まったく、なんでデジモンの二次創作に私の仕事があるんですかね。やれやれ。
「……えと」
ツバサはある夫婦と瑞希を挟んで対談する。穏やかそうな若い夫婦で、お台場の辺りで開業医をしている海野という夫婦だ。
瑞希に保護された直前から、実は話が進んでいた。瑞希はツバサを保護こそしたが、養子として迎える予定は初めから無かった。養父母は高齢、自身も単身では十分に彼へ寄り添うことが出来ないと判断したからだ。
これはウィッチモンが起こした騒動を解決してツバサを病院に連れ込んだ後、一番最初に瑞希が表明した方針だ。
そもそも瑞希の家にツバサが来たのも、他人と暮らす訓練が主な目的だ。フレイモンがいるため仕事で家を空ける瑞希でも彼をケア出来てはいるが、重要なアシストをしてくれるフレイモンの存在でさえ予定外なのだ。
「うちにはナガレというせがれがいてね。また今度会ってみようか」
「あ、はい……」
まだ他人には慣れず、返答はどうしてもたどたどしくなる。それでも他者全てを信じられなかった時期よりは、沢渡などのまともな大人たちと接したおかげでかなりマシになった。
海野夫婦は数ある候補者から最後まで残った家庭。まずは瑞希、ブルコモン、フレイモンの厳しい選別があり、その後ツバサとの面談で感触を確かめる。その中で一番よさそうだったというわけだ。
既に血の繋がった息子がいるという話だが、問題はその息子との相性だ。リンカーとしてブルコモンと一緒に引きとれる家庭の時点で相当限られるため、ここが最大の関門と言える。
「ツバサくんはリンカーの先輩として、うちの子とお互いにいい影響を与え合えると思うの」
海野夫妻側からはそういう意見が出ているが、瑞希としては直接会わせてみないと分からないというのが大きい。他人と家族をやることの難しさは彼女が一番分かっている。
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「うぅ……」
「行けそうか?」
「いける」
ツバサとブルコモンは面談を終え、院内を移動する。他者と話すのはまだ負担が大きいようで会話の内容を殆ど覚えていないような状態だ。沢渡相手でも最初はこんな始末だった。事件の最中に遭遇したココ、エマ、マーゴの三人とは普通に話せていたが、それも沢渡を助けるという目的に集中していたが故。
「今日は実習……」
ツバサとブルコモンが向かうのは院内学校。病院では長期入院をする子供のために授業をする。数か月も学校に行かなければ勉強には大きく遅れてしまうのだ。
「やるのは国語、算数、理科、社会、家庭科か」
ブルコモンは案内を見ていた。大抵こういう院内学校の授業は五教科と呼ばれる、試験で重視される科目を習う。しかしこの病院では家庭科の授業もあるのだとか。家庭科を侮ることなかれ、一人暮らしをするなら家庭科の教科書を持っていけと言われるくらい生きていくのに必要な知識を教えてくれる。
病院の一角にある院内学校で授業は行われる。まだデジモン関係のルールは整備し切れていないのか、いつもは幼年期Ⅰでいる規則だが移動時は成長期への進化が認められた。入院しているリンカーがツバサのみなので、彼の様子を見ていろいろルールを考えているのだ。
そのツバサがユキミボタモンを持って移動するのが大変そうだったので成長期が解禁されたのだ。加えて頻繁に進化と退化を繰り返すとバイタルの増減でリンカーの体に負担がかかってしまう。
「あれ、ブルコモン?」
「ほんとだ、ブルコモンいるじゃん」
家庭科室に入ると、ツバサはもう一体のブルコモンを見つける。病院内にはいくらかデジモンが住み着いてはいたが、ブルコモンを自身のリンク個体以外で見るのは初めてだ。
「あら、どうしましたかブルコモン?」
「あーしの同種がいる」
ブルコモン同士がお互いに見つめ合っていると、もう一体の方のリンカーと思わしき少女がやってくる。ココやエマと同世代、十代半ばと思われるほわほわした雰囲気の少女だ。
「あの……私、氷上メルルと言います」
「メルルさん、ですね」
変わった名前だなと思いつつもツバサは、皇帝と書いてシーザーやらオレオやらを経験しているため、それ以上は気にならなかった。メルルに関しては『名は体を表す』と評しても差し支えない。苗字の氷上が合わなさすぎるが、苗字ばかりは自由度が低いので気にすることもないだろう。
家庭科の授業はカレーの調理実習だった。食品が関わるため、授業を受けられる子供は限られてくる。ツバサとメルルは傘下出来る側なので健康には恵まれているだろう。
調理実習でカレーが選ばれるのは米の焚き方、包丁の扱い、肉やジャガイモ等注意の必要な食材など一通り必要なことが詰まっているからだ。加えて、味は殆どルーが決めるため多少失敗しても喫食に問題がない。
「ブルコモン、これお願い」
「おう」
ツバサとメルルはお互いのブルコモンにデジヴァイスを預ける。防水性能があるとはいえ、食品を扱う時は原則、腕時計などは取り外すのが好ましい。
「お上手ですね」
「え、ええ……」
実際に調理を始めるとツバサはメルルも驚くほどの包丁捌きを見せた。ジャガイモの皮を的確に剥き、手際よく野菜を切る。
「ツバサは毎日やってからな。慣れたもんよ」
ただし会話が続かないため、ブルコモンがそこをフォローする。デジモン達は離れた席で見学だ。
瑞希の食生活が終わっていることに気づいたツバサは、デジモンリンカーとして事件を解決した際にもらった報奨金も活用してお弁当作りや炊事を始めた。最初はたどたどしかったが、毎日やれば型になるものだ。
現代は様々なレシピがネットで手に入る時代。まだスーパーの特売に合わせて献立を組み立てるみたいな器用さはないが、一定の栄養バランスなら確保できるようになってきた。
「大事なのは食べてもらう人の顔を思い浮かべることです。愛情を込めるため、というより食べさせたい人に、生焼けの肉や芽の残ったジャガイモは食べさせられないな、と思っていただければ」
先生の指導を聞き、ツバサとメルルは思案にふけってから作業を再開する。ツバサが思い浮かべたのは当然、瑞希の顔。メルルは誰を思い浮かべただろうか。
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「ねぇ、二人共メルちゃんのこと知らない?」
調理が終わり、カレーを食べている時にメルルのブルコモンからそんなことを聞かれ、ツバサとブルコモンは顔を見合わせた。目の前にいる氷上メルルとは二人とも初対面だ。
「いえ」
「初めて会うな」
「そっかー」
メルルのブルコモンは残念そうにしていたが、すぐに事情を話す。
「いやさ、メルちゃんってば記憶喪失みたいで誰か知ってる人いないかなーって」
「すぐにいい人が助けてくれて、今は何とかなっています」
メルルは記憶喪失の関係で通院しているとのこと。名前以外の記憶がなく、彼女の過去を知る手掛かりは無いに等しい。結構悲惨な状態ではあるが、メルルが穏やかにしているのを見ると周囲の援助は手厚いのだろうと想像出来た。
「ま、デジモンリンカーやってりゃ手掛かりも見つかんだろ。俺の様に究極目指して精進しろよ」
後輩のブルコモンが現れたことで、ツバサのブルコモンは先輩風をビュンビュンに吹かせる。
「きゅ、究極体になったんですか?」
「いえ、単独ではなれないので……」
メルルが驚くもツバサはそこまで自信を持てなかった。これまで究極体のヘクセブラウモンになれたのは二回。いずれも外部からバイタルの供給があってこそ可能だったのだ。現在は成熟期への進化すら覚束ない状態だ。
進化にはリンカーのバイタルが重要、ということなのでしっかり休んで鍛える他、方法はない。
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その後、授業を終えて院内学校から病室に移動する途中でツバサとメルルは放送を耳にする。
『コードブルー発令、スタッフはただちに……』
「まただ」
以前の事件でも同じようなことがあったと思い出す。
「なにかあったんでしょうか?」
「ここのスタッフさんに任せましょ」
メルルは不安そうにするが、ツバサは病院の医師たちを信じることにした。医学知識もない、まだ眼球を摘出した縫合も抜糸されていない。そんな自分に出来ることはない。
移動の途中で二人は一階のロビーに立ち寄る。そこでは髪を染めて入れ墨を入れた男がスタッフに詰め寄っていた。
「あ、あの人……」
詰め寄られているスタッフ、中年の男性にツバサは見覚えがあった。彼は立山大吾。以前、脚立から落ちそうになったところをブルコモンに助けられた人だ。若輩者のチンピラが騒いでも一切動じる様子がないのは、さすが年長者といったところ。
「やれやれ、いくぞツバサ!」
「うん!」
ただ病院で騒いでいるのはよくない。ブルコモンに促され、ツバサは彼にバイタルを送る。
「ブルコモン、進化―!」
巨大な氷のドラゴン、ペイルドラモンへ進化しチンピラを摘まみ上げる。
「ペイルドラモン!」
「ぎゃ、ぎゃああああああああ!」
突然現れたドラゴンに掴まれ、チンピラは絶叫する。善良で理性的だと知っていれば怖くないのだが、何も知らないと巨大なトカゲが急に現れただけなので恐怖だ。
「おおー、ペイルドラモン! ほら、顎紐も締めるもんね!」
大吾はヘルメットの締まった顎紐をペイルドラモンにアピールする。
「そりゃよかった。安全第一だ」
大吾はあの一件以来、ヘルメットの顎紐にも気を使うようになったらしい。転落死を予言されるくらい、慣れが危険を産んでいたのでいい傾向だ。
「なんだお前はー!」
「いやそりゃこっちのセリフだ。病院で騒ぐな」
掴まれたチンピラは大騒ぎする。よくもまぁ、氷のドラゴンに掴まれてここまで元気に騒げるものだ。生殺与奪を物理的に握られているのをお忘れなく。
「いいか! 俺は戦う料理人、タイマイだ!」
「漫画のキャラか?」
「違う! 俺はなぁ! ブレイクリングにも出場して、今は港区で料亭やってんだ!」
ペイルドラモンはチンピラ、タイマイが何者か知らないため話が進まない。とはいえツバサもメルルも、そんな人物は知らなかった。
「何を喚いておるか」
そんな状況に一人の老人が現れる。白髪頭からするに相当な老齢だろうが、足腰はしっかりしており背筋も伸びている。作務衣というラフな格好だがほつれもシワもその服にはなく、気品をも感じさせる。
「誰だジジイ!」
タイマイはそんな老人にも怒鳴るが、彼は穏やかな態度のまま自己紹介する。
「私は麻生驟雨。隠居の身だが、自分で言うのも恥ずかしながら……いわゆる美食家という人種だ。まぁ拘りが強い、偏屈なジジイだと思ってくれ」
「麻生……だとぉ?」
タイマイの方は麻生を知っていた。美食家というので飲食の世界では有名なのだろうか。
「いや、皆のもの。すまなかった」
一方の麻生はタイマイを見もせず、周囲の人に詫びた。
「このタイマイと名乗る者、己の店で食中毒を出してな。患者や医者を黙らせようと乗り込んだのだ。既に警察は手配済みだ。お騒がせしたな」
「あー……」
ツバサもそれで事情をようやく把握する。なんとも見た目通りのチンピラだ。
「このクソ老害! 俺の店に食べもせず0つ星付けやがって! 寿司屋の修行十年とかいうタイパの悪いもんあがめてんじゃねぇ!」
「やれやれ、理由は言ったはずだがな」
二人の間には何か因縁があるらしいが、あとは警察の仕事だ。そう考えてツバサがその場を離れようとした時、麻生は彼とメルルに声をかけた。
「そこの娘らよ」
「えっ?」
ナチュラルに女の子認定を下され困惑するツバサに、麻生は一つのジャガイモを見せる。
「げっ」
「こ、これは……」
そのジャガイモを見た瞬間、ツバサとメルルは顔をしかめる。芽は短いが、全体が緑になっている。
「これなるは北海道で採れた上等なジャガイモ。君たちはこれを如何するかな?」
いいジャガイモだと言われても、二人は拒否感が先に来た。
「た、食べられませんよ! そんな緑の」
「はい。緑になったジャガイモはソラニンという毒素が広がって……」
ジャガイモの芽は毒、というのは有名な話。その毒性はなんであるかというと、ソラニンという物質。緑はその物質の色だ。芽だけでなく皮などにも僅かに存在し、ジャガイモを日光に晒していると増幅してしまう。芽が出ていなくても緑になってしまっては食べられない。
「ふむ、授業をよく聞いておる。感心感心。すまないな、これは別に上等なジャガイモではないのだ」
麻生は二人が持つ教科書から、院内学校の生徒であると見抜いていたようだ。それも、調理実習まで進んでいることも含めて。
「タイマイよ。この娘らと料理対決してみぬか? まさか一人前の料理人が花嫁修業の身にも負けるはずがあるまい?」
そして流れるように料理対決に話が移る。
「あうあう……」
(警察が来るまでの時間稼ぎですよ)
メルルは了承も拒否も出来ずに困っていたが、ツバサは麻生の目的が大体わかったので彼女に伝えつつ乗ることにした。
「分かりました、やりましょう」
こうして、唐突に料理対決がスタートするのであった。
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というわけで始まった料理対決。先ほどの家庭科室がちょうどいいので、そこに戻っての対決だ。
「各々、食材を見て自由に作るがよい!」
部屋の中央には多数の食材が用意されていた。先ほどの騒動を見ていたスタッフや患者が審査員となり、彼らに料理を振舞ってどちらが上かを決める。
「これ、お願いね」
ツバサとメルルはブルコモンにデジヴァイスを預ける。手を洗う妨げになるものは衛生的によろしくない。
「魚と肉は冷蔵庫か……」
見えるところに置かれているのは野菜や果物だが、冷蔵が必要な食材は冷蔵庫にある。
「爪ブラシ……ありがたい」
キッチンの蛇口には先ほどの実習になかった爪ブラシが引っかかっていた。新品のようで、料理対決に備えて用意されたらしい。ツバサとメルルはそれで元々短い爪の隙間を洗う。
「お願いします」
「はい、任されました」
メルルから作る料理と作業指示のメモを受け取り、ツバサは調理を開始する。予定になかったため完全にアドリブ。方針をメルルが決めてくれたのはありがたい限り。
「俺の料理はこれだ! 冷やしエビラーメン!」
タイマイは高らかに宣言し調理を進める。黒い手袋で手を覆い、その状態でエビを剥いたり麺の湯切りをしていた。包丁を手にし、そのあとに麺を掴んでお湯へ入れる。
「とりあえずこれで」
ツバサ達は手際がよく、タイマイがあれこれしている最中に料理が出来上がる。コンソメのスープで煮込んだロールキャベツだ。キャベツは短く折ったパスタで刺しておく。
「……」
これはつまようじなどの誤食を防ぐ配慮ではない。ツバサは尖ったものが苦手だ。主に針のようなものが苦手で、包丁の先端は平気。というのも、彼の耳にある傷や目の損傷は安全ピンで付けられたものなのだ。
いじめ、というより同級生の暴力によってツバサの耳にはピアスを通せそうな穴がいくつか空いている。意地でも尖ったものを使いたくない。そうした思いがこの手法へ舵を切らせた。
「調理完了!」
お互いに料理が出そろう。ツバサとメルルが出したロールキャベツは何てことのない、基本に忠実で外連味のないもの。スープも出来あいのコンソメキューブを使っている。
「ふふ、勝ったな!」
それに対してタイマイは自信満々だった。エビラーメンは奇抜で非常に目立つ。それも冷やし。彼は退屈なロールキャベツより自分のものが選ばれると信じて疑わなかった。
だが、現実は違った。
タイマイの冷やしエビラーメンは見向きもされず、ツバサとメルルのロールキャベツに人が殺到する。
「お、おい! なんでだよ!」
「分からぬか? お主は味を確かめる土俵にすら立てないのだ」
困惑するタイマイに対し、麻生は淡々と語る。
「飲食店で最も大事なのは味ではない。衛生だ。それが出来て初めて味を語る土俵に立てる」
飲食店について味を気にするものは確かに多いが、それが出来るのも食中毒が起きないという前提があってこそ。食べたら腹を下すなど、そもそも話にならない。味以前の問題だ。
「お前は手袋をしているが、そもそも食品を扱うなら黒い手袋は不向きだ」
麻生はタイマイのしている手袋を指摘する。通常、食品に用いる手袋は青であることが多い。というのも青は食品に使われることが少ない色。もし手袋が破れて混入しても破片を見つけやすい。
「そして手袋をしているが、食品を触った手で調理器具を触り、再び食品に触れた。それでは手袋の意味がない」
安易に手袋をしたことで衛生観念が衰えてもいた。食品、調理器具、そこからもう一度食品、と全く手袋の防御が意味のない経路をたどっている。ツバサとメルルはこまめに手を洗っており、衛生はばっちりだ。
「安易な手袋よりも手洗いの徹底。寿司屋の修行が長いのは、意識せずとも衛生の徹底を出来るよう習慣にするためだ。寿司は生魚を扱い、火を通さず素手で握る。他の食品より食中毒の危険が高い」
麻生はタイマイが反発していた寿司屋の修業期間も拾って論破していく。
「お前の店で食中毒が出た理由も、この調理を見れば分かるというものだ」
「ぐぬぬ……」
信頼を積み上げるのは時間がかかるが、崩れるのは一瞬。審査員となった観客たちはタイマイを『食中毒を出した店の料理人』として見ており、その調理を厳しくチェックしていた。そして麻生の言う通りの始末を見て食べること自体を拒否したのだ。
「あれは俺のせいじゃない! 腸チフスのメアリーみたいな魔女の仕業だ! 病気を料理に吹き込んだんだ!」
「魔女?」
タイマイの素っ頓狂な話にツバサは首を傾げる。
「腸チフスのメアリー。魔女じゃなくて健康保菌者」
メルルのブルコモンがタイマイの例示を否定していく。
「腸チフスを起こす病原菌を保菌していながら症状の出ない人間。この絵を鵜呑みにしてるってカンジ」
メルルのブルコモンが見せた絵は女性がフライパンに息を吹き込むもの。当時の新聞か何かの記事に使われたものだ。
「あー、この絵なら魔女っぽいですけど、分かりやすい図解ですもんね」
「そうだ。この世界には魔女はいない」
ツバサが理解し、麻生は魔女の存在を否定する。確かにこの世界には魔女などいない。そもそも腸チフスのメアリーは魔女ではないが。
「警察だ!」
料理対決の隙に警察がやってくる。今、タイマイは病院に文句をつけるために乗り込んできた不法侵入者。そもそも料理対決も警察が来るまでの時間稼ぎだ。
(思ったより遅かったな……)
警察が通報からここに来るまで時間がかかったことをツバサは怪訝に思う。日本では消防や警察が早いのは言うに及ばず、警察だって駆け付けるまでの時間は速いはずだ。
「鷺谷ツバサ、氷上メルル、デジモンリンカーか!?」
「はい!」
「は、はい!」
警察官にデジモンリンカーであることを聞かれ、二人は正直に答える。
「そのタイマイもデジモンリンカーだ! 可能な限り力を貸してくれ!」
「なにっ!?」
警察官はタイマイがデジモンリンカーであることを告げ、協力を要請してきた。対処する手段がないため、慎重に周囲を囲っていたため駆け付けるまで時間がかかったのだ。
「バレちゃしゃーねぇ! いくぞガニモン!」
「ようやく進化出来たってのに捕まってたまるか!」
タイマイの背後からカニのようなデジモンが姿を現す。巨大なカニではあるが、料亭の生簀に浮いているくらいのサイズではある。そして彼が持つデジヴァイスはデジモンペンデュラム。
「ここで戦っては病院が危険です!」
いざ戦おうとするが、メルルは周囲の被害を気に掛ける。とはいえタイマイはお構いなしにガニモンを進化させてきた。
「ガニモン進化! エビドラモン!」
ガニモンは一気に人間より一回り大きいエビへと変化する。エビドラモン、成熟期のデジモンだ。
「いけるか……!」
ツバサはデジヴァイスを装着し、ペイルドラモンへの進化を試みる。ブルコモンの進化形態はクリスペイルドラモンより、その手前のペイルドラモンの方が大きい。巨大でとても戦えたものではないが、エビドラモンを取り押さえてその隙にタイマイを捕まえてもらう作戦だ。
「ブルコモン、進化―!」
ツバサは左腕を掲げ、ブルコモンを進化させようとする。だが、デジヴァイスから警告音が流れて進化出来ない。どうやらバイタル不足らしい。
思えば今日は二回の料理と、他者との面談で無意識の体力を消耗していた。
「メルちゃん、一気に決めるよ!」
「それしかありません……!」
メルルのブルコモンが前に出て戦いを変わる。リンカーであるメルルも覚悟を決め、デジヴァイスを付け直して祈るように手を組む。
「ブルコモン、ワープ進化! クリスペイルドラモン!」
ブルコモンは一気にクリスペイルドラモンへと進化し、いつの間にかタイマイとエビドラモン、そしてメルルとクリスペイルドラモンが院内学校の外に放り出された。病院の上空を飛んでいるではないか。
「な、なにが起きてんだよ!」
「うわああああ!」
混乱するタイマイとエビドラモン。クリスペイルドラモンはメルルを乗せて飛翔した。
「クリスペイルドラモン、究極進化!」
ツバサの時と同じように、メルルがクリスペイルドラモンから飛ぶと進化が始まる。ドラゴンの頭部は左肩の鎧となり、魔法騎士の姿へと変化する。
「ヘクセブラウモン!」
ツバサと同じヘクセブラウモン。しかしブルコモンの性格かメルルの影響か、所作はどこか女性的だ。進化の際に飛んだメルルは左肩に乗っている。
「ヘクセブラウモン……Hexe、ドイツ語で魔女か!」
麻生は得心がいったような顔を見せた。
「魔女はいないと言ったが誤りだったな。驕りを凍らせる魔女がおったわ」
ここは魔女のいない世界……それが今の常識だった。しかしメルルの手により、この世界へ魔女が顕現した。
「ウィッチェルニーの魔法でワープさせたのか」
ブルコモンはなぜ究極進化したのかを理解する。彼もヘクセブラウモンへの進化は経験している。何が出来るかは把握済みだ。
「さ……サモンフロスト!」
メルルが怯えながら技名を叫ぶと、ヘクセブラウモンは吹雪を起こしてタイマイとエビドラモンを凍らせる。カチンコチンに凍った二人をヘクセブラウモンがキャッチし、病院の外で待機していた警察官に差し出す。
まさに瞬殺。戦いの土俵にも立たせてもらえなかった。
「これで一見落着ね」
ヘクセブラウモンは進化による影響か、ブルコモン時代のギャルめいた明るい口調ではなく落ち着いたものへと変化していた。
「な、なぜだ……」
「やはり分からぬか?」
困惑するタイマイに麻生は語り掛ける。
「貴様は屋内という被害が出る環境で己のデジモンを進化させた。それが氷上に究極進化を選ばせた。聞くにあの姿は消耗が激しいらしいな。被害の出ない屋外なら、本気を出して一気に片づけるという選択を氷上が……あの闘争心のない娘が取ることはなかった」
またしても土俵に立たせてもらえなかったタイマイ。麻生の言うように全て悪手を踏んでメルルに究極進化を決意させただけだ。
「また刑務所で料理の本でも読んでこい。今度は、基礎をしっかり叩きこんでな」
基本が出来ない人間というのは一事が万事。ありとあらゆることで基本が出来ない。料理人としての基礎力の無さがリンカーとしての実力にも響いたのだ。
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「俺ら以外にも究極体になれるリンカーがいたなんてな」
「ね」
ツバサは自分の病室でブルコモンと今日のことを話していた。究極体のデジモンはデジタルワールドにいくらでもいるらしいが、リンカーでそこにたどり着ける人間はまだ少ない。
「……」
メルルから渡された作業指示のメモをツバサはノートにまとめ直し、ロールキャベツのレシピを仕上げる。その途中、メモに見たことのない文字があるのに彼は気づいた。
「ロシア語とかかな?」
線を上から引いているため、読めないと判断しているのは分かる。だが急ぎでこの文字が出るということは、これがメルルの奥底に無意識として眠る文字であるのは疑いようがない。
長年染みついた習慣は消えない。寿司屋の修行が十年もあるのは衛生観念を染みついた習慣にするため。この文字がメルルの記憶を取り戻すヒントになるかもしれない、とツバサは睨んだ。
「……でも、他人のことばかりじゃいられない」
しかし、今メルルのことを気にするのは現実逃避だ。自分に迫っている新しい家族という課題に向き合わないといけない。記憶の調査中にこの文字は誰かが見ているかもしれない。自分がやることではない。
『よくできました』
「……え?」
考え事をしていると見知らぬ声が耳に届いた。
「何か言った?」
「いや別に?」
声は少女のもの。ブルコモンでは絶対にない。そして、その言葉はどこか……。
メルルに踏み込まなかったことを賞賛しているようにも聞こえた。
デジモン図鑑
エビドラモン
成熟期 水棲型 データ種
エビの姿をしているが、実は龍のデータを持つドラモン系という系統に属するデジモン。小柄だが高い防御力とドラモン系特有のパワーを秘めたハサミは強力。
デジモンのサイズには個体差があり、種としてのエビドラモンは小柄だが今回出現した個体は非常に大柄。デジヴァイスを用いた進化であるため人間の影響を受けたのだろう。
実は完全体に分類されていた時期があり、究極体の登場で成熟期へと分類が見直された。完全体に迫る能力を秘めた成熟期デジモンなのだ。