「形式的な会議は極力排除したいが、会議を開かないと動けないことが多すぎる」
「効率は悪いがそれが文書主義だ。民主主義の根幹だよ」
「しかし、手続きを経ないと会見も開けないとは……」
――『シン・ゴジラ』より
当時、内閣府防災担当参事官であった私、
20x9年11月3日午後2時32分。相模湾に突如として現れた巨大不明生物――後に「ゴジラ第二形態:
政府の対応は迅速だった、と思う。
「緊急災害対策本部設置!」
防災担当大臣の号令とともに、私たちは走り回った。自衛隊による救援活動の要請、被災者の避難誘導、医療チームの派遣。マニュアル通りの災害対応だった。
一週間後、仮設住宅の建設が始まった。被災者たちは整然と列を作り、配給を受け取っている。
現場視察に来た上司の審議官が、私の横でつぶやいた。
「……まるで戦争だな」
……戦争?
怪訝な私に、審議官はなにやら弁明するかのような口調で言った。
「いや、台風や地震とは違うな、と思ってな。前例のない事案だ、不安な人も多いだろう」
確かにその通りだった。私たちは復旧作業を進めながらも、いつまた同じことが起こるか分からない不安を抱えていた。
政府内に「ゴジラ対策検討委員会」が設置されたのは事件から2週間後のことだ。海洋生物学者、地震学者、軍事専門家など各分野の専門家が集められ、私も事務局の一員として参加した。
委員長を務める、帝都大の海洋生物学教授は冷静だった。
「現段階では、この生物の生態も再出現の可能性も不明です。重要なのは、パニックを起こさずに科学的な調査を継続することです」
委員会では、早期警戒システムの構築、避難計画の策定、国際協力体制の整備……どれも派手さはないが、着実で合理的な対策だったように私には思える。
しかし、世論は違った。
「なぜ攻撃しなかったのか」
「また来たらどうするんだ」
「政府は本気で対策する気があるのか」
SNSには批判が溢れ、テレビのワイドショーでは連日「政府の無策」が糾弾された。私たちが進める地道な対策は「弱腰」「場当たり的」と批判された。
「国民は分かりやすい『解決策』を求めているんだろうな」
上司の審議官がため息をつきながらこう言ったのを、私は覚えている。
「でも、科学的根拠のない対策に予算をつけるわけにはいかない。我々は官僚として、合理的な政策を進めるしかないんだ」
それから4年間、ゴジラは現れなかった。
私たちは着実に準備を進めた。海底観測網の整備、避難訓練の実施、近隣諸国との情報共有体制の構築――地味だが、確実にゴジラ再来への備えは整いつつあった。
しかし、4年という時間は長すぎた。
多くの国民にとって、ゴジラはもはや「過去の災害」になっていた。予算委員会では「ゴジラなんてもう来ないのでは」という声さえ聞かれるようになったくらいだ。
私たちの努力は「無駄遣い」として批判され、ゴジラ対策予算は毎年削減されていった。海底観測網の一部は維持費削減のため停止され、避難訓練も年1回に縮小されてしまった。
「このままでは、次に来た時に対応できませんよ」
私は上司の審議官に訴えたが、審議官は肩をすくめるだけだった。
「国民が忘れているものを、我々だけが覚えていても仕方ない。それが民主主義だよ、篠田君」
そして20x3年11月3日、ゴジラは再び現れた。
今度は東京湾だった。4年前よりも一回り強大な第三形態:
しかし、私たちの準備は功を奏した部分もあった。
縮小されていたとはいえ、私たちの準備は機能していた。避難訓練の経験が生かされ、被害を想定の7割に抑えることができた。犠牲者は前回を上回ったが、準備なしでは数千人に達していただろう。
しかし、それでも国民の怒りは政府に向けられた。
「4年も準備して、この程度か」
「4年も準備して、まだ被害が増えているじゃないか」
「また数百名が死んだ」
「根本的な解決策が必要だ」
世論の批判は激しく、内閣支持率は急落した。
そんな中、一人の男が注目を集め始めた。
芹沢氏は元陸上自衛隊の技術幹部で、現在は防災コンサルタントを務めていた。防衛大学校を首席で卒業後、自衛隊で最新装備の開発に携わり、若くして一等陸佐まで昇進した後、民間で災害対策技術の専門家として活動している。いわゆるキャリアだった。
しかし、芹沢氏の経歴で最も重要だったのは、彼の個人的な体験だ。
最初のゴジラ襲来で、新婚の妻・マイナさんを失っていたのだ。二人は結婚したばかりで、藤沢の海岸近くのアパートに住んでいた。マイナさんは避難が遅れ、崩壊した建物の下敷きになって亡くなった。
30代という若さも、芹沢氏への注目を高める要因だった。
停滞した政治に閉塞感を抱いていた国民にとって、彼は「新しい世代のリーダー」として映った。既存の政治家のイメージとは違う、フレッシュで技術に精通した人材への期待が高まっていた。
芹沢氏がテレビ番組で語った言葉は、瞬く間に全国に広がった。
「逃げ回るだけでは、国民の命は守れません。ゴジラと戦い、これを倒す。それが真の国防です」
テレビカメラの前で語る芹沢氏の表情は、力強くも穏やかだった。
軍人特有の威圧感はなく、どちらかといえば聡明な青年研究者のような雰囲気を漂わせていた。30代という若さも相まって、多くの国民、特に若い世代から強い支持を集めた。「ついに我々の世代の政治家が現れた」という声が、SNSで拡散されたという。
芹沢氏は各メディアに精力的に出演し、持論を語り続けた。
「人命を守る最終兵器:メカゴジラを建造し、日本の技術力でゴジラを迎え撃つ。夢物語だと笑う人もいるでしょうが、2度も数百名の尊い命を失った現政府の『現実的』な対策こそ、夢物語ではないでしょうか」
芹沢氏は既にメカゴジラの設計図を完成させていた。防衛省時代のネットワークを生かした「ゴジラ対策技術研究会」には、重工業メーカーの技術者から元自衛隊幹部まで幅広い人材が集まっていたという。
私が芹沢氏と初めて会ったのは、委員会の席でのこと。政府が招聘した外部専門家として、彼が意見を述べることになったときだった。
「……芹沢さん、メカゴジラの建造コストをどう見積もっていますか?」
私の質問に、芹沢氏は穏やかな口調で答えた。
「篠田さん、コストの問題ではありません。国民の命に値段をつけるのですか? 防衛費の5年分を投じても、ゴジラを倒せるなら安いものです」
「しかし、技術的な実現性は――」
「やってみなければ分からない。日本の技術力を信じましょう」
芹沢氏は技術的な詳細についても詳しく説明した。彼の知識は本物で、その情熱も偽りではなかった。
しかし……。
「予算の確保や法制度の整備については、どうお考えですか?」
そう訊ねると、芹沢氏は困ったような顔をするのだった。
「そういう難しいことは、政治家の先生方にお任せします。私は技術的な面で貢献したいだけです」
当時、私は芹沢氏に近づく影に気づいていた。
野党の若手議員、
委員会の後、私と話し込んでいる芹沢氏に二人は近づいてきた。
「芹沢先生、先生のお話を聞いて、希望を感じました」
田村氏は真剣な表情で芹沢氏に向き合っていた。
「私たちも長年、災害対策の不備を訴えてきましたが、既存の政党では限界がある。官僚主導では、どうしても後手に回ってしまう。現政府の対応では、また同じ悲劇が繰り返されます。先生のような方が、真のリーダーシップを発揮すべきです」
私も後で知ったことだが、田村氏は震災の被災地出身で、特に当時大学生だった田村氏は故郷を津波で失っていた。政治家を志したのも「災害に強い国を作りたい」という思いからだったという。恐ろしいゴジラ災害を目の当たりにして、彼の中で「また同じことを繰り返すのか」という焦燥感が強まっていたのだろう。
続いて、山口氏もこう語った。
「私たちだけでは技術的な裏付けがありません。しかし先生は、ゴジラを倒す、根本的にゴジラ災害を乗り越えるための手段を提案されている。それこそ、政治と技術の理想的な組み合わせ、国民が求める『積極的平和主義』ではないでしょうか」
山口氏もまた、純粋な動機から政界に入った一人だった。彼女の父親が自衛官で、災害派遣で殉職していた。「国民を守る」ことへの使命感は、決して偽りではなかったはずだ。
田村氏と山口氏が前のめりに迫る一方で、芹沢氏は困惑気味だった。
「私は政治家ではありません。ただ、技術的な観点から国民のお役に立てれば……」
「いえいえ、政治と技術、そして国防は不可分です。先生の理念を実現するには、政治的な基盤が必要です」
ぽん、と田村氏は芹沢氏の肩に手を置いた。
「芹沢先生、私はかつて震災と津波で故郷の町を失いました。あのとき政府の対応は遅すぎた。だからこそ、今度こそ迅速な対応ができる体制を作りたいんです」
「…………。」
芹沢氏は明らかに迷っていた。彼の表情からは、政治の世界への戸惑いと、同時に家族の仇を討ちたいという強い思いが読み取れた。
逡巡の末、芹沢氏はこう答えた。
「……考えさせてください」
芹沢氏が政治の世界に足を踏み入れる決定的な出来事が起こったのは、二度目のゴジラ襲来から2ヶ月後のことだった。
被災地である品川区で開かれた講演会での出来事だ。芹沢氏は新進気鋭の若きリーダーとして講演を求められていた。
「……皆さん。私たちはいつまで、このような悲劇を繰り返すのでしょうか」
壇上に上がった芹沢氏の声は会場に響いた。300人を超える参加者が静まり返って聞いていた。
芹沢氏は続けた。
「4年前、287名の方が亡くなりました。そして今回、また421名の方が犠牲になった。政府は『想定内の被害』だったと言います……しかし、亡くなった方々にとって、『想定内』で済まされる問題でしょうか?」
会場からすすり泣く声が聞こえた。きっと芹沢氏の言葉で、ゴジラ災害での出来事を思い出した人もいたのだろう。
一同が思い思いにあのときのことへ想いを馳せる中、芹沢氏のスピーチはなおも続いた。
「私は技術者として、ゴジラを倒す方法があることを確信しています。しかし、それを実現するための政治的な意志が、この国にはありません」
……もし皆さんが望むなら、と芹沢氏は一呼吸置いた。
「私はその意志を形にするため、政治の世界に挑戦したいと思います」
会場は静寂に包まれた。
やがて、一人の男性が立ち上がった。
「……お願いします!」
その声を皮切りに、会場から拍手が湧き起こった。やがてそれは大きなうねりとなり、会場全体を包み込んだ。
芹沢氏は目に涙を浮かべながら、深く頭を下げた。
「ありがとうございます! 必ずゴジラを倒し、このような悲劇を二度と起こさせません!」
この場面がテレビで全国放送されると、芹沢氏への支持は一気に広がった。彼のもとには全国から激励の手紙が届き、主催していた「ゴジラ対策技術研究会」には多額の寄付も集まったという。かくして芹沢氏は政界進出を決めた。
田村氏と山口氏は、この機を逃さなかった。講演のあと、田村氏が芹沢氏に接近するのを私は見た。
「芹沢先生、今がチャンスです!」
あのとき、田村氏は興奮気味に語っていた。
「国民は先生を求めています! 政党を結成し、次の選挙で政権を目指しましょう!」
「せ、政権ですか?」
このとき、芹沢氏はまたしても戸惑ったようだった。
政界進出を決めたとはいえ、まだ30代の彼にとって、政治の世界は未知の領域だったろう。技術畑で育った彼は、政治的な駆け引きや制度について学ぶ機会がほとんどなかったはずだ。
「私はまだ若すぎますし、そんな大それたことを――」
「先生の理念を実現するには、政権を取るしかありません!」
芹沢氏は明らかに固辞しようとしていたが、山口氏がそれを押し切った。
「野党のままでは、メカゴジラ建造なんて夢のまた夢です。それに、今こそ若いリーダーシップが求められているんです!」
その言葉に、芹沢氏は長い間考え込んだ。
「……分かりました。ただし、条件があります」
「どのような?」
そして、ゆっくりと口を開く。
「政治的な駆け引きは、皆さんにお任せします。私は技術的な面と、国民への説明に専念したい」
田村氏と山口氏は顔を見合わせたが、すぐさま山口氏が答えた。
「もちろんです! 先生にはビジョンを示していただき、実務は我々が担当いたします!」
こうして新党『ゴジラから国民を守る党』が結成された。
党首は芹沢ハルオ、幹事長は田村シンジ、政調会長は山口ケイコ。党の綱領はシンプルだった。
「ゴジラの脅威から国民を守るため、あらゆる手段を講じる」
芹沢氏は記者会見で、こう語った。
「政府の『受け身の防災』では限界があります。能動的にゴジラと戦い、これを倒す。そのためにメカゴジラを建造し、国民総動員でゴジラに立ち向かいます」
「国民総動員とは、具体的にどのような?」
この記者からの質問には、芹沢氏の代わりに田村幹事長が答えていた。
「緊急時には、全国民が一致団結する必要があります。詳細は今後検討してまいります」
私はこの記者会見をテレビで見ながら、嫌な予感を覚えた。
……芹沢氏の純粋な情熱は本物だ。しかし、その情熱を利用しようとする人々がいることを、彼は理解していなかった。
『ゴジラから国民を守る党』の支持率は急速に上昇した。特にゴジラ被害を受けた地域および、受ける可能性がある沿岸地域では、圧倒的な支持を集めたという。
一方で党の政策立案は、すべて田村幹事長と山口政調会長が仕切っていたようだ。芹沢氏は「技術顧問」的な立場に置かれ、メカゴジラの設計や技術的説明に専念していた。
「また逃げ回るだけの政府か、それとも戦う政府か。選択は明確です!」
田村幹事長の演説は巧妙だった。
政府の対策を「弱腰」「無責任」と断罪し、メカゴジラという分かりやすい「解決策」を提示する。複雑な現実を単純化し、不安を煽り、敵を明確化する――典型的なポピュリストの手法だった。
山口政調会長の演説も鋭かった。
「4年前の悲劇を、もう皆さん忘れてしまったのですか? ゴジラは必ずまた来ます。その時、『想定外でした』で済ませるつもりですか?」
山口政調会長は、自身が設けた動画サイトの専門チャンネルで、若い有権者たちに向けてこのように語っていた。
「現政府は、国民が災害に慣れてしまうことを待っているのです。予算削減の口実にするために。しかし、私たちは忘れません。犠牲者の無念を忘れません……!」
一方、芹沢氏の演説はどこまでも純粋だった。
「私たちは、もう一度の悲劇も許しません。技術と情熱で、必ずゴジラを倒します。それが、亡くなった方々への我々の誓いです」
彼の言葉には嘘がなかった。だからこそ、多くの国民が心を動かされたように思う。特に、災害で家族を失った遺族たちは、芹沢氏の言葉に希望を見出していた。
しかし、党内では既に変化が始まっていた。
この頃から、『ゴジラから国民を守る党』の政策にも変化が見られるようになった。当初は「メカゴジラ建造」だけだった政策が、次第に拡大していった。
「国民防衛体制の強化」
「ゴジラ対策産業の育成」
「非常時指揮系統の確立」
……一つ一つは合理的に見えるが、全体として見ると、明らかに権力集中を志向する内容だった。
しかし、これらの政策変更について、芹沢氏は詳しく説明されていなかったようだ。彼は相変わらず技術的な話に夢中で、政治的な細部には関心を示さなかった。
「……芹沢先生は純粋すぎるんです」
ある日、党の若手スタッフが、たまさか同席した私にこのようにこぼしていた。
「政治の汚い部分を知らない。だから田村さんや山口さんに任せきりになってしまう」
「それは危険ではないですか?」
私が訊ねると、そのスタッフは諦めたような口調でこう答えた。
「でも、それが芹沢先生の魅力でもあるんです。政治家臭くない。だから国民に愛される」
確かにそうだった。当初から芹沢氏の支持率は安定して高く、特に無党派層からの支持が厚かった。
しかし、その人気の源泉である「純粋さ」が、皮肉にも彼を政治的に利用されやすくしていたように思えてならない。
20x4年の参院選で、『ゴジラから国民を守る党』は躍進した。
議席数は87議席。野党第一党の地位を獲得し、連立政権の一角を担うことになった。
選挙期間中、芹沢氏は全国を飛び回った。
どの会場でも、彼の話を聞こうとする聴衆で溢れかえった。特に若い世代からの支持は圧倒的で、「ついに僕たちの世代の代表が政治の世界に」という期待の声が多く聞かれた。既存政治への不満を抱いていた国民にとって、30代の芹沢氏は「変革の象徴」として映った。
「皆さん、ゴジラが再び現れたとき、我々は準備ができているでしょうか!?」
芹沢氏の問いかけに、聴衆は真剣に耳を傾けた。
「現政府は『想定内の被害』だったと言います。しかし、『想定内』で済まされる命なんて、この世にありません!」
会場からは拍手が起こった。
「私たちは、日本の技術力を信じています。メカゴジラを建造し、ゴジラと正面から戦う。逃げ回るのではなく、立ち向かう。それが真の国防です……!」
芹沢氏の演説は技術的な詳細にも及んだ。彼は設計図を示し、建造計画を説明し、雇用創出効果まで計算して見せた。その準備の周到さは、多くの有権者を安心させた。
一方、田村幹事長と山口政調会長の演説は、より政治的だった。彼らは既存政治への批判に重点を置き、「変革」の必要性を訴えた。
「既得権益にしがみつく古い政治では、新しい脅威に対応できません」
「官僚主導の政治では、迅速な意思決定は不可能です」
「国民の生命を守るため、スクラップビルドで政治システム自体を変革しなければなりません……!」
選挙結果は、予想を上回る大勝利だった。特に、ゴジラ被害を受けた選挙区では、軒並み候補者が当選した。
芹沢氏は防災担当大臣に就任。芹沢大臣は就任と同時に、メカゴジラ建造プロジェクトの事務局長として私を指名した。技術的な専門知識を買われてのことで、通常の官僚制度を飛び越えて、プロジェクト関連事項については大臣に直接報告する立場となった。
異例の抜擢。つまるところ、芹沢大臣は私の直属の上司となったのだ。
「……篠田君、君たちの努力は評価している」
大臣室で再会したとき、芹沢大臣は私にこう言った。
「しかし、従来の延長線上では、根本的な解決は不可能だ。メカゴジラ建造プロジェクトを立ち上げる。篠田君、君にはプロジェクトの事務局長を務めてもらいたい」
メカゴジラ建造は芹沢大臣の悲願とも言える政策だ。ぜひとも叶えたい気持ちはわかる。
だが。
「大臣、技術的な課題が山積しています。まず基礎研究から……」
「時間がない。次のゴジラ出現まで、あと数年しかない可能性があるんだ」
芹沢大臣の焦りは本物だった。彼は真剣に国を憂いているのだ。
しかし、その焦りにつけ込む人々がいることを、彼は理解していなかった。
当時、田村幹事長は芹沢大臣にこう言ったという。
「芹沢先生はメカゴジラのことだけ考えていてください。政治的な調整は、我々が責任を持って行います」
そして、芹沢大臣は素直にその提案を受け入れた。
その後、プロジェクトの予算編成や法的枠組みの整備は、すべて田村幹事長と山口政調会長が主導していた。芹沢大臣はというと、技術的な側面にのみ集中し、政治的な決定は「政治の専門家」に任せていたいようだった。
しかし、この分業体制が、後に深刻な問題を引き起こすことになろうとは、誰も予想していなかった。
国家の威信をかけたメカゴジラ建造プロジェクトは、前例のない規模で進められた。
予算は年間3兆円。全国の重工業メーカー、大学、研究機関が総動員された。
芹沢大臣は水を得た魚のように、プロジェクトに没頭した。技術者たちとの会議では、まるで少年のように目を輝かせて、設計図の細部について議論していたという。
「この関節部分の強度が課題ですね」
「冷却システムをもう少し効率化できませんか?」
「操縦システムは、パイロットの負担を最小限に抑えたい……」
しかし、プロジェクトの進行と並行して、気になる変化が起こっていた。
「ゴジラ対策特別措置法案」――芹沢大臣の名前で提出される予定の法律のことだ。その第7条を読んで、私は思わず声に出してしまった。
「『政府はゴジラ関連情報の公表に関し、主要報道機関と事前協議を行い、混乱防止のための指針を定める』……か」
ページをめくるたびに、背筋に冷たいものが走った。他にも第15条「政府は避難計画に基づく住民移転要請を行い、正当な理由なく従わない者には過料を課すことができる」、第23条「私企業の強制的事業転換命令」……。
報道機関には“事前協議義務”、避難命令への“従わない場合の過料”、物流・医療資源の“優先調達権”。条文の多くに「政府は必要な指針を定め、関係者はこれに従うものとする」とある。すべて「ゴジラ対策のため」という名目だったが、まさかこれが現代日本で起草される法律だとは。
翌日、私は芹沢大臣に面会を求めた。
「……行き過ぎではありませんか。特に報道の“事前協議義務”は、実質的な検閲につながります」
私から芹沢大臣に進言したところ、芹沢大臣からはこう返された。
「篠田君、非常事態には非常手段が必要だ。ゴジラが現れてから法整備をしていては手遅れになる」
「しかし、基本的人権の制約は……」
「人権も命があってこそだろう」
芹沢大臣の論理は一貫していた。彼は本気で国民を守ろうとしている。
しかし、その純粋な動機が、危険な政策を正当化する根拠として使われていることに、彼は気づいていなかったように私には思える。
私はこのように具申した。
「……大臣、この法案の詳細をご存知ですか? 報道機関への事前検閲、集会の事前許可制、移動の自由の制限……これらすべてが含まれています」
私は具体的な条文を示すと、芹沢大臣は書類を眺めた。明らかに、詳細を読むのは初めてのようだった。
「うーむ……確かに少し厳しい内容だな……」
「はい。これでは戦時中の治安維持法と変わりません」
芹沢大臣は困惑した表情を見せた。
しかし、ちょうどその時、田村幹事長が現れた。
「芹沢先生、お疲れ様です。篠田さん、法案について何か問題が?」
「基本的人権の制約が過度ではないかと……」
私の懸念に対し、田村幹事長は一蹴した。
「篠田さん、気持ちは分かりますが、これは“検閲”ではなく“協議”です。拒否したところで罰則はありません。ただし緊急時に混乱を防ぐため、報道各社に『ガイドライン』への署名をお願いする、という形です」
「しかし……」
「我が党も民主主義を軽視したいわけではないんです」
なおも反駁しようとする私に対し、田村幹事長の表情は真剣だった。
「しかし、ゴジラが現れてから法整備をしていては手遅れになる。前回のゴジラ襲来を思い出してください。避難命令が出ても従わない人、デマを流す人、パニックを煽る報道……あのとき、もし政府にもっと強制力があれば、救えた命がもっとあったはずなんです」
確かに、田村氏の言葉には説得力があった。彼は過去の災害での教訓を踏まえ、本気で効率的な対応を考えているようだった。
それに、と田村幹事長は付け加えた。
「法案の目的は明確です。ゴジラから国民を守る。これに反対する理由があるでしょうか?」
「それは、そう、ですが……」
私は言葉に詰まった。確かに、目的は正当だ。ゴジラ襲来という非常時に、手段の妥当性を疑問視する私の方が、非現実的に見えてしまう。
田村幹事長は芹沢大臣に向き直った。
「芹沢先生には、技術的な側面に専念していただければ。政治的な詳細は、我々政治家が責任を持ちます」
芹沢大臣は安堵の表情を見せた。
「……そうですね。田村さんにお任せします」
かくして「ゴジラ対策特別措置法案」は国会で可決された。
野党の一部が反対したが、新聞の世論調査は厳しい現実を示していた。
『法案賛成68%、反対22%』
街頭インタビューでは、こんな声が聞かれた。
「ゴジラが来たら困るのは私たちでしょ? 多少の制限は仕方ないんじゃない?」
「反対する人は、また被害が出てもいいって言うの?」
法案は予想より早く可決された。審議時間はわずか3日間。連立与党である『ゴジラから国民を守る党』は「緊急事態における迅速な意思決定」の名目で、野党の反対を押し切った。「ゴジラ対策に反対するのか」という世論の圧力もあり、野党の抵抗は弱々しいものだった。
さらに問題だったのは、反対意見を述べた議員たちへの対応だった。
野党は激しく抗議したが、メディアは“協議義務”“ガイドライン”を「検閲ではない」と政府広報的に流した。さらに抗議した議員には、守秘義務違反疑惑や政治資金問題の“疑惑報道”が相次いだ。逮捕はされないが、世論の目は冷たくなり、彼らは委縮してしまった。
芹沢大臣は法案通過を喜んでいた。
「これでメカゴジラ建造に専念できます!」
芹沢大臣にとってこの法案は、技術的作業を円滑に進めるための手段でしかなかったようだ。
次に来たのは「国民防衛義務法」だった。私はこのときも異議を唱えることになった。
「これは実質的な徴兵制度です」
「徴兵制度?」
私がそう述べたとき、芹沢大臣は明らかに困惑していた。
「何を言っているんだ、篠田君。これは防災訓練だよ。軍事訓練ではない。ゴジラから身を守るための、正当な防災教育だ」
18歳から60歳までの全国民に、ゴジラ対策訓練への参加を義務づける法律。月1回の避難訓練、年2回の防衛訓練。正当な理由なき不参加には過料するという。
法律の条文を読む限り、確かに名目上は「防災訓練」となっている。
しかし……。
「芹沢大臣、訓練の具体的な内容はご存知ですか?」
そう言って、私は訓練計画書を示した。
たしかに条文では訓練となっているが、その内容は明らかに軍事的だった。集団行動、規律の徹底、指揮命令系統の確立――すべて軍隊の基本要素だ。
「行進訓練、整列訓練、命令伝達訓練……これらは防災に必要でしょうか?」
「……確かに、少し軍事的すぎるかもしれないな」
芹沢大臣が書類を見て首をかしげたそのとき、またしても田村幹事長が現れた。
芹沢大臣が内容を問い質すと、田村幹事長はこのように答えた。
「訓練内容についてですか。これは専門家が綿密に検討した結果です」
「専門家?」
「元自衛隊幹部の皆さんです。緊急時には規律ある行動が不可欠だと」
芹沢大臣は納得したようだった。
「……そうですね。確かに、緊急時の避難には規律が重要です」
このとき、私は芹沢大臣の思考パターンを理解した。
彼は技術的・軍事的な観点からは物事を考えられるが、政治的・社会的な含意については考えが及ばない。そして、その盲点を田村幹事長らが巧妙に利用していた。
「しかしこれは些か行き過ぎなのでは……?」
「篠田さん、心配はわかりますが、」
なおも懸念を表する私に、田村幹事長は向き直った。
「すべては、国民の安全のためです。何しろ我々は『ゴジラから国民を守る党』なのですから」
20x5年4月、三度目のゴジラが出現した。
今回出現したのは前回と同じく、ゴジラ=テレストリスだ。
東京湾への再来襲。しかし今回は違った。
新設された「ゴジラ対策統合司令部:Gフォース」が指揮を取り、自衛隊とメカゴジラの試作機を含む特殊部隊が連携してゴジラと交戦した。
戦闘は6時間に及んだ。メカゴジラは大破したが、ゴジラに深手を負わせ、最終的にゴジラは撤退した。犠牲者は現場の自衛官も含めて12名――過去最少だった。
芹沢大臣は興奮していた。
「見ましたか、篠田君! 我々のメカゴジラが国民を守りました! ゴジラを撤退させたんです!」
確かに、技術的には大きな成功だった。芹沢大臣の設計は基本的に正しく、日本の技術力の高さを証明していた。
加えて強権的に見えた「ゴジラ対策特別措置法」「国民防衛義務法」も功を奏していた。
ゴジラ襲来の最中で各種物資をスムーズに調達できたのも、また国民が混乱に惑わされず規律正しく避難できたのも、明らかにこの「ゴジラ対策特別措置法」による徴用と、「国民防衛義務法」による訓練のおかげだ。そのこと自体は否定しようのない事実であった。
「次回はさらに改良を加えて、完全に倒してみせます!」
芹沢大臣の目は希望に輝いていた。彼にとって、これは技術者としての最高の瞬間だったろう。
……しかし、私は別の事実に気づいていた。
メカゴジラの戦闘データを分析していた時、奇妙な記録を発見したのだ。ゴジラの撤退パターンが、過去2回と明らかに異なっていた。まるで、撤退するタイミングを計っていたかのような動きだった。
「……もしかして、ゴジラは学習しているのか?」
私の疑念を同僚の研究員に話すと、彼は青ざめた。
「もしそうなら、次回はメカゴジラの対策を練ってくる可能性がある」
「つまり、今回の『勝利』は、本当の戦いの始まりに過ぎない、と?」
私たちは急いで報告書をまとめ、芹沢大臣に提出した。
しかし、芹沢大臣の反応は私の予想を超えたものだった。
「君たちの懸念は理解する。だからこそ、より強力なメカゴジラが必要だ」
「大臣、それだけでは……」
「篠田君、君は官僚として優秀だが、政治的判断は我々『ゴジラから国民を守る党』に任せてくれ」
芹沢大臣の目には、かつての純粋な情熱に代わって、頑なな確信が宿っていた。彼は既に、自分の判断に疑問を持つことができなくなっているようだった。
一方、田村幹事長と山口政調会長はこの「勝利」を最大限に政治利用した。
「これだけの犠牲で済んだのは、我々の政策の成果です」
「従来の『逃げるだけ』の対策では、この成果は不可能でした。積極的防衛こそが、国民を守る唯一の道です!」
世論は沸騰した。『ゴジラから国民を守る党』の支持率は70%を超え、次期総選挙での単独過半数が確実視された。
しかし、「勝利」の陰で、さらなる制度変更が進んでいた。
「……芹沢大臣、この法案の内容をご確認いただけますか?」
私は最大限自分に出来る努力として、芹沢大臣に各法案の詳細を説明しようとした。
しかし、芹沢大臣は忙しそうに手を振った。
「篠田君、申し訳ないが、メカゴジラMk-IIの設計で手一杯なんだ」
「しかし、この法案は民主主義の根幹に関わる問題です!」
「政治的なことは田村さんたちに任せている。君も技術的な作業に専念してくれ」
芹沢大臣は既に、政治的な判断から完全に遠ざかっていた。
彼の関心はメカゴジラ開発の技術的な課題のみに向けられ、自分の名前で推進される政策の政治的含意については、考えることさえしなくなっていた。
その次の衆院総選挙で、『ゴジラから国民を守る党』は圧勝した。議席数は312議席、衆議院の3分の2を占める圧倒的多数を獲得した。
新政府の最初の政策は「ゴジラ対策基本法」の制定だった。
この法律により、ゴジラに関するあらゆる事項が政府の管理下に置かれた。ゴジラ関連情報の国家管理、報道ガイドラインの法制化、研究データの機密指定制度、民間企業への資材優先配分――すべて“国民の混乱防止”名目で期間限定のはずが、のちに毎年延長条項が付くことになった。
また、議会での審議は完全に形式化していた。
法案は「国家存亡に関わる最重要課題」として特別委員会に付託され、審議期間はわずか5日間。反対派議員が詳細な検討を求めても、「一刻の猶予もない」として却下された。
さらに深刻だったのは、反対意見を述べた議員への圧力だった。
法案に疑問を呈した野党議員の多くが、審議中に新設された「ゴジラ対策阻害罪」で捜査対象となった。不逮捕特権のおかげで直接的な逮捕は避けられたが、報道でスキャンダルとして扱われ、事実上の言論封殺が行われた。
「議会は民主主義の最後の砦です」
ある野党議員が委員会で訴えた。
「しかし、発言すれば“機密漏洩の疑いで捜査対象”として任意聴取され、報道により“疑惑議員”のレッテルを貼られる議会に、何の意味があるのでしょうか……?」
この発言も「国民の不安を煽る有害な発言」として問題視され、議員は翌日から「体調不良」を理由に欠席を余儀なくされた。
こうして議会は存続し続けたが、実質的には政府の追認機関に変質していた。
芹沢氏は総理大臣に就任したが、実際の政権運営は田村副総理と山口官房長官が担っていた。
「芹沢総理には、国民への説明と技術的監督に専念していただきます」
田村副総理は記者会見で説明した。
「政治的な実務は、我々が責任を持って行います」
芹沢総理はこの分業体制を歓迎していた。
「わかりました。政治のことは分かりません、専門家に任せましょう」
芹沢総理はこれまでこの手の言葉を何度も口にしたが、今にして思えばそれは謙遜というより、責任回避の側面もあったように私には思える。技術者として完璧主義な彼にとって、曖昧で妥協が必要な政治の世界は、むしろ避けたい領域だったのだろう。
けれど、言うべきことは言わねばならない。私は立ち上がった。
「これはもはや民主主義ではありません」
私は最後の抵抗を試みた。同僚たちと連名で、政策の見直しを求める意見書を提出した。
しかし、翌日、私は「ゴジラ対策阻害罪」の容疑で聴取を受けた。
「……篠田さん、あなたの意見書は国民の不安を煽る内容でした」
取調べを担当した警察官は丁寧だった。
「ゴジラ対策の妨げになる情報の流布は、新法により処罰対象です」
「官僚として、科学的事実を報告しただけです」
私は反論したが、警察官は職務には忠実だった。
「科学的事実であっても、その発表時期と方法は重要です。パニックを引き起こす可能性があります」
私は24時間後に釈放されたが、役職は解かれ、研究データへのアクセス権も剥奪された。
同様の処分を受けた研究者や官僚は少なくなかった。批判的な意見を述べた者は次々と「ゴジラ対策阻害罪」で処罰され、メディアは政府の方針に疑問を呈することを止めた。
芹沢総理は、これらの処分について詳しく報告を受けていなかったらしい。
「治安当局の判断に任せています」
芹沢総理は記者の質問にそう答えた。
「私の役割はメカゴジラの開発です。法執行については、専門家が適切に判断してくれるでしょう」
メカゴジラMk-IIが完成し、徴兵制により編成された国民防衛軍が正式に発足した。
報道は政府の管理下に置かれ、反対意見は「ゴジラ協力者」として糾弾される。芹沢総理大臣は国民的英雄として崇拝され、彼の写真が全国の公共施設に掲げられている。
しかし、本当の権力は田村副総理と山口官房長官が握っている。芹沢総理は象徴的存在として祭り上げられ、実際の政策決定からは遠ざけられていた。
田村副総理は政府内でこう説明していたという。
「芹沢先生は技術の専門家です。政治的な判断は、我々政治のプロが行う。それが最も効率的な体制です」
芹沢総理も、この説明に満足していたらしい。
「複雑な政治の世界は、やはり専門家に任せるのが一番ですね」
彼は技術的な作業に没頭し、政治的な決定には関与しなくなった。皮肉なことに、国民は芹沢総理の「純粋さ」を愛し続けていたが、その純粋さこそが、彼を政治的に無力化していたのだった。
私は今、地方の小さな研究所で気象観測の仕事をしている。
ゴジラ関連の研究は禁止されているが、密かに海洋データを分析し続けている。
公式には気象データの収集と分析を担当しているが、実際には海洋の異常現象を追跡していた。表向きは台風や気圧変化の研究だが、その裏でゴジラの行動パターンを解析していた。
そして、恐ろしい事実に気づいてしまった。
最新の分析によると、ゴジラの出現パターンには明確な法則性がある。しかも、その法則に従えば、次の出現は従来よりもはるかに早い。
さらに深刻な問題は、ゴジラが明らかに学習していることだった。3回目の出現時の戦闘データを詳しく分析すると、ゴジラはメカゴジラの弱点を探り、対抗策を講じていたことが分かる。次回は、さらに高度な戦略で襲来する可能性が高い。
しかし、この情報を政府に伝える術はない。仮に伝えたとしても、「ゴジラ対策阻害罪」で処罰されるだけだろう。
私は悩んだ末、元同僚の
「……篠田、久しぶりだな」
宮坂は警戒心を隠さなかった。私と連絡を取ったことが発覚すれば、彼も処罰される可能性があった。
「重要な発見があるんだ」
私は暗号化したデータを宮坂に渡した。
「これを見て、適切な方法で情報を流してもらえないか?」
私の頼みに対し、宮坂は困惑していた。
「……篠田、今の政府は異論を許さない。どんなに正しい情報でも、政府の方針と異なれば『有害情報』扱いされるんだ」
「それでも、国民の生命に関わる問題だぞ」
「分かってる。しかし、情報を流した途端、あんたも私も逮捕されるだろう」
宮坂の指摘は正しかった。現在の体制下では、科学的事実であっても、政府の方針と異なる情報は「有害」とみなされる。
「では、どうすればいいんだ?」
そう問うと、宮坂は苦虫を嚙み潰したような表情で答えた。
「……正直なところ、打つ手がない。メディアは政府の管理下で、研究機関も統制されている。独立した情報発信の場が存在しないんだ」
私は愕然とした。民主主義社会の基盤である「情報の自由な流通」が、完全に破壊されている。
皮肉なことに、ゴジラから国民を守るはずの体制が、最も重要な情報の流通を阻害している。民主主義を犠牲にして築いた権威主義体制が、結果的に国民をより大きな危険に晒そうとしている。
そして私の予測は的中した。
20x6年7月、再びゴジラが出現したのだ。
今度は東京湾への四度目の襲来だった。
しかも、今度のゴジラは明らかに進化していた。体格は一回り大きくなり、皮膚はより厚く、動きはより俊敏になっていた。パワーアップを遂げた新種のゴジラは、ゴジラ第四形態:ウルティマと名付けられた。
メカゴジラMk-IIは確かに高性能だった。芹沢総理の設計は技術的に優秀で、前回の戦闘経験を生かした改良も施されていた。
しかし、相手も進化していた。
ゴジラ=ウルティマは明らかに前回の戦闘を学習しており、メカゴジラの攻撃パターンを予測し、弱点を狙い撃ちしてきた。戦闘は18時間に及び、最終的にゴジラは撤退したが、被害は深刻だった。犠牲者は2,000名を超え、メカゴジラMk-IIも大破という結果だった。
芹沢総理は衝撃を受けていた。
「なぜだ……計算では勝てるはずだったのに……!」
彼の技術者としての自信は大きく揺らいでいた。しかし、より深刻な問題は、この「敗北」に対する政府の反応だった。私は芹沢総理に提言しようとしたが、しかしもはや私には接触する手段がなかった。
山口官房長官が記者会見を行った。
「今回の戦闘は、我々の想定を超える事態でした。しかし、これは決して失敗ではありません」
山口官房長官の説明は巧妙だった。
「ゴジラが進化していることが判明しました。これは貴重な情報です。次回はこの経験を生かし、必ず勝利します」
「……被害が前回より大規模になったことについては?」
記者からの質問に、山口官房長官は冷静に答えた。
「
この「戦争」という言葉に、私は戦慄した。いつから国民の安全を守る行為が、「戦争」になったのか。
芹沢総理は記者会見に出席しなかった。技術的な失敗を深く反省し、次世代メカゴジラの設計に没頭していた。
芹沢総理は技術スタッフに語ったという。
「私の設計に問題があったのかもしれない。もっと強力な機体を作らなければ」
彼の発想と情熱は、相変わらずメカゴジラ開発に向けられていた。政治的・戦略的な問題については、依然として関心を示さなかったらしい。
しかし、政府の方針は既に大きく変化していた。
「総力戦体制の確立」が宣言され、国民生活のあらゆる面がゴジラ対策に動員されることになった。食料の配給制、労働力の強制配置、学校教育の軍事化――すべてが「ゴジラとの戦い」の名の下に正当化されることになった。
20x7年、四度目のゴジラ出現から1年が経った。
メカゴジラMk-IIIの開発は続いているが、完成は数年先の見込みだった。
しかし、政府の権力はさらに強化されていた。
「総力戦体制」の名の下に、国民の基本的権利はほぼ完全に制限され、反対意見を述べることは事実上不可能になっていた。
芹沢総理は総理大臣の座にあったが、その権力は名目的なものになっていた。実際の政策決定は「ゴジラ対策最高評議会」が行い、芹沢総理は技術顧問として扱われていた。
「芹沢先生には、メカゴジラ開発に専念していただいています。政治的判断は、我々が責任を持って行います」
田村氏――現在はゴジラ対策最高評議会の議長――は、記者会見でそう説明していた。
そして皮肉なことに、芹沢総理はこの状況に満足していたという。
「政治的な責任から解放されて、技術的な作業に集中できます」
彼は心から安堵しているようだった。
しかし、私は別の事実に気づいていた。政府の真の目的が、もはやゴジラ対策ではなくなっていることを。
「議会制民主主義は維持されています」
山口氏――現在はゴジラ対策最高評議会の書記長――は、ぶらさがり取材でそのように強調した。
「すべての法案は、議会での正当な手続きを経て成立しています」
……確かに、手続き上は何の問題もないようだった。
しかし、これは
これはすなわち「ゴジラ協力者」の摘発が最優先課題とされ、科学的研究よりも思想統制に資源が投入されていると見るべきだろう。実際のゴジラ対策よりも国民の統制に重点が置かれるようになり、「ゴジラとの戦い」は体制を維持するための口実になってしまっていた。
議会では、これらの予算変更について形式的な審議が行われたと報じられている。
しかし、野党議員の多くが既に「ゴジラ対策阻害罪」の「捜査対象」となっており、実質的な反対意見は皆無だったという。予算委員会では、政府側の説明に対して「適切な措置だと思います」「国民の安全のために必要です」という賛成意見のみが述べられ、可決されたとのことだ。
また芹沢総理は、これらの予算配分の変化について知らされていないと思われる。技術開発の現場では、相変わらず真剣にメカゴジラの改良に取り組んでいるようだ。
「議会の運営については、田村副総理や山口官房長官にお任せしています」
芹沢総理は記者の質問にそう答えていた。
「私は技術のことしか分かりませんから。政治的な手続きは、専門家が適切に進めてくれているでしょう」
議会が実質的に機能を停止していることについても、芹沢総理は詳しく把握していないとみられる。彼にとって重要なのは技術開発であり、政治的プロセスは「必要な手続き」程度の認識でしかないようだ。
「今度こそ、必ずゴジラを倒します」
芹沢総理の決意は変わらないようだった。
象徴的だったことがある。「ゴジラ記念日」の制定だ。
最初のゴジラ襲来の日である11月3日を「国難記念日」とし、国民に「ゴジラの脅威」を思い起こさせる祝日にしたのだ。
この日には、全国で追悼式典が開催され、国民の代表が国民に向けて演説することが義務づけられた。国民の代表、すなわち芹沢総理だ。
「我々は、ゴジラの脅威を忘れてはなりません」
芹沢総理は毎年、同じような内容の演説を行った。
「油断すれば、再び悲劇が起こります。国民一丸となって、ゴジラに備えましょう」
芹沢総理の言葉は真摯だった。
しかし、その言葉が国民の恐怖を煽り、体制の正当性を維持する道具として使われていることに、彼は気づいていなかった。
そして20x9年の春、私は恐ろしい真実を発見した。
長年にわたる海洋データの分析により、ゴジラの生態に関する決定的な事実が判明したのだ。ゴジラの出現パターン、海洋環境の変化、放射能レベルの推移――すべてのデータが同じ結論を示していた。
ゴジラは、もう二度と現れない。
データによれば、ゴジラの生物学的サイクルは既に完了している。最後の出現から3年が経過し、海洋の放射能濃度は自然レベルまで低下していた。ゴジラが生存に必要とする特殊な環境条件は、もはや地球上に存在しないのだ。
しかし、この発見が私に安堵をもたらすことはなかった。
私は慎重に調査を進めた。政府の海洋研究データ、防衛省の分析資料、極秘の研究報告書――元同僚からの情報や個人的なコネを駆使して、各方面から情報を集めた。
そして、様々なルートから得た断片的な情報を繋ぎ合わせた結果、戦慄すべき可能性に辿り着いた。
『ゴジラから国民を守る党』は既に、ゴジラが二度と現れないことを知っているのではないか。
メカゴジラMk-IIIの開発予算が大幅に削減される一方で、「国民防衛訓練」や「情報管理システム」の予算は増大している。まるで、実際のゴジラ対策よりも、国民の統制に重点が移っているかのようだ。
しかし、確実な証拠は存在しない。真実は政府の奥深くに隠されており、外部の人間がアクセスできる範囲ではない。
20x0年11月3日――奇しくも、ゴジラが初めて出現してからちょうど11年目のゴジラ記念日に――「決戦」が開始された。
私はテレビの前で、この出来事を見つめることしかできなかった。芹沢総理はメカゴジラMk-IIIに自ら搭乗し、「ゴジラとの最後の戦い」に向かった。
「今度こそ、必ず勝ちます」
出撃前の芹沢総理の言葉は、心の底から発せられたもののように私には見えた。
戦闘は3日間に及んだと報道された。「激戦」の様子がテレビで中継され、最後の「決定的な一撃」で「ゴジラ完全撃破」が宣言された。
芹沢総理がメカゴジラから降りてきた時の表情を、私はテレビ画面を通して見た。芹沢総理は涙を流しながら、天を見上げて叫んでいた。
「マイナ……ついに君の仇を討ったよ!」
その勇姿に、国民は熱狂した。街頭では祝勝パレードが始まり、芹沢総理は真の国民的英雄として讃えられた。
けれど勝利から半年後、政府は「新たなゴジラ」の存在を示唆し始めた。ゴジラへの勝利からあとも、「完全な勝利のためには、さらなる警戒が必要」として体制の強化が続く一方だ。
私は今、誰にも話すことのできない疑惑を抱えて生きている。あの最終決戦は本物だったのか。ゴジラは本当に倒されたのか。それとも……
しかし、これらは全て憶測でしかない。
真実は闇の中にある。
芹沢総理は今でも、自分が本当にゴジラを倒したと信じているように見える。彼は国民を守った英雄として、毎日を送っている。彼に充てがわれた研究室では今でも、「新たな脅威に備えて」次世代メカゴジラの設計が続けられているという。
この国の民主主義は静かに息絶えた。議会は存在するが議論はなく、メディアは存在するが真実は報じられない。国民は自由だと信じているが、見えない檻の中で踊らされている。
最も皮肉なことは、国民の多くが心から満足していることだ。「ゴジラを倒した英雄的指導者」のもとで、秩序ある平和な社会を享受している。
もうゴジラが現れることはないかもしれない。しかし国民は、存在しない怪物に怯え続け、存在しない勝利を祝い続けることになるだろう。
……夕日に染まる海を見ながら、私は恐れている。
遠く水平線の向こうから、何かが近づいてくる気配がする。
それがゴジラなのか、それとも別の何かなのか――
私にはもう分からない。
「プロジェクト・メカゴジラ」で書かれていなかったことを書こうと思いました。いやまぁゴジラがあそこまで絶望的に強いと、民主主義がどうとか言ってる場合じゃあなくなるんだけどさ。
あと「シン・ゴジラ」みたいなシミュレーションなんて出来やしないし目的でもないので、政治的なディテールは意図的に甘くしています。こんなこと有り得ないから書けるんですよ。