プロキシオン王国・北部国境線付近(戦闘地域)。
リュージョン大戦勃発以前から、国境の策定を巡って小競り合いが続いた地域であり、地政学的に見ても危うい場所と言えた。
終戦後、近隣諸国から押し寄せてくる難民を全面的に拒絶したプロキシオン王国の国境付近には、現在も大量の難民がテントを設営し、身を寄せ合って暮らしている。
プロキシオンの国民も政府も、難民の受け入れによる財政負担と治安の悪化を恐れ、彼らを排除しようという世論が大多数を占めたが、難民もまた自らが生きる為に凡ゆる凶行に走っていた。
彼らは難民の解放という大義名分でテロ組織を結成し、国境から密かに侵入、近隣の小規模な町や村を占領するなどして、生活基盤を確保しようとした。
当然、国民の難民に対する怒りは爆発し、武力を用いた殲滅をも提唱されるようになり、それが実行に移されるまで、大した時間は掛からなかった。
正規軍である国防軍の他、準軍事組織であるプロキシオン王立騎士団まで駆り出され、国の総力を上げて難民狩りが始まった---------。
アイレンが所属していた第1武装親衛師団もまた、戦場と化した難民キャンプに送られた。
特にプロキシオンで活動する最大のテロ組織である『北欧難民解放戦線』は、プロキシオン北部にて大量のガイストをテロリストとして育成し、組織に組み込んでいる。
通常戦力での殲滅が難しいと判断した参謀本部は、存在を公にされていない極秘の特殊部隊である『特殊猟兵大隊』を北部に派遣---------、掃討を命じた。
男性のガイスト----------"ゾディアック"であるアイレンの活躍により、テロ組織に所属するガイストの大半は死滅したが、それでも残党が生き残っており、山賊と成り下がった輩が街道を通る車を襲撃したり、町に押し入ったりする事件が後を絶たなかった。
ヘスペリデスから本国に強制送還され、再び北部戦線に投入されたアイレン・H・ユクスキュル中尉は、そんな落武者の集まりを探しては、虱潰しに殺戮する日々を送っていた---------。
『
『こちら
無線でのやり取りを聞き流しながら、アイレンはまだ雪の残る山脈の谷間で敵兵にSIGを突きつけていた。
「ハァッ……ハァッ……ハァッ…!」
荒い息を吐きながら、雪の上に倒れる敵兵は、まだ十代の少女だった。普通の少女ではない、精霊の力を罪なき人に向けるガイストであり、テロリストだった---------。
「クソッ……グッ!」
少女は此方を睨みつけながら、激痛に顔を歪める。腹部に
もはや終わりだと悟ったのか、少女の瞳から戦意が消失していく-------。
「……殺せッ」
「投降しろ。そうすれば助けてやる」
「…………」
少女は頑なに拒絶するかのように、アイレンを睨む。
「……何故だ」
「何がヘスペリデスだ……何がガイストの楽園だ!私達を……虫ケラのように扱ってきてッ……あぁ…!ぐぅッ…!」
ボロボロの身なりの少女は、苦しげな呻き声を漏らし、世界を呪うような壮絶な表情のまま息絶えた---------。
敵の死亡を確認し、構えていたSIGをゆっくりと下ろす。
周囲の雪と同じ温度まで冷たくなった少女を見て、アイレンは疲れたように溜息を吐く。ヘスペリデスが復活し、ガイストの人権が限定的ながら認められた事は素直に嬉しかった。しかし、公式には存在が秘匿されているゾディアックはともかく、犯罪歴や反社会的と判断されたガイストは変わらず駆除対象となっていた。
それは仕方がない。事情はどうであれ、敵対的な姿勢を崩さず、存在するだけで危険を及ぼす者は、誰であろうと救えない。しかし、そのような社会を作ったのは紛れもない人間であり、過酷な環境に追い込まれたガイストを一方的に選別するなど、あまりにも傲慢であった。
ヘスペリデスとてガイストなら誰でも受け入れる訳ではない。こうしてアイレン達が殺しているのは、そんな楽園からも拒絶された行き場のない連中だった。
どうにもならないとはいえ、こうして戦い続ける自分は昔と何ら変わらない---------"アドラーのガイスト殺し"のままだった。
結局、自分一人ではどうにもならないのかもしれない。あの日、ヘスペリデス壊滅を引き起こした真の黒幕であるバルトに対し、世界を救ってみせると啖呵を切っておきながら、自分では何も変えられていない。あれから3年が経過した今も、虫のように湧き続けるテロリストを相手に、ただ時間だけが過ぎていった---------。
あの教え子達は、今頃どうしているのだろうか。『討伐隊』で共に生命を預け合った彼女達は、再びヘスペリデスに戻れたのだろうか。或いは、どこかで無惨にも生命を落としたのだろうか。それとも---------。
ここでは何も変えられない。自分も、世界も---------。
このままどこにも行けず、永遠に戦場に囚われたままなのだろうか……。
憂鬱な思考に気持ちを沈ませながら、アイレンはベルトの上に付けられたポーチに手を伸ばし、無線機を取り出す。
「…"オフィウクス"より"バレトゥードー"。当該目標の内、最後の一人を殺害した」
『"バレトゥードー"了解。状況終了、直ちにこちらへ合流せよ』
短いやり取りを終え、アイレンは飛行術式を展開し、夜の彼方へと飛び去った。
爆撃の炎により、空は明るく照らされていた----------。
*
無数の野戦砲と戦車が並べられた
野戦病院には負傷した兵士が次々と運び込まれ、患者の絶叫と軍医の怒号じみた指示が絶えず響く。
ふと、近くに置かれていた155mm榴弾砲の傍らに数人の砲兵が蹲るように座り込んでいる。プロキシオン国防軍と騎士団が正式採用しているフレクターパターン迷彩の
ここには騎士団だけでなく、国防軍の部隊も駐留していたが、お世辞にも仲が良いとは言えない関係なので、不必要に声を掛け合ったり、馴れ合ったりする者はいない。
今回行われた掃討作戦の報告を終えたアイレンは、作戦本部とはまた別の部署である人事部の上官から呼び出しを受けていた。
前線だから仕方がないとはいえ、将校が寝泊まりするには粗末すぎるバラックを前に立ち止まる。
「アイレン・H・ユクスキュル中尉、参りました」
「入れ」
ノックを行い、官姓名を名乗ってからドアを開ける。簡素な執務机に座る禿頭の佐官が出迎えた。室内に入ると、直立不動の姿勢で立つ。
「休め、急に呼んですまない。疲れていると思うが、君に重要な指令が下っている」
上官の一言に、アイレンは内心嘆息する。プロキシオン騎士団の最高指揮官であるバルトに正面から噛みついた事実がある為、無茶苦茶な異動命令を受ける可能性は十分にあった。別に後悔はしていないし、ああなってしまっては、もはや袂を分かつしかなかった---------。だからといって、これからの扱いに対する不安がないと言えば嘘になる。覚悟はできてるが、それでもやはり憂鬱だった。
「では、アイレン・H・ユクスキュル中尉に対し、命令を下達する--------」
佐官が厳かに口を開く。アイレンは知らぬうちに固唾を呑んでいた。
「貴官はこれより、プロキシオン王立騎士団から異動とする。なお、新たな異動先は----------」
*
輸送機の後部扉が開き、蒸し暑い熱気が入り込んでくる。
「う……」
長い間、寒い国で過ごしてきたせいか、久しぶりの暑さに顔を顰めそうになる。
輸送機から降りると、自らの視界に飛び込んできた景色に衝撃を受けた。
そこには、3年前に存在したかつてのヘスペリデスの光景が甦っていたのだ。
壊滅的な被害を被った飛行場は完全に機能を取り戻しており、大型の航空機が多数、翼を休ませていた。本島の奥には、再建された校舎が見える。以前と比べて、増築された部分が目立つ。
ヘスペリデスの再興が決定してからまだ2年半だというのに、まさかここまで復興していたとは……。
予想外の状況に驚愕と感心の念を抱いていると、突如として耳をつんざくようなサイレンが鳴り響く。
何事かと思って周囲を見回すと、飛行場で仕事に励んでいた作業員が泡を食った様子で上空を指差し、叫ぶ。
「大変だ!落ちるぞぉ!!」
上を見上げると、アメリカ・ボーイング社製の貨物機が胴体から火を吹き、旋回していた。
「な、んだ…?」
機体のカラーリングからして、ヘスペリデス行きの航空機だろうが、アレはどう見ても致命的な損傷だ。何とか飛んではいるが、墜落は時間の問題だろう。
原因は何だ---------機体の故障?チェルノボーグの襲撃?テロの可能性も……。
そんな事を考えてる内に、機体を覆い尽くす炎は激しさを増していく。
そして、信じられない出来事が起こった----------。
燃料タンクにでも引火したのか、機体が空中で爆散したのだ。
「な…!?」
燃えた破片が降り注ぐ中、地上にパニックがぶちまけられる。
破片から作業員達を守ろうと防壁を張ろうとした瞬間、爆散した航空機の煙の中から一つの光が飛び出す。魔力を帯びた光だ。まるで何かを包んでいるかのように見える-----------。
----------違う、人だッ。
風の防壁で全身を守っているのだろう。しかし、高空から放り投げられたにも拘らず、飛行術式を展開する気配がない。このままでは地上に叩きつけられる。
「クソッ…!」
毒吐いている暇はない。アイレンは速やかに飛行術式を組み上げ、全力で大空に飛び立つ。
蒼穹の彼方へ突っ込む勢いで急上昇し、猛烈な速度で落下する人物の元まで向かう。高度が上がった事により、急激に酸素が薄くなり、口元に酸素を生成して呼吸を補助する。
やがて、自由落下する人物を肉眼で捕捉し、確保できるよう接近を試みる。
風の術式は既に解かれており、その姿がはっきりと視認できた。
「…女ッ?」
確認できたのは、10代半ばの少女だった。桃色のやや短い髪をハーフアップにしている。風魔法が使えるという事はガイストだろうか。
いや、なんでもいい。爆発の衝撃か何かで意識を失っているらしく、接触は比較的容易そうだった。
慎重に手を伸ばし、彼女の腕を取る。掴まえる事に成功すると、そのまま引き付けて抱き留める。
「よし、なんとか…」
アイレンは少女を抱き抱えながら、加速する落下速度をコントロールしつつ、地上へと戻った。