Soleil シリウスとレギュラスのお兄ちゃんが頑張る話 作:がらくた屋
「兄貴、おかえり!」
「兄様お帰りなさい!」
「シリウス、レギュラスただいま!!」
去年と違ってホームまでちゃんと迎えに来てくれた弟達は一早く俺を姿を見つけると我先にと駆け寄って来た。両手を広げて抱き着いてくるレギュラスを抱き返し、シリウスの頭をぐしゃぐしゃに撫でまわす。
無事にホグワーツでの3年目を終え、期末試験の結果も返ってきた。満点を取ったのは魔法薬学と天文学、それに呪文術と変身術、闇の魔術に対する防衛術の5科目だ。
あとは相変わらず興味がサッパリ持てず、前日にコイオスのノートを流し読みして挑んだ魔法史がギリギリ7割ほど。六年になったら捨てる予定の魔法生物飼育学と古代ルーン学は9割だった。
結果、流石に学年主席とはいかないがそれでもブラック家の面目は十分保てるほどの好成績を納めて夏休みを迎えた俺は絶賛弟達への家族サービスに勤しんでいる。
そういえばあの天文塔で俺の顔をした幽霊(?)に出会ってから例の悪夢を見ることは全く無くなってしまったな。杖のことだけは伏せて事の顛末をルシウスに話すとあいつは唇を歪めて顔をひきつらせていた。
『まさかお前、それが渡してきた記憶とやらを見たんじゃないだろうな』
『いや。とりあえず俺の部屋の引き出しに突っ込んでる。父上の書斎に丁度“憂いの篩”あるからいつか持ってかえろうかなって』
『貴様は得体のしれない奴が渡してきた記憶を見るつもりか。闇の魔術だったらどうするつもりだ』
ルシウスのごもっともな指摘に口ごもる。結局ルシウスにも記憶の小瓶を見せて、思いつく限りの呪い崩しの呪文を掛けるのをただ大人しく見守っていた。
とりあえず呪いの類は無さそうだから、と返してはくれたもののルシウスは苦虫をかみつぶしたような顔だ。
『コイオスにも見せたらどうだ。あいつなら他の呪い破りも知っているんじゃないか』
『いやだね。アイツただでさえ体調悪いのに。変な心配掛けたくねえ』
結局コイオスは最低限の出席率を確保するために授業に出るのが精いっぱいだった。それでも期末試験で学年最高点を叩きだすんだからあいつの地頭はどうなってるんだ。
結局ホグズミードにも一度も行けていないはずだが、コイオスはそれをあまり残念がる様子も無くいつも通り穏やかに笑っていた。
『僕にとってはホグワーツにこうして通えることが奇跡みたいなものだからね。それで充分だよ』
そう笑ったアイツの顔は新学期の頃よりも青白くなったように見えた。
コイオスが来年も再来年もホグワーツに通うことが出来るのか。正直俺はそれが心配で仕方ない。
この夏も体調の回復が見込めないため、あまり外へは出られない様だ。新学期には間に合わせるから心配しないで、と明るく添えられた追伸にため息を吐いて俺は羽ペンを手に取った。
「リゲル、良い茶葉があるんだ。たまには二人でお茶でもどうだい?」
「父上。ええ……もちろんです。今参ります」
カリカリと羽ペンを走らせながらコイオスへの返事をしたためていると、不意に父上が俺の部屋の戸をノックした。珍しい誘いに一瞬息が止まり、困惑が滲まないように気を付けながら返事をする。
戸を開けるとそこには恭しくこうべを垂れるクリーチャーと、杖を突きながら微笑む父上の姿があった。
誘われるまま中庭へと移動し、七色の水が湧き出る噴水を眺めることの出来る日当たりのいいテラスに向かい合って腰かけた。
クリーチャーが物音一つ立てずにそれぞれのティーカップへとお茶を注ぎ、スコーンや焼き菓子、軽食が並べられた金色のティースタンドを置いて姿を消す。
父上に勧められるまま香り高い紅茶を一口飲む。鼻に抜けるような香りと渋さが欠片も見当たらない豊かな味わい。確かに我がブラック家のお茶会でもそうそう並ばないほど上質な茶葉だ。このお茶会で消費される数杯分で10ガリオンはかかるだろう。
「素晴らしい風味ですね。とても美味しいです」
「シグナスが私の誕生日に贈ってきたのだよ。あいつは相変わらずの趣味をしている」
のんびりとした口調で世間話をする父上に微笑みながら相槌を打つ。ティーカップの取っ手に指を絡ませながら、俺は笑顔の裏で忙しなく頭をフル回転させていた。
さて。父上が――ブラック家の現当主がわざわざ俺一人だけをこうして呼びつける理由は一体なんだろうか。最後に父上と共に出席したのは一週間前に開かれたノット家の晩餐会だ。あそこで俺はなにか粗相をやらかしたか? ノット家当主と交わしたやり取りを思い返してみたが何も心当たりが出てこなかった。
「安心なさい。お前はノット家の者達に対してもいつも通り、次期当主にふさわしい振舞をしていた。私からお前の行儀について言うことはもう何もない」
「ならば良かったのですが……っ?!」
俺、いま声に出していたか?
穏やかな物腰に何気なく頷きかけたところで心が読まれたことに気付いた。ぎょっとして思わず父上の顔をまじまじと見つめてしまうと、相変わらずの読めない微笑を浮かべたまま父上は紅茶を啜っている。弟達と同じグレーの目が反らされること無く俺を見つめ返していた。
きっと、今俺は何かを試されている。
「…………開心術、ですか?」
「開心術に長けた者は呪文を必要としない。ただ相手を見つめただけで情報を引き出すことが可能になる者もいる。無言呪文の応用だ。以前私が教えたことをよく覚えてくれていたね。そしてその可能性に思い至った今、お前は努めて心を無にしようとしている。お前は本当に賢い子だ、リゲル」
賞賛の言葉を文字通りに受け取れない。心を読まれていたことを感じ取れなかった、という動揺以上に何故いま俺の心を? という疑問が付きまとう。いや、だめだ心を揺らしてはいけない。これでは感情を閉じることが出来ない。
上手く味が分からなくなった紅茶を飲み干して深く息を吸った。波打った心臓が少しだけ落ち着くのを待って膝に両手を乗せる。
「……父上。なぜ今、俺に開心術を使われたのですか?」
「お前にそろそろ話しておこうと思ってね。この魔法界で古くから続く家の子にだけ伝わる秘密を。お前も疑問に思ったことは無いか? 何故、私たち一族は、魔法界に古くから名門と伝わる一族は、ほとんどが純血を尊ぶのかと」
父上の言葉に今度こそ心を閉じることを忘れてしまった。紅茶を注ごうとしたティーポットを静かに置くことも忘れてしまい、陶器がぶつかり合う音が響く。
「…………それ、は」
疑問に思ったことが無い、と言えばうそになる。
俺自身はマグルに対してほとんど興味を持ったことも無いが、アルファード叔父はそこそこマグルの生活に興味を示しているし、母上はそんな叔父が俺達にマグルの話をするのをひどく嫌がる。基本選択科目について特に口出ししなかった母上も、マグル学だけは取るなと言っていた。高貴なるブラック家にあんな低俗な学問は要らないから、と。
「今から伝える話は、ブラック家では本家当主が次期後継と定めた者にだけ口伝することが許されている。本当はお前がもう少し大きくなってから伝えるつもりではあったのだけどね」
この話を伝えるという事は、お前を正当なこの家の後継として認めるという事になる。今まで以上にお前はこの家の内情に。私達を取り巻く環境に深く関わることになる。時には家の為に心を閉ざし、あるいは他家の心を暴く必要に駆られるだろう。開心術も、閉心術をも極めるためにお前を鍛えなければならない。
つまり、お前を最早ただの子どもとして留めておくことが出来なくなってしまうんだよ。
「お前がいくら賢い子だとはいえまだ14歳だ。この家を負わせるのはあまりに酷だろう。だが……っ、」
「っ、父上!? 大丈夫ですか、父上!」
言葉を切って激しく咳き込んだ父上に腰を浮かせる。クリーチャーを呼ぼうとした俺を片手で制し、額にかすかな汗を浮かべながら父上はぎこちなく首を振った。
父上が高熱に倒れたのは去年の夏休みだ。あの時は俺でも代理が務まる数少ない用事は俺が代わりに出席し、ごまかしが効かない集まりではシグナス叔父やアルファード叔父が一緒にフォローしてくれた。
数日で見かけ上は回復したように見えていたけれど、父上の様子はあれからずっとどこか優れないように見える。極秘で呼んだ聖マンゴの癒者も原因は分からないと首を傾げるばかりだ。
何度か背中を擦っていると咳の発作が治まったようで、父上は上体を起こすと幼い頃のように俺の背中に温かい手を置いた。父上の灰色の目が反らされること無く俺に注がれる。
「リゲル。この先お前には途方もなく大きな責任を負わせてしまうことになる。だが、どうかお前の母を……弟達を、この家を守ってほしい。お前の賢さを、お前の愛情深さを私は信じているよ。お前ならば私の伝えたい事を必ず正しく汲み取り、この家を守る最善を尽くしてくれるだろう。そして……」
お前ならばこの家をより良い方向に導き、家族を守ってくれるだろうと。
父上の真剣な視線を真正面から受け止めた俺は自然と背筋が伸びた。首を垂れながら厳かに地面へと片膝をつき、胸元へと手を当てる。
涼やかな物腰を崩すことなく誰よりも優雅に笑う父上の姿を幼いころから見て来た。他の家から時折向けられるほの暗い視線にさらされてもなお、威厳を保ち続ける父の姿を見て来た。社交の場で凛と立つ父上の姿は、正にブラック家の家訓だと思えた。
――高貴なる、由緒正しきブラック家。
その父にこれだけ全幅の信頼を寄せてもらっていることを実感すると胸が熱くなって指先が震える。
俺は父上にこの家を継ぐに値すると認めてもらっている。それだけでこの家に生まれたことを。この家に相応しくあるべきと振舞ってきた全てが報われる。
「『私』――リゲル・アトラス・ブラックは、この名にかけて誓います」
無様に声が震えない様、腹の底から力を込めて父上の顔を見上げる。
「私は必ずや貴方様の信頼に報いる後継となり、そしてこの身の全てを掛けて我が誇り高きブラック家と大切な家族を守り抜きます。ですからどうかお教え下さい。私たちの家に伝わる秘密とは何なのですか?」
俺が力強く頷いて見せると父上は満足げに微笑みながら杖を振る。ポットが浮き上がって空になった俺のカップへと再び紅茶を注いだ。もう一度座るように優しく促される。
静かに紅茶を一口含むと、ちょうど俺達の間を吹き抜けた風に乗ってシリウス達の笑い声が微かに聞こえて来た。
父上も俺と同じようにカップを持ち、俺よりもずっと優雅な仕草で一口飲むとソーサーへと戻す。
「リゲル。私達ブラック家の遥か先祖は、かつてマグルの王に仕えていたのだよ」
王に。
――マグルの?
今度こそ俺は愕然として呼吸を忘れた。たっぷり2秒ほどは休んだ心臓が狂ったように早鐘を打つ。
「俺達は……俺たちの先祖はマグルに、……マグルに? 仕えていたのですか?」
「お前の顔は、かつての私を見ているようだよ。私も父から聞いた時は耳を疑ったものだ」
やっとのことで絞り出した掠れ声に父上は目を細めながら頷く。
「今から千年以上は昔の話だ。まだこの国が大小様々な国に分かれていた頃……私達魔法族とマグルの世界に隔たりは無く、彼らと私達の間には素晴らしい友情が結ばれていたそうだよ」
だが、ある時に海の向こうから新たな土地を求める異民族が攻めて来た。ブリテン島に住んでいたマグルも魔法族も散り散りになり、或いは滅ぼされ絶滅寸前まで追い込まれていたらしい。
そこへ、一人の若き王が現れた。並々ならぬ武芸に優れ、博愛の精神を持ち世界を統べるに相応しい青年王。彼自身は魔法の力こそ持たなかったが、その高潔さと博愛に満ちた精神はあらゆる魔法生物達をも魅了し、水中人の先祖である湖の精霊達から聖剣を贈られた。
その武勇によって異民族をブリテン島から打ち払い、誠実なる王は魔法族とも強い信頼関係を築いたという。
「特に強い絆で結ばれたのはマーリン。お前も聞いたことがあるだろう。あのマーリンだよ。かつてのマーリンは、王の良き相談役だったそうだ」
「マーリン……」
溢れる才知を持って様々な魔法を開発し、魔法界に多大な発展をもたらしたとされる賢者。スリザリン生の誇りである、偉大なるマーリン。彼がマグルの王と友情を育んだというのが信じられないが、確かにどの文献にも若い頃のマーリンについては記録が無く、晩年の彼が魔法界にどう貢献したかという事しか綴られていない。
「そのマーリンの呼び掛けに応え、我々の先祖はその王の元へ集った。魔法族を真の友と認める彼を信じて共にブリテンの統一へと動き、特に王から功績を認められた者たちが親愛の証として家名と土地を与えられたんだ。その末裔の一つが私達、ブラック家だと伝わっている」
「ではなぜ……なぜ、今の俺達はこうしてマグルから隠匿し、魔法族だけで生きているのでしょうか」
俺の問いかけに父上は深々とため息を吐いた。
「その王が亡くなった後、ブリテン島は再び混乱と争いに襲われた。その中で次第にマグルにとっての我々は恐怖の対象、排除すべき存在となったそうだよ。迫害され、地を追われた先祖はそれでもかつての友であった王の同胞と言えるマグルを傷つけることを拒んだ。自分達だけで静かに生きることを選んだ彼らによって、今の魔法界は創られた」
私達がかつてマグルと共にいたというあらゆる記録を消滅させ、人々の記憶からも消し去ってからマグルと完全に隔たりのある世界を創り出した。魔法族だけが認識できる世界。魔法族のための社会を。
最後までマグルとの共存を主張したのはマーリンだった。彼は晩年になるまで魔法族とマグルのわだかまりを解こうと奔走したそうだ。
彼はマグルの記憶から抹消されることにも反対したため、伝承によればいまも一部のマグルたちには伝説の魔法使いとして彼の名が伝わっているらしい。
そして魔法族たちだけの地域を作り上げ、そこに移り住んだところで彼らの中に一つの問題が生じた。
誰が魔法族の社会を統治するべきなのか。我らが忠誠を誓った、あの素晴らしき友であった王はもういない。魔法界の秩序は誰が定めるにふさわしいのだろうか。
何年にも渡る迫害によって数を減らし、疲弊しきった魔法族がいまさら互いに争って王を決めるわけにはいかなかった。
「リゲル。ではお前ならばどうやって決める?」
どのような立場の魔法族であってもリーダーと認める者。誰がみても分かりやすいシンボルを持ち、魔法族を代表するにふさわしいのは、どのような者だと言えるだろうか。
「……血筋。古くから魔法族であったと言える家柄の者でしょうか」
血は、時に最も“分かりやすい”旗印になる。
俺の返答に父上は満足そうに頷いた。
「そうして、複数の家が名乗りを上げて彼らによって魔法界は統治された。それが後に聖28族となったとも言われているが……あれの作者が不明なままだから真偽については定かではないね」
空になったカップを宙に浮かせて、そして杖の一振りで消しながら父上は深く息を吸った。今日の父上はずっと喋り通しだ。
「リゲル。私は……世の中がこうして変わっても、それでも尚“純血”が守られて来た理由は、魔法族にとっての導き手となるためだろうと考えている。魔法省は社会のルールを定めるところであって、生き方や皆の手本になる存在を示すわけではない」
一度そこで言葉を切った父上は俺を静かに見つめた。
「では誰かが手本を示さねばならない。古来より間違いなく魔法族であったという揺るぎない誇りを持つ私達が、高貴なる者としての務めを果たさなければならない。それが、少なくとも私にとっての“純血”たる意味だ。だからこそ我々の血に非魔法族は混ざらない。混ざることを認められない」
私が何を言いたいか、分かるかい? と尋ねられて俺は昨年何度か談話室でも聞こえて来た名を思い出しながら小さく頷いた。父上はそんな俺を見て再び優しい笑みを浮かべる。
何となく、察しがついた。この次期。このタイミングで父上が俺にこの話をした訳を。
俺をこの家の正当な後継と認めた理由を。
「……ヴォルデモート卿の名を、今年度は何回か聞きました。彼は過激な純血主義を掲げていると」
俺達三年生の中では話題にも上らないが、6年生や7年生、とりわけ卒業したら家を継ぐことになっている上級生たちは真剣な表情で談話室の隅で話し合っているのをよく目にしていた。
大半の家はヴォルデモート卿を正しいと思いつつも味方につくか迷っている。だが、6年生のラバスタン・レストレンジだけははっきりと我が家はヴォルデモートを支持すると言い切っていた。兄のロドルファス・レストレンジは来年ベラと結婚することが決まっている。
「そう。ヴォルデモート。きっと……そう遠くないうちに彼は戦争を起こす。彼の行動によって、“純血主義”という言葉が今までとは全く違う意味合いを持つ。我々の掲げる旧き血を守り、伝統を継承していくものではなく……もっと血生臭いものとして扱われるだろう」
まだ噂程度にしか知らないが、ヴォルデモート卿という人物は反マグルどころかマグルの根絶を目指しているそうだ。この魔法界にマグルの混血なんて吐いて捨てるほど居るだろうに、そんなことが出来るのかと言いたくなるが。もしもそれが可能なら――そこまで考えて身震いする。
きっと、それは地獄だ。マグル生まれには興味も湧かないし関わろうとも思えないけれど、それでも、だからと言ってじゃあ俺の手で一人残らず滅ぼしたいかと言われたら答えに詰まる。だって俺個人は別にあいつらを殺したいほどの怨みがあるわけではない。
そして、そんなヴォルデモートと同じ“純血主義”を掲げるという事はマグルの排斥を訴える、彼に賛同するという意味合いに変わってしまう。
「父上は、マグル生まれを全滅させたところで俺達に明るい未来が待っていると思えますか?」
「……どうだろうか。今の魔法界はマグルの血が混ざりすぎた。純血だけでは、残念ながら魔法社会としてすら成り立たないだろう。――だが、我々は純血主義を捨てる訳にはいかない。それも分かるかい?」
父上の微笑みに俺は微かに瞼を伏せて無言で頷く。
一瞬だけ、あのアーサー・ウィーズリーのお人好しそうな笑顔が浮かんだ。こちらへと手を差し伸べて来たあの姿を思い出した。
俺は彼の様にはなれない。なろうとも思えない。
俺の一族にマグルの血は入っていない。
それが俺達ブラック家の誇りであり、よすがなんだ。だからこそ、俺達は魔法族の手本となるべく振舞うことが出来る訳で。今更それを捨てる気にはなれない。
だって、何百年と続いてきたこの血を、この家の名を失った俺は何になるというんだ?
「リゲル」
父上の言葉にハッと顔を上げた。父上は穏やかな顔ながらも、はっきりと慈しみの色を浮かべながらこちらを見ていた。
「そう思いつめなくていい。私が生きている限りこの家に危害が及ばないよう力を尽くす。だから、私のあとを託されてくれるかい? お前にとって大切なものを守って、生き抜いておくれ」
父上はそう言いながら椅子から腰を浮かせると俺の頭へと手を伸ばした。優しく、本当に優しい手で髪を撫でられて一瞬息を呑みたじろいだ。
ずっと昔。弟達が生まれる前、いつも父上にくっついて甘えていた頃の記憶がくすぶりそうになる。なんだか無性に気恥ずかしくなり、小さく唇を噛み締めながら身動きした。
「……父上、あの、俺はもう、そんな子どもでは」
「おや、お前はいくつになっても私のかわいい息子じゃないか。それにしてもシリウスの甘え下手はお前に似たのかもしれないね」
そんな顔をしているところもそっくりだ。穏やかに微笑む父上にとってはあの頃よく泣き付いていた俺と何も変わらないんだろうか。この優しい目を見ていると何もかも見通されているような、そんな気がしてくる。
ああ、ほんと。俺はずっと父上に敵わないままだ。シリウスやレギュラスにはこんな所絶対見せられないな。
鼻がつんと痛くなったのを誤魔化すように啜って、俺は声を上げて笑った。
***
「コイオス、土産持って来たぞ」
勉強とクィディッチの合間を縫って、暇そうにしていたルシウスを誘いホグズミードへ繰り出した帰り道。ハニーデュークスで見繕った菓子をいくつか抱えて俺は医務室の扉を開けた。
「やあ、リゲルありがとう」
夏前よりもやつれて見える青白い顔に淡い笑みを浮かべながらコイオスが手を振った。3年の頃から医務室に通いがちだったコイオスは四年生になると最早ほぼ医務室の住人と化していた。この夏は聖マンゴにも入院していたらしい。グリーングラス家は今年も通わせることを随分迷ったそうだが、コイオス自身がホグワーツに戻ることを強く望んだそうだ。ベッドわきの小さい机に置かれたゴブレットからはきつい薬草の匂いが漂っている。
買ってきた菓子類をゴブレットの隣に積んでから手近の椅子に腰かけた。
「具合どうだ?」
「そこそこかな。あ、先週のクィディッチをここから見てたよ。今年度初勝利おめでとう、スリザリンの名チェイサー様」
「おう。ありがとな」
今年の優勝カップは俺達が頂くさ。そう笑ってやるとコイオスは「頼もしいな」と声を立てて笑った。その笑顔に少しだけほっとして、枕の隣に山と積まれている分厚い本をちらりと見る。
「もう読み終わった本があるなら返却しに行ってやるよ。ついでに借りてこようか?」
「そうだな……それじゃあこの本と……」
本の山の一画を崩しながら俺の両手にどさどさっと辞書みたいな分厚さの本を乗せて来る。顔が引きつりそうになりながらその重みに耐えているとコイオスがそっと退かした黒革表紙の本がたまたま目に留まった。
「あ」
「え?」
コイオスから受け取った本を脇に抱え直し、何故か少し焦ったようなコイオスの左手からひょいっとその本を難なく奪い取る。
――“最も深い闇の秘術”。
「へー、お前意外とこういう本も読むのか。なあこれ結構グロくないか? 俺が初めて読んだ時は飯食えなかったぞ」
禁書と銘打たれたラベルが貼ってある古びた頁をパラパラめくってみる。別に禁書棚の本をコイオスがこっそり持ち出していようが告げ口する気なんて全くない。あぁいうのはバレなきゃ取って無いのと一緒なんだよ。
それにしてもやっぱ『最も深い闇の魔術』なだけあって、出て来る呪文も薬も全部物騒だ。小さい頃に父上の書斎でこっそり読んだ時は挿絵のグロテスクさに泣きそうになったのが懐かしい。
「……リゲル、この本知ってるの?」
「ん? おう。父上の書斎に置いてあった。闇の魔術に詳しい家なら持ってるだろ」
「君の他に誰が持っていそうか分かる? 僕の家には無かったんだ」
何故かコイオスは息を切らしながら俺の腕を掴んできた。その勢いに押されるように俺も必死に頭を回転させる。
「え? あー……マルフォイ家は確実に置いてるぞ。アブラクサス様の書斎で見たことがある。あとはレストレンジ家だろ、クラッブ家とゴイル家は文字を読む脳みそが無いから……」
困ったな。マルフォイ家とレストレンジ家は何回も行ってるから知り尽くしているけど、あとの家は年に一度訪問するかしないかだ。ゴーント家は全く交流が無いからそもそも血が続いているかも分からないし、あと置いていそうな家ならエイブリー家とロジエール家あたりか……?
それをそのまま伝えるとコイオスは何故かひどく驚いたような顔をして、そして口元に手を当てたまま何かを深く考え込んでいた。
「コイオス? おーい、どうしたんだよ」
俺が何度声を掛けてもどこか上の空で、結局その後は大した話も出来ないままマダム・ポンフリーに追い立てられるように俺は医務室を後にすることになったのだ。
****
「思ってたより遅くなったな」
あと3分で消灯だが廊下を煩い足音を立てながら走り回るわけにはいかない。誰に見つかっても見苦しくないように、でも小走りで廊下を急いでいると、曲がり角の向こうからも二人組が急ぎ足でやってきていた。
「っ!」
「あ、ごめん!」
咄嗟に止まることが出来たのでぶつかる事は避けられたが、すこしつまづきそうになった相手方が焦ったような様な声を上げる。俺よりも少し高い位置にある首元にちらりと見えたネクタイは黄色だ。
「いえ、俺こそ失礼しました。お怪我はありませんか?」
「君は確かブラック家の…! いや、こちらこそ悪かった」
ハッフルパフ生ならまず俺の知り合いはいない。丁寧な口調のまま薄く笑顔を張り付けて顔を上げる。
きりっとした眉が印象的でさわやかな好青年といった風貌をしたハッフルパフの男子生徒は俺の顔を見て一瞬息を呑み、背後にいるもう一人を視線から庇う様に身体を動かす。ちらっと見えた髪は優雅に波打つ茶髪だった。女だ、と思ったところで彼女はさっとフードを被って俯いてしまった。
「では」
微かに首を傾けて会釈し、半歩下がって道を譲った。ハッフルパフ生は「じゃあ」とほっとした笑顔を浮かべて後ろの女生徒の手を引く。女は目深に被ったフードを握りしめ、絶対に俺の方を見ないようにしながら足早にこちらへと歩いてきた。
女の分かりやすい態度に舌打ちをしたくなる。誰だか分からないがあからさまに嫌がれるのは不愉快だ。そもそもハッフルパフ生の恋愛事情なんて吹聴する気にもならない。心底どうだっていい。
心の中で吐きまくった悪態はおくびにも出さず、ただ静かな笑顔を浮かべて脇を通り過ぎる二人を見詰める。男の後をついて歩く女の髪が揺れ、フードから漏れた一房が微かに俺の肩へと触れた。
ふわりと、何故かその髪からはよく知った匂いが漂った。
「――ドロメダ?」
頭でまさか、と考えている内に勝手に口を突いて呟きが零れた。すれ違った女は立ち止まり、背後からでも分かるほどに張り詰めた雰囲気を漂わせていた。
顔を強張らせるハッフルパフ生を無視して足早に近付いて女の前へと回り込む。男が止めるように声を上げるのも無視してフードを掴み、一息に奪い取った。
「…………リゲル」
あまりにもなじみ深い、やさしい茶色の瞳をかすかに歪めた俺の従姉妹がそこに立っていた。