独りにしませんいつまでも 作:残念G級
窓から通る冷たい風が肌を撫でる。
心地良いその風に乗って微かに香る甘い匂いが、意識を覚醒させるトリガーになった。
その香りに続いて、懐かしい女の子の声が聴こえた。
あの子を失ってからというもの、一度だってこれらが途絶えたことは無かった。
高校生になってから初めての冬は、特に変わり映えもなく時間が流れていた。
受験シーズンということで、3年生は勉強に精を入れる時期なのだが、生憎ボーダーに所属していれば提携の大学に推薦という形で入学できるため、太刀川も堤もそれを利用し無事に進路が決まった。
そしてボーダー関連では、さらに隊員が増え、部隊もぞくぞくと創られていた。
その中でも今話題になっている部隊は、風間蒼也が率いる風間隊だ。その戦術がある隊員のサイドエフェクトとステルス戦闘を可能にした新トリガーとの合わせ技というもの。
この戦術を編み出してからというもの、チームランク戦ではぐんぐん順位を上げている。
その部隊のOPを引き受けているのが三上の友人である宇佐美なのだが、初めての部隊というのもあって気合が十二分に入っていた。
一ノ瀬隊は今回のランク戦には参加せず、真昼はOPの訓練計画を作成したり新トリガーの開発や改造をしたり、三上は受験生としての最後の追い込みを真昼の助力を借りながら行っていた。
そんなこんなで各々適度に忙しかった日々を送り季節はあっという間に冬になり、マフラーを巻いて真昼は玉狛から本部へと向かう。
ただ本部に来るようにとの通達を受けた真昼。話を聞けば玉狛の全員も呼ばれているらしく、最初は一緒に行くのかと思われたが、なにやら皆が少し気まずそうというか目線が合わずに、そそくさと出て行ってしまった。
林藤が言うには真昼と自分たちで集合時間が違うからのんびり来いということらしいが、何か引っかかるものを感じ、絶賛不機嫌な真昼だった。
朝からどこか胸騒ぎがしているのを抱えて真昼は本部入り、いつもの部屋へと向かう。
いつもの会議室に着くと扉をノックし入る。
「…これは一体どういう集まりだ?」
真昼は中に入るなり、その場に集まる人物たちを見ては疑問を唱える。
中にいたのはいつもの上層部である城戸、忍田、林藤、鬼怒田、根付、唐沢の他に玉狛第一のレイジ、小南、迅、ゆり、そして太刀川隊に東隊、風間隊に嵐山隊、沢村、冬島、そして三上がどこか浮かない表情をしながら座っていた。
だいぶ大所帯だなと一瞬思ったが、明らかに中の空気が暗いことに気づいた真昼は席には座らずに話を促す。
「よく来てくれたな、一ノ瀬隊員」
「随分改まった話方だな。それで、俺を抜きにしてある程度話を進めたのだろう?もう一度聞くが、なんの集まりだ?」
妙な胸騒ぎがずっと真昼を襲う。なぜか強まる胸の鼓動に思わず内心で舌打ちを鳴らす。
なぜこうまで取り乱しているのか分からなかったが、その答えはすぐに告げられた。
「それではこれより、第一回目の
「…あ"?」
城戸が放ったその言葉は、踏んではいけない龍の尾だということをこの場にいる全員が理解した。
一気に場の空気が冷えては重くなる。鼓動が早まり、汗が止まらない。今まで感じたことのない恐怖が旧ボーダーに所属していた者たち以外を襲う。呼吸が浅くなり、苦しみ出す者、身体の震えをなんとか止めようとする者、涙を浮かべる者、皆が苦しそうにただその恐怖に耐えていた。城戸、忍田、林藤はただ頬を伝う汗だけで済んでいるが、小南やレイジ、迅たちも、震える身体をグッとこらえている。真昼を怒らせることが分かっていたから、これだけで耐えられているのだ。事前に内容を聞いていなかったら、きっと三人も周りの隊員たちと同じ状態だっただろう。
たった一人の殺気は完全のこの場を支配し呑みこんだ。
「…今、なんといった?」
「…我々は近いうち、
更に重く冷たくなる空間に、誰かの苦痛な声が漏れた。
だが真昼は殺気を収めようとはしない。
絶対零度の眼がこの組織の最高司令官を捉える。
「ここにいる奴らが、そのメンバーだと?」
「そうだ。この中から少数を選抜し向こうの世界へ行く」
「…繰り返すのか」
「そうではない。あくまで外交を主としたものだ」
「一切の戦闘がないと思っているのか」
「そんな甘い考えは持っていない」
「…お前たちは、もし近界人が少数でこっちの世界に来たら、話を聞こうと思っているのか?」
「…もちろんだ。平和に住むならそれに越したことはあるまい」
「平気で嘘をつくな。相手が自分達より弱ければ、話し合いをせず殺してトリガーを奪うだろう。玉狛支部の人間ならまだしも、お前たち城戸派はそうするはずだ。
真昼の冷たい言葉が放たれる。どこまでも冷淡なその言葉を聞いた玉狛支部の全員が思わず真昼へと視線を移す。
「そしてその考えはお前たちだけが持つものではない。向こうだってそう思うだろう。そうなればただの殺し合いだ。…そこで質問だが、この場にいる者で、
まるで心臓を直接握られるような、そんな感覚が全員を襲う。誰一人として言葉を発せないなか、流石というべきか、城戸はいたって平常に言葉を交わしていく。
「君が来る前に
城戸が言い終わったその瞬間、大きな破壊音が鳴り響く。
全員が突然の出来事に唖然としていた。
その音の正体は真昼が目の前の大きなテーブルを殴った音だ。その絶大な音に比例して威力も凄まじく、かなり頑丈だろうそのテーブルが、真昼の殴った部分を中心に亀裂が走っては砕かれていた。
破片が腕に刺さり血が滴るも特に気にせず真昼は続ける。
「俺はどうやら
「…どういう意味だ」
「ここにいる奴らには、俺の事を話したか?」
「…ああ、本人のいないところで話すことに、忍田本部長や林藤支部長、そして玉狛の隊員たちは反対したが、私が押し通した」
「その話を聞いたうえで、こいつらはここにいると?」
「そうだ。私が事前に呼んだ隊員、誰一人として抜ける者はいなかった」
「そうか。やはりお前たちにはガッカリだ。これほど浅はかで愚かで平和ボケした思考しかできなかったとはな」
なんの興味も宿さぬ瞳を向けながらテーブルにある破片を右手で掴むと、そのまま勢いよくその破片を左手に突き刺した。
「なっ!?」
「おい真昼!?」
忍田と林藤が思わず声を漏らす。他の皆も真昼の突然の奇行に驚いている。
だがその中でただ一人、こうなることが視えていた迅だけは、静かにこの成り行きを見守っていた。
「どうした?何をそんなに驚いている。命を奪う覚悟があるのだろう?それはつまり、血を流すことに抵抗がないということだ。この場にいる誰かが死んでも、前に進めるということだ。貴様らはそれを理解したうえでここにいるのだろう?あの程度の殺気で怯えて、この程度の血で動揺して、何が覚悟だ…」
真昼の左手から血が流れる。掌を貫通しているが破片が栓になっているため見た目以上の出血は無いが、見るからに痛々しいそれは真昼の前で血の池を広げていった。
「貴様ら上層部に問おう。|俺の記憶をこの場にいる全員に観せたか?」
「…いいや、見せていない」
「それはなぜだ?解析はすでに終えており、いつでも映像として観ることができるはずだ。それなのにこいつらに視せないということは、貴様らは一度は俺の記憶を観たうえで、その
確信をついた真昼の発言に押し黙る上層部全員。それ以外にも血の気が引いたのか顔色を真っ青にしている小南とゆりがいることから玉狛の者達は視たのだろうと気づいた真昼。
「桐絵、ゆり、お前らは旧ボーダー時に近界での戦争を経験している。そのお前らが俺の記憶の話題を出しただけでそうなるということは、想像よりもよっぽど残酷なモノが視えたのだろう」
鋭い視線が二人を捉える。いつもの温かい言葉をくれるあの優しい声音とはかけ離れた真昼のそれに、小南とゆりはただ恐怖で震える身体を耐えるだけだった。
「大勢の仲間の死を目の当たりにしてもなお、前に進んだお前たちは賞賛しよう。だがそれはあの地獄を自身の肉体で受けていないからこそできたことだと知ったか?お前たちはあれを観てもなお、あの地獄に近づこうとするこの愚者の集まりの背中を押すのか?」
掌を貫通するその破片を握ると、ぐりぐりとさらに傷を抉る真昼。それだけに飽き足らず、全員の前で自身の指を一本ずつ折っていく。
苦痛に顔を歪めることもなく、淡々と折る真昼にその場にいる全員が恐怖した。
目の前にいる者は果たして本当に
そのあまりにもグロい光景に涙を流す者や吐き気を催す者も現れるが気にせず続ける真昼。
最早原型をとどめていないその左手は変色し紫色に染まっていた。
「こいつらに俺の記憶を観せる気はあるか?」
「…ない」
「…そうか。心底落胆したよ、貴様らには」
城戸の返答を聞いた真昼はゆっくりと右手を自身の左目へと向けていく。これ以上一体何をする気なのか。その答えをただ一人だけ、自身の力によって視た男は勢いよく立ち上がると真昼の名前を叫んだ。
「今からお前たちに現実を見せてやる。その覚悟がどれほど浅く、愚かだったか、その脳にしかと刻め」
「やめろ真昼!」
「無知というのがどれほど幸せで、無様なことか思い知れ」
迅は鬼気迫る顔で真昼を呼び留めるも、真昼はそれを無視してその右手で自身の左目を
何人かの悲鳴が反響する。
ズチュッっと気色悪い音を出しては取れるその眼球を、真昼は手に乗せて前に差し出す。そこには正真正銘、真昼の眼球がこちらを見ていた。
左目から血の涙を流す真昼。だがその表情は一切痛みを感じていないかのように、無表情だった。
その瞬間、我慢の限界だったのかその場にいる女性たちはこぞってその場で胃の中身を吐き出した。
当然の反応だろうそれを、真昼は道端の石ころを見るかのように、冷めた目で見下ろす。
そのまま掌に乗る眼球を握ると、一気に力を入れて握りつぶした。
パンッ!!っと強烈な破裂音と共に血と眼球だった肉塊が周囲に飛び散った。
勢いよく城戸と唐沢を除く上層部の人も立ち上がる。
「おい真昼!自分が何をしてるのか分かってんのか!?」
「真昼君!正気になれ!このままでは全員壊れるぞ!?」
林藤と忍田が真昼を説得する。だがそれをあざ笑うかのように、真昼は平然と口を開いた。
「俺の記憶を観たのではなかったか?この程度、今の俺には
続けて真昼は手に刺さる破片を思い切り引きぬくと、今度は自身の身体を次々と刺し貫いていく。
増える傷穴から紅い血が流れる。
刺し抜きを繰り返し血が飛び散り、その返り血は周りの者達を紅く染めていく。ついた血はまだ生温かく、強烈な鉄の匂いが脳を刺激した。
「それが人の血だ。血は思ったよりも粘性があり、水のように一度で綺麗にふき取ることはできない。サラサラ過ぎず、だが極端に粘っこくもない。嗅覚がいかれるほどの鉄の匂いはしつこく、一度嗅げば当分抜けることはない。戦場ではこの匂いに加え、人の苦痛に悶える声や聴覚を支配する恐怖の叫び、火薬や人の肌が焼ける異臭、視界には、臓物が飛散った肉塊や焼ける肉塊、人の身体で出来た針山に火達磨、血と炎を象徴する紅い世界だ。
想像しろ、これが戦場だ。それが現実だ。お前たちはその
血の雫が紅い波紋を広げる。
「恐怖を、絶望を、地獄を、痛みを知らないからこそ、覚悟という軽い言葉でまとめる。、無知で語る覚悟なんてただの戯言でしかない。
数年前の侵攻が最大の地獄だと思ったか?
全てが終息し無様に生き残った貴様らが味わった絶望が地獄だと思ったか?
そう思い逃げたいだろうが現実は違う。本当の地獄とは死にたくとも死ねない、終わりのない悪夢を見せ続けられることが本当の地獄だ。
「
迅は全身の力が抜けてその場に座り込み頭を抱える。視えたのだろう、地獄の象徴が。視えたのだろう、人間の醜さが。視えたのだろう、
「俺は別に玉狛の思想に異議を唱えているわけじゃない」
穴だらけの上着を脱いでいく真昼。血を染み込ませたその服は重く、まるで墨を染み込ませた筆のように、辿る真昼の肌を紅く塗り潰していく。
「近界人にもいい奴はいる。あいつらも貴様らと同じ人間だ。だからこそ、その人間の醜さを教えてやる」
無数の穴が、迅たちを覗く。
「貴様らにも宿る残酷さを、卑劣さを、愚かさを、恐ろしさを、醜悪さを教えてやる」
流れる血がみるみると失速し、止まっていく。
「城戸、貴様の考えを俺は否定しない。近界人は皆殺しだと唱えるそれはきっと正しいだろう」
初めて、城戸の表情が僅かに崩れた。
「林藤、貴様ら玉狛の考えも俺は否定しない。失う痛みを知ってもなお、前を向き歩き続けるそれはまさしく強さであり美しさであり
林藤は俯き黙る。真昼が本当にそう思ってくれているとわかるからこそ、胸が傷んだ。
「どちらも正しいからこそ、俺は中立を保った。それがあの子の、陽菜の望みだったからだ。お前たちの平和を、幸せをあの子が願うなら、俺はそれを全うする義務がある。なぜだかわかるか?」
ぐじゅぐじゅと気味の悪い音が真昼の
「あの地獄をその身に刻まれてもなお、他人を思いやるあの子に、
無数に開いた穴が音を立ててゆっくりと
それはもはや現実とはかけ離れた現象だった。
あんなに無残で重症だった傷が、出血が止まり失った細胞が再生していく。
誰もがその光景に釘付けになっていた。
ただ一人、迅だけは目を背けている。
「俺のことを話したのなら知っているだろう。俺は13歳からの2年間、近界のある国で奴隷兵士として戦場に出ていた。その国は主に戦争と、ある人体実験が行われていた。毎日が戦争と人体実験だ。戦争では敵兵をただひたすら殺した。首を、心臓を、脳を斬り捨て串刺した。断末魔が脳裏にこびりつき、命を乞い、泣き叫び、無抵抗になったやつも全て。瞼の裏には、死してなお血の涙を流しこちらを睨む人々が、街や人を焼く劫火が焼き付いている。炎がはじける音を聞くだけで、噎せ返るようなあの人が焼ける臭いが蘇る。これが貴様らと俺の共通する地獄の一部だ」
バキバキと折れた指が正常な形へと戻っていく。紫色だったそれはみるみる雪のような白い綺麗なものへと変わっていく。
「およそ750日間そんな地獄を過ごし、横にいた仲間が次々と死んでいく。運よく生き残っても、俺達を迎えたのは別の地獄だった」
手の傷も塞がり、そこに残ったのは傷が確かにあったという証拠の血痕だけである。
「生きたまま、四肢を斬り落とされたことはあるか」
再度真昼は破片を掴んで、左手を串刺し斬り刻んでいく。
「生きたまま、腹を開けられ臓物を引きずりだされたことはあるか」
何度も何度も傷ができ、血が流れても、徐々にそれは塞がっていく。
「なんどもなんども、泣き叫んでもなお斬られ続け、自身の血で出来た浴槽に浸かったことはあるか」
人とは言えない化物がただ無情に真実を語る。
「痛みを失くし、感情を失くし、ゆっくりと人から作り替えられていく感覚を知っているか」
ゴポッっと重い液体が溢れる音が真昼の
「自立型人造トリオン兵─通称…こっちの言葉で言うならば、【オートマタ】。それが俺たち奴隷兵が受けた人体実験の名だ」
ゆっくりと左目を空けると、そこには先ほど真昼自身の手で抉りとり失った左目が、しっかりと光を宿して城戸たちを写していた。
頬を伝う血の涙は、今まで流したどの血よりも薄い色をしていた