魁霽紀   作:倖往はゆ

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序章 第弍話  初音 後編

初音(はつね)

 

 

 朝、というよりは昼に近い時間に起きた。スマフォを見ると、11時20分だとわかる。いつもなら()っくに学校に行っているけれど、今日も夏休みだから今から朝ごはんを食べたっていい。下に降りて朝ごはんなのか昼ごはんなのかよく分からないご飯を食べる。親は家にいないようだった。昔はよく親にスマフォなんか見てごはんを食べていると諌められた気がするが、最近は諦められたのか面倒くさくなったのか、もう言われなくなってしまった。身支度を済ませて昨日の借りた傘を持ち、家を出て図書館に向かう。

 制汗剤ではどうしようもない赫灼(かくしゃく)たるこの太陽を睨んで歩いた。スマフォをいじって、ただ消費するだけの音楽を流し込む。海でもあったら気持ちよく、私がいる()だって様になったかもしれないけれど、ここは埼玉などという海なし県だからよほどのことがない限りそんな希望は叶わない。そんなことを考えているうちに、いつの間にか図書館についてしまった。一度館内に入って、傘を持ったままだったと気づく。一度入り口まで戻って傘立てに向かおうと後ろを振り返ったとき、すぐ後ろに彼女がいた。驚いて変な声が出てしまう。

 

「やっほ〜」

 

 彼女はひらひらと手を振った。近くだからいいのに、わざわざ手を振ってきたあたりさすが彼女というべきか。昨日出会ったばかりなのに、全く初頭効果とは恐ろしいものだ、と思う。

 

「傘、ありがとね〜。」

 

 そう言われて、自分の手のうちに握られている傘をおもむろに彼女に差し出す。

 

「ありがとう、ございました…」

「いや〜、律儀だねえ、ありがと。」

 

 そう言って、彼女は私の傘を受け取った。というか、借りた傘を返すのは律儀以前の問題だと思うが。

 

「てか、うち来る?」

「え?」

「いやなんかさ、作詞お願いした割にはなんかどんな風に〜とか決めてなかったし、お礼も兼ねてどお、みたいな?」

「えっと…」

 

 そういえば昨日、LINEでそんな話をしていたと思い出す。ここで断るのは(私が人見知りだから)困難だろうし、おとなしく彼女に従った方がいいのだろうか。

 

「あ、じゃあ、お邪魔させていただきます。」

「え〜、ありがと〜。それじゃ、我が家までご案内します!」

 

 そういうと、彼女は後ろを振り返った。私は彼女の隣に並んで歩く。外に出るとそこは灼熱で、扉一枚でこんなにも世界が変わるのだと痛感した。さっきまで冷風に当たっていたものだから、余計に辛く感じる。大通りに出て歩いていくと、昨日彼女の背中を追いかけたことを思い出した。そういえば、彼女の家は私の家と近かったと思い出す。

 

「そういえば、名前訊いていい?」

「えっ?」

「よかったらでいいんだけどさ、LINEの名前、時雨、だったじゃん?本名はどうなのかな〜って思ってさ。別に、聞き流してくれてもいいんだけど。」

 

 聞き流してくれてもいい、といっても私はこの状況で聞き流せるほどの人間ではない。

 

「えっと、本名もしぐれ、なんですけど漢字が違って、紫に夕暮の暮で紫暮(しぐれ)、です。あ、上の名前は朝月(あさづき)です、朝の月で。」

「え〜ふつくしい名前だね、いいな〜。」

「あの、貴方のお名前は……」

「あ、れのんだよ、御神楽(みかぐら)れのん。」

「みかぐら?」

「御中の御に神楽だよ、珍しいでしょ、たぶん。」

 

 自分で「たぶん」というんだから世話がない。それにしても御神楽とは、本当に珍しい名字だと思った。栂村さんレベルだろうか。そんなどうでもいいことを考えて、幾つかのしょうもない話をしながら歩いていった。

 

「着いたよ。」

「え?」

 

 確かにそこは私の家の近くだったけれど、近くにこんな家があったなんて知らなかった。そういえば、ここは私と同じ学区だけれど、校内でこんな子を見た記憶はない。一年以上あの学校にいるけれど、名前も聞いたことがないとは、そんなこともあるものか。もしくは、転校生という可能性もなくはないか。

 そんな私の様子を見たのか、彼女は私の心を見透かしたように言った。

 

「えっとね、夏休みの間だけここを借りてるんだよ〜。ぱぱの友達の親が住んでたらしいんだけど、もう亡くなっちゃったみたいで。で、処分する〜って時に友達がもったいないって言って譲ってくれたから、この時期だけ別荘として使わせてもらってるってわけ〜。」

「そう、なんですね…。」

 

 それは、たぶんこの辺のニュータウンよりも倍ほど大きい和風の家だった。私もここに住んでみたいと思う、いわゆる貫禄のある日本家屋で、何やら松が立っていたり立派な家だった。

 

「ほら、入って入って〜。」

 

 そう言って彼女は門扉を開けると、私を招き入れた。誘われるがまま玄関まで進んで内に入る。中は広く、うちとはまるで違った匂いがした。

 

柿渋(かきしぶ)の匂いだよ、これ。」

「そう、なんですね…。」

 

 まったく、渋柿とはなんだろうか。たぶん塗料か何かだろうが、知らないこともあるものだ、と思った。それはそうと、内装も随分侘び寂び(?)があり、時代劇か何かに出てきそうな様子だった。

 

「あ〜、こっちこっち〜。」

 

 そういうと、彼女は私を居間らしいところへ連れていった。私の部屋より綺麗で羨ましい限りだ。いやでも、そもそも私の部屋には荷物が多いからしょうがない。(なんていうのは言い訳だが。)

 

「まあまあ、座って座って〜。」

「あっ、はい…。」

 

 示されたそれは座椅子で、居間の部分だけ畳になっていた。居間の中央には飯台があって、卓上には一輪挿しとティーポットが置いてある。私は窓際の席に座ってスマフォを一瞥した。

 

「お待たせ〜、ささ、食べて食べて〜!」

「あ、ありがとうございます…。」

 

 彼女が持ってきたのは牛乳と葡萄(ぶどう)だった。頂きます、と言って一食べてみる。葡萄とは少し違う味がした。確かに葡萄のようだったが、そういう品種なのだろうか。

 

「ジャボチカバだよ、それ。南米産の常緑高木で、確かフトモモ科だったと思うんだけど〜…。」

「へー、そう、なんですね…。」

「でさ、曲なんだけど、先ず引き受けてくれてありがとうね、ほんと。でね、あの、最初に詩を書いてほしいんだ。それ見て曲作りたいんだ。それでいいかな?」

「あ、私は大丈夫です、ただ……,ちゃんと詞が書けるか不安で」

 

 でも、言われてみれば確かに美味しかった。独特な味だったが、不味いとも思わなかった。ただ、それはあまり他人の家では出てこないようなもので、いやそもそも我が家で出たこともないものだ。というか、そんなものをスーパーで見たこともないし日本で流通しているものなのだろうか。

 

「どお、おいし?それ、庭に生えてるんだよ。」

「あ、そうなんですね…」

「それでね、曲なんだけどさ、先ずは詞を書いてほしいんだ。それを見て曲を作りたくて。それで、お願いしていいかな?」

「はい…、ただ、詞なんて書いたことないんです…、だから……」

「だいじょうぶだよ、そんな心配しなくて。」

 

 その自信はどこからくるのか疑問でしかなかったが、先ずは試してみようと思った。

 

「あ、そうだ、機材とかちょっと見てって〜。 二階にあるから〜。」

 

 そう言って彼女は立ち上がった。私も立ち上がって後ろをついて歩く。彼女の部屋に入ると、そこは、その、なんというか……、混濁に満ちていた。確かに片付いた部屋なのだが、とにかく物が多かった。壁一面のプラモとその箱、フィギュア、本、漫画、恐らく何かの祭壇であろうもの、額縁に入った絵、布団、それから机、椅子、パソコン(たぶんMac)、スピーカー、iPad、文房具、用途不明の黒い機器……壁が見えなかった。

 

「あ、そうそうこれこれ〜」

「え、それって…」

「そう、初音ミクちゃん!」

「せっかくお迎えしたんだけど、どうも歌詞が書けなくて、だからほんとありがとね!」

「いえいえ、別に…」

 

 確かに紫暮はボカロが好きで、延いては音楽を聴くことも好きだがどうも楽譜が読めない。だから何かの一瞬の気の迷いで曲をつくってみたいと、つくれたらいいなと思ったこともあった気がする。でもそれは私に分不相応なことで、そもそも機材購入費も小遣いでは足りないし諦めた。まあこういう一瞬の気の迷いはたぶん他の人にもあるだろうし、私だけではないだろう。

 その後部屋を一通り見て下に降り、しょうもない話をして、時計の針は4時54分を指す。

 

「あ、もう時間が…」

「あ〜もうこんな時間か〜、ありがとね、今日は付き合ってくれて〜。」

 

 そう言って彼女は立ち上がり、私を門まで送ってくれた。

 

「ばいば〜い。ありがとね〜。」

「あ、さようなら……。」

 

 家はこの近所で、帰路は短い。十字路の向こうの地平線に夕陽が沈んでいた。美しいと思ってスマフォを向ける。家に帰り着き、色々やって布団に入り意味もないスクロールを繰り返す。

 気づけば24時、もう寝ようとスマフォを置いて布団を被る。

 でも、眠れなかった。ずいぶん長い時間、(うつ)(うつ)らしていた気がする。何かどうも疼く。(中二病か?まあ実際紫暮は中二だけどね。)

 あ、そうだ、歌詞を書きたい。

 ただ、そう思った。なんとなくだが、書けるかもしれないと思った。根拠はないけれど、そんな気がした。紙を広げて鉛筆をもつ。もうすぐ25時、久し振りにこんな遅くまで起きていた。

 

氷だけが守る私貴方にだけは解かされて




*初音ミクは、クリプトン・フューチャー・メディア株式会社の登録商標です。
 読んで下さりありがとうございました。
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