同時刻。
ヘスペリデス本島の最深部に設置された地下司令部にて、『討伐隊』司令官の風森冬華は、アジール島で対立するユーリーとアイレンの姿を目の前の巨大モニター越しに見つめていた。
つい先程、補給地点の周囲にいた『討伐隊』のメンバーが一掃された所だった。
重篤状態のアイリーンと、消耗により戦闘不能の優雨を除き、リナ、ユリーナが真っ先に倒され、すかさず飛び掛かった有栖も一瞬で薙ぎ払われた。
現在あの場で立っている味方は、アイレン一人だけだ。
開戦から既に6時間以上が経過している---------。
突如としてチェルノボーグが侵攻の矛先を変え、ここ、ヘスペリデス本島への驀進を開始したのだ。
その直後に、ユーリー・イヴニョーリが姿を現し、たった今リアルタイムで『討伐隊』を壊滅させる様子が映ったばかりだ。
一時、司令部内はパニックになりかけたが、冬華の一喝により、すぐさま平静を取り戻した。
もっとも、全員が正気を保てた訳ではない。何人かは口元を押さえて司令部を飛び出していき、他にも身体の震えが止まらない者、指示されたタスクをこなせない者は、速やかに司令部から追い出された。
作戦を遂行する上で必要なオペレーター要員の何人かは、制服に身を包んだ女生徒達に置き換わっている。
切迫した状況でも逃げ出さず、大人に混じって作戦に参加する彼女達の強かさに敬服すると共に、自分達年長者が後方の安全地帯でさえ子供の力に縋らざるを得ない現状に、歯痒さを感じていた。
「司令官!」
直後、背後からスーツ姿の職員が駆けてくる。まだ20歳にもなってない若い女性が、胸に抱いた書類入りの封筒を渡してきた。
「リュージョン連合からですッ、先程ロシアから『ユーリー・イヴニョーリに関する情報』が送られてきました!」
それを聞いた瞬間、冬華は「ようやくかッ…」と苛立ちの混じった声で受け取る。
「秘密主義者どもめッ………自分達の尻拭いを我々に押し付けておいてコレか…!」
「尻拭い…?」と疑問の声を漏らす職員を無視して、憤りをぶつけるかの様にビリビリと乱雑に封を破ると、中の書類束を取り出す。
ロシア語の原文を英訳された書類に目を通していき、やがて冬華は「クソッ」と毒吐く。書類束を地面に叩き付け、近くにいた職員が怯む。
「し、司令官…?」
「間違いなかった………奴は正真正銘、本物の『ゾディアック』だった!世界に12人しかいない男性のガイスト----------その一人を、ロシア人どもは利用していたんだッ!クソッタレ…!」
グシャグシャと頭髪を掻きむしる冬華に対し、職員が怯える様に尋ねる。
「あの……一体どういう------」
「この世界には、男のガイストが12人確認されている。彼らは『ゾディアック』と呼ばれ、その出自も能力も大半が不明だ。どこで、いつ、どの様に彼らは力を手にしたのか------------分かっているのは、その力が従来のガイストとは比べ物にならない程強大だという事だ」
リュージョン大戦終結後、ガイストの少女達が確認されるのとほぼ同時期に、ごく僅かではあるが、本来精霊の力が宿らない筈の男性に、同質ながら精霊を上回る力が宿った。
通常のガイストと違い、彼らは個人で世界を滅ぼせるだけの力を持っている。無尽蔵の魔力に加え、未確認の魔術・魔法術式を備えている彼らは、その正体を科学でも魔法でも解明出来てない、ただ、ガイストと同様、『精霊にルーツ』があるという事だけが判明している。
だが、真の脅威はそこではない---------。
「ガイストの存在だけでも、リュージョンは震撼した。だが、それ以上の力を持つゾディアックは、地球にとっても絶大な脅威と化している……」
「脅威…?」
職員は首を傾げる。男性のガイストの存在は噂程度ではあるが知っていたし、実物としてアイレンを学園で見ている。確かに騎士としての逞しさは感じるし、演習でも高い戦闘能力を備えていたが、彼が地球にとって脅威となるとは考えづらい。
アイレンに限らず、優雨達ガイストや魔術師もそうだが、地球には魔力の元となる魔素が存在しない。
つまり---------
地球にリュージョン出身者が赴くと、軽い魔力欠乏症で体調不良を起こすくらいである。特殊なケースを除けば、リュージョンの人間も地球の環境に適応し、魔力がなくとも生活出来るようになる。
だが、それと同時に身体の機能に変化が生じるし、当然魔力回路にも大きな影響を及ぼす。
仮にアイレンや、あのユーリーとか言う怪物が地球で戦争を起こしたとして、どれだけの規格外の力を誇っていようが、その大半が魔力による産物である以上、全てが使い物にならなくなる。なんら一般人と変わらない、凡庸な人種へと早変わりするのだ。
だが、冬華はその考えを言下に否定する。
「ゾディアックはガイストと違い、魔素がなくとも魔力を無限に生成出来る。つまり---------地球でも『神域魔法』に匹敵する力を振るえる」
その言葉を聞いた瞬間、職員は理解した。
万が一、彼らが地球に渡り、破壊と殺戮に酔いしれ、悪逆の限りを尽くそうとすれば、地球は壊滅的な被害を被る。それこそ、彼らが何よりも恐怖する『核大戦』より悲惨な結果を生みかねない。
「リュージョンは大衆と社会の混乱を防ぐべく、彼らの存在そのものを隠匿した。現在、一般社会における男のガイストなんてものは、噂や都市伝説といった形でしか残っていない。だが、リュージョン以上に恐怖を感じた地球の国々……特にアメリカは、12人の彼らにそれぞれコードネームを与えた、それが
「では、あの男---------ユーリー・イヴニョーリは…!」
冬華は真剣そのものといった表情で頷く。
「そうだ。『スコーピオン』というコードネームを与えられたあの男は、かつてラーフェン人の母親と、旧
忌々しそうな表情で、冬華は叩きつけた書類束を拾い上げる。
「ここには、当時奴が関わっていた隠密作戦の全貌が書かれているが……見ての通りだ---------」
冬華に差し出された書類を見てみると、重要な部分が全て黒塗りに潰されていた。
「こちらを散々待たせておいて、ようやく送ってくれたその
ギリッ……と奥歯を噛み締める冬華。
そんな彼女を見て、職員はふと疑問を覚える。
「あの……では、アイレン先生も、12人のゾディアックの内の一人なのですか?でも、能力は普通のガイストと変わらない様に見えますが…」
魔力量は平均より多少上程度。使ってる魔術は高度ではあるが、どれも既存の術式だ。属性魔法に関しても、炎属性のみ。【精霊武装】も使えない彼は、ガイストとしては平凡な存在だ。たった今聞かされた様な人外の怪物には思えない。
しかし、またも首を振る冬華に否定される。
「彼はある事情で、力を隠しているだけだ。いや……封じざるを得ないと言った方が正しいか----------それと、厳密に言うと彼は
「え------?」
目を瞬かせる職員を横目に、冬華は正面モニターに視線を送る。
状況は最悪だ。だが我々はもはや、彼の真の力に頼るしかない。いや、彼もこうなった以上、躊躇いはしないだろう。彼に禁忌の手段を使わせる事になってしまったのは、他でもない自分達の責任だ。本当に申し訳なく思う。
(だが………ユーリー・イヴニョーリは世界の全てを殺す男だ。ここで倒さなければ、我々に未来はない。頼むッ。勝ってくれ----------アイレン!!)
アジール島。
補給地点のすぐ側で、仲間達が倒れている。
先程まで共に滞空していた有栖も、【精霊武装】を粉砕され、地に伏している。もはや戦闘続行可能なのは自分しかいない。
目の前にいるのは、憎むべき鉄仮面の男。
この男は、間違いなく火打羽由花を殺し、連合軍の将兵達を殺し、討伐隊の仲間を殺しかけ、今もこうして、視界に映る全てを殺戮し、血の海に沈めようとしている。
この造反無道の死徒を止められるのは、自分しかいないッ。
「君を倒せば、この地獄も速やかに終わるんだがね」
溜息を吐くように呟くユーリー。
「もうひとつ方法があるぞ------------貴様がこの場で死ぬ事だッ!」
怨敵を睨み据え、殺意を充填し爆発させる。短槍を捨て、腰を落とし、両の拳で蒼部式戦闘術、『
この世が永遠に続く様に、自分もまた永遠の戦いを続行する姿勢だ。
ユーリーは「やれやれ…」と首を振ると、こちらに右腕を翳す。
「だが、確かにこのやり方の方が、私としても楽しめそうだ-------アプビルト・デア・レーゼッ!!」
叫ばれた瞬間、ユーリーの右腕から不可視の影が生まれ、巨大な手を形成する。
さながら悪魔の手を連想させる一撃に、アイレンは冷静に、かつ、激情をぶつける様に拳を引き絞り、叩き込むッ。
「蒼部式戦闘術、壱の型ニ番ッ-----------『
渾身の右アッパーカットが放たれ、影の手刀と真正面から激突-----------。
一瞬、力が拮抗したかの様に見えた直後、アイレンが短く詠唱する。
「『
瞬間、アイレンの右腕から光が放たれる。それは、ユリーナが放つ光属性の輝き-----------。
「何ッ?」
「うぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
気合いを迸らせ、光の一撃が影を跡形もなく吹き飛ばした。
「アプビルト・デア・レーゼを破ったッ……?アイレン君、君は…!!」
光属性の魔力を纏う右腕を見て、ユーリーが戦慄する。それを無視して、再び詠唱を続ける。
「『Die Dunkelheit wird aufgelöst, und die Flammen werden aufgelöst.《闇が解け、炎も解ける》』」
放つ魔力に闇と炎の色が混ざる-----------。
「『Das Wasser läuft über und der Wind erwacht《水は溢れ、風が呼び覚ます》』」
そこに水と風が生まれる------------。
「『Der Boden hat seine Knechtschaft verloren, und jetzt ist alles in mir. Ich bin derjenige, der alles in dieser Welt regiert, ich bin derjenige, der von allem in dieser Welt regiert wird, und ich bin derjenige, der an alle Dinge gebunden ist, und ich lebe darin. Komm, verschlinge dich selbst, gieße das Blut, das explodiert------《土は束縛を失い、今や全てが我にある。我はこの世全てを支配する者、我はこの世全てに支配される者、凡ゆる縛りを受ける身こそ、凡ゆる物をこの中に宿す。来たれ、我が身を貪り、爆ぜる血を注ぐは------》』」
「まさか、全属性魔法を-----------!」
全身から過剰な量の魔力が溢れ出し、異なる属性同士が混濁し、摩擦を起こすかの様に雷が生まれる。
その全てがアイレンへと還っていく。
「『
詠唱が終わった直後、周囲に残った魔力の残滓が爆散し、周囲に衝撃波が飛ぶ。
その中心に立つのは、6つの精霊を身に宿す一人の青年。
「俺も名乗るぞユーリー………元プロキシオン王立騎士団、第1武装親衛師団・特殊猟兵大隊所属-----------コードネーム『オフィウクス』ッ、アイレン・H・ユクスキュルッ!!………その首頂戴する」