失念。
ゲキバトルで相手を再起不能にさせる条件、それは『頸を断つ』ことだ。
今から杖を取っても、俺はエネルギーを使い切っている故、すぐに柊の頸を断つような技は出せない。
南無三。最早ここまでか。無言ですぐさま動き出したしずくも、間に合わないような所にいる。
『まーちゃん!!』
『少年ッ!!』
2人がそう俺に叫んだ時、山の方から誰かが降りてきた。いや、降りてくるというより、転がってくる音。
デジャヴを感じた時には、既にアメリカンクラッカーの紐が、カウボーイの要領で柊の首に巻きつけられていた。
『……へ?』
『ラストアタック、貰ったぞ』
片目が潰れ、右肩の肉が抉れたバラダギ先輩は、狂気じみた笑みを浮かべ、紐を思い切り引っ張る。すると柊の首は、アボガドを切るようにスパッと断たれる。
『……はぁ、はぁッ……』
『せ、先輩……』
俺は脱力して、へたり込む。その頃には、既に柊の身体はゲキバトル世界から
『後輩のやったことの後始末くらいは……つけねェとなァ……』
いい所を持って行ったとばかりに、満足そうなバラダギ先輩に、俺は『光良さんは……?』と聞く。
『あれだろ?』
先輩が親指で背後を指す。そこには、先輩と同じくらいズタボロの光良さんがいた。
荒い息の光良さんは、取れかけた左腕を抑えながら笑う。
『ッ……オレとの勝負を放棄したか……?』
『まだまだこれからだ!! 三ノ宮ァ!! “アメリカーノ・インパクト”ォォ!!!』
ニヤつくバラダギ先輩は、すぐに光良さんとのタイマンに戻っていった。俺らのそばで、ヘトヘトの男ふたりが戦う音が聞こえる。肉が弾け、骨が砕けながらも、彼らは戦い続けていた。
『……バケモノですね』
『ああ。演劇のバケモノだ』
しずくと部長がドン引きしている。
何だったんだ。いや、しかし助かった。これで薫とも、心置きなく戦える。
柊、そして麗赤、見ていてくれ。
俺と同じく体力やらイマジネーションやらを使い果たした薫は、今にも倒れそうになっていた。
フラフラとした自分の足に、レイピアを軽く刺して気を確かに直そうとする薫。が、すぐにバタリと地面に倒れ込んでしまった。
『……薫』
『安心してくれ。首はまだある……分かるだろう?』
そうだ。俺と薫、どちらもその首はまだ無事だ。立てるほどのエネルギーすら残っていないが。
少し離れたところにいた俺たちは、匍匐前進で互いに近づき、先程のように手を取る。しかし、今度は柊を救う仲間としてではなく、好敵手として。
『真剣な勝負を』
『……おう』
互いに、やることは分かっていた。うつ伏せに寝転び、手と手を取り合い、肘を地面についてその手を浮かせる。
イマジネーションやエネルギーを使い果たし、もはや出来ることは身体と身体のぶつかり合い。ならば、この方法しかないだろう。
小学生くらいなら誰でも知っている、至極簡潔なルールの決闘。鉄球を使う抜き打ち投擲より、ルーザールーズマッチのジルベルトスタイルより、簡単な決闘。
『腕相撲……?』
紅葉部長が疑問符を浮かべる頃には、俺らの腕には既に血管が浮き出ていた。
しずくはというと、ニコッと笑って、その場に正座している。既に観戦体勢だ。
納得したようにフッと笑う部長は、組んだ手を手で包む。そして、俺と薫を交互に見て、合図とともにその手を離した。
『よーい……ドン!!』
俺らは同時に、腕へと力を入れる。
薫は、自分の方向に引き寄せるように、斜めに。俺は、薫をねじ伏せたい一心で、横に。拳が額のあたりに来るように、顔を近づけて。
『くっ……!!』
『ギギギィ……!!』
長いまつ毛の目立つ、紅い目。そこから放たれる、演劇人のオーラ。俺よりよっぽど顔も整っている。声だって綺麗だ。髪も、指も、演技だって。
あらゆる面で、俺より強い。そんな相手が、俺と同じ条件で、タイマンでぶつかり合ってくれている。こんなに有難いことはない。
俺だって、頑張ってきたんだ。花火の代役をするにあたって、改めて基礎から鍛え直した。技だって増やした。エネルギー貯蔵量も増えた。
『……ありがとう』
『ンだよ、負けそうか?』
『違う……私の好敵手になってくれた、その事への感謝さ』
『!!』
俺はその言葉を聞いて、なおさら腕に力が入る。アスファルトの剥げた地面に指をめり込ませ、雄叫びをあげる。
段々と精神が研ぎ澄まされていくのを感じる。周りで聞こえる、鍔迫り合いや銃撃。爆発や属性攻撃による、天災のような音。全員が全力で、自分が一番だと信じてゲキバトルをしている。
そんな中で、俺たちはあえて見逃されている。すぐに駆けつけられそうな距離に部長がいるが、俺たちの邪魔をさせまいとその背中の羽を振るっている。しずくも俺らを見ながらも、敵が来たらすぐに抜刀できるようには構えている。
その気になれば敵校である薫の首をはねることもできるはずだ。しかし、今はこの決闘を重んじ、俺と薫にこの場を託し、守ってくれている。
負ける訳には、いかない。いち演劇人としてではなく、いち薫の好敵手として。
『くっ……』
部長だって、相当なイマジネーションを消耗している。ここで決着をつけねば、共倒れ。薫も力む声を漏らし、全力で決闘に集中する。
しかし、俺らも限界が近い。力が弱まっては、相手に圧され、それをギリギリで耐えて、今度はこちらが圧し返す。互いにその繰り返しだ。
『……』
『ッ!!』
ふと、背後に気配。
『腕相撲か』
そうつぶやく声から察した。そこにいたのは、光良さんだった。
まずい、光良さんは恐らく冗談の類が通じない人間。こんな状況に直面しては、俺らの頸が断たれかねない。
決闘が未決着に終わる覚悟を決めた。そんな俺の横で、光良さんはついに動いた。
『……』
いや、正確には座っただけだ。
『え……?』
『やれ。見届ける』
あぐらをかき、俺らの拳のちょうど横に座る光良さんは、笑うことも無く、ため息をつくことも無く、ただそろそろじいっと俺たちを見ていた。
ヤバい、泣きそうだよ。
『ありがとう、子犬くん』
薫が掠れた声で感謝を述べると、光良さんはどこか恥ずかしそうに顔を赤くして『……やれッ』とだけ言う。
彼の赤面の理由は、おそらくその老け顔から来る、普段からの自分の扱いに起因するものだろう。
酷い時は、顧問の先生に間違えられることもある、と言われている光良さんの顔は、確かに30代に見えるようなものだ。しかし、彼の精神は未だ高校二年生。
海老原のただの高二として彼は生きたいと願っているのかもな。だからこそ、子犬扱いをされても満更でもなさそうに、むしろ照れてしまっているのだろう。
そんな光良さんの横に、もう1人。
バラダギ先輩が、どかっと地面に座る。
『何やってんだか』
『せ、先輩……』
『ちっ、少し休憩する。ちょっとは頑張れよ、休憩中の暇つぶしにならねーからな』
ぶっきらぼうに言うが、彼の目は、誰から見ても明らかにギラギラとしている。俺らの勝負の行く末に興味があるらしい。
『うあ〜〜ん!! 光良先輩〜〜ッ!!』
『……古織。大丈夫か』
そこに、さらにもう一人。羽丘を撃退したであろう、ボロボロの古織が泣きながらやってくる。
『これが大丈夫に見えますかあ!? もう今も意識途切れそうでやっとのとこなんですよおッ!! それなのに先輩たち、いつの間にかケンカ始めてどっか行っちゃうし!! 可愛い後輩が瀕死なのにーッ!!』
『にしては声がでけーな』
『バラダギさんはなんでそんなケロッとしてるんですか!? 私よりも酷い傷なのに!! ……って、こっちの2人もボロボロ……』
俺らを見て、古織は何かを察したのか。光良さんの隣に座り、静かに観戦し始めた。
『古織ちゃん、大丈夫?』
『もう結構限界です』
『ふふ、これ終わったら私と戦う?』
『話聞いてました!? いま戦ったら瞬殺ですよ!』
『へえ、瞬殺できるの? 楽しみ』
『あっ違います!! 私がされる側!!』
しずくは同年代の女子が来て少し気が緩んだのか、古織に向かって軽く声をかけている。彼女もさっきまで、自分が死ぬかも分からない戦いに付き合っていたはずなのに。余裕あるなあ。
気づけば、部長が倒してくれていたような、俺らの隙を狙う奴らは消え、単純にこの決闘に興味がある奴らがゾロゾロと集まる。
あっちが勝つだの、こっちに賭けるだの、どっちも頑張れだの、薫の顔が良すぎて横転だのといった声が、口々に俺らの頭上で飛び交う。
気づけば俺らを中心として、数十人の高校演劇人が座り込んだり立ち上がったりして、俺らを覗き込んでいた。
見世物じゃねえんだ、とは思わなかった。逆に俺は、テンションが上がっていた。こんな状況、ゲキバトルの中でもそう見られるものではない。
全員がいち演劇人として、俺らの全力の決闘を応援してくれている。こんなに嬉しいことはないさ、目立ちたがりでエゴの強い演劇人にとっては。
それは薫も同じなようで、笑いが込み上げてきて止まらないといった風に、俺に白い歯を見せてくる。
脳内麻薬のアドレナリンやエンドルフィンをすべて使い切る勢いで、俺は期待に応えようと、最後の力を振り絞って力を入れる。生半可なもの見せて終われねえ。
俺とお前ら、全員の思い出に残るような大会にしようぜ。
ゲキバトルとしては少しばかり邪道かもしれないが、たまにはこういうのも悪くないだろう。
なおさら全力でやらなければ。俺は肘が割れそうな程に、食いしばる歯が砕けそうな程に力む。
全力で、悔いのない試合をしたい。薫に勝って、爽やかに終わってやる。
できない、ってか。できっこないってか。自分の中の臆病な自分が、囁きかけているのか。
演劇に限ったことじゃあない。普段のふとした壁にぶち当たった瞬間、人生の分岐を決める大事な瞬間、できっこないと臆病な自分が言ってくるのか。
それでも、やってみようぜ。1回くらいは、死にものぐるいで。夢を叶えるため、自分にケジメをつけるため、大切な人を笑顔にするため。
そんで、もっとデカい山に挑戦するんだぜ。自分の死体がゲキバトル世界にいくら増えたとしても、俺は挑戦を諦めたくない。
今、俺は薫というデカすぎる山を前にして、その山を動かそうとしている。無謀に見える挑戦だが、俺はできるかどうかよりも、やりたいかどうかでコイツとぶつかっている。
自分の中にいる、理想の自分に素直になろう。柊みたいに。
『……フフ。頑張ってね、アタシたちの恩人……♡』
そんな麗赤の声が、聞こえた気がした。いや、確かに聞こえた。俺はその声に背中を押され、俺の心はアツさを増す。
俺は、心の中の俺に従う。そして、クソが漏れそうな程に踏ん張って、ギリギリまで耐えて、最後には俺が勝ってやる。
『そうだ……できっこなくても……』
『やってやるぜ!! 俺のエゴにかけてッ!!!』
『……君は本当に儚いね、まーちゃん!』
頑張れ。負けるな。そこだ。やっちまえ。
好き勝手でエゴな応援が、俺たちの血を沸かせ、心を躍らせる。
これこそ、演劇の本分。観客の『観たい』というエゴと、演者の『演じたい』というエゴの噛み合う、これ以上ないまでに黄金比率を体現した空間。
さあ、やろうぜ、薫。ノリのいい観客に、最高のシチュエーション、そして好敵手。お前、こういうの好きだろ。
ニヤリとし、目を合わせる俺と薫は、枯れかけの声で叫ぶ。
この果てしない、俺たちのゲキバトルを、終わらせるために。ひたすら、目の前の好敵手に勝つために。
『うぉぉぉおおおおおおおおッッッ』
『うあああああぁぁぁぁぁッッッ』
tips.『ゲキバトル』③
武器とは、それぞれの精神性・アイデンティティが具現化したもの。ゲキバトル内の演者にとって、自分を自分たらしめる要素のひとつ。
剣や銃から、羽やもう一人の自分に至るまで。人によって様々な武器を持っている。拳や足、歯が武器の場合もある。何でもあり。
武器or技名だけに名前をつけるタイプ、そのどちらも名付けるor名付けないタイプ、計四通りの演者がいる。
気がつくと、緞帳が降りきっていた。俺は瞳がグルンと白目になっていた所から正常に戻るのを感じ、脱力感と共に床へと、仰向けに倒れた。
暗転状態だった舞台で、照明が点く。2サスが俺の目を灼く。
15分で舞台から臨時的に道具たちを回収し、休憩を挟んで30分後、審査員からの講評がある。ああ、考えたくない。ちょっと休ませて欲しい。
寝転びながら呼吸を整える俺を、部長が覗き込む。
「どうだった?」
そう聞いてくる部長に、俺はあの時の情景を思い出す。白熱の戦いが、今でも俺の身体をアツくする。改めて俺は、寝転んだままではあるが、部長に感謝を述べる。
「ありがとうございました。満足っす」
「はは、そっか」
笑いながら「てか、仲良いね」と言う彼女の言葉に、何がだ? と思いながら再び上を見て息を整えていると、横で微かに音がするのを感じた。
というか、なんか風も感じる。何なんだ? とよく耳を澄ますと、それが人の息であることが分かる。
「わっ!!?」
「……ぐぬぬう……」
思わず、『それ』から遠ざかろうとし、寝返り一回転、そこには涙を流しながら悶えているバラダギ先輩がいた。俺より先にここに寝転んでいたのか。
先輩は、悔しさを噛み締めるように目を閉じ、歯を食いしばって泣いていた。
そこへ、既に制服に着替えている、俺らの2つ前に出番を終わらせた光良さんが来る。後ろに続いて、古織さんとか言ったか、光良さんの後輩もついてきた。
光良さんはため息をつきながら、しゃがんで先輩に声をかける。
「大丈夫か。原田木燦迅」
「無理……もう動けねえ……」
「あと10分で片付けなければ、講評に移れないぞ」
「ごめん、やっといて……」
「こ、コイツ……ッ」
バラダギ先輩はそう言って、一向に動こうとしない。
「光良先輩に、自分のタスクを任せるだなんて……お、大物ですね」
「言葉を選ぶな。バカと言え」
古織がなんとかオブラートに包んだところを、光良さんがバッサリと斬る。
あわあわしながら誤魔化そうとする古織に、彼は「このくらいで、変にオレらの仲は動じん」と堂々と言う。この人、整然とデレるな。クーデレってやつか?
「マジで無理……身体が、だるい……」
「なら、やめるか?」
そんな光良さんの言葉に、バラダギ先輩はニヤッと笑いながら、身体で反動をつけて起き上がる。
「バカ言ってんじゃねえ。この楽しさは大麻だぜ」
「麻薬でいいだろ」
「なんでダウナーなんですか」
海老原レベルの賢い高校では薬物の勉強もするのか? 俺からは絶対に出てこないツッコミがバラダギ先輩を襲う。
「花火くん。手伝いありがとうね」
「……」
「偉いねえ。花火くんも今回は裏方で頑張ってたもんねえ」
箱馬や大道具を運んでいるのは、しずくと花火だ。
そう言うしずくも、今回はずいぶん暴れてうちの校に貢献したって聞いたけどな。体勢をうつ伏せに変え、少し身体を起こして見てみると。
「花火くん、大好きだよ。愛してるよ。いつもありがとう」
「…………」
「ふふ、言い返せないね? かわいいねっ」
喉をぶっ壊していて喋れない、そして大道具を両手で持っているので現在できる意思疎通方法であるスケッチブックでの筆談や手話もできない花火に、しずくが一方的に褒めを浴びせている。
みんなもまた、花火を見て「よく折れなかったよ」「照明も出来るってすごいよね」と口々に褒め出す。花火は固く口をつぐんだまま、真っ赤な顔をそらし続けている。とんでもない量の汗をかきながら。
あいつ、少しは褒められ慣れろよな。罵倒されたら喜んで感謝を述べるくせに、変な奴だぜ。
苦笑いをする、仰向けの俺。その視界に、灰色の袖から伸びる美しく長い指が入り込む。
その手の方を見ると、しゃがんでこちらに手を伸ばす瀬田薫が、俺に向かって微笑んでいた。
何のために差し出された手なのかが分からない俺は、目の前にある彼女のスカートの中身を見ないよう、そっぽを向きながら話す。
「何だよ。勝負の続きか?」
「フフッ、違うさ」
こんな感じにスカしてはいるが、今にもパンツが見えそうで焦っている。他の奴らには見えないよな。寝転んでるのは俺だけなんだから。
クソっ、普通パンツって無駄に防御力の高いスカートで完全防衛するんじゃないのかよ。山中慎介くらい防衛してくれよ。もうチラチラ目に入ってるんだよ。レースのついた黒が。ちょっとサテンにしてんじゃねえよ。
そんな俺の心中も知らずに、薫は俺に対してただ手を差し伸べるばかり。
ただ、その手を取った俺は、少し呆気に取られてしまった。薫は俺の手を握ると、それをただ上下するだけ。
それは、紛れもない、ただの『握手』であった。
「いい試合だった。まーちゃん」
俺はなんだか色々と考えていたのがバカらしくなった。
お前もバラダギ先輩くらいの演劇バカじゃあないのか? そう心の中でつぶやき、薫の手を握ったまま立ち上がって、強く握り返す。
「そうだな……『かおちゃん』」
「!」
元は、俺をファンだと勘違いした薫に、じゃあファンらしい呼び方でもしてやろうとつけたあだ名だ。
これに対する仕返し(?)として、薫は俺の事を『まーちゃん』と呼ぶようになった。
そのくらい、別に特段尖った呼び方でもないのだが、薫はどこかそうやって俺を呼ぶのを気に入っているようだ。
「クサくて好きだぜ、こういうの」
「ン……クサイ?」
ああ、全身クサ人間には分からんか。俺は「普通は小っ恥ずかしくなるような本音をすぐに吐く、普段のお前みたいな言動をクサいと言うんだ」と解説する。
「私は、素直に思いを言葉にするのが好きなんだ。ああ、今の麻琴への思いを、詩にしたためたい気分だよ……」
「お前、同人作家でもやってんのか?」
バラダギ先輩が、渋々と道具を片付けながら言う。花火は静かに『カクヨムとかですかね。それともハーメルン?』とスケッチブックを出す。どっちも詩には向いてないだろ。
「私もああいうの好きです、先輩」
「……たまには、な」
いつの間にか袖に移動していた、古織さんと光良さんが、なんだかやけに近づいてそう話しているのが見える。
海老原の演劇部、確か部内恋愛禁止とか言ってなかったっけ。あの距離感、ほぼカップルだぞ。
まあいい、とりあえず俺も片付けに加わるか。と、バミテを剥がそうとした時、薫が既に居なくなっていることに気づいた。
どこに行ったんだ。まあ、俺の知ったことではない。あいつはああ見えて、気を許した奴に対しては誰よりもマイペースな所があるからな。仕方ない。
「私が前に出した詩集だ。是非とも受け取ってくれ」
「あ、ありがとうございますッ。あの……後で、サインもください……」
「もうしてあるよ」
「ふああっ! 感謝! 感謝ですっ!」
マイペースすぎるだろ。薫は、舞台裏で椅子に座って休まされているらしい柊に、どこから取り出したかも分からないような詩集を渡していた。
お前、それ常に忍ばせてるのか? 懐に。ヤバいだろ。光良さんも流石にドン引きしながら、「お……思ったよりも同人作家だった……」とメガネをかけ直す。
柊は、同人作家という言葉に驚いたのか「え、薫サマってコミケとか出るんですか?」と薫に聞く。
「コミ……ケ……? これは普通に街中で配っていたが……」
「え!? 一般頒布!? 庵野の結婚式じゃないんですから!」
俺が言うのもなんだが、柊、その例えは絶対に薫には伝わらないぞ。
バミテを剥がし終わり、それを丸めた野球ボール大のテープの塊を持ち、俺は柊の所まで歩いていく。
「よっ。柊」
「……麻琴」
俺を見た柊は、少し気まずそうな顔をしてふにゃっと笑う。しかし、それもつかの間、柊は自分の両頬を手で叩いて立ち上がる。
柊は俺の方に向かってきたと思うと、強めにぶつかってくる。バミテの塊が手から落ちる。何かと思ったが、そのまま俺の背中に手を回し、抱きしめてくる。
「ごめん……」
小さくつぶやく柊。俺らを見て、しずくは「きゃーっ」と言いながら、顔を赤くして花火を抱きしめている。花火も呆然としながら『こりゃキャーだな』とスケッチブックを掲げている。
「……麻琴、怒らないの?」
「別に? こういう事もあるだろ。俺ら、年頃の高校生だし」
「ん……自分で言う? それ」
「はは、確かに」
「……ありがとう」
「……お、おうっ」
そう言う柊の声は、少しだけ震えていた。俺は顔を見ないよう、背中をさすりながら聞く。
「麗赤はどうなった?」
「ああ……今は、僕の中にいるよ」
「そうか。よかった。今までもそうやって、お前の中にいたんだろ?」
「ん……そう。あれは僕の、もうひとつの姿」
鼻水が今にも大噴出しそうな様子で答える柊の声は、あくまでも安らかで、その言葉が本当であることを俺は信じる。
柊は、少し嬉しそうに笑うと、手を背中から腰へと移す。手つきが妙に俺のフェティッシュやらプリミティブやらを刺激し、やたらと色っぽく思える。柊らしく、胸や股やの膨らみは一切感じられないが。
「心配……してくれたの?」
「わ、悪いかよ」
「ううん。気にかけてくれて、嬉しい。
「ああ、良かったな……んっ?」
何だ、今の名前。麗赤に似たような名前が出てきたが。しかも2人。
もしかして、『麗赤の他にも武器が複数人いる』のか。あれか? ポケモンみたいなことなのか? 何人もいる内から今回1人選んできたのか?
おそらく、柊のなりたい柊のルートってのは複数あって、今はまだそれを決めかねてるって感じなんだろうな。
普通の高校生が進路に迷うのと同じ感覚だが、その普通の高校生が持っているようなアイデンティティが一部分欠けているのだから、訳が違うよな。
改めて、こいつの苦労を察せなかったのが悔やまれる。俺がもっと早く気づいていれば。もっと早く相談に乗っていれば。
「ふふっ」
ふと、柊が俺の腕の中でクスクス笑う。
「どうした?」
「いや……ふふふ。ごめん、みんなが楽しそうで」
振り返れば、そこにはいつもの部の光景に、薫や光良さんたちが加わり、全員で和気あいあいと後片付けをしていた。
客席の人達からすれば微笑ましい光景だが、先程まで『死合い』をしていた者同士が、ここまで仲を深められるというのも、よくよく考えれば不思議なものである。
これは中学や大学などを含め、古今東西の学生演劇ならではのギャップ、そして魅力だろう。
しかし、改めてそういったゲキバトルの醍醐味を感じた柊は、安心感から吹き出してしまったらしい。
俺を見上げる柊の目は、周りが赤くなってこそいるものの、幸せそうに、噛み締めるように細められており、俺はなんだかグッときてしまう。
「柊」
「ん、何?」
抱きしめる力を強め、二度と離しはしないと柊の身体を全身で感じながら、俺は柊だけに聞こえるように囁く。
「おかえり」
それに応えるように、柊もかなりの力で俺の腰を締め付け、胸に顔を擦り付けながら、こもった声で元気に言う。
「ただいまっ、麻琴!」
今度、また2人で出かけよう。よければ悩みも聞かせて欲しい。お前の好きなアニメのグッズも買おう。テスト前はお泊まり会もしよう。次は、一緒に戦おう。
頭を撫でながら抱きしめ、柊の存在を肌で感じ、俺らは2人だけの世界に入る。
『めでたしめでたし』
「だね。2人とも、ほんとに幸せそう」
「フフ、儚い……」
「いいじゃん。クサいね!」
「けっ、イチャつきやがって」
『先輩、さっきは2人の無事を喜んでいたくせに』
「花火!? お、お前なァ……」
「まあまあ。バラダギ先輩も、今日ばかりは素直になりましょうよ」
「お、俺の言葉はいつでもストレートで直球だッ」
「物は言いよう……」
「それも長所だね、子猫ちゃん」
「何で俺は子猫ちゃんなんだよッ!? 麻琴は子犬だったのに!! ……いや、子犬もしっくりは来ねーけど!」
いや、うるさいな。入れるかよ、世界。こんな何人にも見られて。
野次馬根性のある奴らに囲まれ、俺と柊は顔を赤くしながらも、それでも離れなかった。
後の都大会総合講評の中で、今も活躍するプロの劇作家にして、東京都高校演劇推進連絡協議会の会長にして、今回の審査員である
『今後の高校演劇では、優しい笑いが求められるかもしれないですね。風刺や社会的問題を題材にすることも、学生演劇の源流となる学生運動へのリスペクトではあります。が、現代にそぐわないような問題を今更挙げる者もいれば、時代遅れの古典演劇を引っ張り出して贋作マクベスの劣化版になる者もいますね』
『オリジナリティ、つまりアイデンティティを大事にしてください。この高校生という期間はあっという間です。だからこそ、自分と向き合う時間を大事にし、自分自身を大事にしてください。それが、自分の中から演技や演出のプランを絞り出す第一歩です』
『それでは、全審査員を代表して、関東大会に進める高校の発表をさせていただきます。この都大会における、最優秀賞は────』