私達の図書館は1週間ごとに世界を旅する。東西南北、扉のある所なら何処へでも。
時間をかければ次へ行く場所の予測もできるけど、必要無いときはやってない。
何故って、初めて見る景色を私のパートナーが楽しみにしているのだ。
先に答えを教えても無粋なだけだろう……。ん? 先に答え? 無粋? あれ?
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「0時を回りましたね」
手元の時計を2人で覗き込みながら一言。
この空間で「0時を回る」とわざわざ口にする意味は一つだけ。
そう、今日は図書館が別の場所に移動する日、1週間の終わりだ。
「やっぱり時計はアナログだよね。チクタク鳴る音が気持ちいいよ」
同じく時計を見つめながらラディが一言。
ふと、部屋の片隅に目をやれば、まるで用済みだと言わんばかりにデジタル時計が鎮座している。
「前買ったデジタル電波時計は役に立ちませんでしたからね」
「扉が移動する度に少しずつ狂っちゃうからね」
そうなのだ。困ったことに。
この図書館は異空間であり、扉が開いた瞬間だけ世界と繋がるというその性質から、扉を閉めている普段の間は電波を受信できなくなってしまう。
勿論、移動の度に外に出て電波を受信すればいいのだが、生憎こいつは衛星から時間を取得できるGPS時計ではなく、適当に入った電気屋で買っただけの時計だ。
おかげで、国や地域によっては電波が非対応だし、そもそも電波が届かないような山岳や地下では補正が利かない。役立たずめ。
元々、図書館移動の度に発生する時差に対応するためにもデジタル時計を買ったのだが。
いちいち電波が届く場所まで移動するなんて手間かけていられないし、機械に明るくないラディが扱いに困るだろうし、あと真夜中勝手に電波取得しようとして失敗して余計に電池食ってるし。
色々面倒なので我が家の時計はこの度めでたくアナログに決定した。
話し合いの結果、もう時差は手動で修正することに。
そして、あの温もりを感じられない金属の箱は次の外出でゴミ箱行きが確定した。
せっかく買ったが、私とラディの役に立たないなら海の藻屑のように消えてもらおう。
この場所に余計なものは要らないので。
「ですよね? ラディ」
「今日も君は行間を吹き飛ばして最終的な同意だけを求めてくるね。悪いけど何のことか分からないから、同意はしかねるよ」
む。
また、自分の中だけで完結していたか。
悪い癖だ。
──────────
「さて、今週はどこに図書館の扉が繋がったのでしょうか」
「どこだろうねー?」
「それではラディ、例のものを」
「仰せのままに、はいオルテ」
パチンと指を鳴らせば、執事のように手に持っていた本を差し出してくれるラディ。
本のタイトルは『現在ラディの図書館と繋がっている扉について』。
勿論、未知の図書館から取ってきた本だ。
流石にこんな名前の本が外の世界にあるとは思えないし。
まあ簡単に言えば、私達はこの空間における娯楽の一環として、次に図書館が移動する場所を当ててみるクイズゲームをやっている。
移動する場所といっても、選択肢は多岐にわたるので、曖昧に「こういう条件の場所」と宣言するだけだが。
これは一見、次に扉が移動する場所を計算で導き出せる私に有利なだけのクイズに見える。しかし実はそうでもない。
というのも、前々から
「次はどこだろうね!」
と楽しげに話しかけるラディに対して
「今週は何もない平野の小屋ですよ。1週間無駄になりますね」
などと返していたら決まって悲しい顔をされた。
今思えば、あれは所謂「ネタバレを食らった」に値するものなのだろう。
パートナーである身として、彼を悲しませるわけにはいかない。
いつしか私は不要であれば行き先を計算することが無くなった。
そうこうしているうちに、いつしかこの「行き先当てクイズ」をするようになった、という訳だ。
公平性を期すため、『疑似ラプラスの悪魔』は使用していない。当然である。
事前に予測だけしておいて、「もしも偶然当てられたら、何か一つ言うこと聞いてくれませんか?」なんて卑怯な提案もしていない。
少なくともラディにはバレていないのでしていないも同じだ。うん。
「さあ、答えは何かな?」
「先週は高原でしたよね。逆に次は『低地』と予想してみましょう」
「僕は『海の近く』に賭けようかな。生の海を見てみたくてさ。なんだかんだまだ見れてないし」
そういえばラディはまだ海を見たことが無かったか。
言われてみれば当然かもしれない。
図書館は外に人がいて、指定の問答をすることで初めて外とリンクする。
彼が自由に扉を開けて外を確認することは叶わないわけだ。
今は外の世界から来た私がいるから、自由に開閉できるが。
彼は自由な外出どころか、私がいなければ景色を見ることすらできない、と。
掘り下げれば掘り下げるほど可哀想な人だな。
「なるほど。じゃあ私は、『過酷な環境』も付け加えてみます」
「えぇー……? 僕は『静かで落ち着いてる』感じがいいけどなぁ」
などと、やいのやいの言いながら本を開く。
さあ、答えは……。
「『深海に沈んだ船の個室の扉』ですって」
「……わお」
「これは私達2人の勝ちですね。低地ですし、海が見えます」
「沈みすぎだし、海しか見えないよ?」
「過酷な環境ですが、静かで落ち着いた場所でもありますよ」
「思ってたのとだいぶ違ったなぁ」
何故だ。
2人の予想を全て満たすという完璧な場所じゃないか。
ここはもっと喜ぶべきシーンじゃないのか。
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今週の図書館が深海に繋がったと知ってから、私はずっと出入口の前をうろついている。
「今この扉開けたらどうなるんでしょうか」
「オルテは外の世界生まれだからね。やろうと思えば扉開けられるんだよね」
「開けてみますか?」
「場合によってはすごく悲惨な結果が待ってるから止めてほしいなぁ」
だって深海だ。
宇宙よりも謎に包まれているという深海だ。
潜水艦でもなければ到達できない謎の多い領域に、何の因果か私達は到達できてしまっている。
無論、深海の謎とやらは未知の図書館で調べれば全て分かることではあるのだが。
目の前に実物があるとなれば気になってしまうのが知識欲を持って生まれてしまった者の性というものだろう。
……いや、どうだったか。
昔の私は知識が手に入りさえすればその手段は問わなかった気がする。
ここでの生活でラディに影響されてきたのか?
もしそうならそれはきっと良いことだ。
だって今の状況を楽しむことができている。
楽しみが増えることがまずい訳がない。
「この場合、扉を開けたら水が押し寄せてくるんでしょうか」
「かもしれないし、そうじゃないかも。もしそうなら、僕らはものすごい水圧の水に押しつぶされて、そのまま死んじゃうんだろうね。怖いね」
そう、問題はそこだ。
今扉を開けて予想されるパターンは2つ。
1つ。水は図書館に流れ込まず、私達には何もないまま。
1つ。水が流れ込んできて、私達は深海の水圧で圧死する。
知識欲を止めることはできないが、今後の活動に支障が出るなら話は別になる。
私だってまだまだ知りたいことは沢山あるのに、たった1つの知識のためだけに命を擲つのは遠慮したい。
私はその辺の冷静な判断ができる女だ。
「多分大丈夫だとは思うんだよね」
「根拠は?」
「だってほら、この図書館は外の環境とかに影響されないでしょ? この空間自体は独立している異空間で、外の水圧が図書館の中にまで影響しないんじゃないかなー……と。ただそういう仮説を立ててみたってだけだけど」
「なるほど」
確かに。
今だってこの図書館が水に潰されたりはしない。
扉を開けていないから当然なのだが、例え扉を開けたとして、外が灼熱の砂漠だろうとここは暑くならないし、極寒の雪原だろうと寒くならない。これまでそういった地域に扉が移動することは何度かあったが、事実として確認済みだ。
つまり、意思を持って出入りを行う私と違って、外の環境は中に影響しないのではないか、というのがラディの仮説か。
そして、海中の『水圧』というものも環境として定義されるなら、水は入ってこないはずだと。理に適っている。
「水は意思を持って動く生き物じゃないし、人が出入りするみたいに扉を通過できるかどうかは怪しいよね」
「開けてみます? 開けてみましょうか」
「早いよ、判断が早過ぎるよ。もしこの仮説が外れてたら僕たちは間違いなく無事で済まないし、先に『今の状況で開けていいか』って本で確認すべきじゃないかな」
まあ、それが一番無難か。
もし水が入ってくる場合、深海の水圧を考えると、ちょっとだけ開けてすぐ閉めるなんて芸当も不可能だろうし。
より安全を期すためなら、先に正解を知ってから実践してみた方がよっぽど安全だ。
「じゃあ取ってくるよ」とラディ。
「じゃあ待ってますね」と私。
「……危ないから絶対開けないでね?」
「まさか。数分もかからないでしょう。待ちますよ」
「ほんとかな……」
「ただいま」
「おかえりなさい」
「なんで扉が開いてるのかな、オルテ」
「すみませんラディ。でも気になってしまって」
「そうだろうとは思ってたよ」
──────────
結局水は入ってこなかった。
ラディの仮説は正しかったということだ。
「だから許してください、ね?」
「結果論じゃないか」
ただ、ラディは困った顔をしている。
飼い猫の躾が上手く行かない飼い主みたいだ。
「今回は大丈夫だったけど、次はもう、こういう危ないことしないでね」
「はい。ものすごく反省しています」
「君は身の危険も簡単に好奇心で超えていくから、僕は君に何かあったらって思うと心配で仕方ないんだ、だから」
「まあ、ラディ! 嬉しいです。肝に銘じておきますね」
「もう……」
「絶対反省してないでしょ!」という顔のラディ。
まずいまずい。もっとしっかり反省するフリ……、反省をしておかないと。
「次危ないことしたらお仕置きだからね!」
「なるほど」
「……痛いやつだよ! 痛いお仕置きするからね! 分かった?」
「分かりました。しっかり覚えておきます」
へえ、お仕置きか。
しかもラディの。
……どんなのだろう。ちょっと気になるな。
気を取り直して。
「ほらラディ、もう怒らないで。念願の海ですよ。いかがですか?」
「何にも見えないね」
「深海ですからね。光は届きませんし、当然です」
「そっかぁ。危ないから今週は外に出ちゃダメだよ……」
初めて見る海だというのにラディは露骨に残念そうなリアクションを見せている。
まあ確かにつまらない光景だと思うが。
現時点で深海の黒とマリンスノーの白だけで構成された景色しか映っていない。
深海は広大だから、魚やその他生物の影1つすらも見えてこない。
扉は動かないから、ここから視点を移動させられる訳でもないし。
うん、つまらない。
ならここは1つ、気を紛らわせる話でもしよう。
「話は変わりますが、出入口の扉が内開きと外開きの両方に対応していて良かったと思いました」
「えっ、なんで? 確かに図書館はどんな扉にも繋がる必要があるから、両方に対応してるけれど」
「だってそうでしょう。外開きなら私は深海の海に向かって扉を手で押し開けないといけないじゃないですか」
「あっそうか。内開きも可能だったら体が外には一切出さずに開けられるから、ね」
そうそう。
もしこの扉が外開き限定だったら、開ける時点で私の腕は外にはみ出し、凄まじい水圧に押し潰されていたことだろう。
きっと痛いに違いない。内に開ける構造でよかった。
……深海の水圧が物体を押し潰す瞬間ってどんな光景なんだろうか。
気になるな。
「待ってオルテ。それ以上はいけない」
「え? 何がですか? 何も言っていませんが」
「体が扉に吸い寄せられてたよ。深海の水圧を試してみたいとか考えてたでしょ」
「いや、そんなことはありませんが」
「さっき怒ったばっかりだよね。正直に言ってみて」
「思いました」
「よろしい。後でお仕置きね」
「そんな」
正直に言ったのに。
「そもそも私は凄まじい水圧に何かが押しつぶされるという映像を見たかっただけであって、自分の体で試してみたかった訳では」
「そんなことある?」
「それこそ、何か丁度いいものがあれば、それを扉の向こうに投げ入れるだけでいいのに」
「普通そんなもの見たいかなぁ……?」
うーん。
見渡してみるが、お手頃なものが見つからない。
何せ必需品しか図書館に置いてないし。図書館の本は外に出せないから使えない。
どうしたものか……。
あっデジタル電波時計。
【オルテ】
図書館に住む少女。開閉禁止の扉が開いていたらこいつのせい。
例え苦痛を伴う内容でも興味があれば試してみたいタイプ。
周り全員が拒否するようなえげつない角度のジェットコースターにも乗りに行ってそう。
【ラディ】
図書館に住む青年。開いたままの扉はちゃんと閉めてくれる。
危ないことはきちんと危ないと叱ってくれるタイプ。
最近どんどん常識人的なポジションを確立してきた気がする。おかしい。
【ラディの図書館】
既知の書物と未知の書物の全てが所蔵されているありとあらゆる知識が手に入る図書館。
扉は内開きと外開きの両方に対応している。
そうじゃないとせっかく繋がった扉が開かないという残念なことになってしまう。
【デジタル電波時計】
何も悪いことをしていないのに役立たずだと罵られた挙句、回収不可能な深海に不法投棄された。
名実ともに海の藻屑。