#1 きっと僕らは春を迎えに
「道歩いてたらさ、水かなんかが入った赤い洗面器をさ、頭に乗せてる人がいたのよ」
「は? え、怖っ。何その導入」
「いや、まあここまではどうでもよくてさ」
「よくないって、気になるって。厳しいって」
「メンズコーチ?」
「全てノイズ」
「ああ、目ガンギマリのサムネだ」
突然何を話し出すのかと、
場所は、北千住の比較的小さめなホール、その楽屋。3月も半ば、大半の生徒は春休みか既に卒業しているという中で、今回の『東京都高校演劇研究発表会』、通称『
「近くで見てみると、もう洗面器がマジでタプタプっぽくて。その人もカタツムリくらいゆっくり歩いてるわけよ」
「動機が気になる……」
「ね、俺も気になったんだよ。で、勇気出して聞いてみた」
「嘘でしょ!? やるなあ、僕は絶対そんなの聞けないよ」
「その人自体は普通の人っぽかったからさ。で、その人がこう答えたのよ」
高校三年生の演劇人が、高校最後の舞台として立つのが、この『春葬』。そんな舞台に参列しに来た一年生・二年生、あるいは棺に入りに来た三年生が、話している俺たちの横を通り過ぎる。
「行くぞ」
そう言いながら、真っ先にドアに向かったのは
「あ、もうそんな時間ですか?」
「忘れてた。え〜と、小道具小道具……」
「お前らは本当に緊張しないな」
細いながらも縦に長く、大きいという印象を持たせる身体。その上、三白眼をぎょろりと覗かせるバラダギ先輩は、他の高校のヤツらが見たら泣きそうな勢いでこちらを見る。
睨んではいないようだが、彼の張り詰めた緊張感に、周りも思わずピシッと背中を正してしまう。
部長である紅葉先輩が、良くも悪くもいい加減な性格のため、緩めの雰囲気である部を引き締めるのは、顧問と彼の仕事である。
もっとも、先輩としてはそんな意図はないのだろうが。
「というか先輩、いいんですか?」
「何がだ」
「こんな時期に出て、ですよ」
お世辞にも大丈夫とは思えない。こんな時期に『春葬』に出る者など、進路が決まりきっている、かつ学生演劇に骨を埋める覚悟のある人だけだ。
先輩はどうやら進路を決めあぐねているというのを秋に聞いたことがあったのだが。
「愚問だ。アンパンに何が入っているのかと聞くぐらい愚問」
「え、トルエン……?」
「そっちのアンパンじゃねえよ」
シンナーの隠語じゃなかったか。
先輩はクスリともせず、かといってドヤ顔もせず、さも当たり前ですよって風な真顔で俺たちに答える。
「大学は推薦で受かったからな。入学前課題も済ませてある」
「え!? バラダギ先輩、進学なんですか!?」
なんでもないように「そっちの方がより長く演劇ができる」と言い、先輩は楽屋を出ていく。さりげなく入学前の懸念も解消してるあたり、さすがだな、と思わざるをえない。
「先、行ってるぞ」
ぽかん、とする俺と柊。周りの部員も、ほとんどが初めて聞いたというような顔をしている。
「すごいよね、先輩」
柊が放ったその一言には、秋頃にあった柊の暴走事件に関してのはたらきへの賞賛も含まれているようだった。
「ああ。高校演劇においても、今じゃ部長よりも有名だ……少なくとも、俺たち演劇人にとってはな」
「全員とギリギリまで戦って、僕にはトドメをさし、かつ光良さんたちとゲキバトル内の時間にして1日中戦い続けた」
「回復力ありきだが、かおちゃんとも互角って噂だ。俺よか、よっぽど強い」
学園内でこそ部長の方が王子様としての地位を確立し、卒業式での制服の第二ボタンを貰い受けるイベントに至っては、イープラスでの抽選が行われたほどだ。
まさにカルト的、そんな人気を持つ部長でも、今の高校演劇界での知名度はバラダギ先輩に若干劣る。
「戦いに落ち着きさえあればなあ」
「ここまで育て上げられたスタイルに、何言っても無駄でしょ。馬の耳念仏だって」
「桃太郎電鉄みたいなイントネーションで……」
都大会にて、その荒ぶる鬼神の如き戦闘スタイル、柊を直接葬ったという活躍、最終盤での瀬田薫への善戦、その他諸々……そこで彼を見た者たちは、口々に『彼は山神、バラダギ山神だ』と言っていた。
神の異名をつけられるほど──単に語呂が良かっただけのアダ名が神格化を加速させたのだろうか──の、彼の出世ぶりには顧問や台本担当も目を見張るものがあったのか、今回の舞台では主要人物の役に抜擢された。
「で、何なの?」
「ん?」
「さっきの話の続き」
俺はふと、雑談の続きを思い出そうとする。が。
「……なんだっけ」
「え、そこ忘れるのマジ? 気になって朝から昼までグッスリ寝られないわ」
「生活リズムが夜勤の人じゃん」
楽屋から出ると、人だかりが出来ていた。バラダギ先輩もそこで足止めをくらっており、舞台に入れずにいた。
道を塞ぐ数十名の輪の中には、ひときわ目立ってキラキラとしたオーラを放つ男がいた。
ここで言うオーラとは、『演劇人のオーラ』のことである。その人の演技スタイルや生い立ちを表すような、第ゼロ印象をつける、演劇人にのみ見えるオーラだ。
光良さんのように、キラキラと輝くそれは、彼の周りを控えめではあるが漂い、それにあてられた男女がキャーキャーと黄色い声をあげている。よく見れば顧問らしき人もいる。
俺は「真ん中に、部長みたいな人がいるぞ」と言うと、柊もぴょんぴょんと跳ねてその姿を確認し、「ホントだ。王子様……みたいなかんじだね?」と言う。
まさにお前が好きそうなヤツだな。瀬田薫をはじめとした王子様系の演者に惚れがちな柊を流し目で見つつ、俺はその人だかりに向かう。
唯一その人のファンサ狙いでは無い俺が、人のわらわらと集まる中をかき分けて、というか自然と割れていく人たちの中を堂々と歩いていく。
近くで見ると、少し背が高いことに気づいた。俺は見上げる形で彼の前に立つ。
「フフ……」
「笑い方がワンパターンだな、うちの作者の書くこういうヤツは」
「こんにちは。子猫ちゃん」
「うわ、二人称もアイツや部長と同じだ」
今や良き友人でありライバルである羽丘の王子様や、校内でファンクラブが出来ているウチの部長を思い出していると、俺の後ろについてきた柊がどこからともなくペンを取り出す。
「サインください」
「柊!?」
「お安い御用さ」
「古風な言葉……」
「あ、名前も書いてくれますか。麗しいに紅で麗紅って言います」
「素敵な名前だね。合点承知之助だよ」
「古風な言葉!」
柊のスマホケースに書かれたサインには、白鷺の苗字があった。俺は思わずピリッとする。
名前に見覚えがあったからではない。後ろからの殺気にも似た演劇人のオーラに、だ。
間違いない。俺の背後には、バラダギ先輩がいる。しかもかなり怒っているようだ。なぜ。
「キミは?」
「……
「申し遅れたね。そこに書いてあるとおりだ……」
決めポーズを3種類ほど挟み、彼は俺たちに向かって名乗る。
「
「気に食わないな。OBが何をしに来た」
一切ツッコミを入れず、バラダギ先輩は俺と兆の間に入って、兆の胸ぐらを掴む。何か因縁があるのだろうか、俺は少しギスギスとし始める雰囲気に身体が思わず固まる。
「噛みつかないでくれよ。狂犬病になるだろ」
「暗に俺を子犬くんと言っているのか?」
「ん? 正真正銘の子犬くんだろう? 違うのかい?」
「舐めやがって」
バチバチに煽るなあ、この人。バラダギ先輩が一方的に因縁をつけていると思ったが、兆もノリノリのようだ。
「あと狂犬病って。病気持ってねーから」
論点のズレた反論に、俺はズッコケそうになるが、バラダギ先輩のイラつきを治めるのには好都合。
俺は先輩の横に立ち、ヘラヘラと笑いながら「そうっすよ。この人はこの世で唯一かかった時に笑える病気しか持ってないんですよ」と言う。
「性病じゃねえよバカ!」
「いでっ」
「クラミジア……なのかい……?」
「深刻な顔するな! やめろその目! 恥ずかしい!」
「童貞じゃないことは否定しないんですね」
「お前は何を言ってるの!? え、麗紅って下ネタOKなんだ! 卒業前に衝撃の初耳知識!」
兆も巻き込み、麗紅もノり、一気に和やかムードになる。まるでコントでも見ているかのように、観衆も笑い出した。
そして、もうひとり。
「先輩たち、何やってるんですか。そろそろ開演ですよ」
が、兆を見た瞬間、びくっと肩を跳ねさせる。
「ああ、君は虹ヶ咲の……穂村くん、だったかい」
「ッ……な、何しに来たんです……?」
ヘラヘラと笑う兆は、花火の肩に手を置き、「なに、愛弟子を一目見に来ただけさ。ここでやろうってんじゃあない」と言って、去っていく。
花火は苗字呼びされることを基本的に嫌うが、兆がこの場にいるのがあまりにも衝撃的だったのか、ほぼほぼ放心状態で呼び方に突っ込みもしない。
その去り際、「あ、そうそう」と振り返り、そこにいた俺たちと順番に目を合わせる。
「楽しみにしているよ、麻琴、麗紅、それに燦迅と花火。キミたち『虹ヶ咲学園』の舞台も……ね」
「……うす」
彼と別れて舞台裏に入ると、花火は息をぷはっと解放した。今まで止めてたのかよ。バラダギ先輩はムカつきながらも柔軟をしている。
「……なに、あの人。強いの?」
俺がそう聞くと、「強いも何も」と、知らないで話しかけたのか! と言いたいように、花火は身振り手振りで説明する。
「あの人は俺が中学でやってた時に、高校演劇界でとんでもなく有名だった人なんですよッ。まあ先輩たちとは世代がまる3年違うので、知らなくても不思議じゃあないですけど……バラダギ先輩や部長たち3年生は、あの人にコテンパンにされたんです」
その3年生の引退試合に来るってんだから、タチが悪い。バラダギ先輩もあそこまで怒るわけだ。
「ここに来て会えるとは思わなかったな……イケメンだったなあ、あの人」
「分かる! 後で感想聞きに行っちゃお〜っと!」
「柊、お前……」
前作から輪をかけて呑気だな。
「まあ、直接戦うでもなし。俺らがやることは変わらない」
「だねっ。全力を尽くすのみ!」
「……デカい戦力がひとつ欠けましたがね」
花火の一言に、俺と柊は「うっ」と同時に反応する。一年生にして花火に並ぶ実力を持つ、虹ヶ咲の主戦力にして花火の良き友人。
彼は「しずく……」と、その友人の名前をつぶやきながら、Y字バランスで精神統一をする。
「しずくちゃん、出られなくて残念だったね」
「来年は絶対出るって意気込んでましたよ、あいつ」
「なんたらアイドルグランプリ、だっけ? 沖縄に行って……なんか大変なことになってたね」
兼部をしているので仕方の無いことだが、この場で俺らだけでやれないようじゃあ困る。特に俺は先輩だ。後輩に頼っているわけにもいかない。
俺や柊だけでも、やれるさ。必ず。部長やバラダギ先輩に、優勝をプレゼントしなくっちゃあな。
「……よしっ。一発デカいの打ち上げますか」
「おう」
「うんっ」
ヨガのようなポーズを解除し、花火と共に俺と柊は舞台袖へ歩いていく。小規模なホールの小規模な舞台ではあるものの、設備は新しめであり、歩いても木製の床は軋む音をたてることはない。
裏で準備してる時、何気に気になっちゃうんだよな。床の音。たとえば
客席に聞こえることはほとんどないが、舞台に立っていたり袖で待機していたりする演者や、着替えをサポートしてくれる人達の集中力を削いでしまうのが一番の気がかりである。
今日はそんな心配もほとんどしなくてよさそうだが、顧問は『舞台裏も含めて舞台』と言っていた。緊張感だけは持っておこう。
俺を先頭として、花火、柊の順で2袖に入る。今日の緞帳には、何やら和風な絵が書いてある。歌舞伎か能でも始まるんじゃあないかって雰囲気だ。
その中に鎮座する、水色の怪物のような生き物もキレイだ。
「あれカッコイイ」
「何あれ? 氷の塊みたい」
「モンハン……それもライズって出で立ちですね」
確かに、と俺は花火の例えに吹き出す。改めて辺りを見回すと、急に実感が湧いてきた。俺は心臓を高鳴らせ、周りのオーラに気を澄ます。
ああ、袖幕がまるで競馬の発馬機のようだ。控えている演者は皆、今すぐに走り出してしまいそうなほどに気持ちがはやっているようだ。目がギラついている。
俺らの見ている方の正面、上手の方に部長である紅葉先輩の姿が見えた。先頭に立ち、最初の出番に備える俺は、小さく彼女にサムズアップをする。
さて、今日はどんなアドリブを入れてやろうか。自分が目立てる、というスケベ心と、先輩たちのために何としてでも面白く演じてやる、という忠誠心のふたつを胸に、俺は小さくつぶやく。
「行こう」
柊と花火が、俺の肩に手を置いて続ける。
「「あの虹を探しに」」
次に目を開けば、そこはもう異世界だ。俺はお決まりの言葉をつぶやき、他よりも一足先に意識を飛ばす。
「ゲキバトル、界演』