『汚染…の掃………帰…して…ださい』
途切れ途切れの通信がヘルメットの中で響く。
おそらく帰還命令だろうと当たりをつけ、少年は深く息を吐いた。
今日もどうにか生き延びた。
しかし、まだ気を抜くことはできない。
前に念威繰者の言葉を信じて帰ろうとして、近くに隠れていた汚染獣に襲われたことが少年のトラウマになっていた。
少年は思う。
(フェリとかデルボネとかフェルマウスなら、映像も鮮明で探査もきちんとやってくれて、情報も精査してこっちに回してくれて、音声のやり取りにもノイズなんて入らないんだろうな)
探査漏れとかもないんだろうなあ、と。
頭で愚痴っぽい言葉を並べながら、辺りを警戒し、汚染獣の大きな死骸の上に跳び乗る。
ヘルメットのバイザーについた砂塵を手で拭って落とすと、周囲を注意深く観察する。
地平を埋め尽くす幼生体の死骸の山。
その中に小さな山ほどもある雌生体と、おそらくその番の雄性体、そして今少年が足場にしている、おそらく4期以上の雄性体。
それ以外は何もない。
乾ききった熱砂の大地がどこまでも続く。
終末という言葉を想起させる、すべてが死んだ世界。
先ほど少年が殺した汚染獣だけが、この枯れ果てた大地を彩っている。
敵の気配も、何も見つからなかった。
「……帰投します」
おそらくただのノイズとしか聞こえていないだろうが、一応の報告を終え、少年は持っていた白金錬金鋼を待機状態に戻し、岩の陰に隠したランドローラーに向かって歩き出した。
♦
世界は毒素に侵された。
空気には人の臓腑を腐らせ、死に至らしめる汚染物質が蔓延し、植物の全てが枯れ果て、人間以外の動物もそのほとんどが死に絶えた。
だが、生態系が破壊され、存在するあらゆる動植物が息絶えたかと思われた中、汚染物質を糧に生きる生命体が生まれた。
汚染獣。
汚染物質を糧にするだけでなく、人を襲う習性があるそれは、人類を生態系の頂点からいともたやすく引きずりおろした。
もはや地上に人類が生きることを許された場所はなかった。
しかし、それでも人類は生きている。
遥か昔に錬金術師たちが作ったとされる、人類の箱庭。
エアフィルターが人々を守り、電子精霊は汚染獣を避けながら、あてもなく大地を放浪する。
少年ーールイン・マクギネスもまた、その箱庭に暮らす一人だ。
そして、都市を守る戦力――武芸者でもある。
剄と呼ばれる力を持つ武芸者と呼ばれる存在は、都市の中で様々な優遇を受けられる代わりに、命をかけて外の世界に跋扈する汚染獣と戦わなければならない。
ランドローラーを15分も走らせれば、都市が近付くにつれて鮮明になっていく音声が、昇降機が一番近い西区画で待機していることを教えてくれた。
ランドローラーごと昇降機に乗り、そのまま引き上げてもらう。
無事都市の中に入ると、報告もそこそこに、すぐにシャワーを浴びて真っすぐに家に帰る。
帰り道はこの都市で一番大きな通りで、家は都市の中心部にあるのだが、誰とも遭遇しない。
当然だ。
通りには瓦礫の山しか存在しないからだ。
ルインのいるこの都市は、3年前に老性体の襲撃を受けた。
奇跡的に老性体を撃破し、都市の壊滅こそ免れたものの、被害は甚大だった。
武芸者の3分の2、一般人の3分の1が死亡した。
都市のほぼ半分ほどの建物が老性体の下敷きになり、瓦礫と化した。
各種インフラ設備はどうにか復旧まで漕ぎつけたものの、それを整備、管理する人々は足早に放浪バスに乗り、次々と都市を去って行った。
それでも、都市を守ることができなかった武芸者たちは、罪悪感からか多くの者が都市へと残った。
しかし、武芸者たちの覚悟を試すような状況が続く。
汚染獣との遭遇頻度が跳ね上がったのだ。
月に2度は必ず、汚染獣と遭遇するようになった。
酷いときは隔週の場合もある。
まるで都市が汚染獣に向かって動いているかのようだと、誰かが言った。
ルインはこの現象を知っていた。
要するに、この都市はグレンダンになってしまったのだ。
(廃貴族に憑りつかれたか、それともアスペシス自体が変質したか)
知ってはいる。
しかし、どう動けばこの現象を止めることができるかわからない。
何より、汚染獣が考える暇も与えない。
汚染獣との遭遇頻度が増えると同時に、放浪バスが訪れる頻度は減り、もはや逃げることさえ簡単ではなくなった。
勇敢に戦った者たちは戦死し、心が折れた者たちは家で首を吊るか、半狂乱のまま外縁部から外へと身を投げた。
頭の回る者たちは、戦争期に最悪の状態のなかで行われた都市戦のさなか、相手都市に寝返り、そのまま亡命という形で移住していった。家族を残して。
絶望した家族は、やはり皆自死を選んだ。
かつて商業都市として栄えた、養父が愛した霧麟都市アスペシスの姿はどこにもなかった。
あるのは地獄だ。
今や、この都市で武芸者はルインも含めて20名しかいない。
20名のうち5人しかいない念威繰者は皆、能力が低い。
1人最大10キルメル先までノイズ交じりの音を届けることはできても、都市外での映像の補助など望むべくもない実力だ。
そして汚染獣とまともに戦える武芸者は、ルインしか残っていない。
ほかの武芸者は、もはや逃げることも戦うことも叶わない戦傷者だからだ。
2年ほど前からずっと、この状況が続いている。
(もう笑うしかない)
状況は悪化の一途をたどるばかりだ。
とはいえ、去っていった者たちを責めることはできない。
ルインもまた、機会さえあれば都市を出ていきたいと考えていたから。
しかしそれもできなかった。
ルインには守るべき家族がいる。
養父に託された子どもたちと、救いを求めて孤児院のドアを叩いた子どもたち。
彼らを連れて、放浪バスで外の都市に出ることは勿論できなくはない。
だが、
(きっとみんなが許さない)
この都市にまだ残っている、都市長の一族と、この地を墓場と決めた者たち。
今この都市でまともに戦力になる武芸者は、ルインだけなのだから、ルインが都市を出ることなど絶対に許さないだろう。
この都市が次に来る脅威に壊滅させられない限り。
(なんでこんなことになったんだろう)
子どもを連れたまま、彼らの監視を搔い潜りながらこの都市を出るのは難しい。
(……殺す?)
やれないこともない。
すでに都市戦は経験している。
だが、自分を引き留めようとする者たちを殺して、本当の意味でこの都市を終わりにして立ち去ればいいのか。
……それはできない。
この都市を守るために命をかけた武芸者たちが、養父がやったことを踏みにじるような真似はしたくなかった。
だが、自分が残るのはともかく、子どもたちをこのままアスペシスに住まわせることが正しいとも、とても思えない。
半年前、放浪バス乗り場のベンチに置き去りにされていた赤ん坊にミルクをやりながら、ルインは思考の坩堝にはまっていった。
(どうする)
しかし、次の日の朝にはそんなことを考える必要もなくなった。
♦
『都市戦です』
起きるとすぐに、花びらのような念威端子が頭の上にあった。
「……早くないですか? たしか2年ごとにあるんじゃ」
前回の都市戦から1年経っているかも怪しい。
『この都市の電子精霊の考えることなんて知りません。通常の都市と同じだと考えることは無意味です』
はっきりと苛立った声が返ってきた。
これ以上怒らせると、ただでさえ少ないサポートが更に少なくなりそうだ。
そう考え、ルインは手早く支度をはじめた。
小さい子たちの着替えをリュックに入れさせ、一週間ほどの食料の入ったリュックを準備する。
子どもたちを全員シェルターまで送った後、2年前に起こった都市民のデモで放火されてから、煤けたままの都市庁舎へと足を運んだ。
最上階にある会議室に足を踏み入れると、市長とその一族、武芸者をまとめる部隊の隊長などが集まり、議論を交わしているが、いつもと様子がおかしい。
(まるで葬式だ)
いつもなら都市長が真っ先にルインに気づき、「我が都市の英雄が来たぞみんな!」などと言いながら面倒ごとを押し付けてくるのだが、今はただ資料をじっと見つめている。
会議の内容は都市戦の際の作戦や、万が一の避難経路の確認だった。
なぜこのような雰囲気なのか。
気になったルインは、近くにいた顔見知りに声をかける。
「よう、お疲れ。これ何があったのかわかる?」
顔見知りはルインに話しかけられたことに少し驚いたような顔をしながら、気まずげに言った。
「次の都市戦の相手がグレンダンらしいんだ……それを聞いた途端上層部の顔が真っ青に……うわっ! え、ちょ、大丈夫!?」
ーーグレンダン。
その言葉を聞いた瞬間、連想ゲーム的に原作に関する記憶が蘇る。
グレンダンの都市戦。
ああ、たしか天剣が対応するとかなんとか言ってたような。
この都市でまともに戦えるのは誰だっけ。
あ、俺かぁ。
そこまで考えた瞬間、ルインは胃の中のものを全部吐き出した。
対価の天秤、追奏のレギオス、あるいは残酷な世界の憂鬱、ルッケンスの三男坊、惑う戦士、俺はスタイリッシュなヴォルフシュテイン、この都市がおかしいのはどう考えても転生者が悪い!
全員帰ってこい(i i)