開霽
朝、ベッドから起きて真っ先に思ったのは今日で夏休みが終わるんだということ。そして、れのんちゃんに会えるのは今日で最後なんだということ。彼女は今日、名古屋に帰ってしまう。それがどうしようもなく厭だった。
朝ごはんを食べて、れのんちゃんの家に向かう。今日は彼女と近くの展望台に行く約束をしている。れのんちゃんの家に着くと、もう彼女は家の前で待っていた。
名古屋に帰る準備はもうしたらしく、その荷物は彼女の親が運んでくれるのだという。だかられのんちゃんと私は、弁当とお茶とスマフォさえ持っていけばよかった。
展望台は家から1時間くらい歩いたところにある。展望台は丘陵の上にあるらしく、名前は聞いたことがあったけれど行ったことはなかった。まだ朝8時30分、そこまで暑くはなかった。舗装されている道が終わると、人影を見なくなった。
「ちょっと疲れたね」
「そうだね、私は普段運動しないから余計…」
「ぼくもそうだな、全然動かないや」
「こうやって話してるとさ、なんか私たちって社会に向いてない気がするよね」
「う〜ん、たぶん社会がぼくたちに追いついてないんだよ」
「そうかな」
「そういうことにしたいね、」
「ね、ほんと」
「まあさ、学校なんかに全く適合している人間の方が怖いと思わない?」
「それは、そうかも…」
「でしょ〜?」
「今どれくらい?」
「う〜ん、時間的には7割くらいかな〜」
「まだ3割あるんだね」
「そうだね、てかなんかお腹空いてきたね」
「まあ、いわれれば…」
「1時間で着くって書いてあったけど全然つかないね」
「ね、ほんと」
「まだ10時にもなってないのにお腹空いたよ」
「あ、ぼくも〜、なんかおやつとか持ってきた気がするな…ちょっと待ってね、」「あ、これこれ」
「なにそれ?」
「ポップコーン」
「何gあるの?」
「500gくらいかな〜」
「めっちゃ多くない?」
「まあね、かさばるよね」
「うんそう思うよ」
「まあ食べよ食べよ」
「うん、」
「ポップコーン食べるの久しぶりかも」
「映画とか見ないの?」
「うーん、みるけどさ、映画館には行かないかな」
「ネット配信待機勢?」
「そう、だね」
「ぼくもだな〜、全然外出ないし…、この夏休みに今年1年分の外出量を使い切った気がするよ…」
「そう、なんだ」
「そろそろ着くんじゃない?」
「そうっぽいね〜」
「あ、あれじゃない?」
「あ、そうっぽいね」
近づいてみると、展望台は思ったより大きかった。階段を登って展望台の最上階へ向かう。
「うわ、めっちゃきれいじゃな〜い?」
「うん、そうだね」
「じゃあ、お腹も空いたし、ちょっと早めの昼ごはん、食べちゃおっか」
「うん」
「てかさ〜、エビフライのしっぽっていつもどうしてる?」
「私はそのまま捨てちゃうけど…」
「ぼく、食べちゃうんだよね〜」
「へ〜」
「そんなに味しないけどね、」
「そう、なんだ」
「そういえばさ、れのんちゃんの誕生日っていつなの?」
「2月29日だよ」
「珍しいね」
「紫暮ちゃんは?」
「私は5月10日」
「いい日だね〜、」
「なんで?」
「死線の4とさ、苦戦の9を超えたから、そう思ったんだけどな〜、」
「考えたこと、なかったな」
「そお?でもお互いあと半年以上あるんだね」
「次会える時よりは短いんじゃない?」
「まあそうだね」
「次会うのは中3の時なんだね」
「進級できるかな〜」
「だいじょうぶだよ、まだ義務教育だから」
「はは、そうだね」
「そうだよ」
そんなことを言い合って、私たちはご飯を食べおわり山を降り始めた。
行きはよいよい帰りは早い、とはよくいったもので本当に同じ道を通っているのか心配になる程に早く降りてしまった。
「どこで投稿する?」
「それ、なんだけどさ」
「ん?」
「ほんとにごめん、でもさ、ちょっと取っときたいんだどうかなごめん」
「え、どういうこと?」
「これを投稿しちゃったら、ぼく、またあの生活に堕ちゃう気がするんだ、わがままだってことはわかってるつもり、でも……」
「終わっちゃう気がする、ってこと?」
「うん…、ぼくから誘ったのに今更私情を持ちこんでごめんね…」
「えっと………、」
「こんなことをしておいて都合が良すぎるのもわかっているけれど、」
れのんちゃんがこんなに困っている姿は初めて見た。確かにこの曲を投稿してしまえば私たちの絆は薄くなってしまうだろう。一瞬躊躇って答える。
「いいよ、だいたい音楽を続けるとかそういう原動力はともかく、始める理由なんかどうせ私的なものなんじゃない……?私も含めて…、だけど…。だからいいんじゃない?」
「ありがと〜!ほんとに感謝だよ…!」
「まあでも、私情を持ち込まれると困ることもあるけど…、でも、れのんちゃんの気持ちも…わかる、よ……、でも、次の曲ができるまで、それまでならいいよ、まってあげる。」
私は立ち止まってそういった。自分で、初めて格好いいことを言った気がした、言えた気がした。
「ありがと‼︎一生忘れないよ〜!ほんとに、うん、ありがと!」
そう言った彼女の目には薄く涙がかかっているように見えた。
そして私たちは駅の方に歩き出した。帰ってほしくない、その言葉を伝えたかった。もう駅に着いてしまう、それが厭で仕方なかった。
「一緒に行こう?」
れのんちゃんはそういうと、ふいに私の手を握った。私は驚いて離そうとしたけれどすぐやめた。どうせあと1時間もしたら、否が応でも離れなくははいけないんだ。それなら別にいいじゃないかと思えた。
手を繋いで歩いていくほど、駅に近づいていくほどに彼女と離れたくなくなっていく。
「ねえ、紫暮ちゃん?」
「え、?」
「空、青いね。」
「え、うん」
紫暮はそう言って空を見た。青い、確かに青かった、それも快晴だった。どこまでも青い、青一色だった。
「ふつくしいね、」
「ね〜、ほんときれいだよね。」
「久しぶりに空見たかも。」
「空がきれいなのはね、たぶん紫暮ちゃんに少し上を向いて歩いてほしいからなんだよ、…たぶん。」
「そう、なのかな…」
「そうだよ〜!」
そう言ってれのんちゃんは私に抱きついた。
「え、ちょっとれのんちゃん……」
でも少し抱きしめ返した。
ああ、もうすぐ駅だ。
駅入るとすぐ彼女は先頭車のホームに足を向けた。どうやら彼女の両親がそこにいるようだった。私は彼女の隣に並んで歩き出した。
「ほんとに大丈夫、れのんちゃん…」
「うん…、大丈夫だよ!」「紫暮ちゃんは大丈夫?」
「うん、たぶん……、」
…虚勢を張るという言葉はこのときのためにこそあるように思えた。電車を待つこの時間が永遠であればいいのに、いや永遠じゃなくてもいい、少しでもこの時間が長く続けばいいと思った。
その、10両編成の最前のホームに立ってれのんちゃんは言う。
「ぼく、初めて、心の底から帰りたくないと思った。」
「私も、こんなきてほしくない明日は初めて。」
そう言った時、入線案内のアナウンスがホームをすっと駆け抜けた。
もう別れなくちゃいけない、線路の向こうに電車がうっすらと姿を表す。だんだんと大きくはっきりとなる、青色のラインが入ったその車両を私はただ見ることしかできなかった。
「さよなら、…って言わないでおくよ。」
「え?」
「言っちゃったら、それはもう終わりみたいじゃん、だから言わない。」
「じゃあ私も言わない。」
「またね!」
その声は私たちの横をすり抜ける音にかき消されそうで、それでも確かに伝わった。
列車のドアが一斉に開いて、彼女は私を抱きしめた。
今度は私も抱きしめた。
発車のメロディが響く、彼女は列車に飛び乗った。
「また来年会おうね!」
「絶対だよ‼︎」
「うん!」
そしてその声は、閉まるドアに隔たれた。列車が動き出す。
やがて小さくなるその列車に、もう終わる夏休みを重ねてみた。
そして私は帰路についた。彼女がいつもそばにいた私の左側に、今は誰もいない。
ほんの少しだけ、ほんとうに寂しくなってしまった。
家に着いてご飯を食べて風呂に入って布団に転がる。彼女からLINEがくる。
「新幹線のったよ」
「私も布団に入ったよ」
「もう遠くなっちゃったね。」
「だいじょうぶ、また会えるよ」
風強く別れを告げた空蝉が今私に夏を終わらせるの
ここまでお付き合い下さりありがとうございました。