ファンタジア・レコード ~phant'asia-re'code~ (仮版) 作:明日田錬武
見慣れた廊下。コンクリートに軽く白色の塗装をしただけの簡素な建築だが、先日行ったニューラ7バンチの市役所と比べれば遥かにマシだ。少なくとも塗装の剥げも、ひび割れもない。ただ少しだけ目につくのは、落書きだ。それもまあ、ここのチビたちが描いたと思えば微笑ましい。
うーん、と背を伸ばしながらブレンはカツカツと廊下を進む。やはり、ホームは居心地がいい。仕事柄仕方ないとはいえ、あの市役所みたいなところにはどうも慣れない。すると。
「あ、ブレンさん! おかえり! どうだった? 敵いっぱい倒した?」
廊下の端にペンを片手に持った小さな芸術家がいた。丁度創作の最中だったらしい。壁には描きかけの……なんだこれは。
「おうただいま。敵はまあ、そこそこ倒したぜ。……って、また落書きしてんのか? 今度は何描い……何、これ?」
その子が描いていたのは、頭上に尖った耳が二つあり、膨らんだ頬から左右に数本の長い毛を持ち、そして目が独特な縦長の黒目となっている奇怪な生物の似顔絵だった。なんだこれは。
「ふふん、さて、何描いてるでしょーか?」
「うーん…… 新種のマルス?」
「違うよぉ!」
その子は頬を膨らませて不機嫌そうに腕を組んだ。間違ったようだ。確かにかなり適当に答えはしたが、ブレンは実際、この生物が何か知らない。
「ははっ。で、なんなんだこれ?」
ブレンにそう聞かれ、その子は満足げに鼻をフスッと鳴らした。
「これは『猫』っていう生き物だよ。チキュウにいるんだって! このまえ勉強中にライブラリで観たんだ。可愛かったんだぁ……」
なるほど、チキュウの生き物だったのか。それならブレンが分からないのも仕方があるまい。彼はそういうのにあまり興味が無いからだ。
「ふーん、チキュウか。ご先祖たちは連れてこなかったんか。そんなに可愛いならなんで乗せてこなかったんだろうな?」
「食べ物の好き嫌いすごすぎたんじゃない? 魚しか食べなかったんだって」
「なるほど。それなら確かに」
納得だ。魚は一度繁殖に成功すればその後も安定して増えるが、そもそも生育環境である特殊比率の塩水の配合がネックになる。わずか0.1パーセントの塩の誤差で大きく影響を受けるらしい。故に養殖ものは高級だ。ブレンは培養魚肉しか食べたことがない。魚しか食べないのなら、連れてはこれなかったのも仕方があるまい。
「でも見てみたいなぁ。ふわふわで、『ニャー』って鳴くんだって!」
「そりゃ変わった鳴き声だな…… おっと、そうだそうだ。わりぃ、アルザールに依頼の報告をしなきゃだったわ。そろそろ行くな?」
「じゃあねブレンさん! 今度また話聞かせてね!」
ブレンはその子の後ろを通りすぎ、後ろ手に手を振ってその場を後にした。
あの子は、戦争孤児だ。保護されたのは確か数ヶ月前。ここに来たばかりの頃は何もせず、ただ静かに座っているだけだったのでああやって元気な姿を見るとホッとする。しかし、願わくばそもそもこんなところに来ること無くいられたのなら、それがもっとも良かったのだが。
廊下をしばし進み、奥に赤い扉が見えてきた。特に装飾など無く、ただ「団長室」という張り紙だけがされている。ブレンはそのドアノブに手を掛けた。
「入るぞアルザール」
ノブをひねり、開け放って中へと入る。そこはこれまた質素な内装の部屋だ。普通、傭兵団の団長室というと、壁に武器がかかっているとか、酒瓶が転がってるとか、そういうのをイメージするがここは真逆といってもいいほどおとなしい雰囲気だ。部屋の奥では執務机に向き合い、パソコンとにらめっこしている男が一人。
「おい、ニューラ7バンチの報告に来たぜ」
「ん? ああ、ブレンか。悪いな、ちと待ってくれ」
この男こそ、エクスソルジャー五人を抱え、戦争孤児の保護も進めるオルフェンズの団長。アルザール・ガモフだ。トレードマークは逆立った灰色の短髪とバンダナ。
「良いけどよ。なんだ、また問題か?」
ブレンは執務机の端に腰掛け、アルザールのパソコンを覗く。画面には細かな数字がいくつも並び、彼は内容を読み取るのを諦めた。
「今月もまた赤字気味でな。……ヴァイス部隊の台数を減らすか?」
「おいおい、そんなことするくれぇなら俺らエクスソルジャーの食費でも何でも削りゃあいいだろ? エクスソルジャーは岩でも鉄屑でも腹は膨れるんだぜ? それに、ルアンがどう思うかよ」
ブレンは物静かなルアンの顔を思い浮かべる。彼はオルフェンズのヴァイス部隊長で、ブレンらと同じく戦争孤児だった。おそらく、部隊の削減を言われてもルアンは文句は言わないだろうがその真意は、といわれたならば必ずしも同じとはいえないだろう。
「……なあ、一番何に経費食ってんのか、もう分かってんだろ。じゃあさ――」
「おい」
ブレンが何かを言おうとしたのを遮り、アルザールの低い声が部屋に響く。静かな威圧感というやつだ。思わず萎縮する。
「まさか、孤児関連経費を抑えろ、とかいいだすんじゃねぇよな? ……忘れるなよブレン。俺たちはあくまでも本業がそっちだ。傭兵業は仕方なく、だ。こんなご時世でもなきゃ、大規模プラントでも作ってみんなで農業でもしたいくらいだ」
ブレンはこの言葉の矛盾がすぐにわかった。孤児の保護が必要なのは、戦争が起きているから。故に傭兵業でもしなくてはやっていけない。だが、戦争がなければ、ここはそもそも存在しなかった。傭兵業をしたくないが、それが必要な世でなければここはない。しかし、この矛盾を彼は口にはしなかった。
「……悪かったよ。俺の頭じゃ金の流れはわかんねぇ。任せるよ」
ブレンがそういい終えると同時に、アルザールはエンターキーをタンッと押した。どうやら作業が終わったようだ。
「ああ、任せてくれ。って大きい声で言えるほど、余裕はないがな。で、どうだった。依頼は?」
本題に入り、ブレンは机から降りてアルザールの前に立つ。親しげに話しているとはいえ、団員と団長の間だ。こういう時は少しでも形式的にならなくては。
「ニューラ7バンチ市役所からの依頼は、郊外のマルスコロニー殲滅。俺はそれを完了させた。向こうへの報告は終わってる。そろそろ二十五万くらい入ってるはずだ」
アルザールは机に前のめりになり、眉間に指を置く。考えている時の彼の癖だ。
「そうか。二十五、か。無いよりはマシだな」
「交渉ふっかけてこれだったんだ。善戦はしたさ」
「いや、別に責めているつもりはない。言い方が悪かったな、スマン。で、他には何か報告事項はあったか?」
「他? そうだな……」
すると、ブレンの脳裏にあの仮面の男のことがよぎる。しかし、別に特別報告する必要もないだろう。あれは、実は疲れてたせいで見た幻覚と幻聴だったのかも。
「特に、ねぇな」
「そうか。じゃあ下がって…… あ」
アルザールは指をピンッと鳴らしてブレンを指差す。これもまた、彼の癖の一つだ。
「ドクターがお前を探してた。後でラボに寄ってくれ」
「えぇ、ドクター?」
ブレンはあからさまに嫌そうな顔をする。ドクターは正直、苦手だ。とはいえ、無視するわけにもいかない。しぶしぶ従うことにしよう。
「りょーかい……」
少しだけ肩を落として、ブレンは団長室をあとにした。