システムエンジニアと迷いし少女の物語   作:書との契約者

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第7話:日常の瘡蓋(かさぶた)

 俺たちが牧原先輩のサテライトラボに保護されてから、三日が過ぎた。

 清潔な白衣に着替えさせられ、未知のウイルスや寄生虫に感染していないか、全身をスキャンするメディカルチェックを受けたのは初日のこと。結果はシロ。

 どうやら俺は、異世界からの厄介なお土産は持ち帰らずに済んだらしい。

 

 司令室は、静かな戦争の最前線だった。

 壁一面が湾曲したパノラマディスプレイになっており、そこには第7ブロックの惨状が、複数のドローン視点からリアルタイムで映し出されている。

 床から立ち上る半透明のホログラフィック・スクリーンには、無数のデータストリームと戦術マップが絶え間なく流れ、数人のオペレーター――俺と同じような、白衣を着た時空間物理学部門の職員たちが、静かにそれを監視していた。

 だが、彼らの間に漂う空気は、普段の研究室のそれとは全く違う。

 時折、都市防衛部隊の現場指揮官から、リアルタイムの損害報告が音声で割り込んでくるからだ。

 その度に、室内の緊張が一段と高まる。

 

「……相変わらず、元気だな」

 

 俺は、メインスクリーンに映し出された光景に、思わず乾いた笑みを漏らした。

 ガラスと金属でできた未来的なビル群。その中心で、俺が数日前まで通勤していた超高層ビルが、まるで巨大な墓標のように黒煙を上げ続けている。

 あの日、工業地帯のトンネルで巨大な怪物を振り切った後、奴は俺たちを追うのをやめた。

 だが、それは脅威の終わりを意味してはいなかった。

 奴はSPトレンドシュア社ビルそのものを「巣」とし、そこから新たな脅威を吐き出し始めたのだ。

 

 上空を旋回する無人ドローンと、路上に展開した自動迎撃タレットが、休むことなくレーザーと実弾をばら撒き、戦線を維持している。

 だが、それはあくまで対症療法でしかない。

 根本原因――評価室3と異世界との「接続」を断たない限り、この悪夢は終わらない。

 

 俺は手元の社員端末に視線を落とす。

 ニュースアプリのトップには、もちろんSPトレンドシュア社の事件が表示されていたが、その下に、一見すると無関係なニュースが並んでいた。

 

『気象コントロールシステムに原因不明のエラー。降水確率の精度が一時的に低下』

『大人気MMORPG『エルダー・クロニクル』、断続的なサーバーダウン。運営は緊急メンテナンスを発表』

 

 他のオペレーターたちは、戦術マップと損害報告に集中している。

 だが、俺の目には、そのニュース欄に、全く別の、より深刻な「システム障害報告」が浮かび上がって見えた。

 俺は、隣で全体の指揮を執っていた牧原先輩の袖を引いた。

 

「……先輩、ちょっといいですか」

「なんだ、今は……」

「スクリーンの、あのニュースを見てください。天気予報と、エルクロのサーバーダウン。これらがほぼ同時に起き始めたのは、俺たちの評価室で事故が起きた、まさにあの直後からです」

 

 俺の言葉に、牧原先輩が面倒くさそうにスクリーンを見つめた。

「当たり前だ。世界シミュレーターの機能が一部停止しているんだからな。それに依存しているサブシステムに影響が出るのは当然だろう」

 

「ええ。ですが、問題はそこじゃない」

 俺は続ける。

「もし、評価室のシステムが、ただ単純に『ダウン』しているだけなら、他のシステムは予備系に切り替わるか、エラーを吐いて止まるはずです。でも、現状は違う。『精度が落ちる』『断続的にダウンする』……これは、シミュレーターが死んでいるんじゃなくて、『異常なデータを吐き出しながら、動き続けている』証拠です」

 

 俺の指摘に、牧原先輩の表情がはっと変わった。

 彼の目は、俺が提示した仮説の、その先にある最悪の可能性を見据えていた。

 

「……評価室のシステムが、異世界と接続されたまま、中途半端に生きている。そして、その『汚染された』演算結果が、シミュレーターの基幹システム全体に流れ込み、他のサブシステムまで不安定にさせていると……? まるで、システム全体が癌に侵されているようなものじゃないか……!」

 

「癌」とまでは考えていなかったが、その言葉の重さに、俺は息を呑んだ。

 そうだ。これは、ただの籠城戦じゃない。

 俺たちの世界の根幹を支えるシステムが、内側から、静かに、しかし確実に崩壊を始めているのだ。

 

「……本当の意味で何が起きているかを知るには、やはり彼女から話を聞くしかないだろうな。」

 牧原先輩は、一枚の写真を俺に見せた。医療ポッドの中で眠る、リュナの姿だった。

 

 その時だった。

 司令室の片隅で、医療モニターのアラームが静かに鳴った。

 俺と牧原先輩は、弾かれたようにそちらを向く。

 モニターには「覚醒兆候」の文字が点滅していた。

 

「……行くぞ」

 先輩の短い言葉に、俺は頷く。

 

 俺たちは司令室を出て、継ぎ目のない白い壁が続く無機質な廊下を進む。

 やがて、分厚い気密扉が音もなく左右にスライドし、俺たちはガラス張りの医療区画へと足を踏み入れた。

 部屋の中央には、流線形の白い医療ポッドが一つ、静かに鎮座していた。

 

 プシュー、と圧縮空気が抜ける音と共にキャノピーがゆっくりと開くと、白い冷却ミストが流れ出した。

 現れたのは、医療ポッドと一体化したバイオベッドに横たわる少女の姿だった。

 

「……ん……」

 

 金色の髪が、わずかに揺れる。

 ゆっくりと、少女の瞼が持ち上がった。

 現れた碧眼が、見知らぬ天井、無機質な機械音、そして白衣を着た俺たちの姿を捉え、怯えたように揺れた。

 

「……!」

 

 少女は、何かを言おうとして、乾いた唇を動かす。

 だが、そこから発せられたのは、意味のある言葉にはならなかった。

 牧原先輩が、冷静な声で耳元のデバイスに指示を出す。

 

「フローラ、対話モードを起動。対象の音声パターンを記録し、リアルタイムで翻訳を試みろ」

『―――了解。……音声パターン照合……データベースに該当なし。文法構造の解析……サンプル不足により失敗。翻訳は実行不可能です』

 

 AIの無慈悲な宣告に、牧原先輩は「……だよな」と短く吐き捨てた。

「ダメだ、愁也。語彙のサンプルが絶対的に足りない。翻訳は諦めろ。身振り手振りで、なんとか敵意がないことだけでも伝えるんだ」

 

 先輩の言葉に、俺は頷く。

 ここからが、本当の始まりだ。

 

 俺は、目の前の少女に、どうにか伝わるように、ゆっくりと両手を上げて、手のひらを彼女に見せた。武器を持っていない、という意思表示だ。

 そして、できるだけ穏やかな表情を作り、自分の胸を指さして、もう一度、はっきりと名乗った。

 

「イズミ・シュウヤ」

 

 少女は、俺の意図が分からず、ただ怯えた目で俺を見つめている。

 俺は諦めずに、もう一度、自分の胸を指し、「シュウヤ」と繰り返す。

 そして、彼女の方をそっと指し、首を小さく傾げて、問いかけるような仕草をした。

 

 その、拙いジェスチャーを見て、少女の瞳がわずかに揺れた。

 彼女は、俺の顔と、自分の胸を交互に見た後、おずおずと、震える指で、自分自身を指さした。

 そして、か細く、しかしはっきりと、こう言った。

 

「……リュナ」

 

 その一言が、俺たちの間に架かった、最初の橋だった。

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