システムエンジニアと迷いし少女の物語   作:書との契約者

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第9話:反撃の狼煙

 絶望的な悪夢から、五日が過ぎた。

 

 司令室の壁一面を占める巨大なメインスクリーン。

 そこには、常に第7ブロックの複数のライブカメラ映像が、無慈悲に、そして無音で表示され続けていた。黒煙を上げるSPトレンドシュア社ビル、アスファルトを埋め尽くす異形の群れ、そして散発的な戦闘で火花を散らす、都市防衛部隊の無人兵器たち。

 それは、このラボの職員たちが、自分たちの戦いが何を守るためのものなのかを忘れないための、そして一瞬たりとも気を抜かせないための、無言のプレッシャーだった。

 

 リュナは、その地獄を、一日中、虚ろな目で見つめていた。

 俺は、そんな彼女と、そして自分自身の思考を現実から切り離すように、手元の社員端末で匿名掲示板を開いた。

 建前ばかりの公式発表より、よほど生々しい本音がそこにはあったからだ。

 

【絶望】第7ブロック封鎖5日目 Part12【もう終わりだよこの都市】

 

 411 :名無しのサイバー市民

 公式発表、まだ「武装勢力」と「生体兵器」で通す気か?

 もう5日だぞ。テロリストだとしたら補給とかどうなってんだよ。

 

 418 :名無しのサイバー市民

 >>411

 5日前は笑い話だったけど、マジで異世界ゲート説が現実味を帯びてきたよな。

 あのビルがもう向こうと繋がってて、敵は無限湧きなんじゃねえの。

 

 422 :名無しのサイバー市民

 >>418

 無限湧きとかリアルでやられたらただのクソゲーじゃん…。バランス調整どうなってんだよ運営()

 

 425 :名無しのサイバー市民

 >>422

 つーかエルクロのメンテ長すぎだろ。こっちも被害者なんだが?

 テロはいいから早くゲームさせろ。

 

 428 :名無しのサイバー市民

 >>425

 まさかSP社のテロのせいでエルクロも落ちてんの?

 だとしたらテロリストマジ許さん。補填アイテムはよ。

 

 430 :自称特定班 ◆AbCdEfG/H

 >>428

 横からだが、エルクロの運営はSP社じゃない。

 だが、基盤システムの『世界シミュレーター』のセキュリティ担当がSP社。

 天気予報とか都市インフラの基盤にもなってる、あの『世界シミュレーター』だ。

 ソースは元社員のダチ。信じるか信じないかは、お前ら次第。

 

 433 :名無しのサイバー市民

 >>430

 マジかよ…じゃあマジでSP社のせいじゃん。

 

 435 :名無しのサイバー市民

 >>430

 世界シミュレーターって、あの天気予報のやつか!

 どおりで最近、外れが多いわけだ…。影響範囲デカすぎだろ…。

 

 437 :名無しのサイバー市民

 >>430

 また胡散臭いのが出てきたな。陰謀論はもういいよ。

 

 440 :名無しのサイバー市民

 おい、お前ら呑気なこと言ってる場合じゃないぞ!

 ライブカメラの映像見てみろ!なんかデカいのが防衛ラインに…

 hxxp://yumeno.shima.net/livecam/block7_east

 

 

 俺は、吐き気をこらえながらブラウザを閉じた。

 この壁一枚隔てた向こうの地獄と、それをゲームのバランス調整やメンテナンスの遅延と同列に語る人々の熱狂。そのあまりの乖離に、めまいがした。

 このままでは、こっちの精神が持たない。リュナだけでなく、俺自身のためにも、ここから一時的にでも離れる必要があった。

 

 俺は、デッドロックに陥って応答を返さなくなったシステムを再起動させるような気持ちで、リュナのそばに立った。

「気分……転換」

『感情……交換』

 スピーカーから流れる珍妙な翻訳にため息をつきながらも、俺はこの息詰まるような光景から彼女を解放してやりたい一心で、サテライトラボの最上階にある屋上庭園へと連れ出した。

 

 手入れの行き届いた芝生、季節を無視して咲き誇る花々、そしてドームの向こうに広がる、皮肉なほど青い空。庭園の隅にある自動販売機で、一番甘そうなミルクコーヒーを二つ買う。一つを彼女に差し出すと、リュナは不思議そうな顔で、その見慣れない缶を見つめた。

「……コーヒー。甘い。飲む」

 俺が拙いジェスチャーを交えて言うと、彼女はおずおずとそれを受け取り、小さく一口飲んだ。その瞬間、彼女の碧眼が、ほんのわずかに見開かれた。初めて感じる、この世界の甘さだったのかもしれない。

 

 俺たちはベンチに座り、言葉にならない会話を交わす。AIの学習により、今ではお互いの言葉が6割ほど、単語の羅列として翻訳されるようになった。

 だが、彼女が自分の故郷や魔法について語ろうとすると、フローラは『認識不能な概念です』と翻訳を放棄してしまう。俺たちの間には、まだ分厚く、冷たい壁が横たわっていた。

 

 だが、この脆弱な平和は、俺が司令室に戻った瞬間にいつも粉々に砕け散る。

 司令室に緊張が走った。メインスクリーンの中央に、一つの映像が緊急の警告と共に拡大表示されたのだ。

 

『警告! 第2防衛ラインに、大型個体が出現!』

 

 モニターに映し出されたのは、悪夢そのものだった。

 バスほどの大きさを持つ、巨大なカマキリのような姿の魔獣。その鎌のような前足が一閃されるたびに、防衛部隊の装甲車が玩具のように切り裂かれていく。

 司令室が、絶望的な沈黙に包まれた。たった一体の「大型」の出現によって、戦線が完全に崩壊したのだ。

 

 その直後、緊急対策会議が招集された。防衛部隊の司令官、牧原先輩、そして各部門の責任者たちが集まり、俺とリュナも参考人として末席に座る。

 

「……もはや一刻の猶予もない」

 司令官が重々しく口を開いた。

「見ての通り、通常兵器はほとんど効果がない。このままでは、防衛ラインの維持は不可能だ。我々は多大な犠牲を払いながら、時間稼ぎをしているに過ぎん」

 

 その言葉に、会議室の誰もが押し黙る。科学の粋を集めたこの都市の力が、完全に通用しないという現実を、改めて突きつけられたのだ。

 議論が紛糾する中、リュナは唇を噛みしめ、俯いていた。

 彼女の碧眼が、恐怖と、そして深い葛藤に揺れているのを、俺は見逃さなかった。

(言えないんだ……)

 自分の世界の常識が、ここでは通用しない。その恐怖が、彼女の口を重くさせていた。

 

 だが、モニターの向こうで、一体の装甲車が、仲間を逃がすために巨大な魔獣の前に立ちはだかり、盾を構えた瞬間。

 リュナの脳裏に、あの日の光景が鮮烈にフラッシュバックした。

 

『リュナ、行け! ここは俺たちが食い止める!』

 アルノ先輩の最後の言葉。彼の自慢の盾は、黒い獣の爪によって無残に引き裂かれていた。

『君だけでも、生きて……!』

 セリア先輩の悲鳴は、途中で途切れた。

 

 目の前の、モニターに映る光景と、脳裏に焼き付いた記憶が重なる。

 盾を構える兵士の姿が、アルノ先輩の広い背中と重なって見えた。まただ。また、目の前で誰かが死のうとしている。

(もう、嫌だ……!)

 その強い衝動が、恐怖の壁を突き破った。彼女は、ハッと顔を上げた。

 

「―――待って!」

 

 会議室の全員の視線が、彼女に突き刺さる。

 翻訳機が、かろうじて一つの単語を拾った。

 彼女は、必死にスクリーンを指さす。

 

「あれは……『シルヴァ・マンティス』! 『魔法』……!」

 翻訳機が、途切れ途切れのキーワードを吐き出す。『……SILVUS MANTIS……MAGIC……』

 

 その単語を聞きつけ、研究員の一人が侮蔑するように鼻で笑った。

「馬鹿馬鹿しい。『魔法』だと? 典型的なオカルトだ。フローラの翻訳がエラーを起こしている」

 

 その嘲笑が、リュナの心の最後の壁を壊した。

「違います!」彼女は叫んだ。「あの魔獣は、魔法でしか倒せないんです! あれは邪教集団『黄昏の旅団』が使う、召喚獣です!」

 

 その瞬間、翻訳機の音声が、まるで詰まっていたパイプが通ったかのように、クリアになった。

『[言語体系の再構築に成功]……違います! あの魔獣は、魔法でしか倒せないのです! あれは邪教集団『黄昏の旅団』が使う、召喚獣の一種です!』

 

(なんだ? 今、何が……!?)

 俺が驚く間もなく、ざわめきが非難の色へと変わっていく。

 その空気を、牧原先輩の一言が断ち切った。

 

「静粛に」

 牧原先輩は、ざわめく研究員たちを一瞥すると、近くのコンソールへと歩み寄り、数回キーを叩いた。メインスクリーンに、新たなウィンドウが表示される。そこには、二つの波形グラフが並んでいた。

 

「これを見ろ」

 彼は、上のグラフを指さした。

「これは、フローラが記録してきたリュナ君の音声データ。下のグラフは、我々が観測してきた戦闘データだ。これまでは、この二つに相関性は見られなかった。AIは、彼女の言葉を意味のないノイズとして処理していた」

 彼の指が、グラフの右端をなぞる。

 そこでは、それまで無関係に動いていた二つの波形が、一点で劇的に同期し、一つの美しいサインカーブを描いていた。

 

「だが、たった今、彼女は初めて、我々が観測している物理現象と、自らの言葉を、明確な意図をもって結びつけた。『あれは魔獣だ』『魔法でしか倒せない』と、話者本人が行ったこの『データリンケージ』こそ、AIが求めていた最初の『確証(グラウンドトゥルース)』だ。AIは、この確証を基点に、これまで蓄積してきた全ての音声データを再解析し、一気に言語構造を解き明かしたんだ」

 

 彼の声に、熱がこもる。

「その中に含まれる彼女の話は、たとえ『魔法』という言葉であっても、もはやオカルトではない! 観測可能なデータに裏付けられた、我々が解読すべき『論理的な鍵』だ!」

 彼は、懐疑的な研究員たちを見回した。

 

「我々は科学者だ。可能性がある限り、それを検証する義務がある。……リュナ君、見せてくれるかね。君の言う『魔法』とやらを」

 

 サテライトラボの最も大きなシールドルーム。

 本来ならば大型兵器の威力実験をするような部屋だが、その部屋の中央に立っているのは少女が一人だけだ。

 

 リュナは、緊張した面持ちで詠唱を始める。

「―――来たれ、炎の精霊よ。我が声に応え、彼の者を貫け! フレイムアロー!」

 

 彼女の足元に、淡い光で幾何学的な魔法陣が描かれ、そこから凝縮された炎の矢が、一直線に装甲壁の的に向かって放たれた。

 着弾した瞬間、分厚い金属の壁が、まるで溶接バーナーで炙られたかのように、まばゆい光を放って赤熱する。

 

「信じられん……」

「これが……!」

 研究員たちが驚愕に目を見開く中、司令官が希望に満ちた声で尋ねた。

「素晴らしい! これが奴らの装甲を貫く唯一の手段か!」

 

「はい」リュナは頷いた。

「私の世界では、魔獣は物理的な攻撃に対して高い耐性を持っています。ですから、私たちは魔法で戦うか、あるいは……」

 

「あるいは?」

 研究員の一人が、前のめりに聞き返す。

「特別な加工を施した、魔力を帯びた剣や矢を使います。ですが、その作り方までは……私は、専門ではないので……」

 

 その言葉に、別の研究員がハッとした顔で叫んだ。

「司令! それです! 我々の戦闘データと一致する!」

 彼はコンソールを叩き、新たなデータをスクリーンに表示させる。

 

「見てください! 通常弾、つまり物理的な攻撃は、ほぼダメージを与えられていません。しかし、プラズマ砲、つまり高エネルギーによる攻撃は、わずかですが、確実な損傷を与えている! もし、彼女の言う『魔力』が、我々の世界で言うところの何らかの高エネルギーだと仮定すれば、全ての辻褄が合います!」

 その言葉に、司令室がにわかに活気づく。

 

 だが、その希望に満ちた空気を、司令官の冷静な一言が断ち切った。彼はスクリーンに映る巨大な魔獣を指さし、核心を突いた。

「……なるほど。大きな前進だ。だが、リュナ君。そのフレイムアローで、あの個体を撃破できるのか?」

 

 しかし、その言葉に、リュナの顔から希望の色がすっと消えた。

「いえ……この魔法では、小型の魔獣にしか……。あの『シルヴァ・マンティス』には、おそらく傷一つ……。攻撃魔法は……あまり、得意ではないんです。私の専門は……『特殊魔法』。対象の動きを止めたり、力を封じたりする……封印術に近いものです」

 

 その言葉に、司令室の空気は希望から絶望へと叩き落された。

「つまり、我々が今手にしている唯一の対抗策は、専門外の学生が放つ初級魔法だけ、ということかね」

 司令官が、厳しい表情で牧原に問う。

 

「……そうだ」牧原は頷いた。

「だが、ゼロじゃない。我々は初めて、敵の装甲を貫く可能性のある『弾』を手に入れたんだ」

 彼はリュナに向き直った。

「リュナ君、教えてくれ。あの『シルヴァ・マンティス』を倒すには、どれほどの威力が必要なんだ?」

 

 その問いに、司令室の全員が固唾をのむ。

 科学と魔法が交差した今、彼らの次の課題は、その未知なる力の「火力計算」だった。

 俺たちの世界の言葉で、異世界の奇跡を数値化しようとしている。なんとちぐはぐで、だけど、これが俺たちに残された唯一の希望なんだ。

 反撃の狼煙は上がった。

 だが、それが頼りない焚火で終わるのか、燎原の火となるのかは、まだ誰にも分からなかった。

 

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