太公望、異世界で猫を釣りあげる。どうやら最強軍師にスローライフは許されないようです   作:月猫

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 息子殿、姫発は直接そのようなことを口にしたわけではない。

 ただ西伯候が亡くなり、彼が後を継ぐと、俺も周りの人間も皆、息子殿が頂点に立つのだと確信し、実際俺とともに帝辛と戦ったのは、西伯候ではなく息子殿なのだ。

 今思い返しても、あの映発さは父である西伯候さえも凌駕していたかもしれない。

 

 まあ息子殿のことはいい。

 

 覇者になりたい。そんな独善的でこの王には不相応な夢を、恥ずかしげもなく重々しい顔で言われて、俺はどう反応したらいいのだろうか。

 済んだ瞳と皺だらけの瞼が不調和なボクレン王は、表情を変えずに俺を見つめている。

 何かを待っているのだろうが、言葉がうまく出てこない。

 

「覇者とは、天下を取るということでよろしいのか」

 

 思いつかなかったから当たり前のことを聞くと、ボクレン王は頷いて肩を撫でおろし緊張を緩めた。

 

「そのとおりだ。エイに積年の恨みを果たし、あの国を掌中に収めればこのボクレンが大陸の覇者となる」

 

「200年か。それは恨みも募ろう。だがボクレン王、過去の王たちはその恨みも屈辱も胸に秘めて国を守ってきたのだろう。その努力を灰燼に帰してもよいと思うのか」

 

 いつの間にか王への礼節も忘れ、俺の口調は荒くなっていた。

 何をそんなに怒ることがあるのか、自分でもわからない。

 しかし、目に力が入っているのか、わずかに視界が霞む。

 息が荒くなり、量の手に力が入る。

 杯に残っていた水を飲むと、微かに息が落ち着いた。

 

「失礼した。だがやはり、俺にはボクレン王の言うことが理解できん」

 

「何を言う。すでに支配を破る楔を打ち込んだのはそなただぞ。太公望殿」

 

 

 王の双眸が切っ先のように俺を貫いた。

 

「やはり⋯⋯俺たちを動かしたのはそのためか」

 

 静まっていた衝動が再発するような感覚が沸き起こる。

 だが俺にこの王を(そし)る権利がないどころか、むしろ感謝すべきなのだ。おかげで目的を果たせたのだから。

 

 王は大きく息を吐き捨てると、顎を撫でながら俺をなだめるように言った。

 

「むろん、それだけではないがな。だがそなたならわかるはずだ。儂の想いを」

 

 ボクレン王の目が猛火を宿すように輝きを見せる。

 

「まあ、もっと具体的な話はもう一人が来てから話すとしよう。それまでこの城でくつろいでいてくれ」

 

 炎は急激に小さくなり、初めて見た時と同じ温和な老人の姿に戻る。

 

「以前泊まってもらった部屋に案内しよう」

 

「いや、今回は連れ宿をとってあるのでご厚意はお気持ちだけいただくとする」

 

「そうか。なら外までの案内だけ孫にさせよう」

 

「孫?」

 

 俺の疑問を無視して、王は部屋で控えていた女官に声をかける。

 

「おい、ネモを呼んで参れ」

 

 命令を受け、徐幹は速足で部屋を出ていく。

 

「ボクレン王、お見送りは不要ですが」

 

「まあそういわんでくれ。孫娘が貴殿に会ってみたいと話していたのだ」

 

 孫といわれると、どうも俺も弱い。孫にいい顔をしたい気持ちは理解できるのだ。

 

「まあ、見送りだけなら。ボクレン王」

 

「どうした」

 

「孫はいいよな。曾孫もいいぞ」

 

 ボクレン王は目を見開きながら目を白黒させた。

 当たり前だろう。俺に何がわかると思っているはずだ。

 

 すこし待っていると、ひとりの少女が階段を上がってきて俺の後ろで頭を下げた。

 

「お待たせいたしました。太公望様」

 

 その少女は紫紺の着物を着て、墨染めの髪をひとつにまとめて銀色の櫛をさしている。

 銀色の串に俺の姿が反射し、少女は顔を上げた。

 

「ボクレン王が孫のネモニアでございます」

 

 背丈はルナと同じくらいか。

 茅色の温和な目をしていて、物腰の柔らかさが佇まいから伝わってくる。

 さすがは王族といったところか。はっきり言って美人と称するに申し分ない。

 

「お見送りはわたくしが務めさせていただきます」

 

「あ、ああ。感謝する」

 

 透き通るような音色の声が脳に響く。

 俺の周りの女子はずいぶんと器量がいい者が集まっているが、なぜなのだろう。

 

「ではボクレン王。俺はこれにて」

 

「ああ。もうひとりがきたら迎えに行く。ネモよ、客人を任せたぞ」

 

 いつも温和な人だが、孫に対するとさらに雰囲気が柔らかくなる。

 もはや絹などというものではなく、水の入った革袋のような弾力性だ。

 まあでも気持ちはわかる。息子たちを顧みなかった俺でも、孫は可愛いと思っていたのだから。

 

「はいおじい様。では太公望様、こちらへ」

 

 ネモニアという少女に言われるがまま立ち上がり、彼女の後ろを続いて階段を下りる。

 彼女から漂う香の匂いが心地よい。甘いようで心を落ち着かせる、えにも言えぬ芳しさだ。

 この部屋から城の外までなど、ほんのわずかな距離と時間でしかないのに、なぜ見送り役をしたがったのか不思議だったが、なぜか少女が足を突然表門から脇のにある休憩用のような瓦屋根の場所へと向けたことで、その謎が解けた。

 

 瓦なんて俺の時代にはなかったが、あの町で覚えた。

 黒い瓦の下は朱色の丸太と板によって形作られ、その下は影になっている。

 影になった空間の中心に、丸い焦げ茶色の机と椅子が置かれている。

 

 そこに俺を連れていきたかったのだ。目的のために。

 

「どうぞこちらに」

 

 彼女の誘いのままに、俺は椅子へと腰を下ろした。

 冷たく硬い机を挟み、少女と対面する。

 屋根のせいで薄暗いが、木漏れ日が差し込めばここはいい安息の場所だろう。

 願うなら人の作った屋根ではなく、木の葉の屋根にしてほしかったとは思う。

 

「それで、ネモニアどのは俺に何用ですかな」

 

 若い娘の開いては得意ではない。ルナが近くにいるが、あれは例外だ。

 少女は一瞬、眼光鋭く俺をにらみつけた気がしたが、すぐ温和な顔に戻り、茅色の目が光った。

 

「あなたのお話をお聞きしたく」

 

「身の上話などしても面白いものはありませんよ」

 

「いえ、ヒュイでのお話を」

 

 少女の声色が僅かに鈍ったのを、俺の耳は聞き逃さなかった。

 

「そういわれても、仲間の作戦に従って戦った。それだけのお話です」

 

 一応、シジュの名前は伏せておいた。

 意味はないかもしれないが、この国の王族に賊の名前を聞かせるのもいかがなものかと考えたのだ。

 

「では、あなたが守りたいもののために犠牲になる者が現れるとは考えませんでしたか」

 

 先ほど俺を睨みつけたのは、気のせいではなかった。

 少女の双眸が鋭く光り、怒気をその声と眼から滲みだしている。

 俺も愚者ではないから、ここで俺たちと戦ってくれたシジュの配下のことだと思ったりはしない。

 少女の髪をまとめた櫛が怪しく光沢を見せる。

 

「なるほど、もしや、エイの人質になっていたのは貴殿の」

 

 少女は固く口を結び顎を引いた。沈黙が答えのようなものだ。

 

「それは申し訳ないことをした。弁明するつもりはない。俺は俺の目的のため貴殿の父を犠牲にした」

 

「よくわかりましたね。父のことだと」

 

「逆にそれ以外で俺に敵意を向ける理由が思い当たらない。人質になっていたのが叔父でよほど好いていたとかなら話は別でですが」

 

 もはや敵意を隠すつもりもないのか、少女は俺を睨みつけたままさらに顎を引いた。

 

「で、俺をここで殺すつもりかな。その細長い櫛を使って」

 

「っ!?」

 

 図星だったのか、少女の顔が引きつり、右手が髪へと伸びた途中で止まった。

 まあ殺されても致し方ないとは思う。この娘の父は王と俺のわがままで死んだようなものなのだから。

 だが殺されても仕方がないというのと、実際命を差し出すかは別問題だ。

 

「別に襲ってきても構わないぞ。抵抗するだけだ」

 

「正面から襲い掛かるほど馬鹿だと思いますか」

 

「ばか⋯⋯?」

 

 俺の疑問に少女は飽きれたように苦い顔をし、大きく息を吐いた。

 

「まあいいです。本当のところ、そのつもりもないことはなかったですが、実際行う勇気はなかったので」

 

「だとおもったよ。狙うならさっさと俺を外に出して後ろから襲えばいいしな」

 

「ではなぜかまをかけたのですか」

 

「⋯⋯やるつもりなら拳三発くらいは受け止めてやるべきだと思ってな。今からでも構わないぞ」

 

「女の私が叩いても大した痛手にはならないでしょう」

 

「ようするに、俺の罪はその程度のものということだ。客観的に見た場合はな」

 

「⋯⋯ではあなたの主観で見た場合は?」

 

 考えるまでもなく、恐ろしい言葉が浮かび上がる。

 

「炮烙でも文句は言わないな。君に執行される場合に限るが」

 

「炮烙とは?」

 

「たしか、熱した銅の丸太の上を渡らせる刑だったか。渡り切れると許されるとかなんとか」

 

「そのような残酷なものが」

 

 少女は目を見開きながら、唇を固く閉じた。

 

 帝辛が始めたとされるその刑の名前は知っていたが、実際に見たことはないし、どのような刑なのかもうわさ話でしか聞いたことがない。

 しかし、商を滅ぼしてすぐ息子殿が廃止させたことを考えると、恐ろしい処刑法であることは間違いない。

 

 席から腰を上げ、服の裾を伸ばす。これ以上ここにいることもないだろう。彼女はもう何もしないだろうし、話すこともないはずだ。

 少女は席を立った俺を見上げながら、鋭い瞳を柔らかくしていく。

 

「お帰りですか」

 

「ああ。帰る」

 

「あの、私があなたを恨んでいるのは間違いないですけど。これは筋違いでしょうか」

 

 何を聞くのだと思いながら、少し考えてみた。

 

「いや、真相を握っているのがそなたの祖父でも、その祖父は俺がいなければ動くことはなかったのだ。あなたが俺を恨むことは八つ当たりでも何でもない」

 

「そうですか⋯⋯」

 

 少し安堵したような様子で、少女は胸をなでおろした。

 これからも俺を恨み続けるのだろうか。だが復讐を果たせない憎しみなど自分をむしばみ続けるだけだ。だからと言って俺がどうにかなってやる気はさらさらない。

 俺にだって夢がある。どこかでしずかにスローライフを送るという夢が。

 

 だがやはり、この娘が父のことで病み続けるのはいたたまれない。

 

「ひとつだけ、年寄りの知恵を授けよう」

 

「は⋯⋯?」

 

 この疑問は、当事者が何偉そうなことを言っているのかというのではなくて、お前のどこが年寄りなのかという疑問だろう。

 

「復讐は心に安寧を生むのは間違いないが、失ったものを考えれば台無しになるぞ。復讐して幸せになれるのは大切なものを忘れられる人間だけだ」

 

 まあようするに復讐はむなしいということだ。大切なものがこの世からいないならなおさら。

 なぜなら、喜ぶものも咎めるものもいないのだから。

 

 返答を待たず、屋根の下から空の下へと出た。

 少女が俺を追いかけてくる気配はない。

 庭を抜け、屋敷の敷地からも抜けると、立派な門構えの屋敷が立ち並んだ。

 ルナがいるとしたら、店が立ち並ぶ白の中心地だろう。

 今のことをルナに話すか濁しておくか、考えながら歩いていると小石につまずいた。

 俺を躓かせた小石を見つめると、小石につまずいて足の骨を折った後、ほどなくして死んだ老人を思い出した。

 年寄りにとって怪我は死の病に相当する時があるのだ。気をつけなければならない。

 

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