出先であわててストックからの投稿です。
作戦名オペレーション・キマイラの前線基地は、正常と異常の境界線が溶け落ちた場所だった。
かつて都市の動脈だった第十三ブロックの高速道路は、分厚い防護壁と無数の兵器によって要塞へと姿を変え、その空気は硝煙とオゾン、そして微かに血の匂いが混じり合って淀んでいた。
空を見上げれば、世界の傷跡である巨大な「ひび割れ」が、黄昏の光を吸い込んで不気味に佇んでいる。
そして、数日前から始まった「共鳴」は、今やこの基地の日常の一部と化していた。腹の底に直接響き、歯根をじりじりと痺れさせるような、生理的な不快感を伴う振動。
それは、裂け目の向こう側にある「何か」が、すぐそこまで迫っていることを、俺たちに絶えず意識させていた。
「―――以上が、作戦に参加する主要メンバーのリストだ」
前線基地の司令部テントで、牧原先輩がブリーフィングを締めくくった。モニターに映し出されたリストに、響の名前は、当然ながらなかった。
「愁也さん、待ってください!」
リュナが、すがるような声で言った。
「響さんは……響さんは、一緒に行けないんですか?」
(天野さんの力は、必要不可欠だ。俺も分かっている。異世界で現地の人と接触する可能性がある以上、彼女のような語学の専門家がいるのといないのとでは、作戦の成功率が天と地ほど変わるだろう。だが…)
「リュナさん、これは軍事作戦だ」
俺は、自分に言い聞かせるように、普段より少し強く言った。
「平時の共同研究なら、俺だって天野さんに協力を要請したい。でも、今は違う。ドンパチが始まるかもしれない場所に、専門家だからって、ただの大学生を連れて行くわけにはいかないんだ」
軍の兵士たちとは違う。
博士も、俺も、響さんも、専門的な軍事訓練は一切受けていない。だが、俺はリエゾンとして、如月博士は科学者として、この作戦における明確な役割と責任がある。
しかし、彼女は違う。その才能を、こんな危険な場所で頼ってはいけない。
「―――それでも、私は行きたいです」
静かだが、凛とした声がテントに響いた。
声の主は、今まで黙って話を聞いていた響だった。
「愁也さんのおっしゃる通りです。危険なのは、分かっています。でも、これは、私の専門分野で、私がずっと追い求めてきた『未知との対話』そのものなんです。それに……」
彼女は、悪戯っぽく笑った。
「友達が、故郷に帰るかもしれないんです。一緒に行かないわけには、いかないじゃないですか」
「天野さん……」
俺が何かを言いかける前に、リュナが俺の服の袖を強く掴んだ。
「お願いします、愁也さん……! 響さんがいないと……私、不安で……。故郷の言葉も、この世界の言葉も、響さんがいれば……」
二人の、あまりにも真っ直ぐな瞳。
俺は、牧原先輩の顔を見た。
先輩は、しばらく俺たちの顔を黙って見ていたが、やがて深いため息をついた。
「……分かった。前例のない特例措置になる。彼女の保護者にも、最高機密保持契約を結んでもらう必要がある。愁也、リエゾンとして、最終的な意思を確認してこい。これは命令だ」
承知しました。とこの場の最高責任者の許可も出たことで、響の同行も確定した。
翌日、正式メンバーとして響が加わったの中、オオトモ大佐が、戦術モニターに表示された出力データを指し示しながら、冷徹な事実を告げた。
「結論から言えば、ラパンの装備を推奨する。我々の最大の戦術的優位性は、電力供給にある」
「データ上は、疑いの余地がありません」
その横で、如月博士も強く頷いている。
しかし、リュナは断固として首を縦に振らなかった。
彼女は、傍らに置かれた荘厳な『賢者の杖』を手に取り、魔法で編まれた鎖を自由に動かしながら必死にその性能を訴える。
「ひび割れからマナが漏れ出しているせいで、ここ(地球)でもこれだけの力が出せるんです! エルドリアに行けば、もっとすごい魔法が使えます!」
その必死の訴えは、単なる性能の問題ではなかった。
彼女の専門は、最大火力を叩き出すことではない。
精密な制御を要する特殊魔法だ。
「それに!」
響がリュナを援護するように口を開いた。
「リュナさん、故郷の人に会うかもしれないのに、あのフリフリの衣装はさすがに可哀想ですよ! 愁也さん。文化への配慮も、リエゾン活動の一環じゃないですか?」
フリフリの衣装で故郷の土を踏みたくないという、リュナなりの切実な矜持もそこにはあった。
俺は、険悪になり始めた空気の中に割って入った。
「大佐、博士。彼女の意思を尊重しませんか。我々の目的は、最大火力を出すことではなく、作戦を成功させることです。基本装備は、『賢者』の装備で。ただし、ラパンの杖と衣装も予備として必ず携行する。……リュナさん、それでいいかい?」
俺の提案に、リュナはこくりと頷く。
オオトモ大佐は、「…やむを得ん」と、渋々ながらも承認した。
テントの外では、キマイラ隊の各員が、出撃に向けてそれぞれの牙を研いでいた。
佐藤軍曹ら戦闘部隊の兵士たちが、対魔獣用に改良された新型プラズマライフル『ジャベリン』の最終調整を行っている。
俺は、その様子をオオトモ大佐と共に見つめていた。
「問題は電力だ」
大佐が、裂け目を睨みながら呟く。
「ジャベリンは燃費が悪い。各個人のバッテリーだけでは、長時間の戦闘は維持できん」
「ケーブル敷設が、作戦の成否を分けるわけですね」
「ああ。第一波が突入後、工兵部隊が間髪入れずにこの大容量電力ケーブルをゲートの向こう側まで敷設する。これが我々の生命線だ。万が一切断されれば継戦能力は、駄々下がりだ。」
「……どう守るかの戦いですね。」
その会話のすぐ側で、別の軋轢が生まれていた。
「だから、この広域マナセンサーは超精密機器なんだ! 振動に弱いと何度言えば分かる!」
白衣を砂埃で汚した如月博士が、兵站担当の軍曹と激しく口論していた。
「規格外の機材を装甲車のコンテナに積めんと言っているだろう!」
科学者の理想と、軍人の現実。
この混成部隊の縮図のような光景だった。
学者と軍隊それに異世界人の寄せ集めで、キマイラで名は体をなすというが……。
俺は、頭を抱えながらその間に入った。
「博士、このセンサーの最優先機能は『マナ濃度の広域分布測定』ですね? 緊急時に他の機能を切り捨てても、それだけは死守したい、と。軍曹、コンテナの積載規定重量まで、あと15キロ余裕があります。代わりに、予備の浄水フィルターを2ケース降ろせば、このショックマウント付きの専用ケースごと搭載可能です。水の補給計画には影響ありません」
システムエンジニア時代に叩き込まれた、要件定義とリソースの再配分。まさか、こんな場所で役立つ日が来るとはな…。
少し時は戻って、エルドリア王国――。
王立魔法学院の掲示板に、一枚の羊皮紙が張り出された。
【布告:異端組織『黄昏の旅団』討伐隊編成について】
その掲示板の前に、三人の少女が立っていた。セレスティア、アンナ、そしてエリザベス。
「……行くわよ」
最初に口を開いたのは、アンナだった。
「こんなところで待っていても、何も分からないもの。それに、あの子が関わっているかもしれない事件を、放っておくなんてできない!」
「無謀ですわ」と、エリザベスが静かに言った。「…ですが、ローゼンベルク家の人間として、王国の脅威を座して見過ごすわけにはいきません。そして何より……わたくしは、あの子に誓ったのですから。必ず、取り戻すと」
セレスティアは、二人の顔を黙って見つめた後、静かに頷いた。
「……ええ。もし本当に困っているなら、今度は、私たちが助けに行く番よ」
三人の想いは、一つだった。ただ一人の、大切な友人のために。
こうして、エルドリアでは、王国の威信と友情を賭けた討伐隊が。
そして地球では、科学の粋と人類の存亡を賭けた特殊作戦部隊「キマイラ隊」が。
同じ敵を倒すという、ただ一つの目的のために。
二つの世界の二つの力は、互いの存在に気づかぬまま、同じ場所へと、同時に動き出そうとしていた。