Soleil シリウスとレギュラスのお兄ちゃんが頑張る話 作:がらくた屋
あつい。とってもあつい。
外はとってもいい天気。なのにハウスエルフのクリーチャーは朝からずっと火を焚いていて、部屋中に熱い空気が立ち込めている。このままだと茹っちゃいそうだ。だからせめて窓を思いっきり開けようとしたぼくの背に、やんわりと父様の静止が飛んだ。
「やめておきなさい」
「どうして? だってあついよ。ぼくのぼせちゃうよ」
「今日だけは家を温めておかなきゃいけないんだよ。こちらにおいで」
招かれるままに近づくと、父様は柔らかな動きで杖を振る。杖の動きに合わせてひんやりとした風がぽかぽかし始めた頬を撫でていった。
ぼくの部屋は真夏みたいに蒸し暑くなっていて、起きた時から背中にじんわりと汗をかいていた。もちろん起きてすぐに冷たいシャワーを浴びたけれど、じっとしているだけでも額に汗が浮かんでしまう。
目をこすりながら食堂に着いたぼくにおはようと言ってくれたのは父様だけだった。いつもよりもそわそわした様子の父様は、日刊預言者新聞の同じ紙面を何度も読んでいた。
ぼくが起きた時から、いや起きる前からずっと家中はいつになく賑やかだった。クリーチャーはずっと階段を行ったり来たりしていて、玄関口からはひっきりなしにバシッと「姿あらわし」で誰かが訪れる音が聞こえて来る。
この家にやってくる知らない大人達はいつもぼくの顔をみるたびにペコぺコとお辞儀して通り過ぎていくのに、今日出会う人はぼくには目もくれない。みんなせかせかした足土取りで階段を上がり、二階の奥へと向かって行く。
二階の奥。母様と父様の寝室。朝から、いや、昨日の夜からずっと母様の苦しそうな声が聞こえていた部屋だ。
父様と一緒に食堂にいる今も、複数人の忙しない足音やガチャガチャという金属音に混じって母様のうめき声が薄っすらと聞こえてくる。
「……かあさま、大丈夫かなあ」
窓を開ける事は結局諦めて、窓辺へと寄りかかりながら行儀悪く頬杖をつく。そんなぼくの頭にポンと父様が手を置いた。
最近分かったこと。父様は母様が見ていなければ、ぼくのお行儀を大目に見てくれる。今日だってそうだ。朝ごはんのグリンピースを避けて残したら、父様は「今日だけだぞ」と苦笑しながらこっそりそれを魔法で消してくれた。
「心配することはない。大丈夫だよ」
「うん……」
今日ばかりは朝食を片付けにクリーチャーはやって来ない。父様が杖を振ると食器はふわりと浮き上がって順序良く重なり、優雅な放物線を描いてキッチンの方へと消えていった。
「長くなりそうなら昼や夜のことも考えておかないとね。何か食べたいものはあるかな」
「…………」
ぼくはもじもじと手をこすり合わせながら俯いた。食べたいものなら一個だけある。アルファード叔父さんの所に預けられた時、「お前の父さんと母さんには絶対内緒だぞ」と言いながら連れて行ってくれたマグルの老夫婦が経営している小さなレストラン。
あそこで食べたミートパイは本当に美味しかった。だけどマグルの店に行ったことは叔父さんと二人だけの約束だ。特に母様はマグルのことをひどく嫌っているから。
あのお店のミートパイをもう一度食べたい。そう言い出せずに黙り込んでしまったのをどう解釈したのか、父様は優しく目を細めながらぼくを見下ろした。
「そんな顔をしなくて大丈夫だよ。夜にはきっと新しい家族に会えるさ。お前の弟だよ」
弟。少し前に母様が、ぼくにもうすぐ弟が出来るのだと教えてくれた。弟が生まれたらおれは「お兄さん」というものになるらしい。最近ぼくが悪戯をするたびに母様は「もうすぐお前もお兄さんになるのですからそんなことをしてはいけません」とがみがみ叱る。
もうすぐ兄さんだから、ロディと名付けていた友だちのテディベアも卒業しないといけない。もうすぐ兄さんになるんだから、一人で夜寝れるようにならなきゃいけない。兄さんはグリンピースを残してはいけない。どうやらお兄さんというものになるには、色んなことを頑張らないといけないみたいだ。
「……とうさま」
「なんだい?」
ふと心細くなって大好きな父様に抱き着いた。まだ小さいぼくの背丈では父様の膝くらいにしか届かない。顔を埋めるとほんのりと森の中の匂いがした。いつも父様が使っている香水だ。
「とうさまあのね、ぼく、ちゃんといいお兄ちゃんになれるのかな。ぼく、まだ夜一人で寝れないよ。ロディとさよならしたくないよ。ぼくがいいお兄ちゃんになるには一人で寝ないといけないしロディとさよならしないといけないの?」
父様のズボンを握りしめ、目に薄らと涙を浮かべながらつい弱音を吐いてしまった。そんなぼくを父様は優しく笑いながら抱きかかえ、膝の上へと座らせながら頭を撫でてくれた。
「そう焦ることは無いよ。もし夜眠れなくなったら父様の部屋においで。母様もお前の大事なロディを捨てろとは言わないさ。お前はこれからゆっくりお兄ちゃんになればいい。お前はとても賢くて優しい子だ。きっと新しい弟とも仲良くなれるよ。会えたら一番に挨拶してごらん」
「うん」
子どもの体温でくっ付かれて熱いだろうに、ぽんぽんと優しく背中を撫でる父様の手に半分まどろみながらこっくりと頷いた。
***
精いっぱい背伸びしてしても中の様子が見えないベビーベッド。つま先立ちでも駄目だ。この先に赤ちゃんがいるはずなのに。
どうにかして覗き込もうと悪戦苦闘していたら、父様が抱きかかえて胸の高さまで持ち上げてくれた。
「ほら、見えるかい」
初めて見た弟は、白いふわふわのタオルの海にちょこんと小さな顔だけを突き出して眠っていた。ぼくの手の平よりも小さい顔にちゃんと目鼻がついている。
かすかに口を開けてるけれど、そんな小さな口じゃ豆一粒だって入らなさそうだ。ぼくが毎晩抱いていたテディベアよりも小さい身体で、でも、ちゃんと息をしている。
それがどうにも不思議で、気付かない内に息を止めて凝視していた。すぐに苦しくなってついついぶはっと息を大きく吸いこんでしまう。
タオルに埋もれていた弟はぼくの息の音で目を覚ました。
あ。って思った。
弟の目は、父様と同じ色だ。
ぼくの目はアルファード叔父さんと同じ青色だけど、弟の目は綺麗なシルバーグレーをしている。夜空に浮かぶ星の色だ。
曇り空の様な灰色いっぱいにぼくの顔が映っている。弟が、ぼくを見てる。ぼくの顔を、お兄ちゃんを見てる。
「指を伸ばしてごらん」
穏やかな父様の声に背中を押されるように恐る恐る人差し指を弟へと近付ける。
三日前に爪を切っていて良かった。弟の目はぼくの指先よりも小さい。うっかりしたら傷つけそうで怖かった。
弟は瞬きもせずにぼくの顔をじっと見ていた。小さな弟の、そのふっくらした手の平をそっとつついてみるとぼくの指をぎゅっと握りしめてきた。
思っていたよりも、ずっと強い力だった。
クルミのような手の平から血の通った温かい温度が伝わって。なんだかもうそれだけで、じっとしていられなくなった。僕の体中がぶわりと熱くなって部屋中を飛び跳ねたくなるような、でもこのままずっと弟に握りしめられていたいような。
目の前の小さないのちは、どうやらぼくの中にとんでもない熱を弾けさせたらしい。
「……ぼくの弟の名前、なに?」
弟。この、星色をした瞳で見上げて来る弟をなんと呼べば良いんだろう。小さく温かい指で握りしめて来るこいつを今からぼくはなんと呼べば良いんだろう。
「シリウス。この子の名前はシリウスだ。お前の弟だよ、リゲル」
しりうす。父様に教えてもらったことがある。夜空で一番明るい星の名前だ。
こいつは今日からぼくの弟。しりうす。忘れたくない呪文のように何度も頭の中でその名を転がす。
「……よろしくな、シリウス。ぼくはおまえのおにいちゃんだよ」
一番星の輝きを持った弟の指を握りしめながら小声であいさつすると、何も知らない弟はじっとぼくの顔を見上げてからにっこりと微笑んだ。
その日からぼく、リゲル・アトラス・ブラックは五つ下の小さなシリウス・ブラックの兄となったのだ。
***
「おーいシリウス、大ニュースだ!」
「にーちゃ! おはよぉ!」
「おはよう。よく眠れたか?」
母様が教えてくれたビッグニュースにいてもたっても居られなくなって、飛び跳ねながら三階の子ども部屋へと駆けあがる。扉を勢いよく開ければ起きたばかりのシリウスが満面の笑みで駆け寄ってきて、左脚へと抱き着いてきた。
赤ん坊のころはあんなに太ってコロコロしていた弟の丸い面影は綺麗に消えた。ここに居るのはバラ色の頬をした世界一かわいい弟だ。サラサラした黒髪を撫で回してすっかり重くなった身体を抱き上げる。
「なあ、お前も来年の夏には兄さんになるんだってさっき母上が言ってたぞ! 弟が産まれるんだって! よかったなあ!!」
「おとーと?」
「ああ、そうだ。これでお前も兄さんになるんだ。おれとお揃いだぞ!」
「おそろい! にーちゃと!」
いつもの様に高い高いをしながらくるくる回していると、おそろいという単語が嬉しいのかシリウスは笑いながらおれの頬にすべすべのほっぺたをくっつけて来た。可愛い。おれの弟はほんとに可愛い。こんなかわいい弟がもう一人増えるなんて人生最高の日じゃないか。
「なあシリウス。お前も兄さんになるから、兄さん同士で約束しようぜ」
「おやくそく?」
シリウスを抱っこしたまま1人掛けのソファーへと腰かけ、その絹のように滑らかな頬を両手で挟む。顔を挟みこまれたまま無防備にこちらを見上げて来るシリウスに向かって笑いかけた。
「うん。父上が言ってたんだ。あのな、兄さんは弟を守るものなんだって。おれはシリウスも新しい弟もどっちも大事にするし守ってやる。だからシリウス、お前はその分弟を守ってやるんだぞ」
「にーちゃ、まもるって、どうしたらいいの?」
父上に何度も言われていた言葉をそっくりそのまま伝えると、シリウスは大きな灰色の目をぱちぱち瞬かせた。
どんなの、と聞かれておれは答えに困ってしまう。父上はそうとしか言わなかった。俺は父上と一緒に、母上と弟達を守れるようになるんだよって。確かにそうだよな。おれは何から弟達を守ればいいんだろう。
「うーん……んー……あ! たとえば、山よりでっかいトロールとかゴーストとかさ、そういうおっかないやつが襲ってきたらやっつけるとかかなぁ?」
「わかった! ぼくがやっつける!」
「ああ、二人でやっつけような」
うんうん唸りながら何とか絞り出すとシリウスは元気よく両手を挙げた。トロールもゴーストも、従姉妹のナルシッサなら名前を出すだけで悲鳴をあげるくらい怖がるのにシリウスはちっとも怖くない様だ。こいつは勇敢になるかもしれない。頼もしい限りだ。
*
末の弟、レギュラスが生まれたのは翌年夏の終わり頃だった。
「ほら。シリウス見えるか? 落ちるなよ」
「うん!」
まだシリウスの身長では台座に乗っても少し身長が足りない。つま先立ちをしてベビーベッドの柵を両手でつかみ、ようやく赤ん坊の寝顔を覗き込んでいるシリウスの背をそっと支えた。
ベッドの柵に取り付けられた小さな名札には、金色の文字で「レギュラス・アークタルス・ブラック」と流れるように綴られている。
「兄ちゃん、レギュはずっとねんねしてるの?」
「ああ。レギュラスはまだ赤ちゃんだからいっぱい寝るのがお仕事なんだって。起こしたら可哀そうだから静かにしていような」
そっと唇に人差し指を当てると「しー!」と笑いながらシリウスも俺のポーズを真似た。二人で息をひそめながら生まれたばかりの弟を見守る。
シリウスはよく泣いたしよく動き回る賑やかな赤ん坊だったけれど、レギュラスはほとんど夜泣きもしない静かな子だ。どっちも抱き締めて頬ずりしたくなるくらい可愛いことに変わりはない。シリウスは静かに上下する豆粒みたいな目鼻を物珍し気にじっと眺めてから俺を見上げた。
「にいちゃん」
「ん?」
「レギュって、とってもちっちゃいんだね」
「お前だってこれくらい小さかったんだよ」
「えー、ほんとぉ?」
「ほんとほんと。お前の頭なんて、おれの手の平より小さかったんだ」
そう言っておれの片手よりは少し大きくなったシリウスの頭をぐしゃぐしゃに撫でまわすと、シリウスはくすぐったそうに高い笑い声を上げた。
*
「ねえねえ兄ちゃん! 遊んで!」
「にいさま!」
「いいぞ。今日は何したい?」
「追いかけっこ!」「かくれんぼ!」
そんなレギュラスもすくすくと大きくなって気付けばもう3歳だ。昨日誕生日を迎えて5歳になったばかりのシリウスと一緒に仲良く手をつなぎ、今日も俺の部屋へと突撃してくる。
家庭教師から渡されている課題も終わらせてあるし快く了承すると二人は声を揃えて全く違うことを言い放った。あれ、と二人は同時に目を丸くして顔を見合わせている。弟二人を見下ろしながら思わず吹き出してしまった。
「今からお茶の時間まで遊ぶならどっちかしか出来ないぞ」
「追いかけっこして、お茶して、そのあと夜にかくれんぼする!」
「駄目だシリウス。今夜は俺が父上と出掛けるんだよ。……そんなふくれっ面されても無理なものは無理だって。どっちで遊ぶかはお前らで決めな。喧嘩はするなよ」
かくれんぼもおいかけっこも、どっちも俺が弟達を追い回すことになるしこっちは本当にどっちでも構わない。強いて言うなら、今夜は父上と一緒に従姉妹の家を訪ねるからレギュラスが希望してるかくれんぼの方が汗かかないかなぁってくらいだ。
思わず苦笑いしながらそう言うと、二人は俺に背を向けてこしょこしょと何か相談事を始めてしまった。時折押し殺した小さな笑い声まで聞こえる始末だ。
数分ほどして振り返った弟達は、お揃いの灰色の目をそっくり同じ形に細めながら満面の笑みを浮かべた。
「兄ちゃん、かくれ追いかけっこしよう!」
「なんだそれ?」
「あのね、にいさまがかくれんぼした僕達を見つけるでしょ」
「それでおれ達が逃げて、俺達二人とも捕まえたら兄ちゃんの勝ち!」
「でもね、」
シリウスは得意満面の笑顔でそのちいさな胸を張り、途中で言葉を切ったレギュラスは何が可笑しいのか両手で口元を押さえながらくすくすと笑っている。
「僕達のどっちかだけが捕まってたらね、まだ捕まってない方がタッチしたら助けることできるの!」
「それでお茶の時間までおれ達のどっちかが逃げ切ることが出来たら、おれ達の勝ち! ってわけで行くぞレジー! 兄ちゃんは五分探すの待ってて!」
言うだけいってシリウスはレギュラスの手をつなぐと二人仲良く笑い声を弾けさせながら廊下を走りだしてしまった。うわ、あいつらもう見えなくなってら。
それにしても、手を組むとほんとうに凄いこと考えつくなぁ。かくれんぼと追いかけっこを両立させるなんて。
つまり俺はこれから家の中で隠れている弟達を探して捕まえて、もう片方を救出されない内に捕まえて……ん?
「おいそのルール俺がめちゃくちゃ大変なやつだろ、二対一じゃないか! こらお前たち、なんてルール作ったんだ!! シリウス! レギュラス!!」
慌てて消えていった方角へと追いかけ、誰も居ない廊下に向かって声を張り上げる。当然返事は帰って来ない。今頃どこかに潜んで笑いをこらえているのであろう弟達を想像すると、やれやれと息を吐きながら笑いが漏れた。
そして、1時間後。
「つ、つかれた……」
もう無理だ。一歩だって歩けない。息を吐く暇もなく屋敷中を全力疾走した両足がさっきから悲鳴をあげている。
母様と父様が帰ってくるまで俺は弟達に翻弄される羽目になった。あいつら、ほんとこういう時だけ息ピッタリなんだが!
シリウスは走るのが早いしレギュラスは隠れるのがやたらと上手い。しかもやっとどちらかを俺の部屋へと捕まえておいても、捕まっていない方があっさりと助けに行ってしまうのだ。あいつらなんで捕まったタイミングが分かるんだよ!
「おれ達の勝利だ!」
「兄さんやったあ!」
ハイタッチをして勝利を分かち合っていた弟達は、肩でゼエゼエと息を吐いている俺の元に近づくと、互いにニッコニコ顔で俺を見上げて来た。その笑顔のなんとまあ、可愛いことだ。
「兄ちゃんありがとう!」
「にいさま、楽しかったです!」
「そりゃよかった」
丸っこい二人の頭をぐしゃぐしゃに撫で回すと愛らしい笑い声が揃ってはじけた。たとえ俺が敗北する事決定な理不尽ルールを敷かれても、抱き着いてくる二人のかわいらしさにまあ良いかと流せてしまう。結局どこまでも俺は単純な生き物である。