ファンタジア・レコード ~phant'asia-re'code~ (仮版) 作:明日田錬武
闇。混じり気のない真っ黒な闇が目の前に広がっていた。右を見て、左を見る。上を見て、下を見る。どこを見ても何も変わらない。延々と黒が続いていた。
不意に、その黒の中に淡い光が見えた。それはだんだんと強く、大きく、明るくなり、やがて全てを呑み込む。思わず目をつぶった。
何かがパチパチと弾ける音。鼻を刺激する焦げ臭さ。そして、人々の悲鳴。目を開けたのなら、きっとそこには地獄が映るはず。だから、目を閉じたままいた。しかし。
「父さん!」
聞こえてしまった。聞きたくなかった。そうか、やはりここは……
「父さん! 今、助ける、から!」
やめておけ。よしておけ。お前には無理だ。お前には出来ない。お前には助けられない。
「ブ、レン…… 逃げ、なさい……!」
「でも父さんが!」
幼い声と絶え絶えな大人の声。止まってくれ。聞きたくない。
「お前に、これを……」
じゃらりと何かが擦れる音。恐らくはチェーンのようなもの。いや、本当はわかってる。あれは、形見だ。
「これの中に…… お前を、助けるものが……」
「これ、父さんの大事な!」
「行くんだッ!」
声と共に、突風が吹いた。幼い声が叫びと共に遠ざかっていく。
そして、来てしまう。あの瞬間が。
「父さん!!」
直後、耳を貫くような爆発音が鳴り響いた。
「ああああッ!!!」
絶叫と共にブレンはベッドの上で跳ね上がる。そのまま数秒ガクガクと全身を痙攣させ、ハッと意識を取り戻した。全身に酷く汗をかき、肩でするほどに息が切れている。
「……クソッ」
横になったまま深呼吸をし、上体を起こす。ズキズキと痛む頭に片手を添え、ため息を一つ。これも体調不良の影響だろう。ドクターめ。
「久々に見ちまったよ……何時だ?」
枕元に置いてある時計に目をやると、今は午後四時。ベッドに横になったのは三時半で、まだ三十分しか経ってない。けれども睡眠は十分だ。眠気無し。ただ少し憂鬱。
「どうしたもんか……」
このままベッドに乗っていてもらちがあかない。そう考えて、ブレンはとりあえず床に足を着けた。
そのまま立ち上がり、どこかふらつきながら部屋を歩いて洗面台の前へ。鏡を見ると、そこには暗い顔つきの青年が一人。手入れなんてしてなさそうなボサボサの髪は、前髪の一部が金色に染まっている。
「あー、老けたかな、こりゃ」
頬に手をやった時、首元でじゃらりと音がした。視線を下げて見ると、それは、チェーンに繋がれた古いメモリメディアだ。ブレンは肩から背にかけての辺りに、重いものがのしかかる感覚を得る。
「……父さん」
先程の悪夢を否が応でも連想させる。いや、悪夢ではない。あれは過去の現実だ。決して逃れることの出来ない事実。
「俺、間違ってないんだよな。父さん」
天国か、地獄か、あるいはその辺か、はたまたあの場所か。でも、必ずどこかにいるであろう父親に、ブレンは問いかける。
「……ああ、止め止め。辛気くせぇのは止めだ」
そう言ってブレンは自らの頬をパンパンと叩く。暗い話はよそう。気分を変えるため、彼はまた出歩くことにした。
自室を出て数歩、そういえば鍵は閉めたか、と不安になるがどうせ盗まれるものもないしよいか、と開き直ってズカズカと廊下を進んだ。
すれ違う団員や孤児たちに「よっ」と挨拶すれば、相手からも「こんにちはブレンさん!」と返ってくる。そうだ、これが今の自分の家族。過去を忘れるつもりではないが今だけは、目を反らしたい。
そうやってあてもなく歩き回っていたブレンだが、ふとルアンとの会話を思い出した。
「そういや、そろそろ入団試験か。ってことは」
ブレンはホームの出口へと向かい、そして外へと出て隣の敷地を目指した。途中、あのラボの前を横切る際に「がっはっはっ!」と豪怪な笑い声が中から聞こえてきたが、彼はつとめて無視する。
開けた場所に着き、ブレンは足を止める。そこは辺りをフェンスに囲まれたオルフェンズの訓練場。元は学校の校庭だったらしい。彼が中に入ると、遠くに人影が見えた。
近づくにつれ、それがどうやらランニングをしている集団だと分かった。先頭は若い男が走っていて、その後ろにまだ幼い子供たちが付いて回る。
「ほらっ! ラスト一週だ! これが終われば休憩だぞ!」
そう男が声をかけると「はいっ!」と子供たちが返す。しかし、一体どれくらい走っているのか。男はともかく、子供たちの服は汗でぐっしょりと濡れていた。
「副団長」
ブレンは集団が前を横切るタイミングで先頭の男に声をかけた。男は足を止め、続いて子供たちが止まっていき、中にはそのままバタリと倒れる子も。
「ブレンか。お前たち! 途中だが、今日はこの辺にしておこう! 各自シャワーを浴びて、夕飯の準備に向かってくれ!」
またも子供たちは「はいっ!」と元気な声で返し、バラバラとまばらに散っていく。倒れた子も、他の子に肩を担がれながら帰っていった。
「副団長、少しシゴキすぎでは? 中にはまだ十にもなってないヤツも混じってるんでしょう?」
すると男はブレンに手を伸ばし、ピッと人差し指を指した。
「副団長、ってのは確かに合ってるが、お前ほどのやつならパトリックって呼んでくれよ」
そう男――パトリックは言ったが、ブレンはそれにやや抵抗があった。アルザールは別だが、やはり上のものにはそれなりの態度をするべきという考えがあったからだ。
「副だ…… パトリック、いくら試験が近いからって厳しすぎじゃないですか? 前々からこんなんしては、志願者減りますよ?」
ブレンの言っていることは正しい。あんな幼い子にこれほどの訓練を施すのは、やや過剰だ。現に倒れた子もいる。しかし、それに返すパトリックの言葉もまた、正しかった。
「志願者が減るってことは、傭兵にせずに済むってことだろ? ……お前、まさか子供たちを傭兵に進んでしたいのか?」
ブレンは何も返せなかった。無論、子供たちを傭兵に仕立てたいわけではない。しかし、素直な話、では他にどうするのか、ブレンに答えはなかった。
「……何も言わないからといって、肯定しているなどとはいわない。お前たち初期組に負担をかけさせて申し訳ないと思う。だが、出来るならこれ以上孤児を傭兵にしたくはない。仲間が、家族が死ぬかもしれない。戦いに送ればな。だからこそ、厳しくするんだ。たとえ傭兵になっても生き残れるように」
パトリックの目が真っ直ぐにブレンをさす。それに対し、ブレンはばつが悪そうに顔を反らした。
「だから俺たちエクスソルジャーが倍以上稼げばいい話なんだがな。もうしわけない、副…… パトリック」
「俺みたいな普通の人間だって、もっと働かなくてはな。だが、言い訳じゃないが、実働だけが組織運営じゃないんだ」
二人の間に重い空気が漂う。息が詰まるその場を破ったのは幼い声だった。
「ブレン、さん?」
呼び声の方を見れば、そこには一人の男の子がいた。その子をブレンは見たことがない。つまり。
「お前、新入りか」
「ああ、そいつは先日俺が保護した。……ヤルタとアヴァランチの戦場で、親の亡骸のそばで泣いていたのを、無理やり連れてきた。ちょうどお前がニューラに行ってる間のことだ」
パトリックはその子のそばに歩み寄り、屈んで頭を撫でる。ブレンにはわかる、この子は俺と同じ。それにしても、何故ブレンの名を知っていたのか。
「お前、なんで俺を知ってんだ? ははっ、俺ってそんなに有名?」
少しふざけてみせる。この子は今、あまりにも悲しみに満ちている。それを僅かでもかき消せたら。そんなことを思ってだ。
「みんなが、言ってた。すごい人だって。ねぇ、ブレンさん。お願いしても、いい?」
ブレンもまた、屈んで目線を合わせる。何が頼みたいのか。
「おう、なんだ? 言ってみろよ」
「……悪いやつら、みんなやっつけてよ」
その言葉に、ブレンは胸を串刺しにされる。
「せんそうをやってるやつら、みんなやっつけてよ。だって、だって! ぼくもパパもママも、なんにも悪いことしてないのに……!」
男の子はいつの間にかその目から涙を滲ませ、声を震わせ、心からの願いをブレンに打ち明けた。
「ぼく、ちゃんとピーマンも食べたのに! ゲームも時間で止めたのに! パパとママが言ってたとおりにひなんじょでもお利口さんにしてたのに! なのに…… パパ…… ママァ……!!」
ブレンは、気がついたら男の子を抱き締めていた。強く、けれど痛くないように、限界まで気を遣って抱き締めていた。
「怖かったな。悲しかったな。もう、大丈夫だ。安心しろ。俺が、お前たちを守ってやる」
その言葉には、どこまでも嘘偽りはなかった。
「グスッ、ぼく、弱虫だから。ようへいにはなれないけど、他のみんなはなれるようにがんばるって。ブレンさん、みんなも、守ってね」
「ああ、守ってやる。……約束だ」
約束。出来るわけもないのに。自分のいないところでは何も出来ないのに。それでも、ブレンは約束をしてしまった。
ゆえに、約束は破られるのだ。