ユーリー・ゾルネロヴィッチ・イヴニョーリによる学園襲撃の騒動は、瞬く間に学園内を恐怖のどん底に突き落とした。
『------これにより、今後は討伐隊を中心とした本格的な防衛演習と、避難訓練を並行してスケジュールに組み込みます。全校生徒の皆さんには、無用な混乱や憶測に惑わされる事なく、引き続き日々の修練と学業に励んで------』
全校生徒と職員らを全て集めた集会場の壇上にて、生徒会長の有栖がマイクを片手に今までの事の経緯と今後の方針を説明する。
輸送機墜落の真相と、ユーリーなるテロリストの存在。そして、チェルノボーグの大侵攻によって引き起こされる『ゾーエの末日』。
それらを聞かされた生徒達の大半は、最初こそ理解が追いつかなかったのか、全員がポカンとした表情をしていたが、時間が経つにつれ、『自分達は近日中に、異形の怪物に生きたまま食い殺される可能性がある』と。
その残酷な事実を突きつけられたのを理解し、彼女達の顔が恐怖と絶望で染まっていく。職員らは責任ある大人として、あくまで気丈に振る舞ってはいたが、例外なく全員が吐き気を堪えた様な表情をしている。
いつパニックが引き起こされてもおかしくない状況の中、登壇する有栖が、聴く人全ての心に届く涼のある声を響かせる。
「------既にシュッツァー島に駐留するリュージョン連合軍第7方面軍が厳戒態勢に入っており、東部ティーターン大陸から移動する数万規模のチェルノボーグ梯団の侵攻に備えています。私たち討伐隊も彼らと緻密に連携し、この学園を守ります------------ここは……私達ガイストが唯一、人間として生きられる場です。誰にも奪わせはしませんッ。同胞である皆さんと、私達の居場所を守るべく------最後まで諦めません!」
その表情は強い覚悟に満ちていた。その一声により、全員が心の平静さを取り戻す。
顔色は悪いままだが、この場にいる人間の大半が恐怖よりも、有栖の言葉の方が勝ったのか、重苦しい空気が僅かながら緩和されたようだ。
日頃の彼女の行いと責任感の強さが、この場をうまく収めたのだ。
集会場にてアイレンが見守る三つ編みが特徴的なポニーテールの少女は、真剣な面持ちでマイクを握る。
『それでは、具体的なスケジュールの説明に入ります。避難訓練の実施は今日の3限目から------』
*
集会場からアイレンが戻ると、クラスの少女達にあっという間に取り囲まれる。
「アレは一体なんですの!?」
金髪を逆立てそうな勢いで問い詰めてくるのはユリーナである。真摯な瞳でこちらを見つめてくる。他のクラスメイトも似たような表情だ。
「アレって…何がだ?」
「今朝に学園を襲撃してきたあのテロリストですわ。ユーリーとか名乗ってましたが……一体何者ですのッ?ソ連軍だとか、『スコーピオン』だとか…意味が分かりませんわ。先生は何か知ってるんじゃありませんの?」
「………」
アイレンは無言のままユリーナの目を見つめる。何も話す事はない、と言わんばかりの態度だ。そうして暫く見つめ合っていたが、やがてユリーナは根負けしたように目を瞑りながら小さく息を吐く。
「……いいですわ。冬華先生からも何も教えて頂けなかったのですから」
そう言い括ると、己の金髪を片手で漉きながら背を向けて自席に戻る。その背筋のピンと伸びた背中に「待て」と声をかける。
「その冬華先生から連絡だ。1限目の授業は繰り上げ、本島防衛を想定した実弾演習を行う。場所はアジール島。波止場には9時45分に集合。飛行魔術で勝手に飛んで行くなよ?輸送船で物資も運ぶんだからな」
ヘスペリデス本島から20kmも離れていない位置にあるアジール島。30分も歩けば端から端まで横断できる程小さい島であり、島の面積の大部分をアジール山が占めている。たまにシュッツァー基地の部隊が実弾演習で砲弾やミサイルを撃ち込むため、山は木々のないハゲ上がった部分が所々に窺えた。
アジール島に向かう輸送船の甲板から、アイレンはそんな風景を眺めている。
今日の天気は雲こそ多いが、日差しは強く風もちょうど良い涼を運んでいた。
「ユクスキュル先生…少し良いですか?」
振り向くと、少し遠慮気味な様子の優雨が佇んでいた。短い制服のスカートを海風に靡かせながら此方を見つめている。心なしか表情が重苦しい。
「どうした。船酔いか?」
「いえ、その………私達、これからどうなるんだろうなって…」
優雨の声は、今にも不安に押し潰されそうな物だった。
「私…クラスでは風紀委員を務めているんです。討伐隊のメンバーは今では私を含めて6名のみ…。レギュラーメンバーの大半が亡くなり、その上『ゾーエの末日』まで起こるなんて……。クラスの皆んなが不安になってて、私が取り纏めなきゃいけないのに…私……!」
スカートの端を握りしめながら、肩を振るわせる。
「'7人'だ」
「…え?」
突然の反論に思わずキョトンとする優雨。
「討伐隊には俺も参加する。勝手に仲間外れにするな」
「で、でもユクスキュル先生は、教官として呼ばれたんじゃ……」
「前線配置も認められてんだよ。なんの為にあんな小島に移動すると思ってんだ…」
以前使用した地下演習場ではなく、アジール島に移動する理由……それは、シュミレーターでは再現できない'海'での戦闘を想定した訓練を行う為だ。
「今やガイストは、衰退しつつある魔術・魔法を'完全'に使える数少ない存在だ。空気を生成・コントロールすれば高高度を自由に飛べるし、深海でも活動できる。……そして、それはチェルノボーグも同じだ」
「えっと…」
「優雨、ヘスペリデスは島だ。四方を海に囲まれている。チェルノボーグが海や空を渡って別大陸に押し寄せた話は有名だろ?」
「…あッ」
そこでようやく優雨は思い至る。アイレンは無言のまま頷く。
「そうだ。ヘスペリデスに籠城していたら、あっという間に空と海から包囲殲滅される。ヘスペリデス島の面積は数万のチェルノボーグを前にすれば小さ過ぎる。逃げ場もない以上、上陸を許せば最後には押し込まれて全滅する」
戦時中、チェルノボーグの行動限界範囲を甘く見積もった島国が、僅か3日で壊滅したケースがある。酸素を必要とせず、多少の休息さえ取れば体力の限り世界を蹂躙し続ける。
「なら、どうすれば…」
「アジールに着いたら冬華先生と俺で説明する。あまりそう思い詰めるな。そこで俺の力を見せる」
優雨に近づき両肩に手を置く。彼女は少し驚いた様に此方を見つめる。
「大丈夫だ。俺は今まで最前線で凡ゆる修羅場を乗り越えて来た。今回だって生き残れる」
「先生…」
「だからそんな顔するな。俺は……プロキシオン最高の騎士だ」
アイレンは途中……言葉を濁した。大勢のガイストを殺して国の英雄になった自分は、本来なら一生この島に関わる事はなかったのだから…。
それでも多少は優雨を安心させる事が出来たのか、顔の緊張が解れていくのが見て取れた。しかし…、
「あ、あの…先生…か、顔が…」
思いのほか互いの顔が接近しており、優雨の表情が緊張から羞恥へと変わり顔が熱を帯びていく。
と、その時…。
「ユクスキュル。ここに居たか……何をしている」
ガチャリと甲板のドアが開く音と共に成人女性の声が聞こえてくる。2人してバッと振り向くと、冬華がやや冷たい視線でこちらを見ていた。
アイレンと優雨は現状を確認する。2人きりで密着する男性教師と女子生徒------どう見ても怪しい現場である。
アイレンと優雨は怪鳥じみた俊敏な動きで離れる。顔を真っ赤にして視線を明後日の方向に飛ばす優雨を横目に、アイレンは誤魔化す様に咳払いをする。
「な、何かありました?」
冬華は暫く訝しむ様な視線で2人を見ていたが、やがて思考を諦めた様に小さく溜息を吐く。
「…君に国際通信が来ている。自室の端末で応答してくれ」
「通信?どこからです?」
「君の祖国…プロキシオン王国からだ」
*
若干の錆臭さとカビの臭い、抗菌の為に撒かれた消毒剤と磯香りが染みついた船内は、窓が極端に少ないことから、点灯されていない昼間はかなり薄暗い。
アイレンの自室は士官待遇の個室とはいえ、簡素なベッドとスチール机、その間にかろうじて人1人が通れる程度のスペースがあるだけという。大変質素で狭苦しい部屋だった。おまけに小さな船窓から通る光は細く小さい。これだけ窮屈だと、以前勤務していた前線基地のあばら家じみた兵舎が高級ホテルに思えてくる。
そんな蛸壺じみた自室にて、スチール机の上に置かれたノート型パソコンを開いたアイレンは、保留となっていた通信を開く。
画面に映し出された人物を見て、アイレンは目を剥いた。
『久しぶりだな。アイレン』
「------義兄さん」
思わず口から漏れた。
端末のスピーカー越しに聞こえてくる落ち着きのあるバリトンボイス。肩まで伸ばされた金髪はかなりのダメージを受けており、手入れこそ多少されてはいるが、かなり荒んだ印象を与える。年齢は30代前半。鋭い海色の瞳と筋肉が盛り上がった大きな肩と背中。座っていても分かるほどの巨漢だ。プロキシオン騎士団の黒と金の刺繍が特徴的な詰襟式の礼服を着込んでいる。
彼こそが、アイレンの義兄にしてプロキシオン王国第一王子。そして史上最年少でプロキシオン騎士団・団長の座に就いた男------バルトロメウス・フォン・ユクスキュル・プロキシオンである。
「なんでバルト義兄さんが…」
『一応、今は公務中だ。義兄さんはよせ』
予想外の人物の登場に驚き固まるアイレンに苦笑するバルトロメウス…親しい者からはバルトと呼ばれる男は穏やかな口調で注意する。
「失礼しました。上級中将殿」
『休め------元気そうだな』
「団長閣下も壮健そうで何よりです」
口調と姿勢を正すアイレン。バルトの表情は厳格ながらも、滲み出る雰囲気はどこか柔らかく。親愛を感じる穏やかな物だった。
『慌ててそちらに送ってすまない。お前の存在がプロキシオンに居るままだと暴かれかけ、こちらも、お前が【最初からここで秘密裏に隔離されていた】事にする必要があったんだ』
自分がある日突然、まるで放り込まれる様にこの島に送り込まれた理由……既に薄々勘づいてはいたが…。
「情報が何者かにリークされた…という事でしょうか」
『対外情報部と国家保安省が血眼になって捜査しているが、今のところその線は低いそうだ』
「では、他国が?」
『その可能性は十分にある。ラーフェンやその他敵国……地球圏でならロシアや中国、あるいは……』
「…身内…ですか?」
アイレンは慎重に問う。
『なんらおかしくはない。アメリカのCIAやイプトの諜報機関は外交カードの一枚として同盟国の弱みまで握ろうとする。…もっとも、お前の一件に関しては、その'自称世界の超大国'から仄めかされた訳だが』
バルトは小さく嘆息する。アイレンも呆れた様子で溜息を吐いた。
その手の話は有名だ。地球圏の西暦2013年6月上旬、アメリカのNSA(アメリカ国家安全保障局)及びCIA(中央情報局)の元局員であるエドワード・ジョセフ・スノーデンによる最高機密の告発------『国際監視網の暴露』によれば、NSAは世界中で6万1000件以上のハッキング、同盟国を含む38ヵ国の大使館に対する盗聴・情報工作、終いには『日本が同盟国でなくなった場合は全国の電力システムを停止させられるマルウェアを仕込んだ』という始末である。
この【スノーデン事件】により、アメリカの同盟国を始めとした国々では激しい論争が巻き起こり、それまで自由で安全だったインターネットやパソコン端末に対する人々の認識は大きく変わった。
そして、『法秩序と信頼』よりも『諜報と暴力』を選んだアメリカのやり口は、リュージョンでも同様なのである。
「…それ、どう考えても連中が関与してますよね」
『だろうな、だがどうにもならない。お前……お前たちはリュージョンだけではなく、地球の世界情勢にも多大な影響を与える。奴等は恐れているんだ。お前たちが自国の脅威となる事を…』
その言葉に、アイレンは一瞬…重く沈黙する。
「……自分が置かれている状況は正しく理解しています」
『ならば良いが……既にヘスペリデスの状況は最悪だ。こちらもティーターン大陸東部から数万規模のチェルノボーグの入水・移動を確認している』
「…!」
『1時間前、リュージョン連合は第7方面軍の参戦を議決した。国際社会もガイストと希少資源の損失が破滅に繋がるのは流石に理解している。とりあえずは心配ない。あの基地の部隊も司令官も優秀だ。お前も知ってるだろう?』
戦時中、多大な戦果を挙げた各国正規軍部隊で編成されたシュッツァー基地の多国籍軍。そう簡単に崩れはしないだろうが…。
「…ユーリー・イヴニョーリについては?」
『その件だが……お前はひとまず、奴と接触するな』
「しかしッ…!奴が本当に『スコーピオン』なら…!!」
『奴の身元はロシア本国に照会中だ。本物だった場合はこちらで始末する』
「スコーピオン相手にどうやってッ?やるなら自分が…」
『お前の出番はない。もとより通常の戦い方では奴には勝てない。それとも……あの力を使う気か?』
「…ッ」
『----忘れるな。強すぎる力は新たな災いを呼ぶ。以前の様に隠し通すのは不可能なんだ。今までと同じ様に戦えば、自分で身を滅ぼす事になるぞ』
「……」
あくまで冷静かつ、こちらの身を案じる様に諭され、何も言えなくなる。
『----お前はお前自身と、守るべき者の為に戦え。話は以上だ--------祖国に栄光あれ』
「…祖国に栄光あれ」
それを最後に、画面と通信が切断される。
室内は再び、薄い闇に包まれた。