何一つ持たないままに目を覚まして途方に暮れていたあの日から、実はまだそんなに経っていないんだってことに気づいて、不思議でならなかった。何もわからなくて、何も知らなくて、どうしてばかりが頭の中を駆け巡って、怖くて苦しくて堪らなかったあの日の感覚を、こうして振り返りでもしなければ、きっとぼくはちらとも思い出さなかったことだろう。
あの日空っぽだったぼくの鞄は、いまや両手に抱えきれないほど沢山の思い出で膨らんで、そしてそのどれもがかけがえのない輝きだった。
サーバルちゃんに出会って、ラッキーさんと出会って、バスを直して、三人でいろんなところを旅してきたね。いろんなものを見て、いろんなフレンズさんと触れ合って、あんなにも空っぽだったぼくは、いまこんなにも満たされている。あの日わからなかった事がわかるようになって、あの日知らなかった事を知って、あの日思いもしなかった幸福の中にぼくはある。
そう、ぼくはしあわせなんだ。
しあわせだからこそ、いまこうしてつらいんだ。
大きなセルリアンをなんとか海に落として、フレンズの皆さんの危機は何とか落ち着いた。ぼくも一時はセルリアンに食べられてしまったけれど、どうしてか無事だったみたい。ラッキーさんも、沈んでしまったのかもしれないと思っていたけれど、姿を変えていまも一緒だ。
色々な後始末や準備の為に多くのフレンズさんたちが集まって、今まで出会ったフレンズさんたちとまたお話しすることができた。色んなことを話して、色んなことを聞いて、そうしてそれらが落ち着いた頃、ぼくは不意に何もすることのない時間というものを得た。殆ど目覚めたとき以来の、ひとりきりの時間というものを得た。
少し歩けばすぐにでも誰かフレンズさんたちと会えたことだろう。挨拶すれば挨拶を返してくれて、話しかければきっとお話ししてくれたことだろう。でもぼくは、何をするというわけでもなく、ただぼんやりと、このひとりの時間を過ごしていた。
ひとりきりと言っても、ラッキーさんは一緒だ。けれどラッキーさんは、その必要がない時にはお喋りではないし、そうしない方がいい時には何時まででもただ黙って見守ってくれた。
思えばサーバルちゃんと出会ってから、ぼくはずっと何かをしていたように思う。ただバスに揺られているだけの時でさえ、サーバルちゃんは景色の一つ一つに声を上げ、ありとあらゆることに目を輝かせ、ぼくをそっとしておいてくれるということがなかった。サーバルちゃんが喜んでいる時は僕も喜んでいて、サーバルちゃんが笑っている時は僕も笑っていて、そしてぼくが寝入るときはサーバルちゃんも傍で眠ってくれた。
思い返すほどぼくの中身は、サーバルちゃんばかりだった。こうして何もしないでぼうっとしている時でさえ、ぼくの中から湧いてくるのはどれもサーバルちゃんに絡んだ思いだけだった。
サーバルちゃんはとてもいい子だ。見ず知らずのぼくを助けてくれ、自分の縄張りを離れてまで図書館まで案内してくれ、そして危険も顧みずセルリアンに挑んでくれた。何にもないぼくが、たった一つ詰め込まれたサーバルちゃんの為に走ったのとは違う。友達もいて、気楽な生活もあって、忘れたくないことだってたくさんあるだろうに、サーバルちゃんはそれでもぼくを助けてくれた。
本当のところ、ぼくはサーバルちゃんの為に旅をしていたのかもしれなかった。サーバルちゃんの隣にいたいが為に、ここまでこうして旅をしてきたのかもしれなかった。自分が何者かもわからず、ここが何処かもわからず、その不安を解消するためにも自分の正体を求めたのは事実だ。でも曖昧で漠然とした不安よりも、サーバルちゃんの笑顔が僕を歩かせ続けてくれたのかもしれなかった。だってぼくは気づけば、自分が何の動物かなんて本当は気にしていなかったんだ。かばんちゃんってそう呼ばれる度に、ぼくは他の何物でもないぼく自身になれたんだ。
でもそのサーバルちゃんとももうお別れしなければいけないかもしれない。
ぐるぐるとめぐっていた考えがそこに至って、急にシンと冷え切ってしまった。
そうなのだった。
ぼくの旅は、ぼくとサーバルちゃんの旅は、ここにこうして終わってしまったのだ。ヒトがいたという港にたどり着いて、そうしてそこにもやっぱり人はもういないと分かってしまって、島の外へと出るための船も沈んでしまって、ここがぼくの行き止まりだった。ぼくにはもうどこへ向かう目的もなくて、どこへ向かう手段もなくて、ここで終わりなのだった。
ぼくを放っておけなくてはるばるついてきてくれたサーバルちゃんだけれど、彼女には彼女のナワバリがあった。彼女の生きやすい環境でもあるナワバリに、帰らなければならない。
ぼくは、ぼくはどうしたらいいだろうか。これからを思うとぼくの頭は真っ白になってしまった。ぼくには目的なんかなかった。ぼくという動物は旅の中にだけあった。いつかどうにかきっとなんとかなるだろうって、そんな根拠のない希望だけで歩いてきた。歩いてこれた。だってサーバルちゃんがいたから。
愕然とした。
サーバルちゃんはぼくの旅に付き合ってくれていると思っていた。けれどそれどころではなかった。ついて行っていたのはサーバルちゃんではなかった。ぼくだった。ぼくこそが、手を引き導いてくれるサーバルちゃんについて行っていただけなのだった。行く先々で目的を与えてくれたのは全部全部サーバルちゃんだった。
サーバルちゃんは優しい子だった。ぼくを導いてくれ、行く先々で面白そうなことや困っているフレンズさんを見つけては、どうしようかと言ってくれた。ぼくはただそれに応えようとしただけだった。ぼくには何もなかった。ぼくにはなんにもなかったんだ!
もしぼくがただ一人だったら、きっとただ不安と恐怖の中、セルリアンに食べられてしまっただろう。例えラッキーさんがガイドをしてくれたとしても、ぼくはきっとどこにも辿り着けなかったに違いない。どんなフレンズさんと出会っても、ぼくはなんにもできなかったことだろう。
別にこれを使わなくてもいいんじゃないかと思っていたぼくに、バスを直すことを提案してくれたのはサーバルちゃんだった。川を渡る方法はないかなって問いかけてくれたのはサーバルちゃんだった。とてもじゃないけど無理かなって思ったぼくを、カフェまで行こうって励ましてくれたのはサーバルちゃんだった。悩んでいるビーバーさんとプレーリーさんを助けてあげたいといったのはサーバルちゃんで、きっとぼくだけだったら見過ごしていたことだろう。ライオンさんに合戦ごっこの話をされたとき、サーバルちゃんができるよと言ってくれなければ、ぼくにいったい何ができただろうか。
ぼくがひとりで成し遂げたことなんて何一つもなかった。サーバルちゃんが頼ってくれるのが嬉しくて、サーバルちゃんの期待に応えることがぼくの目的だった。
そうして今ぼくには何にもないのだった。
ぐるぐるとぐるぐると、答えのない問いかけに悩まされて、ぼくはどんどん嫌なことばかり考えるようになっていた。サーバルちゃんは優しい子だから、きっとぼくがついて行っても許してくれるだろう。一緒に仲良く暮らせるかもしれない。でもサーバルちゃんがぼくに優しいのは、相手がぼくだからじゃなくてサーバルちゃんが優しいからだった。サーバルちゃんは誰にでも優しかった。困っているフレンズを放っておけない彼女だから、ぼくのことを助けてくれる。ぼくにはサーバルちゃんしかいなかったけれど、でもサーバルちゃんにとっては誰でもよかったんだ。ただそこにいたぼくが困っていたから、サーバルちゃんは助けてくれた。それだけなんだ。
なんだかとても当たり前のことが、とてもとても悲しかった。寂しかった。
ひとりでいる時間が長くなると、ぼくはいつまでもいつまでもずうっとぐるぐるこんなことを考えていて、そうしてこんなことを考えている自分がとてつもなく嫌な奴に思えて、苦しくて、切なくて、自然と誰かを求めて用もないのに歩き回るようになった。勿論その結果は、いつも空回りで、ただサーバルちゃんがいるときだけ、ぼくは先のない不安を忘れてほっと息をつけるのだった。
サーバルちゃんばかりでいっぱいになったかばんを抱えて途方に暮れていたぼくを、立ち上がらせてくれたのもやっぱりサーバルちゃんだった。
もやもやとしたまま一か月が過ぎて、何にも決まっていないのになんだか一段落ついたようになってしまって、これからどうしたらいいのだろうなんて悩んでいたぼくに、サーバルちゃんは、みんなは、飛び切りのプレゼントをくれた。
足も遅くて体力もないぼくが何とか旅できるよう働いてくれたバス。それをなおしてくれたのだった。それも、最初はなんてことをするんだと驚いたけれど、なんとうみを進めるようにしてくれたのだった。あんなに大変なことがあった後だというのに、みんなは通りすがりでしかないぼくの為に、きっと大変な苦労をしてバスを直してくれたのだった。
感極まって抱き着いてしまったぼくが、いったいどんな気持ちで、どんな顔をしていたのか、きっとサーバルちゃんは知らないだろうね。
ぼくはね、サーバルちゃん。
とても寂しかったんだ。
これで本当にサーバルちゃんとお別れなんだって思うと、胸が張り裂けそうな位寂しかった。
とても怖かったんだ。
もうサーバルちゃんが隣にいてくれないんだって思うと、自分の指一本動かすのだってどうしたらいいのかわからないくらい怖かった。
とても悲しかったんだ。
サーバルちゃんはぼくを笑顔で送り出せるくらい寂しくもなければ怖くもないんだって、その程度なんだって思うと涙が止まらないくらい悲しかった。
それにね。
それからね。
とても嬉しかったんだ。
ぼくがしり込みしても、大丈夫って言ってくれるのはいつもサーバルちゃんだった。ぼくが迷っていたら、いこうよって手を引いてくれるのはいつだってサーバルちゃんだった。空っぽのぼくに中身をくれたのはいつだってサーバルちゃんだった。
キミはいまこうしてどうしたらいいのかわからないでいるぼくに、飛び切りの勇気と信じられないくらい沢山の信頼を預けてくれたね。
ぼくはずっと寂しかった。ぼくはずっと怖かった。サーバルちゃんがただ優しさだけでぼくに付き合ってくれているんじゃないかって、ずっとずっと寂しくてずっとずっと怖かった。
そうだ。
そうなんだ。
ぼくはキミとともだちになりたかった。
ずっとずっと、ともだちになりたかった。
かばんちゃんはすごいんだよって、その言葉に応えられるくらい、胸を張ってキミのともだちだって名乗れるようになりたかったんだ。
ああ。
ぼくはいまようやく立てたんだと思う。
こんなに情けないぼくを、信じて送り出してくれるキミに、ぼくは応えたい。
ぼくのかばんには、キミがくれた本当にたくさんの奇跡がギュッと詰まっていて、キミと出会ってからの本当に素敵な思い出があふれている。
きっとこの先も、ぼくは寂しくなって、怖くなって、もしかしたら泣き出して、どうしたらいいかわからなくなって、足を止めることもあるかもしれない。
でも、サーバルちゃん、キミのくれた本当にたくさんのものが、今ぼくの背中をあったかく押してくれるんだ。独りでは何もできなかったぼくは、けれどいま、きっと一人でも大丈夫だから。
いつかまた出会えたら、その時こそぼくは胸を張ってキミと笑えると思うんだ。
つまりはこれからもどうかよろしくね。
◆◇◆◇◆
私は本当に嫌な奴だ。
かばんちゃんと出会って、一緒に旅をするようになってから、私はたくさんたくさん考えることが増えたように思う。それまでの、遊んで、食べて、眠って、そんな生活を思うと、いったい私はどうやって生きてきたんだろうと心から不思議に思うほど、いまの私はたくさんのことを考えている。
とはいっても、考えることが増えても、特別かしこくなったわけじゃない。こうして考えていることだって、かばんちゃんのように文字にのこしたりはできないから、きっと明日になれば半分くらいは忘れていて、ジャパリまんを食べる頃にはすっかり忘れちゃっていることだろう。
ねえかばんちゃん。
私が時々、かばんちゃんに見られるのが怖いんだって言ったら、どう思うかな。
はじめて君を見つけたとき、ナワバリにお客さんが来たんだって思ったんだ。見たことがないフレンズだったからね。狩りごっこをして仲良くしようと思ったら、食べないでくださいだなんていうんだもん。驚いちゃった。
話していく内に、キミが本当になんにも知らない生まれたばかりのフレンズだって知って、ほんとはね、私、ちょっといい気になったんだ。さばんなでは私、ドジだとか間抜けだとか言われてて、自分でもまあ、あんまりすごいフレンズじゃないなって思ってたんだけど、かばんちゃんは本当に何も知らない、誰かが助けてあげなきゃいけない子なんだってわかって、嬉しくなっちゃったんだ。かばんちゃんはすっごく困っていたのにね。
かばんちゃんがじゃんぐるちほーに向かった時だって、そりゃあ心配もあったけど、でも、私が面倒みてあげなきゃって、そんな風に思ってたんだ。
でも、違った。違ったんだね。かばんちゃんは私なんかよりずっとずっとすごかった。
はしを作った時、かばんちゃんは何でもないような顔だったけど、きっと誰も思いつかなかったことだと思う。ビーバーみたいに器用なフレンズはたくさんいるけれど、でも、川を渡るのに何か作ろうって、きっと誰も思わなかったんじゃないかな。アルパカのカフェでも、かばんちゃんは空も飛べないのに、鳥のフレンズたちから見えるようにメッセージを用意したんだって聞いたよ。プレーリーやビーバーがきっと何日もかかってどうしようもなかったいえも、かばんちゃんがちょっとアドバイスするだけですぐに出来上がっちゃった。かばんちゃんがいなかったらきっと今でもライオンとヘラジカはあのままだったし、きっとあのおっきなセルリアンだって、かばんちゃんがいなかったらもっと大変なことになっていたかもしれない。
私はその間何をしていたかっていえば、かばんちゃんについて回って、どうしようかって聞いてるばっかりだった。
かばんちゃんは本当にすごいね。いつだって、誰がどんなことで困っていても、かばんちゃんがどうにかしてくれた。私もかばんちゃんはすごいんだよって、なんだか自分の事みたいにうれしくて、でもね、みんながかばんちゃんはすごいねって言い始めると、今度はなんだかかばんちゃんがとられたみたいな気分になったんだ。勝手だよね。
私ね、いつの間にか、かばんちゃんは私のかばんちゃんなのにって、そんな風に思ってたんだ。私のものなのにって、そんな風に思っちゃったんだ。
そのことに気付いて、すっごく嫌な気持ちになっちゃった。
かばんちゃんとお話してるとすっごく楽しい。かばんちゃんといるとポカポカする。もっともっとかばんちゃんのこと知りたい。かばんちゃんがいなくなるかもって思ったら、いてもたってもいられなくなった。
かばんちゃんが無事だってわかった時、私、わかったんだ。私がかばんちゃんを守るんだって思ってた。でも違うんだ。かばんちゃんなんだ。かばんちゃんが私を笑顔にしてくれるんだって。私の無茶を、支えてくれるのがかばんちゃんなんだって。
かばんちゃんの為に何をしてあげられるだろうって、私考えたんだ。
私のことをすっと支えてくれて、私にずっとついてきてくれたかばんちゃんに、何をしてあげられるだろうって。
かばんちゃんがしたいこと、やりたいこと、叶えてあげたいって。
ヒトっていう動物は、もうこの島にはいないみたい。みんなで何処かへ行ってしまったんだって。かばんちゃんは気にしていないって言っていたけど、ずっと気にしてるんだってわかってる。
本当は、ヒトのことなんて忘れて、ずっとここにいればいいよって思ったんだ。住むところも、私と一緒にさばんなに帰ってもいいし、港がいいなら私がこっちに引っ越すよって。でも違うんだ。それはかばんちゃんの為じゃなくて、私の為なんだ。
私は本当に嫌な奴だ。
博士たちがバスを直そうって言っているのを聞いて、私はすぐに賛成したんだ。それで聞いたんだ。バスで海は走れるかなって。
かばんちゃんはこのプレゼント喜んでくれるかな。喜んで、そのまま出て行っちゃうかな。
嫌だよ。寂しいよ。怖いよ。もっとずっと一緒にいたいよ。
だからごめんね。キミの邪魔になるかもしれないけれど。本当に私は嫌な奴だね。
つまりはこれからもどうかよろしくね。