Soleil シリウスとレギュラスのお兄ちゃんが頑張る話   作:がらくた屋

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第十話 邂逅

目の前で灰色の石壁が、物凄い速さで空に向かって上っていく。

 

いや、違う。

 

両耳を打つ風のうなり声。足元に固い地面が触れない。内臓が宙ぶらりんになっている。

石壁が移動しているんじゃない。俺が、落ちているんだ。どこか高いところから。目線を上にやると月明かりに照らされた見覚えのある黒い屋根がぐんぐんと離れていくのが見えた。あれは天文塔だ。

ローブをまさぐって杖を探そうとしたけれどうまく指が動かない。身体はその間にも速度を増して地上へと落ちていく。このままじゃ、このままじゃ。

 

ぐちゃり。

 

全身が容赦なく叩きつけられる衝撃と共に、すぐ耳元でトマトが潰れたような音がした。さっきまで色鮮やかに見えていた視界がぼやける。あんな高い塔から落ちたんだからとてつもなく痛いはずなのに、体中が痺れてあまりよく分からない。

 

だれか。

 

誰かを呼びたくても声が出ない。手も足も動かせない。額から頬を伝って、何か生ぬるいものがどろりと流れている。

 

だれか。おれをあそこにつれていって。

 

指先が、脚の先がすごく冷たい。目の前が徐々に暗くなっていくのと同時に、意識が段々と遠い所に引っ張られるように薄れていく。

 

だって、おれはまだ、あいつに。

 

 

「なんだあの夢……」

 

窓の外へ目をやると、寝る前よりも疲れたような顔をした俺自身と目が合った。月の光が差し込んでいつもよりもほの暗く見える湖の底を眺めながら額に浮かんだ汗をぬぐう。内臓がひっくり返る様な浮遊感に、落ちた時の内臓が潰れたであろう音。意識が段々遠のいていく様も、ただの夢だと言い切ってしまうにはぞっとするほどの現実味があった。

時刻はまだ夜中の3時。コイオスは今夜も医務室に泊まっているので他に誰も居ない部屋は静かだ。

 

「……水飲んで寝るか」

 

明日はあのグリフィンドールとのクィディッチの試合があるというのに。神経が高ぶったせいでこんな夢を見たんだ。もう一回寝て忘れよう。俺はそう結論付けてまだ若干重く感じる身体を起こした。

 

しかし奇妙な落下死の夢はそれからも時々見る羽目になった。しかも段々と見る頻度が上がっている気がする。いつもきまって俺は天文塔から落ちている。何者かに落とされたのか自分から落ちたのかは分からないが、なんとなく前者な気がした。だって落ちている間も、落下して死ぬまでの数秒間も俺は何かをしようとしているのだ。

痛いとか怖いとかを思うこともなく、ただ俺は何かを必死に訴えている。

 

「リゲル、最近どうしたの? なんだか顔色が悪いわ」

 

相も変わらず例の夢を見て憂鬱な朝を迎えた大広間。当然食欲が起こるはずもなく重たい胃を抱えてポテトをフォークでつついていたら、向かいに心配そうな顔をしたナルシッサが腰掛けた。彼女の隣にはちゃっかりいつもの澄まし面が座っている。

 

「そんなに顔色悪そうか?」

「ええ。クマが出来てるわ。あまり寝れていないんじゃなくて?」

「お前が期末テストなんぞで緊張するような繊細さを持っていたとは驚きだな」

 

こいつは俺に嫌味か皮肉を言わないと生きていけないのか?? 涼しい面をしてスープを啜っているルシウスを睨んでいるとナルシッサはくすりと笑みをこぼした。

 

「ルシウスはこう言っているけれど、あなたが元気ないことに最初に気付いたのは彼なのよ。とても心配していたわ」

「お前がとうとう真面目に魔法史を勉強する気になったのかと思っただけだ」

 

ルシウスは素っ気なく突き放しているけれど憎まれ口を叩かずにはいられないコイツには慣れっこだ。仕方ないわね、とコロコロ笑うナルシッサに肩を竦めてみせてから俺は低い声で「夢を見るんだ」と周囲の雑踏に紛れるように呟いた。

 

「夢?」

「ああ。それも決まって同じ内容の夢だ。まあハッピーな夢じゃない。それでちょっとな」

 

まさか最近天文塔から落下死する夢をほぼ毎日見るだなんて、ナルシッサには口が裂けても言えない。そんな事を言ったら彼女の方が悪夢を見てしまう。現にぼかして伝えただけでもナルシッサは随分心配そうな顔をしていた。

 

「まあ……リゲル、あまり続くようなら医務室に行きましょう?」

「おう、ありがとうな。まあ今の所大丈夫だ。何とかなっている」

 

医務室はコイオスがほぼ常連と化しているしあいつにこんな所を見られて変な心配はかけたくない。マダム・ポンフリーの世話になるのは最終手段にしようと決めながら頷いていると、パンを小さく千切っていたルシウスが呟いた。

 

「……何度も繰り返して見る夢は一種の暗示だと聞いたことがある」

「暗示?」

「古くから夢には暗示の側面もあると言われてはいたんだ。我が家でも夢の内容を重視した先祖はいた」

「そういやお前、占い学取ってたんだっけな」

「今の所、期待外れだがな」

 

そう言うとルシウスはつまらなさそうに鼻を鳴らした。

三年生になってからは去年までの科目に加えてマグル学・古代ルーン字・数占い学・占い学・魔法動物飼育学の五つが新しく選択できる。五つ共全部取るなんて、12フクロウでも目指しているような狂った連中しかやらないことだ。

俺は正直どれも大して興味をそそられなかったが、最低でも二つは選択しないといけない。仕方なしに、家の古い文献を読むのに使えそうな古代ルーン字と、あとは消去法で渋々だが魔法動物飼育学を選択した。

 

「占いの分野にも夢の内容からシンボルを読み取り、それを解釈する学問はある。リゲル、お前のその夢には何か象徴的なもの、目を引くものはないのか?」

 

象徴……ねえ。いや、あることにはあるんだが。いやでも俺がどうそれと結びつくのかがさっぱりで……。

 

考え込んでいる俺をナルシッサが黙って見つめている。怖がりで心配性なシシーはすぐこうやって不安そうな顔をする。あの時だってそうだ。二年生の頃、消灯前に天文塔に忘れ物を取りに行った時なんか終始ビビり倒してて、ちょっとした物音でも悲鳴をあげて――。

……あ。

 

「なあシシー、そういや天文塔ってさ……」

 

 

***

 

重厚な黒塗りの扉を静かに開けた途端、流れ込んでくる突風でローブの裾が盛大にはためいた。天文塔の頂上は窓ガラスが無く、ただ石造りの壁の一部がくり抜かれているだけだ。昼間より幾分か冷たくなった風に煽られて俺は小さく身震いした。遠くの黒々とした森からは眠たそうなフクロウの鳴き声が聞こえて来る。

 

そっと身体を滑り込ませて扉を静かに締めると、ぐるりと円型になっている幅広い通路に向かって俺は足を踏み出した。

時刻は深夜の二時。フィルチに見つかったら間違いなく罰則処分だが、あいつは今頃食堂の入り口辺りをうろついているはずだ。ダメ元でグリフィンドールの双子達に巡回ルートを聞いておいて正解だった。

 

『夜のフィルチはね、ホグワーツ中を一晩掛けて一周しているんだ。ミセス・ノリスはフィルチと反対方向から出発してる』

『フィルチがスリザリンの談話室辺りを歩くのは消灯してからすぐくらいだよ。真夜中過ぎに出たら大丈夫じゃないかな』

 

二年生になってどうやらすっかり脱走癖がついたあの悪ガキ双子は、深夜の管理人の巡回路を熟知しているようだ。天文塔までの最適ルートとタイミングを考える手伝いの礼にとゾンコの悪戯専門店のグッズをあげたら声を上げて喜ばれた。吹いたら爆音と炎が噴き出すラッパを特に気に入ったらしく、今度フィルチの背中に向かって吹いてやるらしい。

 

『このルートなら多分大丈夫だけど、天文塔に着いたら30分以内に出ないと危ないかも』

『うん。三階から手摺りを使って近くにミセス・ノリスが降りて来ちゃう』

 

大丈夫? と心配そうに見上げて来る双子達の頭を適当にグシャグシャにしつつ俺は「まあ、何とかなるだろ」と笑っておいた。別に今夜絶対見つけなければいけないという訳じゃない。一晩で見つかるとも思っていない。10分程度ぶらついてみて何も無ければ、何日か続けて通おうと思っていただけだ。

 

「まあ幽霊だかゴーストだか知らないが、どうやって会うかもしらねえしな」

 

我ながら何をやってるんだとも思う。だが、何度も出て来る象徴的なシンボルといえば天文塔くらいしか無い。シシーが言っていた“天文塔に幽霊が出る”という噂を思い出したのは本当にたまたまだった。

 

――何時にでるか、っていうのは分からないの。ただ真夜中だってことしか。で、その幽霊は何も言わないでただじっと見つめているそうよ。

 

幽霊だろうがなんだろうが口があったら話すことは出来るだろう。確かそいつも天文塔から落ちて死んだらしいし、俺の不吉な夢について何かヒントが得られるかもしれない。

 

友好的な奴ではないかもしれないが杖を持っていれば何とかなる。まあそもそも幽霊についてもただの噂の可能性は大いにあるわけで。ナルシッサが聞いたら震えあがるかもしれないが、ゴーストの類を全く怖いとも思わない俺は呑気に欠伸をしながら窓へともたれ掛かった。

 

校庭に生えているまばらな木々が、月に照らされた青白い校庭に黒い影を落とす。ぽつぽつと一階や二階の廊下に灯っている燭台の炎が揺らめいていて、遠くに見えている湖はいつも見ているそれよりもずっと広大に見える。

まあこんな所から俺達みたいな学生が急に落ちたら、よほど冷静じゃない限り魔法なんて使えないし普通死ぬよなあ。

眼下に広がる芝生が先ほどまでよりも遠く見えて無意識に俺は後ずさりした。砂利を踏みしめる音だけが周囲には響く。全く持って静かなものである。

 

「……帰るか」

 

小さく呟いた俺は壁についていた手を下ろして再び歩き出す。多分天文塔に着いてから10分は経過していただろう。幽霊とやらが出る気配はまるでない。ただ身体を冷やしに来ただけだった。とんだ無駄足だったぜ全く。

そうぼやきながら残りの通路を歩いていた俺の脚はふいに止まった。

 

「……誰だ?」

 

入り口である黒い鉄製扉の前にホグワーツのローブを着た誰かが、いる。背格好は俺と同じくらいだ。こちらに背を向けて微かに俯いているからネクタイの色も顔も分からない。

最初は俺と同じように忍び込んできた誰かかと思ったけれど、脳が瞬時にその考えを打ち消した。

 

扉の開閉音すらしないなんてこと、あり得るか?

背中に突然氷を落とされたような寒気がした。ぶわりと鳥肌が立って全身の毛が逆立つ。ポケットに忍ばせていた杖を抜いて正体不明のローブに向かってゆっくり歩きだした。

 

「こんな深夜に一体どなたでしょうか? 俺も人に言えたことではありませんが管理人に見つかると面倒です。早いうちに君も戻った方が良いですよ」

 

俺の声にローブの生徒が振り返った。彼は――体つきで、男子生徒だと分かった――スリザリンのネクタイをしていた。

同じ寮のやつ、と反射的にそれを確認した俺の視線は自然と上を向き、そしてそこから動けなくなった。

 

「…………俺?」

 

目の前に、俺がいる。少し襟足の長い黒髪を左の分け目で流したヘアスタイルも、ナルシッサの真っ青な瞳より少し暗い群青色の瞳も。その目の大きさも配置も、鏡を見ているようでぞっとした。

 

「っ、“インペディメンタ! 妨害せよ!”」

 

杖から飛び出した赤い光線は「俺」の身体を突き抜けてその奥の石壁に当たった。壁が崩れ落ちずに済んだことにホッとしながらも、「俺」が一歩ずつこちらに近づくのを見て後退し、睨みながら杖を突き付ける。

 

「とまれ! 何者だ。何の呪いだ!? “フィニート・インカンターテム! 呪文よ終われ!” 、“レベリオ! 現れよ!”、 “スペシアリス・レベリオ! 化けの皮剥がれよ!”」

 

思いつく限りの呪文を唱えてみたけれど俺の色とりどりの光線は全て「俺」を突き抜ける。どれだけ呪文に貫かれようが「俺」は一切無表情を変えることなく、一言も発さないままただこっちに近づいてくる。

とうとう俺の背中が壁に当たった。これは一か八かで闇の魔術でも試してみるべきかと本気で迷い始めた瞬間、「俺」もゆっくりとポケットから杖を取り出した。

 

「お前、その杖……」

 

その杖は、一風変わった見た目をしていた。大体の杖は持ち手から先端までが真っすぐ先細りになった形状をしているが、その杖は節々で丸く膨らみ、持ち手から先端にかけて数個の球状を作っている。

「俺」は杖の先端を自分自身の頭に向けた。こめかみへと触れさせて、そして静かに杖を離していく。「俺」の頭部から淡い銀白色に光る物質が糸を引いて現れた。

 

「……あ、いや、待て! 容器が……」

 

「それ」を入れておくための入れ物が手元にない。そう言うよりも早く「俺」がローブのポケットから小瓶を取り出していた。無言で差し出される小瓶を困惑しつつ受け取ると、杖先に記憶をまとわりつかせながら「俺」が少しだけ微笑んだように見えた。

 

――君があの子を知りたいと思った時に見て。

 

銀の物質を小瓶で掬い取って、蓋を締めていたら夜風に紛れるような囁き声がした。何となく俺に似ている声で、でも俺よりも随分優しい調子の声だ。

 

「おい、あの子って一体誰の――」

 

次に俺が顔を上げた時には目の前には誰も居なかった。

 

釈然としない気持ちのまま天文塔を後にしてスリザリンの談話室へと戻る。双子達の言う通り、道中ではミセス・ノリスにもフィルチにも遭遇しなかった。あいつら今度会った時はホグズミードの土産リクエストを聞いてやろう。

合言葉の“パーセルタング”を囁くと石で作られた蛇が目を覚まして上体を起こしながら俺を見つめる。こんな夜中に出歩いて悪い子だ、と言っているような親しみの込めたウインクをしながら蛇はスルスルと身体を持ち上げて石扉へと通してくれた。

 

「ありがとな」

 

ポン、と冷たくて固い扉番の腹を叩きながら俺は人気のない談話室を突っ切って寝室へと戻る。自室に戻ると小瓶を引き出しの中に放り込んで鍵を掛けた。

 

コイオスは今夜も医務室だ。今学期は週の大半を医務室で過ごしているからこの二人部屋は実質俺の一人部屋の様になってしまっている。あいつのベッドに教科書を置いてる事がバレたら滅茶苦茶怒られるだろうからそろそろ片付けないと。

着替えるのも面倒でローブのまま重い体を引き摺って、ベッドに転がった。ポケットに入れていた杖を取り出して目の前に高く掲げる。

節々で丸く膨らみ、持ち手から先端にかけては数個の球状を作っている一風変わった見た目の杖。

あれは、俺の持っているこの杖とまるっきり同じ形だった。だけどそんなはずがない。

 

正確には、俺の杖が本来そんな見た目であることは俺と父上以外誰も知らない。

 

父上が幻覚の呪文を掛けた俺の杖は、他の奴等にとってはごく普通の真っすぐな形をしたありきたりな杖に見えるはず。

杖の見た目を誤魔化すことを提案したのは父上だ。俺を主人と選んだ杖を見て父上はひどく驚き、そして心配していた。この杖は――正しくは、この杖の材質はあまりにも有名過ぎると。俺がこのまま所有しているだけで危険なのではないかと。

 

『この杖は、そうしておく方がよろしいですな。なまじ有名なだけに、たとえ本物でなくともあなた様がこれを所有していると広まれば要らぬ争いに巻き込まれる危険性がある』

 

三年前だというのにオリバンダーが何を言っていたのかは一言一句思い出せる。

曲がりにくいが、一度曲がれば柔軟性を示す23センチ。軽やかで優雅な魔法を好む。芯は不死鳥の尾羽。

 

材質は――。

 

 

 

「ーー杖が遠慮しておる」

 

オリバンダーが俺の手からドラゴンの心臓の琴線とイチイの杖を奪い取り、そしてまじまじと眺めながらそう言い放ったのは来店してから5時間は経過したころだった。

昼過ぎに来店したはずなのに埃っぽい店内へと差し込む陽光はオレンジ色。朝からダイアゴン横丁に繰り出して、俺がホグワーツに入学するための買い物を楽しそうに見物していた弟達はとっくの昔にギブアップしている。

 

最初の30分間くらいは俺が振った杖から火花が飛び散ったり、急に爆音と共に弾き飛んでいく様子をワクワクしながら二人とも見ていた。が、30分が一時間になる頃にはすっかり疲れてしまったようだった。

没になった杖をこっそり振って遊んでいたシリウスは机の上に突っ伏して爆睡しているし、レギュラスはシリウスにもたれ掛かってすやすや寝息を立てている。父上は両面鏡を取り出して母上に迎えを頼んでいた。

 

迎えに来たクリーチャーに山盛りの荷物を預けて家まで運んでもらっていると母上も“姿あらわし”でやってきた。埃だらけの机に突っ伏して寝ているシリウスを見て顔をしかめているが、父上が「疲れたんだよ」と笑ってなだめていた。

 

「リゲル、一旦私はシリウス達を連れて帰るがすぐにまた戻るよ」

「分かりました」

「ほら起きなさい、シリウス! 全く、埃だらけではないですか。リゲルはお父様が戻るまでここで待っているのですよ」

 

まだ眠い、と目を擦っているシリウスの手を掴みながら母上はその素行について りつけている。熟睡しているレギュラスを抱きかかえた父上が俺を振り返ったので大人しく頷いておいた。

両親が弟達を連れて退店しても尚、カウンター越しに座り込んだオリバンダーは何が珍しいのかただ黙って杖をじっと眺めていた。杖の表面を細い指先で撫でながら、時折眉を寄せて何事かを考え込んでいる。

 

「あの……?」

「ブラックさん。先ほどから私は、あなたを気に入るであろう杖を選んでおります。事実あなたが手に取った瞬間、杖は喜んでおる。しかし杖はあなたの魔力を感じた瞬間、身を引いておるようじゃ。この主人には自分以上の相手がいると。……杖たちがここまで遠慮するとは……フム……」

 

遠慮しているっていうか、ただ俺が実は滅茶苦茶嫌われているだけなのでは。うっかりそう言いかけたがオリバンダーはぶつぶつと呟きながら自分の世界に入ってしまっている。そうこうしている間にも店内はさっきまでの茜色からどんどん薄暗くなってきて、つられて俺もちょっと泣きたくなってきた。

このまま杖が見つからなかったらどうしよう。いつになったら俺はここから出してもらえるんだろうか。いい加減腹が減ったし早く家に帰りたい。

 

「お前たちは一体何に遠慮しておる? お前たちが一目置くほどの杖……驚くほど希少な杖か? あるいは……おお、もしや、あれか? お前達はあれがこの方にふさわしいと思ったのか!」

 

この爺さんとうとう杖と会話し始めたんだが。もう怖い。

 

杖は明日でいい、って父上に連れて帰ってもらえばよかった。空腹と心細さと怖さからうっかり涙ぐみそうになっていた俺に差し出されたのは白い箱だった。今までの箱と違って、隅の方に小さなひっかき傷が何本か付いている。箱の表面はうっすらと黄ばんでいたので随分古いものらしい。

 

「ブラックさん。長い事待たせてしまったがこれがあなたの杖じゃ」

 

どうしてそんな自信たっぷりに言い切れるのか分からない。ためらいながら箱を受け取って開くと、いままで振っていたものの中でも一際小ぶりな茶色い杖が丁寧に収められていた。

なんだか変わった見た目の杖だな、というのが第一印象だ。さっきまで振っていた杖は大抵真っすぐな棒状だったのに。この杖はまっすぐな枝に点々と小さい玉がくっついて節くれだった形をしている。父上も母上もこんな形の杖を持っていない。

 

「戻ったよ、リゲル。もう遅いから明日出直すのでも――おや、杖が見つかったのかい?」

 

ドアベルの音とともに再び扉が開いて父上が戻って来た。俺が手にしている白い箱を見てニコニコしながら近づき、そして箱の中の杖を覗き込んだ途端その顔がかすかに強張る。

 

「オリバンダー。これは……」

「リゲルさん、まずは振ってみて下され、全てはそれからじゃ」

 

オリバンダーの静かな声に促されるように俺は手を伸ばした。父上がそんな険しい顔をしている理由が分からなくて少しだけ指先が震える。

 

時間にして、およそ二秒。杖に指先が触れるまで俺の心は不安に満ちていた。

怖い。この杖が俺の杖でも、そうじゃなくても怖い。父上がいつになく真剣な顔をしている。この杖が俺のものだったら何か悪い事があるんだろうか。でも、もしこれでもなくて、俺の杖がずっと見つからなかったらどうしよう。

 

俺のそんな不安は、杖に指先が触れるだけで霧が晴れるようにかき消えた。

 

「あったかい」

 

俺の呟きにオリバンダーの薄い瞳がキラキラと輝き、父上が息を呑むのが伝わった。レギュラスやシリウスの手を握った時のような。大切な誰かの手を握ったように温かい。何だかほっとする。杖の柄を握りしめるとより一層熱が伝わった。

 

杖が喜んでる。俺を歓迎してくれている。

声が聞こえないのにそれが伝わる。この杖は、ずっと俺を待ってくれていたんだ。

オリバンダーに促されるより前に、俺は握りしめた杖を振り下ろした。ヒュッと空間を切り裂く音と共に杖先から神々しい光が迸る。まぶしい。あまりに強い光に目を細くする。

杖先からほとばしった光は埃だらけの店内の隅々まで届き、薄暗かったはずの店内は今や昼間の様に煌々と輝いていた。そして、杖から何かが聞こえる。何の楽器だろう? いや、これは鳥の声?

 

「不死鳥の歌……」

 

父上が隣で小さく呟いた。

どんな旋律かは聞き取れないけれど、それでも耳に流れ込んでくる小さな音は聞いているだけで体中を温かい熱が駆け巡る。さっきまでの俺の心を占めていた恐れは嘘のようにかき消えて、その代わり俺の心を満たすのははっきりと形を成した自信。

 

この杖はずっと俺だけを待っていた。そして、俺もこの杖を探していたんだ。

 

杖先からの光は徐々に弱くなり、そして店内は元の薄暗がりへと戻っていく。すっかり暗闇を取り戻したころには先ほどまで聞こえていた歌も止み、俺達の間には静寂が落ちていた。

 

「ルーモス」

 

オリバンダーが震える声でカウンターのランプを点ける。淡いオレンジ色の光が小さく灯る中、じっと硝子玉のように透き通った目で杖を握った俺を見つめて「素晴らしい」としみじみ呟いた。

 

「素晴らしい。まさか……あなた様が。あなた様がこの杖に選ばれるとは」

「あの、この杖は……」

「曲がりにくいが、一度曲がれば柔軟性を示す23センチ。軽やかで優雅な魔法を好む。芯に使っておるのは不死鳥の尾羽。材質は――」

 

オリバンダーに釣られて何気なくもう一度杖を収めていた箱を見下ろした俺は小さく「あっ」と呟いた。

隅の方に小さく刻まれたひっかき傷の様に見えていたものは、一つの記号だ。逆さになっていたから全然気づかなかった。

三角形の中に円が入っている。そして、その二つの図形を頂点から貫いている一本の線。

 

魔法使いなら幼少期に一度は読んだことがある「吟遊詩人ビートルズ」に出て来る、とある三兄弟の物語。

 

 

「この杖の材質はニワトコ。この杖は、いわば私が作成した“ニワトコの杖”という訳です」

 

 

ニワトコの杖。三兄弟のうちの、長男が「死」から貰った最強無敵の杖。

俺の杖を丁寧に新しい箱へと収めながらオリバンダーは懐かしむように目を細めた。

 

「あれは数十年前のこと……当時の私は、杖作りならば誰もが一度は夢見る野心に燃えておりました。強力な杖を作りたい。かの“ニワトコの杖”を、いや、“ニワトコの杖”以上の杖を作りたいと。ニワトコにセストラルの尾ではなく、私が選んだ最高の芯を収めた最強の杖を作りたいという熱に浮かされておったのです」

「オリバンダー。その言い方では、ニワトコという材質自体に特別性は無いと聞こえる。しかし私は他にニワトコを使った杖をみたことがない」

「そうでしょうとも、オリオン様」

 

俺の杖にじっと視線を注ぎながら、困惑を隠そうともせず眉を寄せる父上にオリバンダーは熱のこもった瞳で深く頷く。

 

「“ニワトコの杖”はその名だけがあまりにも有名になり過ぎた。ニワトコという木は非常にえり好みをするので並大抵の芯では満足せず、しかも非常に主人を選ぶ。さらに『ニワトコの杖』が持つ血濡れた歴史ゆえに、手にした者に不幸を招くという迷信がついて回る」

 

ニワトコの杖、永久に不幸。

父上の小さな呟きにオリバンダーは苦々しい表情をしながら小さく頷いた。

 

「杖作りたちにとって一度は作り上げてみたい大望であり、同時に作ったとて現実的な商品にはならないと多くの愚か者が断じた代物なのです。故にニワトコを使った杖は世に流通しませんなんだ。ですが私は、私だけの“ニワトコの杖”を三本だけ作製に成功したのです」

 

オリバンダーはそこで淀みなく喋っていた言葉を途切れさせ、疲れ切ったような息を吐いた。

 

「……ええ、たったの三本です。それ以上作ることは断念いたしました。あまりにも芯のえり好みが激しく……同時に、並外れた力量を持つものにしか扱えない杖だったのです。三本の中でも最も従順で大人しい、一角獣を用いた杖ですら初めての主人に出会うのに三十年待ちました。そしてこの杖が二本目という訳です」

 

特に不死鳥は元々が主人の好き嫌いが激しく手懐けることの難しい生き物だ。それを芯に使った杖ともなればオリバンダー自身、生きている間にこの杖の主人が現れるかどうか賭けに等しい挑戦だったらしい。

 

「そんな杖があなた様を主と認めました。ニワトコは強力だが冷酷な一面があり、他者の方が優れていると判断すれば主人を見捨てることがある。しかし、不死鳥が芯となることでこの杖は気位の高い、持ち主を非常に選ぶ杖となった。我々杖作り達には、一つの言い伝えがあります。もしもニワトコに選ばれた者が現れるならば……その者は必ず特別な宿命を背負う者だと」

 

宿命。生まれた時から決まっている星の定め。逃れられない運命。

何やらとんでもない事を言われたことは分かったが、どんな顔をすればいいのか分からず途方に暮れて父上を見上げる。父上は俺を見つめて一瞬複雑そうに眉を潜めたあと、あいまいに微笑みながら俺の頭を撫でた。

 

「オリバンダー。一つ提案なのだが、その……杖の見た目を変えることは出来ないか? この杖の形状はあまりにも人目を集めてしまう。材質がニワトコだと気付かれてしまったら、例え“ニワトコの杖”でないとしても、この子が危険な目に遭うのでは?」

 

代金を支払い、杖を包んでもらう直前に父上が慌てて俺の肩へと手を置いた。オリバンダーは額に指を押し当てて少しだけ考え込んだ後ゆっくりと唇を開く。

 

「この杖の機能が損なわれないものとなると幻覚呪文が適切かと。ブラック家当主たるオリオン様の魔力があれば並大抵の魔法使いには破れますまい」

「そうしよう」

 

父上はほっとしたように頷くと杖先をまっすぐ俺の杖へと向けた。

 

「“アルティナチオ 幻を見せろ”」

 

はっきりと響いた詠唱と共に俺の杖が一瞬大きく震えた。しかしその振動は一瞬の事で、俺の見た目には先ほどまでと何ら変わらないように見える。幻覚呪文だと言っていたのに、と父上を見上げると彼は苦笑しながら杖をポケットに仕舞った。

 

「真の姿を知っている者達にとっては、幻覚は意味を成さないんだよ。帰ってから母様たちに見せてみなさい」

 

父上の言ったように、幻覚というものは本当に正体を知っていたら意味がない様だ。俺の杖を見た母上は特に見た目について何も言うことは無く、ただ購入できたことを祝ってくれただけだ。

 

「どうだ? 見た目とかちょっと変わったところ無いか?」

 

箱から俺の杖を取り出してしげしげと眺めているシリウスにちょっとだけドキドキしながら尋ねてみた。俺の目にははっきりとゴツゴツしている球体をなぞっているシリウスの指が見えるのだが、当のシリウスは俺の言葉に何度も首を傾げている。

 

「えー? 分かんねぇ。色も形も父さんの杖と同じじゃねえの? 長さが父さんのよりちょっと短いくらいか?」

 

レギュラスにも触らせてみたがやはり違いは分からなかったらしい。紅茶を飲んでいる父上にそっと視線を送ると、目が合った父上は微笑みながらカップを傾けていた。

 

 

ホグワーツに入学してから早三年。父上が言っていた様に死の秘宝以外でのニワトコの杖について誰も知っている様子は無く、当然のことだが俺の様に特徴的な形の杖を持っている人には出会わなかった。

あのオリバンダーですら三本しか作らなかったニワトコの杖だ。他の杖作りが作っていたとしてもこの世に数本あれば良い方なんだろう。

なのに、あの「俺」は俺と同じ杖を持っていた。あの特徴的な形を見間違えるはずがない。

 

「まさかドッペルゲンガーってやつか? でも記憶を渡してきたよな、なんだあれ」

 

毛布を皺だらけにしながらベッドの上に寝転がる。暗い天井を見上げながらぼやいていると、窓ガラス越しに銀色の細い魚が静かに横切っていくのが見えた。

 

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