切られた火蓋が紫電の燐光で着火する。
聖鎧《正雪》。悪鬼《緋宵》。
まったく間断の迷いなく、両者同様に疾駆した。
いや、駆けるとは言い得て妙な。
彼らは人体を模してこそ、その身は確かに人外を鎧っているのだから。
──
朱色を返す草原に、すれすれの平行軌道で騎航していた。
そこに、古来戦国の
速く動いた方が有利に決まっていると。
どのような理合いを学ぼうとも、微塵も揺らぎはしなかったから。
「────ッ」
「────っ」
白の上段は『織斑』が一夏。
右肩に担ぐは身の丈にあまる大太刀。鞘自体が肩部装甲に設えられた構造ゆえ、繰り出されるは抜刀術なり。
狙いはあからさま、一撃必断。
甲鉄同様に鞘も柄も白銀の拵えは、底冷えするような鋼の美しさを内に秘め、走る《正雪》の燐粉を雷光に昇華するかのごとく残像と伸びる。
最短速攻先手必勝。片翼の母衣が夕闇を切り、右辺合当理の内一本を爆轟させて、冷夏の雷火は冷え冷えと
そうとも、驚くべきことに一本。双発火箭のからくりにかかわらず、一つの着火のみでもって、一夏はこれだけの速度を出力していた。それは
そが仕手、織斑一夏。
こと騎航に関しては卓越する彼の才能があってこそ、この現状は成されるのだから。
山陰道織斑万冬正雪は言わずもがなの奇妙な拵えだ。
劔冑が翔飛を成立させる条件とは、つまるところ合当理と母衣の
それは当たり前の道理。すべてを満遍なく満たせる万能は成しえない。劔冑とはそれらの噛み合わせをかぎりなく、無駄なく掛け合わせ、それでいて一つの能力に特化する。その相互作用の理のなかで《正雪》が選んだのは速度と運動性なのだろう。ならば単発の着火でこの騎航も納得する──わけもなし。
ならば左右半々で合当理と母衣が分かれている《正雪》が、それを十全に活用せずに大気を掴める理屈はなかろう。
左に母衣をすべて集約、反対には合当理のすべて。それだけの
あり得ざるが、しかして高速。低空を疾駆する銀の雷光、織斑一夏。
つまり、ああなるほど。
篠ノ之箒の異常性をこれでもかと吐露したが、それと仕合う一夏でさえも、『そういう』輩に違いないのだろう。
そして結論づいたゆえに、一つの考えへ着地する。
つまり、二本目を噴射させればたちまちと速度が追加される──。
対して、その緋色。
その速度を前にして、篠ノ之箒は彼に劣る程度に遅かった。
それもそのはず。《正雪》は速度に特化し、どころかそれを意のままに駆る騎航の天才が御堂であるのだ。ならばこちらも最低でも、それと同条件でなければ等号を結べない理屈、ではない。
確かに《緋宵》は速度にも運動性にも特出しているわけではないが──その劔冑が
劔冑の戦闘において、だけだとは言わないが。
こと相手に損害を与える物理運動において、速度は理論上の計算式以上に絶対的である。
武芸者・科学者にとどまらず世間一般の民間においてさえ、いいやむしろわざわざ語るまもなく当たり前のことであるが。
運動量=質量×速度。
これは実に当然の話である。
ゆえに自動車などは加速度的に運動量が上昇するし、銃器などの弾丸は『その程度の質量』にかかわらず初速数百m/sという速度に後押しされて絶大な殺傷能力を誇る。武道の蹴りや殴打も同様。ちゃんとした構えから適切な
しかしその計算式ではおよびもつかない領域で、速度は優位性を発揮する。単純な道理だ。
相手より速ければ、先に攻撃できる。
相手の方が遅ければ、その攻撃は当たらない。
たとえ質量が劣ろうとも、こちらが一方的に行動できるのであれば、そも戦う・逃げるの選択だって可能となる。とどのつまり高速とは絶対的な交戦選択権であり、またあらゆる攻撃を破壊力に転化できる凶悪性を持つ。端的に劔冑が最強の兵器と謳われたのはその機動がこの世界の兵器いずれよりも勝っているからであり……まあもっともそれだけで決まらないからこそ、速度に特化した劔冑のみにならないわけだ。
が、とかく。重要であることには変わらず、この現状だ。
一夏が狙うは一撃での必断。一刀両断。
それは実に次の手が透けて見える浅はかさ具合なのだが、彼にかぎりそうはならない。
だってなにせ次の一手がわかろうとも。
対応できないほどに速いのであれば、避けも
しからば飛び出した現時点ですでに速度差が現れているというのは絶望的で、覆すのは容易ではない。容易だなんだのと言いはばかる前に、抜け道はない。が、だから無論に至極明快。
殺戮と鏖殺に耽溺する篠ノ之箒は常人ではなく純粋気のまま外道であり、ましてや『殺し』に美学だなんだのと虚けの御託を持ち込む陳腐さは備わっていない。あるがまま、思うがまま、そのままに邪悪だから。
元より抜け道を探す卑屈さは
だからようは、その首に王手がかかっているのは果たしてどちらなのかと言えるほどに、この速度差でさえ彼我を埋められない溝があるわけであり──。
悪鬼が劔冑、《緋宵》。
緋の中段が『篠ノ之』の箒。
腰溜め右に構えるは
居合いというには目を疑おう。そも、居合いの真髄は超速の抜刀であり、相手が迂闊にかかってこれない状況を生み出すことであり、また弛緩からの緊張をもってこそ最速の剣先を得るというものだ。居合い術と抜刀術の差異は割愛しても、こうも躍動的な剣は果たして『居』『合う』剣のだろうかと……しかしながらその驚愕を、驚嘆させる勢いで練成するが篠ノ之箒。
その高速のなかで、弛緩していた。
駆けて、飛んで、走って鏖殺欲に身を焦がされていようとも。
その刹那に脱力し、激突までコンマ一秒以下の
そうとも。天才とはなにも一夏だけではない。
篠ノ之箒とは早い話、剣術の天才であるのだから。
であれば狙うは後手必殺。
先人に与えられるが必勝なれば、彼女が欲しいのは必殺して殺害。
そして──二人の距離が零になる。
銀が走った。
上段。袈裟懸け振り下ろし。
織斑一夏が修練した
一見してただの袈裟懸けに思えるその一撃は、確かに袈裟に裂く点ではその通りだが、騎航の名を冠する上、劔冑ならではの
抜刀術の
敵よりも速く抜き放ち、放てるがゆえに速度は最速、しからば威力も最大位。それを上段でなすのだから、下手な理屈付けもなく大威力だ。が、ゆえに欠点、鞘を支えられない。
居合いの構えを思えばその通りで、刀を抜くときはもう片方の手で鞘を押さえなければいけないのだ。滑らかに剣を使うため、軌道を安定させるため、その他もろもろ。ゆえに中段の抜刀は片手であるが、代わりに弛緩+緊張の幅でもって最速を供給している。
言わずもがな上段打ちの魅力は重力を乗せられることであり、また両手で柄を握れるということ。両腕の筋肉から繰り出される
が、上段で両手で握っては鞘を触れない。
かといって片腕を鞘に回せば。両腕の筋力を使えない。
矛盾であり、なるほど。万能の型が剣術にないことを知らしめるが──それを克服するが『稲光』。
その抜刀の手前、合当理と母衣のバランスをあえて崩すことによって生まれる応力を肩部装甲で調節し、そこにある鞘を後方に引き戻すという荒業。つまり反動による鞘引き。
剣を『抜く』動作と鞘を『引く』動作の相乗により、二倍の速さで抜刀できる。その最速の上で重力+両腕の力を使えるといえば、その武威、語るまじ。
よって。
瞬きすら遅く刹那、
鞘が引き戻される。
高速域の残像が実像に押し潰される。
崩れた組み合わせはしかして甲冑が肩で収束し、両手に握る全開が、切っ先を黄昏に触れさせるも早く己が怨敵へと走っていた。
白が
白の閃光を雷火と振るい、目指す悪党その首晒せ──!
の、一瞬が直前。
それはいかに表せる現象か。
箒が握る攻撃的な居合い──それも
いや、単純に剣速のみを取り上げればむしろ箒の方に部が上がるほどであったが、一夏のその『稲光』。抜きと引きが組み合わさる抜刀速度には敵わない。
居合い術でも鞘引きは行うが、それでも刀身全体を引き出せるほどには戻せず、よって剣技が最高速になるまでほんの少し
しかし、それを凌駕する抜刀術、上段項『稲光』。
抜き放った相手の剣をあとから追い抜く居合い術が、そのままただの後手の剣と色褪せてしまい。
だというのにこの土壇場。箒の剣が一夏を越える──理解不能。
いやまさか。
これは実に道理である。
これぞ、《緋宵》が誇る陰義がゆえに。
──劔冑皆位のその四位、極伝。
真打劔冑の四段階。
それは劔冑と御堂の同調率であると言えば話は単調だが、実はそれほど安くもなく──省略。劔冑には段階があり、それを皆位と呼ぶ。それで十分。そして無論そうして段階わけするからに、上位の皆位劔冑には下位のものでは原則およばない。
その皆位。箒は頂点第四位・極伝。
一夏に至っては三位の奥伝だ。
にかかわらず有利を進めたのは『原則』というだけの話で、簡単なたとえ話をするなら、下位者の攻撃を一切躱さずに攻撃を浴び続けたら上位でも殺されるということ。そして戦場ではそう簡単ならないほど皆位の差は大きく、転じれば鬼殺しのように
しかし嵌め手は嵌ってこそ意味を成す。その条件は当たり前に複雑で、困難。
だから嵌らなければ容易に崩せる。ほれこの通りと、箒の今がそれである。
陰義。
真打劔冑が持ちうる能力であり、それは皆位が昇格するごとに変化する。
なにせ劔冑はそれ単体でなく仕手と合わせて意味あるもの。
御堂と劔冑の同調率がその位を左右するというのなら、陰義が御堂の心に、願いに、渇望に影響されるのは当たり前だろう。
箒が行使するはその二位・中伝。
いま言った通りの仕手と劔冑とで練成される陰義位階でなく、劔冑単体の祈りで成り立つ陰義の段。
その内容は『強者に打ち勝つ』という明快なもの。
具体的に言えば、自分が相手より劣っているなら相手より強くなる、というもの。
出鱈目のご都合主義。
相手がいかに強大だろうと粉砕する
もしかしたら弱き民を守る英雄の祈りだったのかもしれないが、ことここに至り、強者が強者を食らうがための絶対後手必殺の不当な法へと昇華した。
いかな才能も、努力も、すべての境地を笑う盗品の女王。
まさしくそんな鬼畜外道。
よってこの際に発するは速度の逆転現象。
速度で劣った。ゆえにそれより速く動こう。刹那を超える六徳に進化しよう。
そんな強大なものが容易に成り得るはずもなくて、代償に捧ぐは実に甚大。すべてに秀でた異端などあり得なくて、ならばそこに贄と差し出すはいかなる『胎』か──もっともこの現状では
とにかく事実、今現在。
箒の居合いの切っ先が、一夏の雷光を凌駕する。
篠ノ之流甲冑剣術“神無月”にて、『
居合いの構えのまま敵に突撃するという攻撃型の刃圏が、須臾を殺して甘く上塗る。
軌道半月、月の弦。清く麗しく半月が、その首目指して強行する!
この間まったく秒もない。一夏が先手を取って抜刀してから箒が追い抜くまで、一秒すらもかかっていない。なのに後手の必殺が約束され、さすれば最初の一合のみが命運を分かつ。
誰が言ったか言わないか。達人の勝負は一瞬だと。
よもや少年の戯言のような理論に二人の武芸者が押し嵌められて、とは
この絶望におよんで、窮地におよんで、積み上げてきた輝かしいものを片手間程度にドブ水に浸せる悪意に凌駕させられて、未だに。それでも未だに図らずと雷光は淀まない。
なぜか? 勇気、熱意、決意? いいやちんけなそうじゃない。
だってだって織斑一夏は、『そう』じゃない。
ならばそれでも折れずに高速を断行するは、ただただ確信があるからなのだ。
そうだ思い出せ。
織斑一夏は、未だ合当理を温存していただろう──!
翻る速度優位。
雷光を凌駕する半月円弧。
その因果逆転さえも淘汰して、二発目の合当理が爆轟する。
そうとも一夏は知っていた。篠ノ之箒、その《緋宵》。悪鬼が劔冑のその機構、あらゆる武芸の積み重ねを
腹の奥の奥、人間に大切ななにかを司る臓器がひしゃげる感覚がする。人体に必要な
鉄火場火の国その直前、ついに織斑一夏がその《正雪》。
それが速度の最高位が出力される──が、それでも《緋宵》の法則は絶対なりし。
二本目の推力増進で抜刀速度を上げてなおと、それすら嘲ってより速くなる。強弱反転、大番狂わせの逆転外法。
ああ無情なり。織斑一夏の秘策でさえ、
篠ノ之箒の速度が上がっていない。
そう。
陰義とは熱量を消費して行使される超常能力。
人間を駆動させる生命エネルギー、それに直下で繋がるカロリーを転換してことをなすのだ。無論、陰義の特性・練度によって差異こそ生まれるが、ご察しのご多聞に漏れず強力な陰義ほど熱量損失は多大なり。
篠ノ之箒熱量不足、じゃあなかった。
熱量が足りない、なんてことが生命に起これば詰まるとこ『死』だ。
が、陰義こそ発動してないが篠ノ之箒の生命は強健だ。かといって織斑一夏が合当理以外の妙手を行使したわけでもない。ならば導き出されるは武術が道理の根幹が一。
────呼吸。
この一瞬。
ただの一息、たったそれだけ。
体内に満ちる
考えれば至極明快、武術の練気とは呼吸と精神の波長合わせ。必要な酸素を練り合わせた『気』の伝達、発気の発現をもって技巧を成す。それがための、たったそれを行えるだけの呼吸。拳一つ分の大気が肺腑に足りていなかった。
代償はともあれまだ捧げていないといえ、陰義である以上箒とて熱量を消費しており、さすれば同時に肺胞の空気を転化せずにはいられない。しかもこれだけ出鱈目な能力だ……極伝位の行使でないといえ、失った酸素は想像を絶す。ゆえに。
ゆえに。
「────ぃ」
「────ぁ」
ついに速度が拮抗する。
最悪外道の法理において、聖なる殺意が破魔の原理に結実する。
ともすれば阿頼耶のただ一息。
盛大までに思考を燃やして、たった一刀がために無呼吸のなかで拍動する。
一年二天騎航剣術・上段項『稲光』。
篠ノ之甲冑剣術“神無月”にて『柊木犀』。
ともに稀代の
戦場に咲く益荒男のなんたるか、誇る武威のなんたるか。そこにふんだんの才気を巡らせ、願う先手の必勝に、相打つ後手の必殺に
相手が死骸の晒し首をひた求め、
しからば、その刃の行く末や────。
補足1
劔冑皆位の構成は初伝・中伝・奥伝・極伝の四段です。