『―――司令部、聞こえるか! こちら第7ブロック最終防衛ライン! もはや限界だ! 繰り返す、限界だ!』
司令室のメインスクリーンに、ノイズまみれの絶叫が響き渡った。
モニターの向こうでは、指揮官の顔が汗と煤で汚れ、その背後でパワードスーツ『ヴァンガード』が巨大な鎌に薙ぎ払われ、閃光と共に爆散するのが見えた。もはや、一刻の猶予もない。
その絶望的な通信を、リュナは静かに見つめていた。
司令官の絶叫、爆散するパワードスーツ、そしてモニターの向こうで繰り広げられる地獄。それは、彼女の故郷で見た、あの日の光景と寸分違わぬものだった。自分を庇って散っていった仲間たちの顔が、脳裏に鮮明に蘇る。
『リュナ、行け! ここは俺たちが食い止める!』
まただ。また、何もできないまま、誰かが自分のために犠牲になるのか?
いや、もう嫌だ。この力があるのに、ここでただ見ているだけなんて。
彼女の碧眼に、強い光が宿る。そして、ゆっくりと立ち上がると、司令官に向かって、深く頭を下げた。
「―――私に行かせてください」
その声は、驚くほど静かだったが、誰にも揺るがすことのできない、鋼のような意志が宿っていた。
「なっ……馬鹿を言うな!」
司令官が、椅子から立ち上がり、即座に反対する。
「君は我々の唯一の希望だ! 護衛もなしに、あの地獄の真っ只中へ行かせるなど……! それこそ、本末転倒だ!」
「その通りだ、リュナ君」
牧原先輩も、これまでになく厳しい顔で続けた。
「君に何かあれば、それこそ全てが終わる。我々がここで研究を続けている意味すらなくなるんだ」
だが、リュナは静かに首を横に振った。
「いいえ。ここにいても、防衛ラインが突破されれば同じことです。それに……」
彼女は、自分の手元に置かれた、予備の『魔法少女の杖』を強く握りしめた。
「あの杖があれば、小型の魔獣は、私一人でも……!」
彼女の瞳に宿る、揺るぎない光に、歴戦の司令官も、天才科学者の牧原先輩も、言葉を失う。
それは、守られるべきか弱い少女の目ではなかった。自らの意志で戦場に立とうとする、一人の戦士の目だった。
数秒の重い沈黙の後、司令官は、まるで奥歯を噛み砕くかのように、言った。
「……分かった。だが、無茶はするな。護衛として、ヴァンガード2個小隊を同行させる。彼らが君への道を切り開く。追加の杖とバッテリーも、彼らに託した。……必ず、生きて帰れ」
「ありがとうございます」
リュナが再び頭を下げた時、俺は彼女の隣に並んでいた。
俺の心臓は、警鐘のように激しく脈打っていた。
戦場へ行くなど、一介のシステムエンジニアである俺の仕事ではない。
だが、この小さな背中を、一人で地獄へ行かせることなど、できるはずがなかった。
彼女の覚悟を前に、俺はもう、迷うことなどできなかった。
「俺も行きます」
「愁也君!?」
牧原先輩が、驚愕の声を上げる。
その声は、ただの驚きではない。明確な拒絶の色を帯びていた。
「……正気か? 君は軍人じゃない。ただの会社員だ。足手まといになるだけだぞ」
その、あまりにも正論で、冷たい言葉。だが、俺は怯まなかった。
「リュナさん一人で行かせるわけにはいかないでしょう。それに、目的地は俺の職場だ。土地勘くらいはあります。システムが生きているなら、内部のセキュリティを解除する手伝いくらいはできるはずです。……足手まといかどうかは、俺が現場で証明します」
俺の目を、牧原先輩は数秒間、じっと見つめていた。まるで、俺の覚悟の純度を、その科学者の目で見極めるかのように。
やがて、彼はふっと息を吐くと、諦めたように、しかし、どこか誇らしげに、部下に合図を送った。
俺の覚悟を読み取ったのか、牧原先輩は何も言わず、部下に合図を送った。その目には、心配と、そしてわずかな誇りのような色が浮かんでいた。
俺が渡されたのは、正規軍の装備ではない、警備部隊用の簡易装甲と暴徒鎮圧用の分厚いシールドだ。
身につけてみれば、その重さと、いかにも頼りない防御力に、思わず苦笑が漏れた。こんなもので、あの魔獣の攻撃を防げるはずがない。気休め程度のニードルガンを腰のホルスターに収め、俺はそれとは別に、自分の社員端末を懐に忍ばせた。SPトレンドシュア社の社員証と一体化した、社内ネットワークへのアクセスキー。
もしビルの電源系統が生きていれば、あるいはこれが何かの役に立つかもしれない。
俺たちのトラックの前後は、8機のパワードスーツ『ヴァンガード』が固めていた。彼らが、俺たちの命綱だった。
トラックの荷台で、俺たちは出撃の準備を進めていた。
俺が慣れない装甲のバックルを締めていると、着替えを終えたリュナを見て、思わず息を呑んだ。
彼女が身にまとっていたのは、研究員から渡された、あの『エルダー・クロニクル』の主人公が着ていた、深い青を基調とした冒険服だった。体にフィットした革のベスト、動きやすそうなキュロットスカート、そして編み上げのブーツ。驚くほど、似合っている。
……あの研究員も血涙流しながら喜んだだろう。
だが、その手に握られているのは、物語の『賢者の杖』ではない。
ピンク色でハート満載の、『魔法少女ミラクル・ラパン』の杖。
あまりにも歪で、ちぐはぐなその姿は、俺たちがこれからやろうとしている作戦そのものを象徴しているようだった。
サテライトラボの巨大なゲートが、重い音を立てて開く。
俺たちを乗せた大型装甲トラックが、硝煙の匂いが混じる曇天の下へと滑り出した。
窓の外を流れるのは、変わり果てた日常の残骸だった。
遠くには、俺が数日前まで通勤していたSPトレンドシュア社のビルが、巨大な墓標のように黒煙を上げている。
路上には、乗り捨てられ、黒焦げになった車が転がり、建物の壁は至る所が崩落していた。
時折、遠くで閃光が走り、遅れて低い爆発音が地面を揺らす。
「目的地は、SPトレンドシュア社、旧評価室3。俺たちが、君と出会った場所だ。あの、何気ない日常が、一変した場所だ。だが、まずは前線を何とか立て直そう。」
俺は、トラックの隅に山と積まれた予備のバッテリーパックと、ダース単位で箱詰めされた杖を指さした。
「ここを拠点に、反撃を開始する」
リュナは、こくりと頷いた。その横顔は、もう迷ってはいなかった。
たった数日前まで、俺の日常だった場所。
そこは今、世界の運命を決める、最前線になろうとしていた。