ログアウト禁止の彼女   作:みつじ

2 / 2
第二話「 実体化バグ、起きてます 」

 俺は、ぐるりと周囲を見回した。

 

 朝の光が、レースのカーテン越しに差し込んでいる。

 天井は、見慣れた六畳一間のアパートのそれ。

 布団の感触。肌寒さ。呼吸の音。

 

 ──よし、現実だ。ここまでは、いつも通り。

 

 

 

 ……問題は。

 

「会いたかったんです、ネルギガさん」

 

 対面に座っているのが、よりにもよって推しだということである。

 

 何度も目を瞬かせて、視界を確かめる。

 いくら目をこすっても──そこに微笑んでいるのは、間違いなく()()()だった。

 

 それが、大問題なのだ。

 俺の推しは、VTuberだ。アバターだ。仮想世界に存在する、人ならざる存在。

 

「あれ? わたし、ちゃんと実体化されてるよね? ネルギガさん? おーい!」

 

 なぜ、そんな存在が目の前にいる?

 

 目の前にいるだけじゃない。

 動く。喋る。息をする。

 小さな手をこちらにひらひらと振って、リィナは不思議そうに首をかしげた。

 

「こんなこと初めてしたから、ちゃんとできてるか不安で……」

 

 その声は、画面越しで聞いていたそれよりも、ずっと落ち着いていた。

 肉声って、こんなふうに響くのか──なんて、思ってしまうくらいには現実感があった。

 

 ……じゃなくて。

 

 これ、夢じゃないのか?

 

 夢なら、あれだ。よくあるパターン。

 頬をつねれば目が覚めるやつ──、

 

 俺が自分の頬に指を伸ばしかけた瞬間だった。

 

「ねーえ、何か反応してよぉ」

 

 ぷぅ、と頬をふくらませたリィナが、すっと手を伸ばしてきた。

 

 そして。

 

「わあっ、ほっぺたって、ほんとにやわらかいんだ〜!」

 

 その細い指が、遠慮もなく俺の頬にめり込んでくる。

 ロングの髪がふわりと揺れて、ふっと鼻をくすぐる甘い匂い。

 配信で何度も見て透き通るような瞳が、まっすぐ俺を見つめていた。

 

 ……現実だ。

 

 しかも、どう考えても破綻している現実だ。

 

 俺は一瞬思考が止まり、その後、あらゆる感情をすっ飛ばしてこう叫んだ。

 

 

 

「ッッシャワー!!! シャワー浴びてくる!!」

 

 何も考えず、ベッドから飛び起きる。そのまま浴室に転がり込んだ。

 

 冷えきった浴室に、自分の息遣いだけが響く。

 ハッとして服を脱いで、脱衣所に投げた。

 そして冷水を頭からぶっかけた瞬間、声にならない声が漏れた。

 

 

 なんだ、あれ。

 

 ただのAIじゃない。触れられたところは確かに温かかったし、たかが指のくせになんか柔らかかった。

 

 理解が追いつかない。

 でも、ずっとシャワーを浴びているわけにもいかないので、意を決して脱衣所に戻る。

 ひとりなら素っ裸で下着を取りに戻るが、今だけは違うかもしれない。どうせ前の日の夜にもちゃんとシャワーを浴びているし、そのまま同じ下着を履いて、っと……。

 

 俺は、そっと脱衣所からリビングを覗いた。

 

 くるりと振り返ったのは、間違いなくリィナだ。

 

 

 

「……やっぱいた。マジでいた。うわあ……うわあ……」

「わっ、ネルギガさん、頭びしゃびしゃ! 風邪ひいちゃいますよ?」

 

 扉の外から、明るく心配そうな声がかけられる。

 俺の脳内では、エラー音が鳴り止まなかった。

 

 

 

 ──そうだ、仕事に行こう。

 

 俺は、就職してから初めて仕事に行きたいと思った。

 

 そこからの準備はほぼ自動操縦だった。

 とりあえず頭をタオルで拭いて、ドライヤーで乾かした。

 

 いつもどおりスーツを着て、ネクタイを締めて──と朝のルーティーンをこなそうとしたが……気になるのはリィナの視線。

 彼女はずっと、後ろから静かに俺を見ていた。

 

「あの……ちょっと後ろ向いといてほしいんですけど…」

「わかりました」

 

 にっこりと笑ったリィナは、素直に後ろを向いた。

 その隙に大急ぎで着替えた。

 

「もうそちらを見てもいいですか?」

「え? ああ…はい…」

 

 声をかけられることにキョドりながら返事をすると、振り向いたリィナはパッと目を輝かせた。

 

「それが、お仕事の服なんですね!」

「そう……というか、あんまり見ないでくれると助かる、かも」

「どうしてですか?」

「恥ずかしいからに決まってるだろ……」

 

 あまりにもじっと見つめてくるので、ネクタイの締め方が上手くいかず手こずった。

 仕事の日には毎日つけているはずなのに……と思っていたら、前からそっと手が伸びてきた。

 

「わたしも、やってみてもいいですか?」

 

 リィナがいつの間にか目の前に立っていた。

 

 俺の口からは、呻き声みたいなのが漏れたと思う。

 それを返事と受け取ったのか知らないが、スーツの襟元にリィナの指が触れる。

 その瞬間、俺の心拍数は一気に跳ね上がった。

 

 距離、近すぎるだろ!

 

「ちょ、ちょ、ちょっと待てって!」

 

 そして、違う意味でもドキッとした。

 

 ネクタイを締めるどころか、首まで締め付けてきたのだ。

 

「く、首! 締まってるからッ!」

「す、すみません! "ネクタイ 人間 巻き方"って調べたんですけど……っ!」

 

 今、ほんとに死ぬかと思った。

 

 なんとか命をつないで、家を出る。

 

 靴を履いて玄関のドアを開ける直前、リィナが玄関にぴょこっと顔を出した。

 

「行ってらっしゃいませ、ネルギガさん。お気をつけて」

「……俺、いま夢見てないよな……」

「夢じゃないですよ。ちゃんと、ログインしてますから」

 

 にこっと笑って、手を振ってくる。

 

 ──くっそ可愛い。反則だろ。

 

 ……って、おい。可愛いとか言ってる場合じゃない。

 落ち着け、俺。これは何かのバグだ。

 

 やっぱり現実が壊れてる。

 そう思いながら、俺は現実(という名の会社)へ逃げ出した。

 





2000字ぐらいって、サクサク書けていいですね。
読む側だったら、もっと長いほうがいいんでしょうか。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。