ヘスペリデス諸島は幾つかの小島で構成されている。本島であるヘスペリデス島、アジール島、ゼーゲン島……そして本島から一番離れた位置にあるシュッツァー島で成り立っている。
そこに設営されているのが【リュージョン連合軍シュッツァー基地】である。航空部隊が使う飛行場から海軍が使う港まで、あらゆる物が備わっている要塞島、それがシュッツァー基地だった。
そこに5機のプロキシオン空軍所属機が降り立つ。リュージョンの西側諸国では見慣れた第三世代戦闘機・F-4 ファントムⅡがそれぞれ所定の場所まで誘導され、ウィングスーツ姿のパイロット達が降りてくる。
「………」
タラップを使って地上に足を着ける青年------アイレン・H・ユクスキュル少尉はヘルメットを外し南海特有の潮風の匂いと照りつける陽光を肺に吸い込む。……が、それでも気分は晴れなかった。やっと狭苦しいコックピットから解放され、新鮮な空気と魔素の歓迎を受けても、空での死闘で味わった苦い思いは敗北感に近く------いや、守るべきものを守れなかった時点で我々の敗北なのだ。
その時、不意に肩に手が置かれる。振り向けば空の戦場で勇猛果敢に魔獣に立ち向かった青年士官、クリストファー・エンリケス少尉がこちらを無言で見ていた。
身長175cm、筋肉質で均整の取れた体はいかにも軍人らしい。輝く金髪を短く刈り込んでおり、女性が放っておかないようないい男だが、今は悲痛さと悔しさが混じった表情を浮かべている。
周りを見れば他のホワイトバーン隊の面子も同じ様な顔をして一言も喋らない。……無理もない、自分達の目の前で仲間が1人死に、燃える輸送機から落ちていく少女達を見てるしかなかったのだ。
魔獣を全て撃退したとはいえ、とても勝利とは言えないし、落ちていった少女達にはなんの慰めにもならない。皆それが分かっていたのだ。
「…報告と到着の挨拶に行く、この状況じゃ誰も出迎えやしないだろうからな…」
重苦しい口調で言うのはホワイトバーン隊指揮官、オットー・イェリネク大尉だ。熊の様に大きな体と後退した生え際、30代後半の髭面の大男の顔は笑うと愛嬌がありそうだったが、今は部下の前で気丈に振る舞い、士気を下げない様にするので精一杯な様子だ。
先程の襲撃に警戒してるのか、飛行場には防空警報が発令されており、耳をつんざく警戒サイレンの音の中、爆発物を安全な場所に移動させる整備兵の声と避難指示を出す基地警備部隊の大声。歓迎ムードなんて一切ない張り詰めた空気にこの場は包まれていた。
「ここに突っ立っていても邪魔になる、行くぞ…」
オットーが先を行こうと歩を進めたかと思うと、すぐにピタリと足を止め、
「………………テオは残念だった」
数刻の沈黙の後、こちらを振り向かぬまま限りなく小さな声で言う。 大きな背中はどこか寂しそうだった。
「…行くぞ、アイレン」
クリスに促されホワイトバーン隊と共に基地内に赴く。
サイレンは鳴り止まぬままだった--------。
*
基地の憲兵にエアコンの効いたオフィスに案内され、リュージョン連合軍・シュッツァー基地司令であるロー・フォルタレーザ・クリューガン少将を前に全員が敬礼を取る。
「リュージョン連合派遣部隊、プロキシオン国防軍空軍・西部方面隊第2航空団第117飛行中隊所属、オットー・イェリネク大尉以下10名、只今到着致しました」
「ご苦労…楽にしてくれ」
地球と共通の軍隊礼式の挙手敬礼で答礼してくるロー。50代前半の白人男性で西側陣営の【アトラス・プレイオネ連合共和国】の陸軍将官であり、10年前のシュッツァー基地建造時からずっとここの総司令官に就いている。
彼は顔が四角く手は銃を撃ち慣れた軍人特有の硬い手をしており、もみあげから頭髪全てが白髪になっていた。眼光は鋭く年齢を感じさせない引き締まった体をしている。大きな肩はリュージョン連合の徽章を付けた制服をピッチリ張らせていた。
「ここに来るまでの間、かなりの激戦を繰り広げたと聞いている」
ローは表情を厳かな物にして凄みのある声を出す。
「はッ、遺憾ながら…同胞であるテオ・ビゼルト少尉ならびに新任のフェルドマン・ヴァイツゼッカー少尉が戦死、そして輸送機に搭乗していた者達……多くの犠牲者が出ました」
フェルドマンというのはホワイトバーン4の後部座席に乗っていたオペレーターの事だろうとアイレンは思う。後で聞いた話だと彼は病欠したオペレーター要員2名の補充として他部隊から回された人間らしく、今朝来たばかりの新人である彼の名前を覚えていたのはオットーだけだったらしい。内1人は自分だが、乗っていたファントムは現地改修により単座でもレーダーやミサイルが使える。アイレンは航空機に対して素人なので「客として大人しく乗れ、どこも触るな」と言われていたが、やはり複雑な火器管制システムやレーダーなどの電子機器を一人で扱いながら操縦するのは酷らしい。
「いや、厳しい状況でよく戦った。結果は悲惨の一言に尽きるが、君たちが責任を感じる必要はない。……今まで他国の航空機が偵察を目的に領空侵犯をする事は何度かあったが、魔獣による直接攻撃は誰も想定してなかったのだからな…」
「…報告書にも記載しましたが、あれは普通の魔獣ではありませんでした」
オットーの口頭報告にローはよくなめされた皮椅子に深く腰掛け重い嘆息を吐く。
「…報告書は先に読ませて貰った。チェルノボーグ……アカ共の黒い死神めッ……」
忌々しそうに舌打ちするロー。
------魔力寄生体C-74……通称【チェルノボーグ】。
ラーフェン連邦と旧ソ連が開発した生物兵器であり、開発当時は史上初の魔術と化学の融合により生み出された新技術………神域魔術の結晶だった。
神星歴1874年に開発され1885年に勃発したリュージョン大戦で初使用されたこの寄生体は魔獣------あるいは人間を含む魔力を持つ凡ゆる生命体に寄生し、魔力を媒介に対象の遺伝子を破壊------再構築し、例外なく異形の怪物へと変貌させる。チェルノボーグには複数の種類があり、特に大戦中と大戦後にもっとも被害を出したのが『散布型』である。
「散布型はレトロウイルス(直径80〜100nm)と同じサイズであり風に乗せる事で世界中にバラまく事が出来る。当初は魔術による風のコントロールで対処できると楽観視されていたが……、地球が持ち込んだ科学戦略は我々の想像を遥かに超えていた」
旧ソ連がラーフェンに供与した戦略爆撃機や弾道ミサイルは既存の攻撃魔術による迎撃がほぼ不可能であり、爆弾やミサイルに仕込んだ散布型チェルノボーグはあっという間に世界中に広まり、真の脅威に気付いた時には全てが手遅れだった…。
「今となっては現存する魔獣や野生の動植物の大半がチェルノボーグに寄生され異形の怪物と化している。その上散布型は戦後となった今でも大きな脅威となったままだ」
リュージョンにおけるあまねく生命は魔素を取り込み、体内で魔力として変換し生命を維持している。当然その中には人間も含まれており、空気感染と個体による噛み付き------つまり接触感染により、チェルノボーグはウイルスの如く倍々増率ゲームで凡ゆる生命体を捕食、あるいは寄生させた。
「戦後、【ディーリアス条約】の締結によりチェルノボーグは国際法で使用が禁じられ、魔術による浄化作業により大気中の散布型は全て死滅した------が、それは空気感染の脅威が取り除かれただけだ。チェルノボーグは無尽蔵の魔力を体内で生成し、細胞を再構築するためテロメアの老化による寿命で死ぬ事はなく、高い再生能力を持ち、食物を摂らなくても生きていける。チェルノボーグは当初生得的本能で生物を攻撃するかと思われていたが、戦後にラーフェンが『チェルノボーグは植物を含む全ての生命体に強い攻撃性を示し、凡ゆる環境に適応し…学習し…進化する」という情報を開示した。…そして現在、チェルノボーグはラーフェンやソ連にもコントロール不能なまでに進化した」
終戦から僅か10年でチェルノボーグは高度な知性を獲得し、その後の人類との戦争で常に人類の戦略・戦術の裏を掻いてきた。頭の悪い敵に人類は負けたりなどしない。
「今回もそうだ。君達が撃墜した個体の死骸は現在回収中だが、その一部から体表の物質を最新のステルス機が使用している素材とよく似た構造を持ち、レーダーのマイクロ波を吸収する構造となっていた。…全く、上は大慌てだよ。つい最近基地のレーダー機類をアメリカから輸入した最新型に更新したばかりだというのに、結局最後まで奴らの存在を気づかなかった……誰もだ」
ローは深く嘆息する。遺伝子変異によるチェルノボーグは多種多様な能力を秘めており、大まかな分類こそあるものの、個体によってその対処は異なる。故に今回の様な新種による新戦術は毎日の様に更新され、人類側はそれに対応する為にそれまでの装備と戦術を変えていく必要がある。当然動かせる人も予算も限りがある人類側は常に後手に回され振り回される立場だ。
終戦後、こういった暴走したチェルノボーグに対し、大戦で疲弊し切ったリージョンには太刀打ちする力がなく、結局防衛力を維持する為に地球の列強各国から高い金を払って新兵器を購入し、新たな魔法の開発支援を懇願するのだ。……神域魔法の誕生以来……もしくはそれ以前からリージョンは地球に様々な面で依存している。軍事力だけではない、インフラ設備の為の技術…崩壊しかけた経済…充分に整っていない医療…圧倒的に不足する食料など、これらへの地球からの支援が滞ればあっという間にリュージョンは干からびてしまう。
ふとアイレンは思う。自分達は上手く利用されているだけではないのか?
彼らにとってこの世界の需要は高い、高額な兵器と技術を見返りに幾らでも金や天然資源を搾り取れる。土地を購入して現地の人間を安い賃金で雇い労働力としていくらでも気軽にこき使えるし、何かと自分達の都合に合わせて色々な物事に介入できる。何か文句を言われても『支援の全てを停止する』と言われれば嫌でも従うしかなくなる。……彼らはリュージョンで美味しい蜜を吸い、我々はそんな輩に飼い慣らされて、支配されていると思うのは果たして自分だけだろうか?
「…長話が過ぎたな、ともあれ君達は本当に頑張ってくれた。襲撃者は全て倒したのだから、そこは誇っていい」
ローの労いと慰めを含む言葉に対しオットーは短く会釈する。
「ハッ…我々は今回ユクスキュル少尉に大変助けられました。彼の力がなければ我々も今以上の損害を被ったでしょう」
「ほう…」
するとローはチラリとこちらに視線を送る。しばし懐かしむような目でアイレンを見た後、やがて視線をオットーに戻す。
「今日はゆっくり休んでくれ、今後のスケジュールは追って秘書から連絡する。ユクスキュル少尉以外は下がってよし」
「ハッ、失礼します」
オットーが直立不動の姿勢になり再度敬礼すると、同じ様に敬礼したホワイトバーン隊と共にオフィスから退出していく、全員が退出したのを確認するとローはアイレンに向き直る。
「…久しぶりだな、アイレン」
先程とは打って変わって厳かな表情が親しみのある柔和な表情を見せる。
「……実に6年ぶりであります。少将殿」
それに対し敬語こそ崩さないが、アイレンも比較的緊張が抜けた顔になる。
「最後に会ったのは君が騎士学校の2年生の時だったか……立派になったものだ。あの頃の幼さはもう見えない」
「恐縮であります」
思い出話にもう少し浸りたい所だが、今はそれよりも重要な事がある。ローはすぐさま表情を引き締めると、
「異動の話は聞いているな?」
「はい、ただ…正式な辞令はここで受け取れと…」
「なにぶん、彼方からの急な要請だったからな、慌ただしくて驚いたと思う」
そう言ってローは机の引き出しから辞令書をアイレンに差し出す。それを受け取りその場で読み上げるアイレン。そこには…
「-----------ヘスペリデス学園の…教師…ッ?」
信じられないという顔でローを見るアイレンだが、ローは予想通りの反応を見た様に肩を竦める。
「驚いたか?」
「えぇ、まあ……というか、どういう事でしょうか?確かあの学園は島そのものが男性禁制の筈です」
「…他でもない君が呼ばれた理由……、それは君が一番よく知っている筈だ」
「……」
その言葉にアイレンは返答に詰まる。
……やはり、そういう事か…。
「これは決定事項だ。先の襲撃のおかげで今は厳戒態勢だが、明日の朝には向こうから案内人がやってくる。彼女と一緒にボートでヘスペリデス島に向かえ、細かい事は案内人から聞く様に……何か質問は?」
「……いえ」
「よろしい、明日の明朝0600に出島予定だ。案内人とは基地の入り口前で落ち合う事となっている。彼女を待たせるなよ」
「ハッ」
敬礼し踵を返す。そして扉に手を掛けた所で「待て」と制される。
「…両陛下は……君の両親は元気か?」
「……はい」
そう言って、今度こそアイレンはオフィスから退出した。
*
その夜、ホワイトバーン隊のメンバーと混ざり、基地内にある酒場(軍事基地と言っても理髪店や飲食店などがあり民間人も大勢働いている)で戦死した2名の隊員と犠牲になった輸送機の乗員達を弔う為に献杯した。自分は隊の人間ではないが、共に空で戦った戦友として参加して欲しいとオットー達に頼まれたのだ。
疲労と悔しさ、悲しみを酒で呑み流した後、明日もフライトがあるので夜もソコソコにお開きとなった。
別れ際------アイレンはホワイトバーン隊のメンバーと一人一人固く握手を交わし、
「ハーレムライフを楽しんでくれ、また会おうぜ、兄弟…」
とまだ酔いが醒めない赤い顔のクリスとハグを交わした。
ふと上を見上げると、南の夜空には星が輝いていた------。
早朝、クーラーをガンガンに効かせた部屋で起きたアイレンは、慣れない南の島の暑さに辟易しながら基地の外に向かう。ゲートの側に武装して屹立する守衛に見送られながら基地の外に出ると、目線の先に一人の少女を見つけた。
青と白を基調としたブレザータイプの制服を着込んだ16歳くらいの少女は、凛とした雰囲気を纏っており実年齢以上に大人びて見える。ここの気温を考慮してか、薄手の半袖シャツに丈の短いスカートは涼しそうで、張りのある綺麗な肌を照りつける日差しの下に晒している。海風に靡かせる黒髪は背中まで伸びており、両サイドを三つ編みにしたポニーテールにしている。
アイレンが近づくと、彼女はニコリと涼やかな笑みを浮かべて右手を差し出す。
「アイレン・H・ユクスキュル少尉ですね?」
「そうだ」
「私は少尉の迎えと案内を任されました。火打羽有栖と申します。よろしくお願いします、少尉」
「こちらこそ」
差し出された手を握り返し握手に応じる。身長175cmの長身は180cmのアイレンとさほど目線が変わらない。彼女はの表情は明るく屈託なく接している様に見えるが……少し違和感を感じた。
「………」
「…?どうかされました?」
ついジッと見つめてしまい、慌てて首を振る。
「いや……朝っぱらからすまないと思ってな、俺の案内の為に叩き起こされるなんて」
「あぁ…、いえ、そんな事はありません。これも生徒会長としての役目ですから」
特に気分を害した様子もなく納得した顔で有栖は会釈する。相手に余計な緊張を与えない笑みは崩さないが、やはりどこか無理をして作ってるように見える。涼を運ぶ風の音のようなクリアな声にも僅かな翳りを感じた。決して嘘臭く見える訳ではないが、明るく振る舞う彼女の表情の下にはアイレンがよく知る痛みの色が窺えた。
「…では、ボートまで案内します。ついてきて下さい」
自分の心情を悟られまいと有栖は早々に踵を返した。それ以上何も言わずについて行くと、歩いて5分と経たずに港に辿り着く。近くの船着場には繊維強化プラスチックの光沢を放つ小型のモーターボートが停まっている。リージョンでよく見る中古品ではなく、地球から直接輸入した最新モデルのボディはピカピカに磨き上げられ、陽光を眩しい程反射していた。
有栖は兎の如く軽やかな身のこなしでボートに飛び乗ると、キーを回しエンジンをかけ、電動モーターが唸りを上げる。
「乗って下さい!本島までかなり距離があるので飛ばして行きますッ!」
エンジン音に掻き消されない様、波打つ様に声を高鳴らせる有栖。アイレンはそこまで大きくない手荷物を担ぎ直しボートに乗った。