置きっぱなしにされていた。
これは万治郎からルキノに賄いの代わりに提供された廃棄寸前のものだ。
どうせ店の料理として提供することも出来ずに捨てるぐらいならば自由に使って消費してくれと言うルキノにとってもありがたい厚意の品々だ。
「すぐに作るからちょっと待っててね!」
カウンターにちょこんと座る彼女に聞こえるように珍しく大きな声を出してから、ルキノは腕をまくって気合を入れると神妙な面持ちで並ぶ食材に退治する。
「大丈夫。オムライスなら、初めてじゃないし、ちゃんと作れる。うん。私はできる」
まるで自分に暗示を掛けるようにブツブツと呟きながらルキノは材料を確認していく。彼女の名誉のために言っておくが別にルキノは料理下手ではない。家事は一通り人並みにこなせる。
ただし、急遽初対面の少女に手料理を振舞うことになってしまった状況に緊張しているのと見たところ困った事情を抱えているであろう名も知れぬ帽子の少女に少しでも元気を与えてあげたいという親切心からちょっとでも美味しいものを作らねばと必要以上に意気込んでしまい却って動きがぎこちなくなってしまっているのがいまの彼女だ。
「よし……やるぞ」
そう言ってルキノは
市販の徳用ミックスベジタブルは残り僅かしかないのでまずは野菜を切っていく。
ニンジン、ピーマン、玉ねぎと細かく刻んだらバターを敷いたフライパンでじっくりと炒めて、その間にお肉の準備。
今夜は余ったソーセージとちょっと豪華にベーコンもあるので食べやすいサイズにカットして、余裕のあるうちに卵も溶いておいて…………やがて、夜の静けさに包まれて熱気を失っていたアレグリアに再び美味しそうな香りが漂い始めていった。
一方、カウンター席に招かれて料理が出来上がるのを待っていた帽子の少女は最初は店内を物珍しそうに見回していたがやがてそれにも飽きたのかローブのポケットから一冊の古びた本を取り出すと優美な所作で読み出した。
本の内容は定かではなく、読み進める少女の顔も喜怒哀楽は失せているようで、店内には時計の針音と時折聞こえる頁をめくる音が二重奏を奏でている。
「お待ちどうさま」
「ん」
「どうぞ、召し上がれ。たぶん、不味くはないと思う」
すると少し疲れた顔色をしたルキノがあたたかな湯気を浮かべるオムライスを運んで持ってきた。
「お前さまの分は?」
「え、ああ。これから持ってくるよ。一緒に食べても?」
「当然じゃろ。お前さまは施してくれた側……もっと胸を張って、偉そうにする権利もある」
「なんだか君と話していると実感が湧かないよ」
「リィズと呼べ」
最近の十代の女の子はこういう感じが流行りなのかなと妙な考察をして苦笑するルキノに少女は帽子を取って隣の椅子に置くとポツリと言う。
「うん?」
「何時までも名無し相手では苦労するだろう? リィズ・ナイトウォーカーという」
「そっか。良い名前だねリィズちゃん」
「ちゃんはいらぬ。もっと気安く呼び捨てでいい」
「そう? 分かった」
「誰かと一緒の食事は美味い。で、あるなら余計な堅苦しさや緊張は取り払うに限る」
「はは。たしかに」
「で、お前さまは?」
「ルキノ。詩暮ルキノって言うんだ」
「うむ。覚えたぞルキノ。それから、ありがとう」
「……どういたしまして」
リィズの感謝の言葉にしばし呆けてしまったルキノであったが噛み締めるように微笑むと自分の分のオムライスの皿を手に彼女の隣に腰を下ろす。
こうして、静かな夜にルキノとリィズ。
お互い知らないことだらけの二人のささやかな食事会が始まった。
「美味いな。好きな味だ。もっと食べれないのが惜しいぐらいに……あむ、美味い」
「たはは……どうも。あの、おかわり作れなくてなんかごめんね」
「謝る必要はない。そこは厚かましいぞと言ってやるところだぞルキノよ」
「はあ……」
じゃあ、わざわざそんな気まずくなるようなコメント言わなきゃいいのに。というもっともな言い分を呑み込んでルキノも兎に角は今日の夕食をしっかりと堪能しようとスプーンを口に運ぶ。悪くない出来だと口に広がる旨味に頬を綻ばせる。
「ところでリィズ、気を悪くしたらごめんなんだけど……その、家出中とかそういうの?」
「だったらお前さまはどうする気だ?」
「……君にも事情はあるだろうから、無理やり家に連れていくとか警察呼ぶとかはしないよ。本当はそれが正しいのかもしれないけど」
ルキノはスプーンを置いて、姿勢を正してきちんとリィズの方を向くと一拍置いて続きける。
「でも、君を一人のままで放っておきたくはないよ。ご両親か心配してる人が居るなら尚更……」
「奇特な女だな、お前さまは……いや、少し意地悪が過ぎた。別に家を飛び出した不良娘というわけじゃないさ」
「じゃあ何をしてたの?」
「ちょっと探し物をしていた」
余程ルキノの作ったオムライスが気に入っていたのかあっという間に食べ終えていたリィズは短く答えて席を立つと帽子を被った。そのまま彼女は気まぐれな猫のように入口へと歩き出すがふとルキノの手元が視界に入ると不自然に足を止めた。
「お前さま……ご馳走になっておいて不躾かと思うが実は炊事は不得手か?」
「へ? 急になに?」
「手」
いきなり脈絡のないことを言われて戸惑うルキノに対してリィズはやれやれと大きなため息を吐きながら彼女の手元を指さす。ルキノの指先には調理中に切ったのか絆創膏が巻かれていた。他にも火傷でもしたのか赤くなっている場所もあった。
「あー……その、自分用の夕ご飯ならいざ知らず、人様に食べてもらう物ならちゃんと作らなきゃって気負ったらちょっとドジしちゃった。大丈夫、カッコ悪いけどよくやるんだ」
「皿は洗う。場所を教えるといい」
照れ臭そうに両手を後ろに隠すルキノに急に踝を返してリィズはそんなことを言い出した。
最初は気にしなくていいと丁重に断ろうとしたルキノだったが「代金の代わり」と譲らないリィズに押し切られて結局自分の分の皿はおろかフライパンなども洗ってもらうことになった。
「世話になったな。美味しかったぞ」
「うん。あの……」
「そんな顔をするな。どっちが夜の迷い子が分からないではないか」
手を怪我した自分を気遣って後片付けをやり終えたリィズは今度こそアレグリアを立ち去ろうとしていた。
結局、彼女の素性も目的も分からず仕舞いでやりきれず、かと言ってなんと声を掛けて、何をしてあげるのが最善なのか決めきれないルキノは言葉を言い淀んでリィズの瞳を見つめることしか出来ないでいた。
「お前さまに免じて今夜は大人しく寝ぐらに戻るとしよう。だから、ワタシのことをそんなに気に掛けるでない」
「あ……」
「お前さまのようなお節介焼きの友人が前にもいたよ。けれど、ルキノ……お前さまのその優しさはワタシの知るそれよりも、ずっとあたたかで心地良い」
義理堅いというべきかリィズからして見ればお人好しが過ぎるようにも思えるルキノの傍へ歩み寄る。そしてちょっと背伸びをしてリィズは白い手でルキノの頬に触れると優しく撫でる。
突然の愛撫に驚いたルキノだが自分を見つめる深みのある青紫の大きな瞳に自然と不安や警戒が解けて、ひんやりとした彼女の手をしばし受け入れた。
「その誠実と献身は得難いものだ。けれど、誰もが誰もルキノの優しさに応えてくれるわけじゃない……もっと自分の気ままに生きることも身に付けた方が良いぞ」
「リィズみたいな年下の子供に言われたくないなあ」
「よし、言えたではないか。その調子だ。もっと胸を張って、背筋を伸ばしてしゃんとせよ。折角よく似合う給仕服を着ているのに魅力が落ちるぞ」
「あ、ありがと」
「ふふ。ではな」
制服姿のルキノの姿を上から下までよく見返してから、リィズは今度こそドアノブに手をかけてアレグリアから出て行こうとする。
「そうだ! ただの噂話だと思うけど、近頃千夜宮に変な噂が流れてるみたいだから気を付けて帰るんだよ」
「ほお? 噂話とな……?」
「又聞きだけど、夜中に怖い怪物とそれを追いかける騎士?みたいなのが徘徊しているとか……不審者かもしれないから、人が多いところを通った方が良いと思うよ」
「クス。そうだな……恐らく会わないと思うが気を付けておくさ」
カランカランと入口の呼び鈴が鳴り、リィズは美しい髪をなびかせて夜の街へと消えていく。
「懐が豊かになることがあれば今度はちゃんと客として来るとしよう。では
小さくなっていく彼女の背中が見えなくなるまでルキノはずっと見送っていた。
※
店の戸締りをしっかりと確認してから自宅への帰路についていたルキノ。
時刻は間もなく23時を回る頃。
日付が変わる前には帰宅できるだろうし、明日の講義は二時限目からなので朝は少し余裕があると彼女は夜風を浴びて火照りを覚ますように自転車を走らせる。
(不思議な子だったな……本当にまたお店に来てくれるかな?)
ルキノの脳裏に浮かぶのはリィズのことでいっぱいだった。
本当に帰る家があるのだろうか?
探し物があると言っていたが無事に見つかる目途が立つものなのか?
自分にまだ出来ることはあったのではないだろうか?
(制服姿、褒めてくれたの嬉しかったなぁ)
何の義理も責任もないというのにルキノの心中はリィズのことを案じることが尽きなかった。
彼女の佇まいや美しさに吞み込まれるようなカリスマめいたものがあったと思うし、自分勝手な理由だが健介以外の人間と面白いお喋りが出来たことへの嬉しさと感謝も自分がリィズに惹かれている理由に含まれていると彼女は一人で得心することにする。
「ふぅ……リィズの手、気持ちよかったな」
彼女に触れられた頬をさすり、あの心地の良い感覚を追憶する。
いま浴びている夜風のように冷たくて、けれども柔らかく安心する自分じゃない誰かの手の感触。
早くに両親を事故で無くしてしまった境遇だからか、親愛なる人肌というものに飢えている気持ちが自分の中に皆無とは言い切れないなと、我に返ったルキノはバツの悪そうにペダルを漕ぐ足に力を入れる。
人気のない高架下を通過する時だった。
空から降ってきた何かがズシンと大きな物音を立てて背後に架かる道路を揺らした。
「わっ!?」
『グルルル……!!』
地震のような大きな衝撃に自転車ごと転びそうになるのをどうにか堪えて急停止する。
間一髪の出来事に一気に体温が上がって汗が滲むが背後から地鳴りのように響く不気味な鳴き声と大きく生温かい獣の息遣いのようなものに悪寒が走った。
『ガアァアアアアアア――――!!!!』
「うそ……本当に、こんなの……!?」
咄嗟に振り向いた視線の先には正気の沙汰とは思えない光景が広がっていた。
月下の下で三つ首の四足獣が血走った双眸を爛々と光らせて遠吠えを上げる。
その大きさは市営バスほどで野犬や狼なんかが可愛く見えるほどの巨体だ。
大きな棘が生えた首輪に鎧のように鎖を巻きつけ、コンクリートを踏み締める足先から人間の腕ほどの大きく鋭い爪が生え揃っている。
それはまるでケルベロス。
神話に出てくる恐ろしい獣のそれに酷似していた。というよりもまるで物語からそのまま飛び出してきたようにも見えて。
「え。なんで……どうして? 亜子さん? 亜子さん! 起きてください! ねえ! 逃げて!!」
瞬きも出来ずにケルベロスを見入っていたルキノは突然錯乱したように声を張り上げて叫び出す。
何かの見間違いだと信じたかったが三つ首の内の一つの獣頭が咥えているのは自分のバイトの先輩である九条亜子その人だったのだ。
『お? 小動物が一丁前にオレに吠えかかるのか?』
『適合者は見つけた。景気づけに食っちまおう』
『グフフフ♪』
「喋った……? なんなの、こいつ?」
悪い夢だと心のどこかで願いたかったが自分を認識して、あまつさえ人間の言葉で喋りかけてきたケルベロスにルキノは顔面蒼白になり、震える体で立っているので精一杯という有様だった。
そんな彼女を喰らおうとケルベロスは再び道路を揺す振り飛び掛かる。
「うわあああああああ!?」
「させぬよ」
地獄の入口のようにケルベロスの大きく開いた口が迫る中でルキノは悲鳴を上げることしか出来なかった。しかし、間一髪で横から飛び込んできた人影が彼女を抱き抱えて死の淵から救い出す。
「全く……巡り合わせが良いのか悪いのか」
「リ、リィズ!?」
「少し黙っていろ。舌を噛んでも知らぬぞ」
ルキノを助け出したのは他でもない先程別れたリィズだった。
彼女は自分よりも体の大きなルキノを苦も無く抱き抱えたまま自転車並みのスピードでケルベロスから逃走する。
「君は一体?」
「後で話す。まずは
「ミュートス? あの怪物のこと!?」
「このあたりで良いか」
ルキノを抱いて走るリィズは廃工場に逃げ込むと積まれたまま放置されたパレットの裏に彼女を降ろす。
「お前さまは隠れていろ。危ないからな」
「何をする気?」
「おっと、そうだ。ここから先には内緒だぞ?」
困惑するルキノを尻目にリィズは最初の出会いでの彼女の真似をしながら単身で自分たちを追いかけて来たケルベロスに対峙する。
『追いかけっこは終わりか小娘?』
「少し違うな。ワタシが鬼の番だ。最も次に貴様らに交代することはない……ここで討ち倒させてもらうからな」
『面白いことをほざく小娘だ!』
自分の大きな異形の前に立ち不遜なことを言ってのけるリィズをケルベロスは盛大に嘲笑する。
大きな笑い声はそれだけで突風のように廃工場に残された資材をガタガタと震わせた。
「これでもまだ笑っていられるといいな駄犬」
『むうん?』
「
その言葉を唱えた瞬間、リィズ・ナイトウォーカーの肉体は眩い光を放ちあっという間にカタチを変えた。
『ハアッ!』
光が収まるよりも速く、リィズだった人型が勇敢にケルベロスに殴り掛かりその巨体を吹き飛ばす。
『ぐおっ! 貴様……クソ!あの魔術師の残した
『気付くの遅いぞ。この大莫迦者め♪』
星明かりの下で少女は騎士に姿を変えていた。
丸みを帯びた穢れを知らない白亜のフルプレートアーマーを纏うその威容はまるで平和を守るために降臨した守護天使のようにも見えて。
「リィズ……なの?」
『そうだとも。お前さまが話してくれた件の騎士でもあるぞ』
ある星明かりが綺麗な夜に私たちは出逢った。
それは遠い昔の寓話の続きでもあり、紛れもなく真新しい私と君だけの心躍る浪漫譚。
誰の為でもない、私たちの物語。
いまその始まりが綴られ始めたのだ。