仮面ライダーテイル   作:マフ30

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序章・後編 君を纏いて、君を信じて

 

 時間はしばし遡る。

 アレグリアを退勤した九条亜子は日課である夜のランニングを行っていた。

 

「ふう……ああ、もう。また言い過ぎてしまったわ」

 

 健康と体型維持の為の毎日5キロほどの距離を走り終えてクールダウンをする彼女は勤務中の自身の不出来さに顔を顰めた。

 

「彼女はアルバイト。それに仕事に対するスタンスも違うだろうに……」

 

 言葉といい、態度といい、例え適切な業務のための指導といえ厳しすぎる接し方をルキノにしてしまった。そして、そこには間違いなく私情が入っていただけに亜子の自己嫌悪は深かった。

 

「三十路のメイドだなんて……本職でもなければもうとっくに引き際なのに」

 

 きっかけは学生時代に偶然手に取った漫画だっただろうか?

 それでもメイドという存在は九条亜子にとっては自分の将来を決めるのに十分な魅力と憧れを放っていた。

 一度は本場英国での就職も志して本気で猛勉強もした。

 けれど現実は厳しい。

 様々な難関に夢破れ、それでも憧れを捨て切れずに数多くのメイド喫茶を転々としてそれなりの充足を得て日々を過ごしてきたわけだが。

 

「お店のためにもそろそろ決断しないといけないわね」

 

 タオルで汗を拭うその顔色は運動をして体が温まっているのに生気が失せていた。

 九条亜子という人間は決して分別がつかない女性ではない。

 けれど、メイドへの畏敬と情熱が行き過ぎて周囲との軋轢が皆無という訳でも無かった。

 

 彼女自身はメイドに真摯に向き合い、日課のランニングに始まり実務やメイクの研鑽にスキンケアやアンチエイジングなど体作りも徹底するほどだ。

 けれど、周囲の誰もがそんな熱意で働いているわけでは当然ない。 

 寧ろ少数派は亜子の方とも言える。

 

 故に経験を積み、後輩への指導や教育を任されるキャリアに入ってからは顕著に軋轢が表面化した。

 彼女の熱心に過ぎる教え方がイジメに映りトラブルへと発展して亜子の方から職場を辞した事もあった。

 

「ルキノさんがアレグリアのアルバイトを嫌にならない前にちゃんとしないと」

 

 幸いアレグリアで働き初めてからは店長の万治郎の執り成しもあってそういうことは起きていないが現に彼女自身はルキノに対してもっと優しく教えよとしても上手く出来ない自分に忸怩たる想いだった。

 

「あら……?」

 

 気持ちを切り替えて家路につこうとして、彼女は周囲に霧が立ち込めているのに気付く。しかもその霧はどんどんと濃くなっていく。

 

「どうなってるの本当に霧? 煙じゃなくて……ッ!?」

 

 不可解な現象に驚きが恐怖ヘと塗り替えられていく。

 更には彼女の近くで扉が開くような大きな物音が響いて狼狽えていた亜子は声にならない悲鳴を挙げて。

 その音はまるで大きなお城の古びた鉄の門扉が開くよう。

 

『間違いない』

「え?」

 

 頭上から謎の声、聞こえて。

 

『我ながら気長に値踏みをして確かめていた甲斐があったぜえ』

「な、なに……?」

 

 自分以外の息遣い三つ。

 失礼だが不快な口臭に顔を顰めながら、無意識に上を向いた。

 本能が見るなと警告をしているのにほんの僅かに気付けずに。

 

『お前、オレの器になれ』

 

 夜霧の中で幻のようにぼんやりと、けれど間違いなく自分の目の前に現れたこの世のものとは思えない恐ろしい怪物を目にして亜子の意識は途切れた。

 

 

 

 

 真夜中の廃工場に木霊する獣の咆哮と騎士の叫び。

 ぶつかり合う力と力。

 それらはまだ薄ら寒い春の真夜中にあって、ただ見守るだけのルキノの肌に汗を滲ませるには十分の熱気を生じさせていた。

 

『答えろ。裏界(りかい)と表を繋ぐ扉の鍵を開けたのは誰だ?』

『さあな! 錆びて錠前が壊れちまったんじゃねえのか?』

 

 ケルベロスの巨大で鋭い爪や噛みつきを紙一重で回避して、純白の騎士の姿に変わったリィズは果敢に打撃を叩き込んでいく。

 

影の魔術師(ベルモンド)はもういない! 大人しく住処に戻れば滅ぼすのだけは見逃してやる。かつての主が拓いた場所へ帰れ』

『そう言って他の連中は従ったのか? オレは親切だからも一回言ってやるよ。知るかボケ!!』

『ぐ……ッ!』

 

 一進一退の攻防。

 否、初撃こそ不意を突いて怯ませることが出来たが単純なパワーや素早さはケルベロスの方が勝っているようだ。

 抉り込むように突いた拳を強引に振り払われたリィズは鎧の体を軋ませてコンクリートの地面に転がる。

 

『ぶっ潰れて鍋蓋にでもなってろ!』

「リィズ!?」

 

 どうにか踏み止まったリィズに追い討ちをかけるように飛び掛かったケルベロスは大きな前足で踏みつけにいく。

 思わずルキノが悲鳴を上げる中、間一髪で白い鋼の両手が獣足を受け止めて、圧し潰されるのを逃れようと全力で抵抗を試みる。

 

『この……!』

『お前の方こそ中身が(カラ)ってことはあの忌々しい魔術師は一緒じゃないみたいだな? 大事なお人形さんを独りにしてどこにいったんだ? お?』

『言わなくてもいいぞ。とっくの昔にくたばったんだろ? ざまみろだ!』

『ぐふ、ぐふふふふ!』

 

 強烈な力で踏みつけてくる怪物の足に耐えるリィズに更なる責め苦を与えるつもりで二つの首が交互に彼女の主人であろう人物をあざ笑い、亜子を咥えているもう一つの首も卑しい笑い声をわざとらしく聞かせる。

 その姿は見守ることしか出来ないルキノにも憤りを覚えさせるほどに醜いものである。

 

『黙れ。貴様ら風情があいつを語るな。 ハアアアアアッ!!』

 

 故に当事者であるリィズの怒り心頭は言うまでもない。

 新雪のような白い鎧の腕が汚れ、(ヒビ)割れるのも構わずに力任せにケルベロスを投げ飛ばした。

 

『チッ……折角適合者を手に入れたんだ。こんなところでおっ死んでいられるかよ』

 

 大量の砂煙を起こしながら横たわるケルベロスの眼には空中から投げ槍のような勢いで蹴りにきているリィズの姿が映る。

 これ以上この場で戦っても旨味はないと判断したケルベロスの瞳が光、背後に突如として古びた門扉が現れる。

 

『逃げるつもりか? 口ばかり達者なヘボ番犬め』

『勘違いするんじゃねえ! オレは待ち構えていてやるのさ。この女を取り返したかったら裏界に乗り込んでくるんだな!』

 

 リィズの挑発を受け流し、捨て台詞めいた言葉を残してケルベロスは亜子を攫ったまま謎の門扉の向こうへと消えていってしまった。

 僅かに遅れて蹴りの姿勢を解いたリィズが重い金音を鳴らして着地する。伝承獣なる異形の怪物を取り逃がしてしまった事実に遺憾の念がこみ上げるのか彼女はしばし握りこぶしを小さく震わせていたが埒もないと判断したのか少女の姿へと戻っていた。

 

「…………よろしくないな」

「リィズ! 大丈夫!?」

「面目ないとはまさに、だな」

 

 目立った負傷こそしていないが明らかに疲労の色が見えるリィズにルキノは躊躇うことなく駆け寄りその身を案じた。けれど、ただの人間ではないであろう彼女に疑惑と謎は尽きない。

 

「君は一体? それに亜子さんが……!」

「勘付いてはいると思うがお前さまのような人間ではないよ。すまないが時間がない……聞きたいことはあるとは思うが後にしてもらう」

「リィズはあの怪物が逃げた先へ行けるんだよね? だったら、私も連れていって!」

 

 あっさりと自身が人外の存在であることを明かしたリィズ。彼女の魂胆としてはこれでルキノは恐れおののいて逃げ去ってくれると踏んでいた。しかし、返って来た思いもよらない言葉にぽかんと小さく口を開けっぱなしにして驚いてしまう。

 

「ピクニックに行くわけではないのだぞ?」

「解ってる。でも、あの怪物に攫われたのは私の知り合いだ。ここまで踏み込んじゃったのなら最後まで付き合わなきゃいけない気がする。リィズの力にもなりたい」

 

 街灯の頼りない灯りに照らされた紺碧の瞳は不安と恐怖を振り払っているわけではないが強い意志で星のように煌めいているようにも見えた。

 

「何故そこまであの女のために動ける? あやつはルキノを日頃からキツく叱りつけているような輩ではないか? 弱みでも握られておるのか?」

「え? なんでそんなこと知っているの?」

 

 自分を真っすぐに見つめ続けるルキノにリィズは怪訝とした顔で問う。

 思いもよらない質問に今度はルキノの方が目を丸くする番だった。

 

「見ていた。夕暮れ時から何回かの」

「どうして、そんな? 何回も?」

「……すまぬ。実はな値踏みしていたのさ。食事を恵んでくれそうなお人よしはいないかとな。不便なもので星の魔術師の遺産たる我が身は鎧でありながら飲まず食わずで働けるかと言ったらそうではない」

 

 頭上に?を浮かべたままのルキノにリィズはバツの悪そうに答えた。

 鎧人形。自らの意志で考え、行動し、人間と円滑に会話もできる人造生命体である彼女はルキノの親切心に付け入る形で先ほどアレグリアの軒先に迷い子を装って座り込んでいたのだという。

 

「そう、だったんだ」

「弁明はしない。ワタシはワタシの役目のためにお前さまを利用した。そんなロクでもない人形にこれ以上関わるな」

「役目って言うのはあの怪物を退治すること? 君のことがこの千夜宮で噂になっているってことはあんなのが他にもいるんだよね?」

「肯定する。そして、それは私のご主人であった大切な人から託された役目である以上に守らねばならない約束だ」

 

 ハッキリと伝えたリィズは時間を惜しむように自分を支えるルキノを制して一人で歩き出す。そして胸元の蒼薔薇のコサージュを手にする。特に呪文のようなものを唱えたわけではないがコサージュは淡い光を放つと古めかしい鍵となり、彼女の目の前にはケルベロスが逃走に用いたものに似た扉が現れる。

 

「お前さまの連れは必ず助け出す。だから、ルキノはこれ以上関わるのはよせ」

「ごめんねリィズ。君の話を聞いて尚更……君を独りにしたくなくなった」

 

 冷たい少女の小さな手をあたたかな女の手が包むように握り締めた。

 詩暮ルキノはリィズの手を握り、彼女の隣に並び立っていた。

 

「なんの、つもりだ?」

「まだリィズの質問への私の答えを聞かせていなかったよね。亜子さんは良い先輩だよ。厳しくて、叱られるのはもちろん辛い時もあるけど……一度だって亜子さんは理不尽な理由で私を叱ったりはしなかった。そこにはちゃんと理由があって、私に直すべき課題があった」

 

 苦笑したり、苦い記憶に項垂れたり、僅かな間に表情をころころと変えながらルキノは自分の心と言葉のままにリィズの疑問に対する答えを伝えた。

 

「それから、リィズにも恩返しをしないとね」

「なに?」

「久しぶりに誰かと一緒に夕ご飯を食べて、たくさんお喋りできた。なんてことのないようなことだと思うかもだけど、私にはとても幸せな時間をリィズはくれたんだよ。その、私はあんまり友達が居ないタイプの人間なもので……」

 

 最後まで胸を張って自信満々にというわけにはいかなかったがそこ言葉はなけなしの勇気を振り絞って伝えた思いの限りだった。場所も状況もまるで違うが勇気が足りずに何もできずに、なんの変化も引き起こすことが出来なかった過去の自分を乗り越えた瞬間でもあった。

 気を取り直したルキノは続けて口を開く。

 

「気を悪くしないでね。さっき戦っているときにえーっと、ケルベロス?が喋っていた内容を聞いちゃったんだけど……リィズ一人じゃ足りないんだよね? もう一人誰かがいればもっと強くなれるんだよね?」

「それは……!」

「リィズと君のご主人の大事な約束や思い出を軽く考えるつもりはない。だけど、いまは私に君のご主人の代わりをやらせて欲しい。三人で無事にこの夜を越えるために」

 

 身を屈めて、わざわざ目線を合わせて必死に懇願するルキノにリィズは否が応でもある人の面影を感じずにはいられなかった。

 見た目も、声も、立ち振る舞いもまるで違う。

 性格なんかは正反対。

 星の魔術師(フローレンス)はもっとお転婆で賑やかで猪突猛進な女性だったなと。

 

「……百年以上も見守ってきたというのに」

 

 けれど、親愛なるご主人(フローレンス)もいま自分の隣にいるルキノのように自分に目線を合わせて語りかけてくれた。

 自ら造り出した道具なのだから、もっと粗雑に扱っても良いだろうに。

 使うために用意した人形なのだから、もっと尊大に接しても良いのだろうに。

 たくさんの笑顔と慈愛をくれた。

 自らがきっと一番に悲しみ、痛み、傷を受け止めてきただろうに。

きっと、目の前の彼女もかつての主人と似た優しさと勇気を持っているのだろう。

 

「お前さまたち人間は分からないことだらけの不思議なやつらだよ」

 

 だから、ワタシは彼女たちに寄り添うと決めたんだった。

 もう一度、この深い夜を一緒に歩いてもらうことにしよう。

 

「思ったよりも、頑固なやつだなぁルキノは」

「たはは。ごめんね」

「謝罪よりもいまは感謝をしよう」

「それって?」

「道具の本懐は課せられた務めをこなすことだ。ワタシの気持ちは二の次で良い……詩暮ルキノ、力を貸して欲しい」

「任せて」

「言ったな。もう、後悔しても遅いぞ?」

「がんばるよ。それに……何もしないで後悔するよりも、ずっと気持ちはスッキリだと思う」

 

 ルキノの気持ちを汲んだリィズはならばと出現させた扉に蒼薔薇の鍵を挿し込んでここではない場所へ通じる門を開く。

 

「覚悟はよいな? いくぞルキノ」

「うん。いこうリィズ」

 

 冷たく滑らかな人形の手が微かに繋がれた自分の手を強く握ってくれたのを感じて、ルキノは門へと飛び込んだ。

 

 

 

 

裏界。

 

 意識が鮮明になり、ぼんやりとしていた五感が辿り着いたその世界を感じ取る。

 目の前に広がる光景。その異質さに覚悟はしていたがルキノは堪らず息を呑んだ。

 

「異世界……まさか本当にそんなものがあるなんて」

「お伽噺のようなメルヘンのようなものではないがな」

 

 そこは一見すると何も変わらない千夜宮の街そのものだ。

 万物が左右反転した鏡の世界と言うわけでもない。

 ただこの裏界なる異世界は色彩がなく、寂し気なだけだ。

 そびえるビル群も並木通りもどこを向いても青白い光景が広がる。

 まるで古い昔の映画の世界へ迷い込んでしまったよう。

 

「ここって? いま夜だったよね……明るいの、これ?」

「空を見てみるといい。それで何故ここを裏界と呼んでいるのか分かるだろう」

 

 言われた通りに頭上を見上げてルキノはリィズの言葉の意味を把握した。

 この世界には太陽がない。おそらくは月も、星も――きっと朝も夜もないのだろう。

 

「ここは世界の裏側。余白、あるいは余剰だった空間をベルモンドが切り開き自分の領地とした世界」

「ベルモンドって……さっきも言っていた人のこと?」

「続きは伝承獣を探しながらするとしよう。気を抜くなよルキノ」

 

 無人の街路を進みながらリィズは滔々と今回の事件の切っ掛けである二人の魔術師の話を始めた。

 遡ること数百年前。

 魔術とそれを扱う少数の人間がひっそりとだが存在していた時代。

 二人の優秀な魔術師が同時期に現れたという。

 それがフローレンスとベルモンド。

 二人は魔術の才とは別に稀有な異能の持ち主だった。

 未来視。断片的にだが遠い未来の事柄を見通す神の御業に近い力を持っていたのだという。

 周囲の者たちはこの二人が国をより良く幸せに導いてくれると信じていた。

 けれど――。

 

「ベルモンドさんの方は人間を憎んで滅ぼそうとした? でもなんで?」

「ワタシもフローレンスに聞かされた範囲でしか知らないが二人の未来視はそれぞれで覗き見れたものが違っていたという。ベルモンドのそれは主に戦史と産業……どういう結論に至ったのか定かではないが影の魔術師は人間と言う種族に嫌気がさしてしまったんだろうと主は言っていた」

 

 何となくではあるが仕方のない話だとルキノは感じた。

 戦史にしても、産業の歴史にしても花々しい栄光の裏に少なからず凄惨な死や愚かな業といった後ろ暗いものが付いて回る。

 

「だから、こんな自分だけの世界を作ってしまったの? そのベルモンドという人は?」

「そこでひっそりと隠遁生活をするだけならば可愛げがあるのだがな」

「復讐……というよりも粛清や断罪のつもりで人間たちを襲い出したってことでいいの?」

 

 憐れむように出た呟きにリィズは重く首を縦に頷いた。

 

「ベルモンドは当てつけとばかりに過去に縋り、各地の神話や伝承奇譚を材料に自分の手駒になる恐ろしい怪物たちを造り出してしまったというわけだ」

「だからケルベロス。でも、ずっと昔にそのベルモンドって人をリィズはフローレンスさんと退治したんだよね? それに……」

 

 では、何故この現代になって悪の魔術師が生み出した人造怪物がこんな日本の地方都市を徘徊するのか?

 その理由まではリィズにも答えが用意できるものだった。

 

「確かにこの身でベルモンドは討伐した。しかし、全ての伝承獣を滅ぼすことは出来なかった。我々が思っていた以上に裏界は広大で……それにかつての朋友を殺め、その上に残された遺品に等しい伝承獣まで主に滅ぼさせるような酷なことは出来なかった」

「……友達だったんだ」

「幼いころから共に育ち、共に学んだと主は言っていたよ」

 

 随分と歩いて、話も弾むが相変わらず生気のない青ざめた世界には風も熱も感じられないでいた。二人分の足音だけが空しく、くっきりとリズムを刻んで響くのみだ。

 気が付けば駅の近くにまで進んでいた。

 現実世界の景観はある程度この裏界にも反映されるのか道の脇には何台か自動車やバイクなどが停車されている。

 しかし、相変わらず天然の生命の気配はない。

 まさしくここは伝承獣だけが生息する檻のない箱庭なのだ。

 

 

「だからフローレンスとワタシはベルモンドが最初に裏界への入り口を拓いた場所を突き止めて厳重に封印を施して、守り人として過ごすことを決めたのさ。その場所がたまたまこのいまは千夜宮と呼ばれる土地だった」

「話してくれてありがとう」

「問題なのはここからだ。フローレンスが亡くなった後はワタシが一人で封印を監視していた。それなのに、誰かが鍵を開いてしまった……その下手人の見当がまるでない」

 

 犯人探しも一緒に手伝うよ。とルキノが言う寸前にリィズが手を上げて動きを制した。

 即座に臨戦態勢に入った彼女の纏う空気にルキノも危険が近くまで迫っているのだと察して早鐘を鳴らす胸を宥めて身構える。

 すると遠方から重く大きな足音が聞こえたと思えばあっという間に駅ビルの屋根に亜子を咥えたままのケルベロスが降り立った。

 

『逃げずによく来たなァ! 鎧人形!』

「当然だ。その人間を返してもらおうか」

『フン。欲しければ奪えばいい……シンプルな条件だろう?』

「そうだな。駄犬にしてはお利口なことを言う。裏界に逃げ込まねば褒美に骨でもやったのにな」

 

 ルキノという協力者を得て、今度こそ万全に戦えるという心の余裕もあり毅然として挑発も冴え渡るリィズ。しかし、そんな彼女を嘲笑うようにケルベロスは卑しく瞳を細めた。

 

『グフフ! これでもまだその減らず口が叩けるか見ものだな!』

「亜子さん!?」

 

 何を企てているのか。

 突然、ケルベロスはずっと大事に加えていた九条亜子を上空に放り投げた。

 

『お前の猿真似でもして遊んでやるよ鎧人形! 蝕化(ショッカーオン)!!』

 

 奇怪な叫びを上げて亜子を追うように飛び上がったケルベロスに変化が起きる。

 なんとケルベロスはその巨体をドス黒い液体のように変化させると亜子に纏わりついて、彼女と同化を始めたのだ。

 

「どうしよう!? リィズ、亜子さんが!」

「そこにいろ!」

 

 予期せぬ事態に慌てふためくルキノを宥めながらリィズは一刻も早く亜子からケルベロスを引き剥がさんと少女の姿のまま跳躍する。

 

「ハアッ!」

『遅いぞ。木偶人形』

 

 三角帽子が脱げ落ちるのも構わずに手刀を振り下ろす。

 しかし、無情にもケルベロスと亜子に起きていた変化は第一段階が完了してしまい異形の人型の腕がリィズの右手を強く掴み止めた。

 

「なにあれ……気味の悪い人型の怪物……怪、人?」

『ほお! 悪くない。ちと窮屈だが全身に力が漲ってくるぜええ!!』

 

 離れて一部始終を見届けていたルキノは生れ落ちてしまったケルベロスの新たな異形に怖気が止まらなかった。

 頭部、胸部、そして右腕から凶暴な犬の顔を生やした歪な三つ首を形成する紫の筋骨隆々の体躯。

 人型の怪物に変化した伝承獣ケルベロス・ミュートスは湧き上がる力に酔いしれたような笑い声を轟かせ、力任せに片手で掴んだままのリィズを地上に投げつけた。

 

「が、は……ッ!?」

 

 癇癪を起した幼子に投げ捨てられた人形のように地面に叩きつけられたリィズは痛々しい音を立てて、宙に跳ね返る。

 ケルベロスの肉体に鎧のように幾重にも巻かれた鎖が数本飛び出すとリィズが受け身を取る間もなく、彼女の体を拘束する。

 

『ギャッハハハハハ! 散歩の時間だ! 喜び喚けよ、鎧人形!』

「ぐう、あああ!?」

「リィズ!! どうしよう……なにか、なにをすれば……!」

 

 鎖に繋がれたリィズはケルベロスが弄ぶままにビルの壁や電柱にぶつけられ、あるいは地面に引きずられてあっという間にボロボロになっていく。

 人外である彼女は肉が裂けるわけもなく、血が流れるわけでもない。

 けれど、可憐なローブや生身と見分けがつかない白く柔らかな肌が汚れていく様は哀れで痛ましい。

 

「この……舐めるな!」

 

 しかし、リィズにもかつての主人フローレンスとの約束と守り人としての意地がある。

 鎖に繋がれて振り回される最中でなんとか体勢を立て直すと咄嗟に壁を蹴って軌道を修正。刺すような蹴りをケルベロスに見舞う。

 

『うざってえなオイ! いいぜ、そんなに不細工なブリキ人形みたくなりたいんなら望みを叶えてやるよ!!』

「ハア……ハァ……鎧化!」

『やらせねえよ!!』

 

 決死の反撃を契機に攻勢に移ろうと試みるリィズ。

 だがそれよりも早く大きく口を開いたケルベロスの右腕が彼女の脇腹に噛みつく。

 

「ああああああああ!?」

『ウラアアア!!』

 

 騎士の姿に変わりかけていたリィズの腹部はメキメキと音を立てて破壊されていく。

 狂ったような悲鳴を上げる彼女の脇腹は惨たらしく噛み砕かれてぽっかりと空白が出来てしまっていた。

 

『今度はこの腕だ!』

「やめ、ろ……この体は、ワタシの宝、フローレンスがくれた……大事な」

『アッハハハハ! 他人様の宝物をぶっ壊すのは最高の快感ってやつなんだぜえ!!』

 

 いくら人外の存在とは言え深刻なダメージを負ってしまったリィズに情け容赦のない追撃が襲い来る。悪辣な犬頭の右腕が再び顎を開いて片腕に食いつこうとしていた。

 

「うわああああああああ!!」

 

 そんな時だ。

 僅かに離れたビルの曲がり角から本来ならこの裏界ではありえない大きなエンジン音が轟く。次の瞬間に裏界の中で辛うじて動いたバイクに乗ったルキノが鬼気迫る叫びを上げて猛スピードでケルベロスにぶつかった。

 

『ぐ……っ! 人間が小賢しいことしやがる』

 

 バイクは一瞬で半壊。

 ケルベロスは数メートルほど撥ね飛ばされるがピンピンしていた。

 それに対してなんとかリィズを助け出したルキノであったが無事で済むはずもなく、あっという間にその体は擦り傷や裂傷まみれで血に染まってしまっていた。

 

「う、うぅ……痛ぃ。痛い痛い痛い! けど! リィズ!!」

 

 体中が痛い。

 全身から汗とは明らかに違う不快な液体が流れ出ている感覚に熱くて痛くて寒気が走る。

 痛みから逃れたくて、みっともなくジタバタと両足を振り回して、転がって……それでもルキノは弱音は吐かない。強く強く叫ぶのは彼女の名。

 

「ああ。まだ動いているぞ……全く、無茶をする」

「ごめん……ごめんなさい。もっと早く私が動けていれば……こんな!」

 

 ボロボロのリィズの姿を見て、ボロボロのルキノの目からは悔しさの涙が溢れた。

 ほんの少し前まであんなに可憐で綺麗だったリィズはいまでは乱暴に扱われて壊れてしまった骨董人形の様。

 脇腹は大きく抉れて、左腕も大きなヒビが入ってあちこち欠けてしまっている。

 

「泣かずとも良い。ルキノ、言っただろう……いまのワタシは独りじゃない。お前さまがいる。だから大丈夫だ」

 

 優しく告げて伸ばされた右手をルキノは無意識に無我夢中で握る。

 強く手を握る。

 細指、絡めて離さないように。

 決して遠くへ行かせないように繋ぎ止める。

 彼女(リィズ)を独りにしないために、彼女(ルキノ)は手を握り締める。

 

「それでいい。いまこそ一緒に戦おう」

「え……?」

「ワタシを信じて、唱えておくれ」

「わ、分かった!」

 

 二人、ゆっくりと立ち上がり前を見る。

 繋いだ手と手、より強く握り合って。

 

「「我らが体、いま一つに重ねて(Shake your Hand)」」

 

 リィズが言おうとする言葉が自然とルキノの胸の裡にも浮かび上がってくるような心地だった。

 

「「我らが心、いま一つに結んで(Heart to Heart)」」

 

 今宵、初めて出会ったばかりの二人だというのにその言の葉を口にするのに迷いはなく。誇らしいぐらい。

 

「「契約完了(Connect)」」

 

 二人の手の甲に、赤い紋章が浮かび上がる。

 紋章はすぐに二人の体に溶け込むように消えていくがそこからリィズとルキノには劇的な変化が起きていく。

 

『うむ。久方ぶりだがやはりこの感覚は心地良いな』

「なっ!? ちょっと……リィズ!? 一体何が!?」

 

 満足げに微笑むリィズとは対照的にルキノが驚くのも無理はない。

 なにせ彼女の体が淡い光を放つ粒子となって自分に吸い込まれていっているのだから。

 

『お前さまの方から察してくれたのではないか? 一人では足りないと……その通りだ。鎧には担い手がいなければ格好がつかないからなぁ』

「わ、私はどうすればいいの!?」

『落ち着け。ワタシの手を握った凛々しいお前さまはどこへいった? 細かいことは任せて集中せよ』

「う、うん!」

『難しいことをする必要はない。ワタシの言葉の後に続けて唱えるだけだ。ルキノを信じているぞ』

「……がんばるよ」

 

 突然のことに取り乱すルキノを彼女と文字通り一心同体となったリィズがテレパシーで宥めると彼女の本当の力を解放するための最終工程へと取り掛かる。

 

我ら、いま一人の騎士となる(You-Knight)

「変身」

 

 一人の体に、二人が宿る。

 重なる言葉に呼応して、詩暮ルキノの体に不思議なベルトが出現して巻き付くと光が彼女を包みその姿を変えていく。

 光が収束するとそこにはリィズが変化した白亜の騎士によく似た姿の戦士が立っていた。

 

『よし、成功だぞルキノ。これがテイルだ』

「すごい……できた。なれた!」

 

 駅ビルの窓ガラスに映る自分の姿にルキノは感嘆の息を漏らす。

 背丈も鎧のデザインも殆ど一緒の純白のフルプレートの騎士姿。

 大きく違うのは白い甲冑の目元はバイザーではなく青い複眼のようなツインアイとなり、腰部にはレンズ部分がL字に折れた映写機のようなバックルを備えたベルト・テイルドライバーが巻かれている。

 

「仮面ライダー……みたい」

『なんだそれは?』

「いや、なんでもないよ。その、友達が話してた絵空事のヒーローみたいだなって」

『ほお、面白い。ルキノ、お前さまはそう名乗れ。騎士テイルはフローレンスが使っていた名だ。ワタシとしてもお前さまをあいつの代わりのように振舞いたくはないよ』

「それ、なら……うん! 今日から私たちは仮面ライダーテイルだ」

 

 何とも言えない高揚感から不意に出た名前。

 遠慮と照れ臭さでごまかそうとしたルキノだったが思いの外食いついてきたリィズに背中を押されたこともあり、これから試練に挑む自分たちの名前を誇らしげに確立する。

 

『クソが! 何度見ても腸が煮えくり返るぜその姿! 今度こそ仲良く地獄へ送ってやるよ!!』

 

 しかし、野蛮な叫びが二人をすぐに現実に引き戻す。

 ケルベロスが殺気を漲らせて再度襲い掛かって来たのだ。

 

『今度は最初からその顔を食い千切ってやるよ!』

「させない! リィズに酷いことをしたお返しだ!!」

『それぐらいか? 大したことねえな!』

「わっ!? こ、この!」

 

 迫るケルベロスの右腕を恐れることなく両手で掴み取ったテイルは渾身の力で投げ飛ばす。全身に漲る力は間違いなく、リィズが一人で変化していた騎士を上回っていた。

 だが、それでも亜子を取り込んで力を増したケルベロスにはまだ届かない。

 経験不足のルキノの技量もあって腕っぷしが物をいう肉弾戦ではすぐに劣勢に戻されてしまう。

 

「どうすれば……」

『安心しろ。このテイル、伊達に物語(テイル)の名を冠してはいない!』

 

 勝利を掴み取れない焦りと不安に苛まれるルキノを励まして、部分的に肉体の支配権を自分に移したリィズはベルトの左側に取り付けられたボックスから赤い栞のようなアイテムを抜き取った。

 

「それは?」

『フェアリーマーカー。ルキノよ、伝え忘れていたが星の魔術師(フローレンス)はなんの未来を覗き見ていたと思う?』

「栞、テイル……フェアリー……もしかして!?」

『そうだ。星の魔術師が見つめた未来は夢と希望が尽きない文化と創作物の歴史。お前さまはそんなお伽噺を武威として纏うことが出来る』

 

 ルキノを勇気づけるように、かつての主人フローレンスを称えるように高らかに叫ぶリィズの想いに呼応するように栞型のフェアリーマーカーは光を放つと円型フィルムのような形状に変化する。

 

『ルキノ、これはお前さまの心を素材としていま生み出された物語の力だ。お前さまだけの新しいテイルをみせてくれ!』

 

 リィズからの教えを受けて、テイルの真骨頂と言える能力を把握したルキノは手にしたフェアリーマーカーをバックル左側の円形ソールにセットすると正方形のレンズを挟んで右側から飛び出た手回し式のハンドルを回していく。

 

【Red Hood Release!】

 

 ベルトからリィズの凛然とした声が響けばレンズに光が灯る。

 カタカタと小気味の良い音を立ててソールが風車のように回り、装填された真紅のフィルムが流れ始める。

 レンズから溢れる光が強まり、やがて映画が始まるようにテイルの目の前にはマントを羽織る戦士の映像が映し出されていく。

 

『見よ! 人が持つ想像力が起こす奇跡を!』

 

 テイルドライバーのレンズから投影された戦士の虚像は鮮やかな光を放つ無数の赤いフィルムとして綻んでいくと後ろに控えるテイルを包むように巻き付いていく。

 

『綴られ生まれた物語。語り継がれて愛されて、映像(ひかり)と出会いて広まり育ち、いまここに大いなる(ちから)となって顕現する!!』

「ハアッ!」

 

 お伽噺のお姫様が不思議な魔法で真新しいドレスに着替えるように真紅のフィルムで全身を包まれたテイルは戦士としての装いを変えて生まれ変わる。

 彼女が右腕を大きく振って伸ばせば光は弾けてここについにテイルの変身は完了した。

 

『さあ、高らかにその名を叫べ! 赤き衣を纏いし、獰猛なる狩人よ!』

「私は……私たちは仮面ライダーテイル!」

『影の魔術師……その悪しき遺物よ。その悪行、その暴虐、ここで我らが終わらせる』

「ピリオド……打たせてもらうよ!」

 

 ケルベロスと相対して勇壮と名乗りを上げるテイル。

 その姿は白い騎士のような初期形態ベーシックフォームとはまるで異なる見た目をしていた。

 黒いアンダースーツに猟師を思わせる緑の装甲で五体の各部を覆い、真紅のフード付きのマントを纏っている。

 緑の仮面には狼の耳を思わせる三角の突起が生え、複眼型の双眸は黄金に輝く。

 右籠手には小型のバックラーを装備して、左腕を包む白銀の籠手は狼の手を思わせる丸く厚みのある独特な形をしていた。

 これが詩暮ルキノが変身する彼女だけの仮面の戦士(テイル)

 仮面ライダーテイル・レッドフードフォームだ。

 

「赤ずきん……よし、これなら!」

 

 全身に流れる力の大きさが明らかに変わったことを感じたテイルは噛み締めるように拳を握り締めると腹を括ってケルベロスへと駆け出していく。

 

『姿形が変わったぐらいで良い気になるなよ虫ケラがあああ!』

「今度こそ、やってやる!」

 

 テイルに起きた変化に驚きこそするが戦意が削がれた様子のないケルベロスもまた三つ首それぞれの眼をギラギラと輝かせて彼女に襲い掛かる。

 

「たああ!」

『ブガッ!? な、なに……ッ!?』

 

 ケルベロスが攻撃を仕掛けるよりも速くテイルの拳が届く。

 その重さにケルベロスは動揺を隠せなかった。

 リィズが単身で変わった騎士よりも、ベーシックフォームよりも、力の何もかもが明らかに違う。

 

「まだ! ハアアッ!!」

 

 いまの一撃で今度こそ伝承獣に抗うことが出来る強さを得たと確信していたのはテイル(ルキノ)も同じだった。流れをケルベロスに渡さないためにも果敢にパンチを繰り出していく。

 

『調子に乗るな!』

「くあっ!?」

『赤ずきんなら! それらしく黙って食い殺されてやがれ!!』

 

 しかし、ケルベロスも簡単には負けてはくれない。

 体力も運動神経も悪くないがやはり戦い方が拙い彼女の隙を見つけて反撃の蹴りを入れる。腹を押さえて転倒するテイルの体を引き裂こうと間髪入れずに爪を光らせて飛び掛かる。

 

『ルキノよ! 右腰の小箱に触れてみよ! 武器が出る』

「これだね!」

 

 リィズの助言の通りにテイルが急いでベルト右側に取り付けられた宝箱風の小箱(トイボックス)に触れると彼女の右手には大きな刃が銃身と一体化したような真紅の大型ライフル・レッドシャウトが召喚される。

 

『なんだぁ!?』

「うおおおおッ!!」

 

 突然出現した物騒な武装にケルベロスも驚きを隠せなかった。

 宙で姿勢を乱してしまったケルベロスへとテイルは雄叫びを上げながらライフルの引き金を引き絞る。

 

『ウギャ!? ぬおぁあああおあおあおああ!?』

「これも食らえ! だああああっ!」

 

 唸りを上げて銃身から連射された弾丸がケルベロスを撃ち落とす。

 テイルは両手でしっかりとレッドシャウトを構えると射撃を続けながらケルベロスに接近すると大剣を振るうように豪快に銃剣部分で相手を切りつける。

 喧嘩や乱暴を好まない彼女ではあるが何故か射撃の腕や銃の扱い方だけは不思議と様になっているように見えた。

 

『お前さまその小慣れた銃の持ち方は素人じゃないだろう? さては結構やんちゃか?』

「ちがっ……おじいちゃんが現役の猟師で大学卒業したら地元で役場勤めか猟師を継げってうるさいから一応習ってただけだよ。まさか役に立つなんて」

『芸は身を助くというやつだな。慌てなくてよい……ワタシも一緒だ。相手をよく見て、一手先を組み立てる。それが戦いの基本だ』

「……ああ!」

 

 ぶっつけ本番の実戦。

 負けないためにとにかく必死で足掻くような戦い方で運良くここまで凌げたテイルにリィズが寝物語を読み聞かせるような柔らかな声で囁く。

 彼女の言葉に心を落ち着かせることが出来たテイルは大きく深呼吸して肩の力を抜くと改めてレッドシャウトを丁寧に構える。そして、ゆっくりと周囲を見渡す。

 冷静に、よく考える。

 武道の心得のないルキノ(自分)だが活かせる技術や知恵はゼロじゃないと彼女の五体と感性(センス)は急速に研ぎ澄まされていく。

 

「よし。これなら……いける、はず!」

 

 視線の先ではよろよろと立ち上がったケルベロスが憎悪に満ちた雄叫びを上げて牙を剥いていた。しかし、テイルは怖気に屈することなく立ち向かう。

 

『ぶっ殺してやる! ガァアアアアア!!』

「いま!」

 

 馬鹿の一つ覚えのように真っ直ぐに突っ込んできたテイルにケルベロスは得意の肉弾戦で仕掛けると見せかけて胸から突き出た犬の顔から灼熱の炎を吐き出す。

 浴びればひとたまりもない炎熱地獄。けれど、既にルキノはミュートスが神話や言い伝えが由来の怪物や精霊などがルーツになっていると聞かされた時から飛び道具の懸念も考えていた。だからこそ、激しい炎の吐息でケルベロス側の視界も狭まった瞬間に力強く跳んで宙を駆ける。

 

「いくぞ! 乱れ撃ちだ!」

『ぐおっ!? チッ……うろちょろすんじゃねえクソが!』

 

 テイルは狼の如く強靭で柔軟な俊足を駆使して、周囲の建物を次から次に飛び交いながらレッドシャウトを撃ちまくる。

 怒り狂うケルベロスも三つ首から火の玉の弾幕を張るが両者の技量の差は歴然でテイルは四方八方から飛んでくる炎を全て掻い潜り、自らは的確に銃撃を当て続ける。

 

「せええいッ! でやあ!!」

『ぐばっ!? こ、この……!?』

 

 ダメージが蓄積して注意力が散漫になったケルベロスに背後からテイルはアクロバティックに前宙からの踵落としを決める。畳み掛けるように振り下ろされそうになったケルベロスの腕をレッドシャウトで受け止めるとその場跳びの重いドロップキックを叩き込む。

 

『ハハッ……馬鹿が!』

「あ!? しまった!?」

 

 強烈な衝撃に悶えて体を苦の字に曲げて吹き飛ぶケルベロス。けれど蹴り飛ばされながらも自らも数本の鎖を発射して立ち上がりかけていたテイルに巻き付ける。

 慌てて鎖を切断しようと銃剣を振ろうとするテイルであったがレッドシャウトの大きさが災いしてそれよりもはやく鎖が体に巻き付いて動きを封じられてしまう。

 

「ぐぅ……わああああ!?」

 

 冷たく硬い鎖がギチギチと体を締め付けて、堪らずテイルは苦痛に喘ぐ。

 逃れようと何度も身を捩り、力を込めるがそうはさせぬとケルベロスが他の鎖を振り回して彼女を鞭打ち妨害する。

 

『ギギッ、ギャッハハハハ! 惜しかったがこれで勝負はあったな! グシャグシャに噛み砕いて殺してやるから覚悟しろよ』

 

 怒りとこれから行う殺戮に興奮しきったケルベロスの三つの口からはだらだらと涎が滴り落ちる。絶体絶命のピンチ――しかしそんな窮地を覆すようにリィズの意思によってテイルの左腕が動き出す。

 

『切り札がお前だけにあると思うなよ?』

 

 ケルベロスが一歩、また一歩とにじり寄る中でテイルがどうにか左拳を握り締めた瞬間に銀色の籠手の先端からは鋭い光を放つ三本の蒼い鉤爪が飛び出した。

 

『気高き銀狼の爪よ、卑しき狗を切り裂け! ウォルフクロー!!』

『ア、ギャッ!?』

 

 テイルの爪は鎖を容易く千切り捨てるとそのまま切っ先をケルベロスの腹に突き刺す。

 勝利を確信していただけにケルベロスは思いもよらぬ反撃の事実をすぐには受け入れられなかった。

 

「ウオオオオオッ!」

 

 突き刺した鉤爪を一度引き抜いて、テイルはダメ押しとばかりに左腕を斜め下から勢いよく振り上げて、ケルベロスの胴体を深々と逆袈裟に切り裂いた。

 

『目が!? オレの目が……顔がぁあ、あああああ!?』

『いまだルキノ! お前さまの連れを助け出すぞ。ベルトのハンドルを回すといい』

「うん!」

 

 胸から生えた犬の首はまともに切り裂かれたことで完全に潰れていた。

 痛み以上に精神的なショックで激しく狼狽え悶絶するケルベロスにここが勝負時と見たリィズがテイルに呼びかけて、雌雄を決するための準備を始める。

 

【Red Hood Climax!】

 

 テイルドライバーのハンドルを回しエネルギーが充填されたのを告げるようにバックルのレンズに再度眩いばかりの光が宿る。

 赤いフードを深く被り――。

 紅いマントをなびかせて――。

 倒すべき敵を定めたテイルがいま駆ける。

 

『真紅の一刺しよ! 我らが敵を穿て! スカーレットスパイカー!!』

「ハアアッ……トオオリャアアアアアッ!!」

 

 獰猛に疾走する真っ赤な狼のオーラを纏って繰り出された強烈無比なテイルの飛び蹴りがケルベロスを貫いた。胴体に大きな風穴を穿たれたケルベロスは糸が切れたマリオネットのように力なく膝をついて崩れ落ちていく。

 

『チクショウめ……こんな終わり認め、るか……ああああああ!!?』

 

 負け惜しみ染みた断末魔を上げてケルベロスは爆発四散した。

 そして、硝煙が晴れたその場所には無理やり同化させられていた状態から解放された亜子が気を失ったまま倒れていた。

 

 

 

 

千夜宮・某公園にて

 

「う……うん? あれ?」

 

 密かに裏界から助け出された亜子はアレグリアの近くにある公園のベンチで目を覚ました。なにか恐ろしい目に遭ったような気がするがサッパリ思い出せない。

 

「疲れて休憩のつもりが眠っちゃったのかしら? こんな夜の外で不用心な……」

 

 釈然としないながらも亜子はいまの状況を把握する方が大事だと周囲を見渡す。

 幸いにも自分が良く知る場所にいることに安堵すると同時に不審者に襲われても文句も言えない醜態を晒してしまっていた自分に毒づく。

 

「……そうよね。誰だって、失敗するわよね」

 

 次第に鮮明になっていく意識と冷静さを取り戻していく思考。

 自分らしくない有り得ない失敗をしたことで何故だか、とても落ち着いた心地になれている亜子はしみじみと呟いた。

 

「あの子だって、きっとちゃんと考えて選んであの店で働こうと決めたんだもの。なら、私は先輩としてちゃんと指導してあげよう。嫌われてもいい……ただ私もちゃんと場所や言葉を選べるように正しい教え方を勉強し直そう」

 

 とても綺麗な星月夜に九条亜子は静かに自分に言い聞かせた。

 身勝手な傲慢と詰られてしまうかもしれない。

 けれど、自分も彼女も大きさこそ違っても責任を負っていまの仕事をしているのだ。

 敬意と信頼を以て、真摯に向き合おう。

 少なくともあのちょっと不器用な可愛い後輩が自分のことを真っすぐに見てくれる間はそれが礼儀だと思うから。

 

「早く帰って休みましょうか……明日も仕事だもの」

 

 

 

 

 鬱屈とした悩みと葛藤に一応の折り合いをつけることができた亜子を離れたビルの屋上からルキノとリィズは見守っていた。

 

「よかった。亜子さんあれならちゃんと自分の家に帰れそう」

「まどろっこしいものだな。ワタシに担いで運べと頼めばいくらでもあやつの自宅に届けてやったのに」

「いや、それは……私、亜子さんの家どこか知らないし」

「おお。それは迂闊であったな」

 

 くつくつと笑うリィズの体はルキノと一体化して変身した影響かすっかり元通りに回復していた。ひとしきり笑い終えた彼女は美しい青紫の髪を夜風に流しながら、ルキノに歩み寄る。

 

「本当に良いのだな? 過酷な手伝いになるぞ?」

「分かってる、つもり。けど、リィズが一緒だから大丈夫だと思う」

「なんとも根拠のない自信だな。何百年経っても、お前さまたち人間はそれが大好きと見える」

「フローレンスさんもそうだったの?」

「まあな。主人は……いや、元主人はお前さまよりもずっと勢い任せで――?」

 

 いま自分の新しいご主人は詩暮ルキノだったと思い出し、律儀に訂正してかつての主を回想するリィズ。しかし、そんな彼女の口元にそっと人差し指を添えて言葉を遮ったのは他ならぬルキノだった。

 

「私はご主人って柄じゃないから、リィズが大好きなご主人はずっとこれからもフローレンスさんのままでいてあげてよ」

「………………ああ。ありがとう」

 

 送られた望外の言葉に鎧人形の少女は溢れ騒ぐ感謝と喜びの感情にしばし何も言えなかった。ルキノの優しさとフローレンスとの大事な思い出の両方を何度も何度も噛み締めて、ようやく震えた声を絞り出す。

 

「しかしだ。ならばワタシはお前さまの何者になれば良い?」

「それなら、その……友達になってくれるとうれしい」

 

 テイルとして必死に戦っていた時の凛々しさはどこへ行ったのか。

 照れて恥じらい、口をもごつかせて、消えそうな小声でようやく言うルキノがリィズにはとても愛おしく思えた。

 そして、世界に感謝する。

 敬愛する主人とも死別して、この身が朽ちて動かなくなるその日まで裏界と表を繋ぐ扉を見守るだけの生涯だと思っていたというのにこんなにも素晴らしい出会いをくれたことへ。

 

「友か。心得たぞルキノ。ワタシはお前さまが決して忘れらぬ友人となろう」

「うん。よろしく……リィズ」

 

 とても綺麗な星月夜に見守られ。

 二人はそっと互いを慈しむように手を重ね合わせた。

 始まりの夜。

 二人で一人の仮面の戦士がこうしてこの世界に生れ落ちた。

 彼女たちの物語(テイル)が動き出す。

 

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