ファンタジア・レコード ~phant'asia-re'code~ (仮版) 作:明日田錬武
団長室を出て廊下を進む。窓から外を見ると空模様はいつの間にか薄暗くなってきていた。予報では晴れのはずだったが。あてにならんな。
「気分が落ち込んでる時に、こうやって天気まで落ち込まれるとまいっちまうよなぁ……」
あのラボへと行くことを思うと、否が応でも気分は下がる。申し訳ないが、あそこは嫌いだ。それでも行かないわけにはいかない。ブレンは重い足取りで廊下を進んだ。
いくつかのドアを通りすぎ、何人かのはしゃぐ子供らとすれ違い、やがて本部の出口にたどり着く。ラボは別館なのだ。気だるそうにドアノブに手をかけたその時、ブレンは後ろから声をかけられた。
「お、帰ってたのか」
振り返るとそこにいたのは大男。ボウズ寸前の短い黒髪に角張った顔つき。がっしりとした体型は見るからに「自分はパワー型です」といわんばかりの主張だ。
「おう、ただいま」
彼の名は勇平・ランドール。ブレンと同じ、オルフェンズのエクスソルジャーだ。そして何を隠そう、彼こそがエクスソルジャー部隊一番、つまりこの世界で初めてエクスソルジャーになった人物でもある。
「どうだった。依頼の方は」
「別にどうってことなかったぜ? コロニー郊外のマルスコロニーを殲滅してくれ、ってさ」
「ほう」
勇平はどうでもよさそうに相づちをうつ。だが、表情が堅いのは彼の特徴で、今の反応は興味を持っている証拠だ。本当にどうでもよかったら既にその場にいない。
「楽勝も楽勝。マルス二十体と女王個体一体。十分くらいで片付いた」
そう話すブレンはどこか楽しげだ。やはりこの年頃の者というのは、自分の成果を誰かに話したいものなのだろう。
「十分か…… 俺には無理な速さだな。やっぱりお前はすごいよ」
本当にそう思っているのか、思っていないのか。表情からは読み取りづらいが、わざわざ勇平が口にするということは、本当に思っているのだろう。
「たまたま俺がある程度のパワーと速さを持ってただけだ。単純パワーならお前が遥かに上じゃねぇか? いつだったかにほら、あの、ドクターが開発した特殊剛性合金。あれ握り潰してたじゃん? 俺じゃあびくともしなかったのに、お前ったらリンゴ潰すみてぇにメキョッて変形させてさぁ…… お前もすげぇやつだろ?」
ブレンに褒められ、勇平は小さく口角を上げた。おそらく照れているのだろう。武骨な堅物に見えるが、内面はけっこう素直で単調だ。
「で、いま外に出ようとしてたが、どこへ行くんだ? そろそろ雨が降りそうだぞ」
「あぁ……」
ブレンは一瞬だけ頭から抜けていた現実に呼び戻されうなだれる。
「ラボに来いってドクターが言ってるんだとさ」
「ほう、ドクターが、か。定期検査じゃないか? お前最後にやったの結構前だろ?」
定期検査。普通のヒトと大きく違うエクスソルジャーの身体は未だに不確定な要素が多い。それを調べるため、彼らは定期的にドクターによる検査を受けるのだ。もっとも、普通の検査というより、ある種の実験観察にも違いが。
「俺、検査っていうか、病院的なのが嫌いなんだよなぁ…… だって痛ぇもん、注射」
マルスとの生身の戦いにすら耐えうるブレンが、たかが注射にこれほどまで気落ちするとは。一見して不可解だが、これには過去のことが関わっている。
「……親父さんたちの事、連鎖でフラッシュバックするのか」
「……いうなよ」
ブレンは勇平から顔を背ける。踏み込みすぎたと気づいたときには、既にブレンは小雨の中、本部を出ていっていた。
「……悪かったよ。痛み、俺にもわかるはずなんだがなぁ……」
勇平は開け放たれたドアをパタンと閉め、無神経だった己の発言にため息をついた。ここには、傷を負ったものしかいない。
一方、本部を出たブレンはパラパラと雨がまばらに降る中、本部から離れた一棟の建物に向かって歩いていた。さほど距離はないが、彼の重い足取りが何倍もの長さがあるように感じさせる。
体感にして何と五分。ブレンはついにその建物、「ラボ」の扉の前にたどり着いた。コンクリート製の白い建物に、ステンレスむき出しのドア。まるで創作でよく見るマッドサイエンティストの城だ。
「……入るぞ」
小声で言ったつもりだったが、インターホンから「入りたまえ!」と元気な声が聞こえてきてビクリと身が震える。ここのマイクはそんなに集音性が高いのか?
見かけよりも軋んだ音を立ててドアが開く。中から漂う不可解な薬品臭が、エクスソルジャーの高感度な鼻腔を突き刺す。ブレンは思わず顔をしかめて腕で鼻を覆う。
入るしかない。ブレンは意を決して中へと入り、ドアを閉める。照明のLEDが無機質に彼を照らし、それが短い通路に沿って天井に続いている。
ゆっくりと通路を進むと、その先は開けた小部屋になっていた。ブレンはそっとそこを覗き込む。
「待っていたぞ!」
「うぉっ!」
視界の端から突如、七十代ほどの老人が飛び出してきてブレンは心底驚いた。シミのある白衣、灰色の髪は伸ばしているのか切るのが面倒なのか、眼はギョロリと剥かれどう見ても正気ではない。
「はっはっはっ! エクスソルジャーも不意を突かれた突発的な事象には対応できない、メモメモっと」
老人は白衣の胸ポケットから薄汚いメモ帳を取り出すとそこへ何かを書き記す。ちらりと見えた内容は字が汚すぎて解読できなかった。
「驚かすなよドクター……」
この老人こそドクター。オルフェンズの医療部門の長で、エクスソルジャーたちの担当医だ。もっとも、医師免許はない。
「この程度で怯んではいかんぞエクスソルジャー! お主らは私の最高傑作! 人類叡知の結晶なのだからな! はっはっはっ!」
そう言って歳に見合わない豪快な笑い声をあげるドクター。眼がガンギマリでなければただの愉快なおじいちゃんなのだが、残念ながら現実はそうはいかない。
「そんなに馬鹿デカイ声出してっと高血圧でぶっ倒れっぞ?」
「何を言うか!? この私が高々血流の乱高下で苦しむなぞ…… ゲホッゴホッゴフッ」
いわんこっちゃない。ドクターは激しくむせて咳き込む。ご老体で騒ぐからこうなるのだ。半ば呆れつつもブレンはドクターへ心配そうに声をかける。
「おいおい、大丈夫かよ」
するとドクターは制止するようにブレンへと手を向け、尻ポケットからL字形の器具を取り出して一方の端を口に含んだ。そしてもう一方の端にあるボタンをカチリと押すと、プシュッという音と共に口の中へと噴霧剤が放たれる。ドクターはそれを思いっきり吸い込み、またもむせる。大丈夫かこの爺さん。
「またそんなもんやって…… どうなっても知らねぇぞ?」
それからドクターは異常なほどにすばやい動きでガッツポーズを取ると、ブレンに向けてV字サインを送る。
「がっはっはっはっ!! これぞ私の発明! エクスソルジャー特有の回復生体成分を応用した、『エクスヒールiv』!! こいつはキクぞぉ……!」
「やべぇブツの臭いしかしないんだが……」
目の前で急に高速スクワッドを始めたドクターを見て、ブレンは思考を放棄した。このジジイに常識を求めても無駄だ。だが、常識があってはエクスソルジャーなどつくれないだろう。
「ふぅ、スクワッド百回が終わったところで、そろそろ本題に入ろうかな?」
ドクターの異様な眼がブレンを貫く。その奥にある得たいの知れないものに、ブレンはゾワリと悪寒を感じた。
「……ああ、わかったよ。で、今日は何すんだ? また検査機器着けたまま三百キロをランニングマシンで走れ、とか言うんじゃないだろうな?」
ブレンは前回の検査を思い出して脚が震える。あんな距離を走らされるのはもう御免だ。まあ、体力自体はすぐに回復するが。
「ああん? 違う違う。今回は簡単に終わる。なぁに、血液検査だよ」
あからさまにブレンが嫌な顔をした。血液検査、つまり血を抜く。どうやって? 注射だ。
「……分かってて言ってやがるな?」
「おん? なんのことかな? エクスソルジャーが注射を怖いなんて言わんだろうね? 注射くらいあの孤児のガキンチョどもも黙ってされるぞ? まったく、私はあくまでもエクスソルジャー専門だというのになぜ孤児なんぞの予防ワクチン接種なんかを……」
めんどうくさくなりそうだ。これ以上グチグチ言われてはこっちの気が持たない。そう考えてブレンは仕方なく折れる。
「わかったわかった…… 血液検査すりゃいいんだろ? やるからあいつらのことを悪く言うなよ……」
「ふはは! 最初からそういうのだ! 早速血ぃ抜くぞぉ!」
そう言ってドクターはいつの間にか用意していた採血機器をカチャカチャと鳴らす。ブレンはゴクリと息を飲み、覚悟を決めるしかなかった。