青春とは嘘である。
と言い放っていた高校時代を羨む今日この頃。
「今日、新しい子が来るらしいよ!」
「へぇ〜! そうなんだ!」
エレベーターの液晶画面の階数を見つめながら過去に思いを馳せているのは、ただ俺がメランコリーな人間だからというだけではない。
今、目の前で盛り上がっている事務員さん2人の会話には一切関心がないという意思表示でもある。
「おぉ、本牧君、おはよう」
「部長、おはようございます! 今日もお若くきまってますね!」
どうやら物思いに耽っている間に、俺とは別部署の部長が入ってきたようだった。何度か見たことはあるが確かに最低年齢を考えると若々しくはある。
「ははっ、そうかな、今日もよろしく」
「はい、よろしくお願いします!」
何やら雰囲気が良い感じだったが、部長が先に降りた途端、
「あの人、マキにめっちゃ色目使ってない!」
「ねぇ! あの人、仕事中もチラチラ見てくるし……! 本当困る……!」
……先に「きまってます」とか言ってたのはあなたの方ですよね。そりゃ、部長もあんなコミュニケーションされたら男だから多少勘違いするでしょ。
目撃証言バッチリですよ。まぁ、俺の方が偽証を疑われるまであるか。
というように、
お世辞の応酬、止まない陰口、さらに深い部分では権力を求める方々の陰湿な社内政治。
物語の中でしか見たことがなかったが、現実では想像以上に色々な思惑が、この会社という社会には渦巻いている。
「でさ、あの人さ、めっちゃよくない噂もあって……!」
おっと、さらに過激な陰口を言い始めたが、良いんですか? まだ僕残ってますよ。ここに。
──今、働いてる会社は、印刷会社だ。いわゆる紙を刷る場所というイメージがあるかもしれないが、紙の本の衰退に伴い印刷ノウハウを活かした多角的な事業を展開している。
事実、俺も教育ビジネス部という、学校教育に関わることをやっている訳だが。
社会人生活も3年目、慣れだけではなく自分がどういうポジションなのか確立され始める時期でもある。
出世欲と将来へのビジョンが特にない俺は、いわゆる体育会系のガツガツでブイブイ言わせるわけではなく、波風立てずに仕事をこなす縁の下の力持ちの道を選んだという訳だ。これは自分の能力に基づいた選択であって、決して人付き合いが苦手とかそんなことではない。
「はーい、みんな、注目よ〜! 世界中の誰よりもアタシのこと見てね〜」
デスクに着いて始業の準備をしていると、我が部のハイテンションなオネエさん部長・生麦さんが、いつも以上にテンション高く呼びかけたことで、一斉にその場の視線は部長と隣の人物に集まった。
「揃ったわね〜、はい、じゃあ挨拶、よろしくね!」
「川崎沙希です。事務として働かせていただきます。よろしくお願いします」
なるほど、川何とかさんね。懐かしい響きだ。
…………
「川崎っ……!?」
ガバッと立ち上がると、当然衆目の視線は俺に集まる。ただ俺の視線は彼女に注がれる。
いや、そのまさかだよな。
「……え? 川崎さん、比企谷くんと知り合いなの」
「いや、違います」
やや喰い気味の一言で、俺への視線は蔑視へとすり替わった。
「あぁ、すいません。人違いでした、ははは」
こう言う時は謝って、少し笑って、ささっと退散して、ダメージを減らす。いわゆる処世術である。確実にダメージは残るんですけどね。
また周りの人達の興味関心が彼女に戻った後に、改めてデスクから彼女の顔をまじまじと見る。
「どこ出身なんだっけ〜‼︎」
「千葉県です」
「やだ〜! 私もよ〜!」
どこか雪ノ下雪乃を彷彿とさせるように髪の毛を下ろし凛とした佇まいこそ昔のイメージとは違うものの、少し釣り上がった目や、端正な顔立ち、またスーツ越しでもわかる抜群のスタイルの良さは高校の頃のままである。
間違いない、高校時代の同級生、川崎沙希だ。
話にも出たように事務として働くようで、さっきの人たちが言ってたのは川崎のことだったのかと合点した。
とはいえ、高校の同級生と、しかもそこそこ関わりがあった人と職場が同じになるというのは、
「気まずいな……」
というわけで善は急げ。関係性が明るみになる前に口裏を合わせておく必要もあるだろう。
机の上に書類やらなにやらを黙々と整理している川崎に声をかける。
「お、お久しぶりです」
「……何かご用件ですか?」
片手間の返事に早速心が折れかける。
とはいえ、若干目付きの悪い感じや、無愛想さや、ツンと刺すような無愛想さや、業物のような無愛想さは、記憶の中の川崎沙希であり、変わらないことは非常に喜ばしい。
「……何かご用件は?」
「いや、なんでもないです」
ファーストアタックは失敗だ。
席に引き返そうすると、急に腕を掴まれて、
「へっ?」
「こちら落とされましたよ」
「は、何にも、いぎっ⁉︎」
掌にありえない力で、ねじ込まれたのは一片の紙だった。
『昼休み。屋上で待ってる』
デスクに戻って開くと、そこにはあまりにも強い筆致で描かれている。なにこれ果たし状?
と訝しんでいるのも束の間、仕事の波はどんどん押し寄せてきて、気がつけば12時少し過ぎ、昼休み時間だ。
知ってか知らずか、屋上というボッチ社会人貴族のベストプレイスに呼び付けられたので、昼飯を買って向かうと、川何とかさんは既にそこにいた。
フェンスに腕を置く姿はやけに様になる。
そうか、あなたもこちら側だったね。
「……遅い」
「はい、すいません」
聞かせたいよ。何度も何度も重役出勤していた過去のあなたに聞かせたいよ。
「何でアンタがここにいるの……?」
「うーん、厳密に言わなくても、それは俺のセリフというか」
「……じゃあ、たまたま、ってこと」
「えぇ、間違いなく」
ふーんと、少しバツが悪そうにする川崎を見て、そこまで望まない再会なのかと気落ちもする。
「それで、あの……」
「大丈夫。釘刺さんでも、俺はお前に密に関わんねぇよ。高校時代の同級生ってことも秘密にしておく」
「いや、えと、別にそういう訳じゃないんだけど」
「ん、じゃあ、どういうことだ」
川崎は顔を伏せって、ところどころつっかえる感じで、
「その、久しぶりに会ったから、なに話せばいいか分かんなくて」
「確かにそうだな」
「その、さっきはごめん。ちょっと驚きすぎちゃってて」
なるほど。あのけんもほろろの対応は、俺以上にテンパってたという事の証左らしい。こういう不器用なところもどうやら変わらなくて一安心である。
「全然気にしてないから大丈夫だ」
「ん、ありがとう」
確かに川崎に会うのは高校の卒業式以来である。卒業後の川崎のことについては我が敬愛なる妹・小町が、川崎の愚弟・大志から聞いた話を専ら聞いていた。
第一志望の国公立に入学した後、家計を支えるためバイト漬けで過ごしていたと言うことも。
しかし愚弟と小町が大学に入学した途端、そもそも愚弟の話を聞くことがなくなり、それすなわち川崎の話を聞くこともなってしまったのだ。愚弟にはわずかばかりの同情を抱かざるを得ない……。
つまり、今社会人3年目と考えるとこうして顔を合わせたのは実に7年ぶりであるのだ。
「……まぁ、募る話はありそうだが、ちょっと片付けなきゃいけない仕事があるから、もう戻るわ。悪りぃな」
「あ、いや、全然、うん」
と言って、その日は別れたものの、中々話す時間を取れなくなるのが社会人になったということ。
一個大きな商談があり、そこに向けての準備やら何やらで、みるみる時間が溶けていった。本当にあっという間に。
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数日経つと、川崎はいつの間にか弊社男性社員の話題の中心となっていた。
曰く俺が属する課に信じられない美人が入ってきたとのことで、
「やばくね!? まじで可愛すぎね!?」
「すごいな……、てか胸デカっ」
別部署の輩がチラチラと様子を観に来ては、その美貌とプロポーションにあまりにも直球に、ただし当人には気づかれないように言及する訳だ。
まぁ、確かに一歩踏み込んだコミュニケーションさえ取りさえしなければ、無愛想という化けの皮は剥がれまい。完全無欠の高嶺の花ではないか。
……すみません。シックスセンスか何か知らないですけど、こっち睨め付けてこないで。
でも、そういうところですよ、川なんとかさん。
とりあえず仕事を始めよう。やらなければいけないことがいっぱいあるからな。
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会社に川崎が来てから一週間が経とうというところだった。相変わらず時の流れは早い。
「お、おはようございます、
「はい、おはようございます、
結局、川崎とは挨拶を交わす程度で、碌に会話をせずに過ごしていた。
もとより高校の時も頻繁に話す仲では無かったし、特に共通の趣味もないもんだから、このように落ち着くのは当然と言えば当然なのかもしれない。強いて言えば、小町と大志のことかもしれないが、先ほどの通りもうあまり交流もないようなので、2人についても話すこともなかろう。
「……やべ、資料置いてきたか」
昼休みを終えて会議室に向かっていたが、資料忘れた事に気づき、部署に戻っていると途中で、顔を知っている男女が廊下で話している。
川崎と、ちょうど一週間前に可哀想にディスられていた若々しい別部署の部長だ。
とはいえ、川崎はもう別部署の部署と話す関係なのか……とあまりにも社内政治に迎合している様子に少々負けたような感覚に陥っていたのだが、
「ちょうど欠員が出てね、せっかくならキミの歓迎会にしようかなと思って、どうかな?」
「すいません。本日予定があって参加できそうにないです」
「えぇ、そんなこと言わずにさ」
きちんと目を合わせながらも、明らかに拒否する川崎。しかし、食い下がる部長。
なるほど、先ほどの仮定は大きく間違っていたらしい。しかも、相当厄介なようだ。
『あの人、新入社員の子に、飲み会誘って、しつこいんだって……! 自分が部長に昇進した途端に!』
あの時の本牧埠頭さんが言ってたことは、間違いではなかったのか。良い事とは思ってはいないが、彼女の環境を思うと少し同情できてしまう。
「いや、結構です」
「まぁ、そんなこと言わずに。皆んなも楽しみにしてるからさ」
まだまだ、勧誘は止む様子はない。別に自分一人が望んではないと言葉を取り繕って、表情は爽やかな笑顔を保って、着実に相手が弱るのを待っている。
川崎も毅然な対応で接してはいるが、これは流石に、
「あのー、すいません」
素通りできるはずはなかった。
「教育ビジネス部の比企谷です」
「何だねキミ。僕は今、川崎さんと話をしているんだけど」
断りと、丁寧に穏やかに腰を低くして、接する。営業先の方と話す時のように。
「あー、その実は川崎さんと同じ部署でして、あの、ちょうど今日彼女と約束してたんですよ、歓迎会の」
「……!」
俺が今から行おうとしている事に気付いたのか、部長は何も言い返してこなかった。
「後、余計なお世話かもしれないですが、今のご時世、別部署の新人をいきなり飲み会に誘うのも良くないのではないかと思ってしまいます。実は僕たちが高校の同級生で、それで個人的にやろうってことになったので。ウチの部署でもまだ気を遣って歓迎会やってないんですよ」
俺の突貫理論が効いたのか、表情は大きく崩さないが手入れのされた眉が少し眉間に寄っている。流石にこの場面で彼に大立ち回りはできない。
「そ、そうだね。以後気をつけるよ。ありがとう、その何だっけな、キミの部署と名前は」
「……教育ビジネス部の比企谷です」
「そうか、ご忠告どうもありがとうね。以後気をつけるよ。では引き続き業務の方を頼むよ」
余裕の表情が翳りを見せる中でも、しっかり俺の部署と名前をわざとらしく抑え、部長とやらは足早に戻って行った。
よう分からんが、人事に影響はあるのかもしれない。まさか令和の世に許されるはずがないのではあるが。
ただ、まぁ、不思議と悪い気分では無かった。
「……その比企谷!」
「社内では比企谷さんな……、げっ! もうこんな時間かよ。すまん、また後で!」
川崎と話す時はこんなのばっかな気がするが、これは社会人としては致し方ない。
俺は忘れた資料を急いで取りに戻った。
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都会の水平線が見える屋上は、夕焼け空の下でも変わらない居心地を提供してくれる。
粗方仕事を片付けた俺と川崎で、また初日のように話し始めた。
「さっきは、その、ありがと……」
「ま、気にすんな。というかあるんだな今時、あぁいうの。ほれ」
「何それ」
「何って、マッ缶だよ。あれ千葉県民でしょ?」
「……それは分かるけど、くれるの?」
困惑気味の川崎に初めて会った日の意趣返しでもあるかのように、敢えて柔らかくソフトに置かせていただく。
「ほら、さっき今日やるって言っちゃっただろ。あなたの歓迎会。ただ新人を夜遅くまで飲みに連れてはいけないから、こうやってささやかな歓迎会を開かせてもらいます」
「ふふっ、アンタ気が利くね」
「へっ、こんなんでも社会人3年目なもんで」
乾杯と、言葉を交わし、一口付ける。
この甘ったるい感じは、社会に出た後も身に染みた。苦い経験も結構したもんだが、それをすっと腹の底へと流し込んでくれる。
「まぁ、なんだ美人ってのも苦労すんのな」
「び、美人って……」
「事実、こんなことになってんだろ。すげぇよ、お前の人気」
「……普通に迷惑なだけだよ」
その言葉はやや冷たい気がしたが、あんだけ騒がれてしまってはそうなるのも当然かもしれない。というよりも俺の知らない数年間で何かあったのでは、とすら思わせてしまうような重みがあった。
「……ま、というわけで、何だ、いつでも困ったら呼んでくれ。男除けぐらいにはなるだろうからな」
「えっ……!」
その臭い台詞は予想外だったのか、俺の顔を見て目を丸くする。
「う、うん、お願いする」
「よし、じゃあそろそろ終業時間だしデスクに戻って帰る準備するか。先行ってるわ」
沈む夕日を背に受けて去っていく。なんかきまりすぎてるな今日の俺。人生史上一番かっこいいまであるぞ。
「ひ、比企谷っ……!」
「ひゃい!」
肩を叩かれて情けない声が出る俺氏。人生史上一番情けないまである。せっかくカッコいい感じで終われたのに!
「そ、その、困った時、呼ぶ、呼びたいから!」
手の内のスマホ、そこには友達追加用のQRコードが載っている。
「だから、その、連絡先交換しときたいん、だけど、っ!」
この辿々しさは何だか中学生の時の俺を思い出す。ただあの後に晒されるハメになった嫌なところまで思い出したが。
しかし幸運なことに、不幸の連鎖をここで断ち切るタイプの俺が、そんなことはしない。
だからこそ、こう答える
「おう、俺もそう思ってた」
「……ありがとっ!」
分かりやすく晴れやかになる川崎の顔。どうやら俺の選択は間違っていなかったようだ。
▼▼▼▼▼▼▼
「ふ〜、ただいま……」
寿司詰めの電車に揺られ、疲労困憊で一人暮らしの自宅に帰ると、少し前にメッセージが一通入っていた。
『これからよろしく』
相変わらずの兄弟愛が溢れるアイコンと一文添えられたメッセージの味気なさの温度差に思わず笑みが溢れる。これなら、他社向けのお誂え向きの仰々しいお世辞などではなく。
『よろしくな』
これでいいだろう。