システムエンジニアと迷いし少女の物語   作:書との契約者

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第1話:日常という名のシステム

 月曜日の朝は、いつだって少しだけ憂鬱だ。

 コーヒーの苦味だけが、思考にこびりついた眠気を無理やり引き剥がしてくれる。

 

 一週間に及んだ新任リーダー研修の最終日、講師が放った言葉が、今となってもやけに頭の奥で反響していた。

 

 自室の全自動コーヒーメーカーが淹れた、味もそっけもない標準ブレンドを喉に流し込み、俺は磁気浮上式モノレール、通称リニアトレインの静かな振動に身を任せた。

 

 窓の外を流れていくのは、ガラスと金属で出来た未来的なビル群と、その壁面を彩る巨大なホログラム広告だ。

 高架を滑るリニアトレインから地上を見下ろせば、幾重にも張り巡らされた透明なチューブの中を、自動運転の車両が澱みなく流れている。

 この都市から一歩外に出れば、今も日常であるはずの「渋滞」という概念は、ここには存在しない。

 全てがシステムによって制御され、最適化された街。

 

『―――あなたの暮らしを、次のステージへ。学術研究技術都市 "夢の島"』

 

 車窓に流れる都市のキャッチコピーは、住民なら誰もが知る謳い文句だ。

 表向きは国から半分独立した研究特区の連合体。

 その実態は、巨大企業と国際機関が莫大な資金を投じて作り上げた「生きた実験室」。

 それが、俺の住むこの街の正体だ。

 

 俺は、この都市の住民なら誰もが装着しているARコンタクトレンズに、標準AI『フローラ』のニュースフィードを投影する。

 視界の隅に、当たり障りのないヘッドラインが流れていく。

 

『本日18時までの降水確率は0.001%です』

『中央区画の再開発プロジェクト、第3フェーズに移行』

 

 そんな情報を受け流しながら、俺の思考は先週の研修の最後の講義へと引き戻されていた。

 コンプライアンス、労務管理、セキュリティポリシー……会社員として守るべきルールを散々叩き込まれた後、講師は最後にこう言ったのだ。

 彼の声は、それまでの退屈な講義とは明らかに違う、冷たい緊張をはらんでいた。

 

『最後に、コンプライアンス上の最重要事項を一点。リーダー以上の役職者には、通常のマニュアルでは対応できない、イレギュラーなシステムトラブルに関する最終手順書の存在が共有される。通称、『レッドブック』だ』

 

 研修室の空気が、引き締まるのを感じた。

 誰もが、その物々しい響きに息を呑んでいた。

 

『これはプロトコルや電子データではない。物理的、あるいはそれに準ずる形で厳重に保管された、紙のマニュアルだ。その内容はただ一つ。あらゆるセキュリティ認証を迂回(バイパス)し、システムの最深部に強制アクセスするためのコマンドが記されている』

 

 ゴクリ、と誰かが喉を鳴らす音がした。

 俺もその一人だった。

 それは、エンジニアとしての知的好奇心をくすぐられると同時に、触れてはならない禁忌の匂いがした。

 

『当然、使用には厳格な手続きが求められる。使用する際は、管理室に保管されているレッドブック本体と、緊急時使用申請書を照合し、その場にいる管理者の承認認証を得なければならない。この手順書は、会社のBCPにおける最終フェーズであり、その使用は厳しく管理されている。軽率な使用は、君たちのキャリアだけでなく、会社そのものの存続に関わることを肝に銘じておけ』

 

 まるで軍隊の機密文書のような物々しい説明。

 一介のIT企業には不釣り合いなその存在が、妙に頭にこびりついていた。

 

 リニアトレインが、目的の駅に滑らかに停車する。

 改札を抜けると、ひんやりとした空調の空気が肌を撫でた。

 地上へと続くエスカレーターを上がると、ガラス張りの大屋根に覆われた歩行者デッキが広がっている。

 

 足元では清掃ドローンが静かに走り回り、チリ一つない。行き交う人々は、学生、白衣を着た研究員、そして俺のようなスーツ姿の会社員と様々だが、皆一様にARコンタクトに映る情報に視線を落としながら、互いにぶつかることなく歩いていた。

 俺もその人の波に乗り、目的のビルへと足を向ける。SPトレンドシュア社。

 それが俺の職場だ。

 

「……リーダー?」

 オフィスに着くと、怪訝な顔で鈴木さんが俺の顔を覗き込んでいた。

 どうやら、考え事をしながら無意識にデスクに向かっていたらしい。

 

「あ、ああ、すまん。おはよう、田中君、鈴木さん」

「おはようございます。研修、お疲れ様でした。これでようやく、俺たちのリーダーが帰ってきましたね」

 田中君が、にやにやと悪戯っぽく笑いながら言う。

 

「早速で悪いんですが、世界シミュレーターの定期診断、始めちゃいましょう。また都市中枢の特別プロジェクト部門の連中が使った後って、いつも挙動が怪しいですし」

 

 世界シミュレーター。

 表向きは、この都市の気象予報システムや、世界的に大ヒットしているMMORPG『エルダー・クロニクル』の基幹サーバーとしても利用されている、超巨大な演算システムだ。

 そのおかげで、この都市の天気は降水確率100%以外ではまず外れないし、ゲームの世界は現実と見紛うほどリアルなのだという。

 

 だが、そのリソースの一部は「特別プロジェクト」と称して、俺たちでも詳細を知られない研究に使われている。

 田中君が言うように、その「特別」な連中が使った後は、いつも決まってシステムに奇妙な負荷がかかり、原因不明のログが記録されるのが常だった。

 

 俺たち三人は、フロアの奥にある評価室へと向かった。

 重々しいセキュリティドアを開けて中に入ると、サーバー群が発する熱を冷やすための、ひんやりとした空気が肌を撫でる。

 規則正しいファンの駆動音だけが静かに響いていた。

 

「フローラ、メンテナンス用の自動テストプログラムを起動。結果をメインコンソールと各ターミナルに転送してくれ」

『了解しました。テストシーケンスを開始します』

 

 フローラの合成音声が部屋に響く。

 あとはAIがやってくれる簡単な仕事……のはずだった。

 テストが始まって数分。

 進捗を表示するメインコンソールのログの流れが、不意に止まった。

 

【...system check sequence normal...】

【...network integrity check...OK】

【...ERROR: Unknown parameter detected...】

【...解析不能な外部データが干渉しています...】

 

「ん?なんだ、また特プロの連中が変なゴミでも残していったか」

 俺がコンソールを操作しようとした、その時だった。

 エラー表示が画面の端に押しやられ、代わりに、見たこともない文字列が、ゆっくりと流れ始めた。

 幾何学模様のようにも見える、未知のコード。

 

「……なんだこれ、文字化けじゃない。構造化されてる……。美しいな、このコード」

 

 俺の口から思わず洩れた言葉に、二人が怪訝な顔をする。

 だが、これはSEとしての本能的な感想だった。

 俺たちが知るどのプログラム言語とも違う。

 だが、そこには人間の思考とは異なる次元の知性が組み上げたような、無駄のない洗練された法則性と、ある種の機能美があったのだ。

 まるで、完璧に設計された数式を見ているような感覚。

 

「……嘘でしょ」

 鈴木さんが、コンソールを指さして小さく呟いた。

 俺は、彼女が俺と同じようにコードに見入っているのだと思った。

 

「ああ、だろ? 見たこともない言語体系だ。まるで……」

「違います、リーダー! コンソールそのものが……!」

 

 彼女が指さしていたのは、画面の中の未知のコードではなかった。メインコンソール本体に取り付けられた複数のモニタリング画面。

 そこには、赤色のエラーログが、目で追うことすら不可能な猛烈なスピードで流れ続けていた。

 そして、コンソール自体が、これまで聞いたこともないような、悲鳴にも似た甲高い処理音を上げている。

 サーバーを冷却するための冷気が満ちているはずの室内に、コンソールの中心から、じりじりと肌を焼くような熱気が放射されているのを、俺は感じた。

 

 その瞬間だった。

 

 ビィィィィィッ! ビィィィィィッ!

 

 けたたましい警告音が評価室に鳴り響く。ガラスの向こうのフロア全体が、赤い非常灯で点滅していた。

 

「なんだ!?」

「リーダー、これって……!」

 ガラスの向こうのフロアがにわかに騒がしくなった。

 他の部署の社員たちが何事かと席を立ち、困惑した表情で評価室の方を見ている。数人が、心配そうにこちらへ集まり始めていた。

 俺たちの目の前のメインコンソールには、あの未知のコードが、見たこともない速度で流れ続けていた。

 

 それだけじゃない。

 本来なら表示されるはずのない、未知のウィンドウが勝手にポップアップし、そこに表示された『エネルギー出力』と題されたグラフの針が、危険な領域を振り切って激しく振動していた。

 

(やばい、やばい、やばい! まさか……メンテナンスでシステムの診断ポートを開いた、ほんの一瞬の隙を狙われたのか!? 外部からの攻撃…クラッキングか!? エネルギー出力……? なんだこのグラフは……!)

 

 俺は、思考を必死に回す。

(落ち着け、まずはネットワークの遮断とログの保全だ。何が起きたか、証拠を残さないと報告書も書けない。田中君と鈴木さんにも指示を出して……)

 

 だが、俺が口を開くよりも早く、ビル全体のスピーカーが、より上位のシステムにジャックされたかのように、冷たく張り詰めたアナウンスを響かせた。

 

『―――こちらは都市防災管理庁です。第7ブロック、SPトレンドシュア社ビルに対し、都市防災計画に基づき、避難レベル4を発令します』

 

 その言葉が、俺の思考を完全に吹き飛ばした。

(都市防災管理庁……!? なんで市の機関が直接!? これは社内の、ただのシステム障害のはずだぞ!? いきなり都市のシステムから避難命令に繋がるなんて……!)

 

 それまで遠巻きに見ていた社員たちが、一斉に悲鳴を上げて非常口へと殺到し始める。

 

 フロアは一瞬にして、大パニックに陥った。

 会社の一区画で起きたシステムトラブル。

 それに対して、都市の防災システムが直接介入してくるという、前代未聞の事態。

 この異常なアンバランスさに、俺の思考は完全に追いついていなかった。

 

『ビル内の全職員は、速やかに規定の避難経路より退避してください。繰り返します。ビル内の全職員は―――』

 

 思考が、停止する。

 その考えを裏付けるように、メインコンソールの中央に、一つのウィンドウがポップアップした。

 

【WARNING: 外部ワールドからの不正アクセスを検知。】

【未知の物理法則(コードネーム:"Magic")との同期に失敗。】

【オブジェクト "Ljuna=Luoffice" をローカル環境に強制排出します。】

 

「……は?」

 

 意味の分からない単語の羅列を、俺たちの脳が理解するよりも早く、それは起きた。

 メインコンソールから、光が溢れた。

 太陽を直視したかのような白い光が、俺たちの視界を焼く。衝撃波が評価室を駆け巡り、壁に備え付けられていた機材のカバーが音を立てて吹き飛んだ。

 

(うわっ……!)

 

 咄嗟に腕で顔を庇う。光と衝撃は数秒で収まった。

 耳鳴りと、電子部品の焦げる匂いが残る。

 恐る恐る目を開けると、評価室はめちゃくちゃになっていた。そして、部屋の中央に。

 先ほどまで何もなかったはずの場所に。

 

「……う……」

 

 金色の髪を持つ一人の少女が、倒れていた。

 

 着ているのは、ファンタジー映画でしか見たことのない、青と白を基調とした、銀糸の刺繍が施された制服のような服。しかし、その服は所々が焼け焦げ、鋭利な何かで引き裂かれ、そして……生々しい赤い血でぐっしょりと濡れていた。

 

「…………」

 

 俺も、田中君も、鈴木さんも、声も出せずに立ち尽くす。

 リーダー研修を終えたばかりの俺の一週間は、どうやらチーム全体を巻き込んで、どんなマニュアルにも載っていない形で幕を開けてしまったらしい。

 

 同時刻。学術研究技術都市『夢の島』中枢。

 時空間物理学部門・中央司令室。

 

「警告! ゲートウェイ・シミュレーターに規定値を超えるエネルギー反応!」

「下位世界からの未許可オブジェクトの侵入を確認! 強制排出シーケンスが作動します!」

「座標は第7ブロック、SPトレンドシュア社のチームが使用中の評価室です!」

「プロトコル・フェンリルを発動! 直ちに第一種封じ込めチームを現場に急行させろ!」

「繰り返します! これは訓練ではない! ゲートが、開いたぞ!」




14年前の作品の供養です。とりあえず1章分のエピローグまでは書きました…。
はるか昔arcadiaに投稿した後なろうに投稿してそれっきりでした。
前はライトノベルのように時の分がたくさんというのが主流でしたが、今は短文がたくさんのなろう系が当たり前というのでほぼ全面変更です。
旧題のものもまだ、なろうに残っています。
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