助けてヴォルフシュテイン   作:海老名達男

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2.惑う戦士

 放浪バスの座席に立ち、窓に反射した自分の顔を見る。

 短めの、少し癖のある黒髪。

 幼い顔に走る、右目のまぶたから頬までをつなぐ痛々しい傷がある。

 どこかで見たような気がして、でもどこで見たのかは思い出せない。

 それに、顔のつくりのことなど、この世界に生まれたという事実に比べれば、どうでもいいように思えたから。

 

 自分が大地だと思っていたものは大地ではなく、自律型移動都市(レギオス)と呼ばれる仮初の箱庭で、魔法だと思っていたものは「剄」と呼ばれる特殊な能力。

 

 これに気付いた時、俺は泣いた。

 心が感じたストレスに、まだ幼い身体が耐えきれなかったのだ。

 普段は手のかからない子どもでいたせいか、珍しく大泣きする俺を抱き上げ、養父ーーヨンシャ・トゥアハーデが笑う。

「どうした、どこか痛いのか?」

 聞かれた俺は、思うままを言った。

 ――こわい。

「ほう、なにが怖い。父さんがいってやっつけてやろう」

 俺を引き取ったばかりのヨンシャが、さっそく父親らしいことをしてやろうと張り切っていることがわかり、それが可笑しくもあり嬉しくもあったが、正直に答える。

 ――ヨンシャには難しいと思う。

「そ、そうか、難しいか…」

 3歳児の厳しい評価にヨンシャは苦笑し、新しい提案をしてきた。

「では、父さんと一緒に修行して強くなろう。そうすれば怖いものも怖くなくなるぞ」

 お前がサイハーデン流アスペシス支部の門下生第一号だ、と。

 平和な世界から突然この世界に放り込まれた人間には、本来何の慰めにもならない言葉。

 だというのに、あまりにも屈託なく笑うヨンシャの姿に、いつの間にか涙は止まり、つられるように笑った。

 

 それが、武芸者としてのルイン・マクギネスのはじまりだった。

 

 

 ♦

 

 

『まず、私たちの都市が直面している現状について、深く理解を示すとともに、その解決に向けて真剣に取り組む必要性を認識しております。度重なる戦闘によって、武芸者をはじめとする戦闘関係者のみならず、多くの一般市民も心身ともに疲弊し、生活基盤や精神的安定が著しく損なわれていることは誠に憂慮すべき事態であります。』

 

 会議場に吐しゃ物をまき散らしたあと、体調不良を理由にその後の会議を欠席したルインは、その日の夜道場に届けられた議事録を読んで驚いていた。

 

『このような状況下で、和平の実現は最優先課題であり、そのためには柔軟かつ現実的な対応策を講じる必要があります。ご提案いただいた「こちらの鉱山を譲渡し、和平交渉の一環とする」という方針についてですが、これは都市行政の安定と「商業のまち・アスペシス」再構築計画に向けた施策として重要な案件であり、緊急性を帯びたものになりますので、この場でご意見やご異議がないかどうかを確認させていただきたいと思います。ご異議がない場合は、その旨をもって決定とさせていただきます』

 

 市議会から全議員の連名で提出された緊急の和平交渉提案決議案に、異議を挟む者はなかったようだ。

 徹底抗戦の構えが既定路線だと思っていたのが、ルインの予想を裏切り、アスペシスが大きく譲歩する形での和平交渉を持ち掛けることに、議論はまとまっていた。

 

 直近の都市戦――故障者多数、まともに動ける味方のほぼ全員が裏切るという最悪の状況であったのにも関わらず勝利した経験が、議論を悪い方向に導くのではないかと懸念していたルインは安堵した。

 和平交渉が通れば、少なくとも戦闘は起こらないまま、グレンダンに――ある意味世界で一番安全な都市に渡ることができる。

 

 養父がいつか言っていた言葉を思い出す。

 

『もし俺に何かあれば、皆を連れてグレンダンに行ってサイハーデン流の道場を探せ。道場主のデルク・サイハーデンは俺の兄弟子だ。俺のことを伝えれば悪いようにはしない』

 

 養父の言葉が本当なら、グレンダンでの生活の基盤ができるまではデルクに厄介になるという選択肢もある。

 アスペシスから出られなかったのは、放浪バスの本数が少ないことと、放浪バスに乗るまでに子供たちを連れながら監視の目を誤魔化すことが難しかったからだ。

 すぐ隣にきてくれるなら、多少邪魔されたところで強引に突破できる。

 もちろん、今までの生活をすべて捨てることになるが、汚染獣への備えが尽きた都市にいるよりは、ずっと良いだろう。

 ……問題は今が原作のいつごろかなんだけど。

 しかしそれも、現状の生活を続ける問題に比べればほんの些細なことに思えた。 

 ……目下一番大きな問題が解決するかもしれない。

 その期待感で、しばらく張り詰めていた緊張の糸がたわむのがわかる。

 まだ緊張を切らしてはいけない。

 グレンダンのと接近まではあと1日ある。

 おそらく明日交渉に向かい、その後互いに接舷する形になるのだろう。

 ……明日中に引っ越しの準備をしないと。

 その日は久しぶりに、ぐっすりと眠った。

 

 次の日は朝から準備をした。

 シェルターで待つ子どもたちを迎えに行き、家に帰るとすぐに持っていくものと置いていくものを選別する。

 といっても、孤児院にくるような子どもたちの持ち物は少ない。

 洋服と、年少組のおもちゃをどうするかで多少議論が割れたが、もしデルクさんの家に置いて邪魔になるようならその時に捨てよう、という話でまとまる。

 もしかしたらここにいるみんなだけで夕食を食べるのは最後になるかもしれないと、少し奮発して、アスペシスではかなり高騰している牛肉を買い、焼き肉をした。

 食卓に並んだ肉に驚きながらも、嬉しそうに食べる姿を見て、ルインは少しだけ泣いた。

 その日はみんなで泣いたり笑ったりの、最後の晩餐だった。

 ご飯が終われば、子どもたちを全員寝かしつけ終え、あとは自分も布団の中に入るだけ。

 その時だ。

 

 警報が鳴った。

 

 最後までこれかと、少しばかり苛立ちながら、しかしグレンダンの近くにいるということは、そういうことなのだろうと自分を納得させ、せっかく寝かしつけた子どもたちを起こし、泣いている赤ん坊をあやしながら、引っ越し用の荷物と一緒にシェルターまで送る。

 子どもたちを送ったあとは、すぐに都市外用スーツに着替える。

 作戦会議が行われる外縁部近くの汚染獣対策本部棟に向かおうとすると、シェルターの近くに舞っていた念威端子がこちらに向かってくる。

 

 それはルインの肩に張り付くと、通信を寄越した。

 

(今回の会議は本部棟ではありません。都市庁舎に来てください)

 

 この時点で、嫌な空気をルインは感じ取った。

 

(それと、都市外用装備も要りません。戦闘衣だけでよいです)

 

 嫌な空気は徐々に膨れていく。

 そして、

 

(ーーグレンダンとの交渉は決裂しました。明日、接近次第開戦です)

 

 爆発した。

 念威端子から聞こえてきた言葉を何度も咀嚼し、反芻し、数分かけてなんとか理解した後、ルインは今日食べた肉をすべて吐き出した。

 

 

 

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